市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行 その7 検証2「本当に『市川駅前再開発で人がいなくなった』のか?」
『写真で見るわがまち市川 』(中津攸子 郷土出版社)より |
上の写真は、1973年(昭和48年)の市川駅南口と1971年(昭和46年)の市川駅北口の様子ですが、さまざまな商店が立ち並び、にぎわっています。
当時の市川市の人口は、実は今の2分の1以下。
市川駅周辺についても、昭和40年代より今のほうが多くの人が住んでいると推測できます。
それにもかかわらず、にぎわいが減っているとしたら、次のことが考えられます。
市川駅が、「ここで降りて滞在する」という目的地ではなく、「ここから東京などに通勤・通学する」という経由地になったということ。
その理由の一つは、市川駅周辺が住宅地化したことが関係しているのかもしれません。
工場が消えて、宅地に変化していったようです。
もう一つの理由は、交通の便やサービスが向上したことで、簡単に東京に行きやすくなったこと。
国鉄分割民営化も、影響しているのかもしれません。
「欲しいものがあるのなら、東京に行って探したほうが早い。
東京には何でもそろっているのだから」
そんな感覚が根付いた可能性も考えられます。
これが、急激な宅地化が進んだことで人口は増えたものの、逆に、駅前に人がいなくなったことにつながっているのかもしれません。
「寝に帰るだけの市川」現象です。
■市川駅南口宅地化の流れ ※間違いがあれば指摘してください
市川毛織株式会社(東京毛布株式会社)[1963 年(昭和38年)11月本社を千葉県市川市から東京都文京区に移転]
宝酒造[1964年(昭和39年) 王子工場と市川工場を集約し、松戸工場へ]→南口アーケード商店街、市川パークハウス[1980年(昭和55年)竣工]
※当時は芋焼酎のにおいがしていたらしい
東京精鍛工所[1977年(昭和52年)機械部門 千葉市川塩浜に移転]→駅南公民館、大洲小学校[1979年(昭和54年)開校]
日本鋼線、大東金属工場→大洲中学校[1982年(昭和57年)開校]
明治乳業[2000年(平成12年)3月市川工場閉鎖]→大洲防災公園、市川市急病診療・ふれあいセンター→大洲商店街に影響
■市川駅南口再開発の歴史 ※間違いがあれば指摘してください
1964(昭和39)年 市川駅 貨物の取り扱いを廃止
1969(昭和44)年5月 市川駅 高架化・複々線化
→北越製紙市川工場(現北越コーポレーション関東工場市川工務部)への専用側線を廃止
1972(昭和47)年 駅ビル「シャポー市川」が開業
市川駅南口アーケード街ができる(アーケードの設置)
→火災が起こるが、狭くて消防車が入れない事態に。消防車や救急車などがスムーズに入ってこられるような、駅前ロータリーを作ることが課題に
1977(昭和52)~1997(平成9)年 高橋国雄市長
1980(昭和55)年 市川駅南口地区市街地再開発等調査
1987(昭和62)年 国鉄分割民営化に伴い、市川駅がJR東日本の駅になる
1991(平成3)年 佐藤尚美さんが再開発の担当者になる
1993(平成5)年 都市計画決定(主要用途を商業・業務とする)
→1991年から1993年にかけてのバブル崩壊で、1995年には住宅金融専門会社が破綻
1995(平成7)年 社会経済状況の変化により施設計画の見直しに着手
1997(平成9)~2009(平成21)年 千葉光行市長
2000(平成12)年 都市計画変更(住宅を中心とした施設計画とする)
2002(平成14)年2月 事業計画決定
2002(平成14)年5月 権利者要望により施設計画の見直しを検討
2003(平成15)年2月 都市計画変更
2003(平成15)年3月 事業計画変更
2003(平成15)年4月 権利変換計画縦覧
2003(平成15)年10月 事業計画変更
2003(平成15)年10月 権利変換計画再縦覧
2003(平成15)年12月 権利変換計画認可
2004(平成16)年2月 権利変換期日(20日)
2004(平成16)年2月 90条登記(従前の土地の表題部の登記の抹消及び新たな土地の表題登記)
2004(平成16)年度 土地建物の明け渡し 特定建築者公募
2005(平成17)年8月4日 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス(仮称:市川駅南口A街区タワー) 起工式挙行
2005(平成17)年8月 I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト着工
2005(平成17)年10月 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス着工
2008(平成20)年7月 I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト竣工
→2008(平成20)年9月15日にリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが破綻→リーマン・ショック
2009(平成21)年1月 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス竣工
2009(平成21)年12月~ 2017年12月 大久保 博市長
2013(平成23)年4月 佐藤尚美さんが市川市の副市長に就任
1977(昭和52)~1997(平成9)年 高橋国雄市長
1980(昭和55)年 市川駅南口地区市街地再開発等調査
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『カメラが撮らえた 千葉県の昭和』(『歴史読本』編集部 中経出版)より |
1987(昭和62)年 国鉄分割民営化に伴い、市川駅がJR東日本の駅になる
1991(平成3)年 佐藤尚美さんが再開発の担当者になる
1993(平成5)年 都市計画決定(主要用途を商業・業務とする)
→1991年から1993年にかけてのバブル崩壊で、1995年には住宅金融専門会社が破綻
1995(平成7)年 社会経済状況の変化により施設計画の見直しに着手
1997(平成9)~2009(平成21)年 千葉光行市長
2000(平成12)年 都市計画変更(住宅を中心とした施設計画とする)
2002(平成14)年2月 事業計画決定
2002(平成14)年5月 権利者要望により施設計画の見直しを検討
2003(平成15)年2月 都市計画変更
2003(平成15)年3月 事業計画変更
2003(平成15)年4月 権利変換計画縦覧
2003(平成15)年10月 事業計画変更
2003(平成15)年10月 権利変換計画再縦覧
2003(平成15)年12月 権利変換計画認可
2004(平成16)年2月 権利変換期日(20日)
2004(平成16)年2月 90条登記(従前の土地の表題部の登記の抹消及び新たな土地の表題登記)
2004(平成16)年度 土地建物の明け渡し 特定建築者公募
2005(平成17)年8月4日 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス(仮称:市川駅南口A街区タワー) 起工式挙行
2005(平成17)年8月 I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト着工
2005(平成17)年10月 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス着工
2008(平成20)年7月 I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト竣工
→2008(平成20)年9月15日にリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが破綻→リーマン・ショック
2009(平成21)年1月 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス竣工
2009(平成21)年12月~ 2017年12月 大久保 博市長
2013(平成23)年4月 佐藤尚美さんが市川市の副市長に就任
■シリーズ「市川駅南口アーケード街を巡る旅」
■参考資料
市川市 市川市の概要
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cit01/1111000041.html
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cit01/1111000041.html
市川市 大洲防災公園について
https://www.city.ichikawa.lg.jp/gre04/1111000016.html
株式会社セイタン
http://www.seitan.co.jp/aboutus/history.html
http://www.nouminren.ne.jp/dat/9907/99071201.htm
日本食糧新聞
https://news.nissyoku.co.jp/news/nss-8717-0039
『市川まちかど博物館』(いちかわ・まち研究会 株式会社エピック)
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