【市川みらいアーカイブ】江戸川 「江戸川って呼ばれるようになったのは、1839~1855年ぐらいじゃないかな」
『クラナリ』は「暮らし」と「生業」がテーマなのですが、生活にも仕事にも役に立たないことをかなり深掘りしてきました。
江戸川も、なんだかとても気になって、いろいろと調べてしまったのです。
江戸川
〇名前
川の呼び名は、太日(ふとい)川から利根川になって、1839~1855年ぐらいに江戸川になったと推測しています。
「江戸川縁領々地図」(野田市立図書館 電子資料室 所蔵絵図) |
江戸川は、いつから「江戸川」と呼ばれるようになったのか問題
〇水害との戦い
1836年(天保7年)に水路が掘り進められたのだと、国府台にある「旧坂川の碑」に書かれていました。
160年にわたる、先人たちの水との戦い 「旧坂川の碑」
〇橋
江戸川に最初に架けられた橋と推測しているのが、総武線(昔は総武鉄道)の江戸川橋梁。1894年(明治27年)のことです。
江戸川の橋にまつわるエトセトラ
京成電鉄江戸川橋梁の今昔
〇河原番外地
1919年(大正8年)に竣工した江戸川放水路によって新たに生まれた陸地が「ちょこっとまたいだ」ために、河原番外地が誕生してしまったようです。
地理院地図を一部改変 |
「市川市河原番外地」が生まれた背景に、「ちょこっとまたいだ」江戸川放水路掘削の歴史あり ~デイリーポータルZ 番外地・境界未定地・飛び地2006
〇水門
水門にもさまざまなデザインがあるのですね。
江戸川水門コレクション
〇行徳橋
今の行徳橋は、2020年3月10日に開通しました。古い行徳橋は、歩道が狭くて狭くて、それはもう大変でしたよ。
建設途中の行徳橋(古い行徳橋から望む) |
解体中の古い行徳橋(2021年1月撮影) |
つながる市川! 行徳橋の開通は3月10日午前5時
行徳可動堰の仕組みを調べました。
行徳可動堰はどのようにして「可動」なのか問題
〇ニュー妙見島
新しい島が大きくなっていく様子を観察していたのですが……
鳥たちの楽園「ニュー妙見島」できるんじゃないか問題
「ニュー妙見島」巨大化しているんじゃないか問題
「ニュー妙見島」リゾート化計画 ~砂浜とさざ波と
「ニュー妙見島」の消滅
江戸川の干潟化と「ニュー妙見島」の消滅
〇ダイヤモンド富士
江戸川河川敷から、ダイヤモンド富士が見えるのですよ。自分は見たことはないのですが。
年に2回だけ見られる絶景「ダイヤモンド富士」
〇オオタカ
江戸川河川敷にはさまざまな鳥がいます。
住宅密集地の大空に、翼を広げ、オオタカは飛んでいるのか問題
あれはきっとオオタカに違いない問題 1
あれはきっとオオタカに違いない問題 2
あれはきっとオオタカに違いない問題 3 トンビ? トビ?
「このアホゥ!」とカラスがトンビを追いかけているのか、トンビがカラスを追いかけているのか問題
Leave a Comment