市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行 その1 はじまりはじまり

 「場内エキサイト!市川駅前再開発で人がいなくなったといっても受けた!」
 以前に、市川市在住のミュージシャンであるサエキけんぞうさん(62歳)から、Twitterでもらったコメントです。

https://life-livelihood.blogspot.com/2020/02/blog-post.html

今も町中に残る、南口アーケード街のお店の看板

 2004年頃まで存在したと推測できる市川駅南口アーケード街。

 『クラナリ』編集人が市川に引っ越してきた2006年頃には、数軒のお店が営業している長屋のようなプレハブと、南口の正面にビルがあるような状態でした。そのビルには、もつやき藤と三洲苑などが入っていました。

 ですから、市川駅南口アーケード街を目にしてはいないのですが、SNSその他の情報で「100円ショップやゲームセンターなどがゴチャっと入った、雑多な場所」だったと推測しています。

 市川駅北口のダイエーがある辺りは、戦後、つまり1945(昭和20)年頃に闇市があったようで、地元の人や東京で焼け出されてきた人が商売をしていたとのこと。
 おそらく、その闇市の影響で南口にも商売をする人が集まるようになり、それがやがてアーケード街へと発展していったのでしょう。

 それから30年ほどたって、市川駅南口地区市街地再開発等調査が行われています。
 自然発生的に生まれて雑多だった商店街はおそらく通路が狭く、救急車両などが通れないといった問題を抱えていたのでしょう。

 その一方で、サエキけんぞうさんが指摘していたとおり、雑多さが失われると同時に商店街としての魅力も失われていったに違いありません。
 再開発後の I-linkタウンいちかわの商業施設用のスペースは、ビルが建設されてからこれまでの10年以上も、1度もテナントが入ったことのないスペースが多々あるからです。

 そんな市川駅南口の、過去・現在・未来をたどる旅を『クラナリ』で始めます。

■市川駅南口再開発の歴史


1977(昭和52)~1997(平成9)年 高橋国雄市長

1980(昭和55)年 市川駅南口地区市街地再開発等調査

1993(平成5)年 都市計画決定(主要用途を商業・業務とする)

→1991年から1993年にかけてのバブル崩壊で、1995年には住宅金融専門会社が破綻

1995(平成7)年 社会経済状況の変化により施設計画の見直しに着手

1997(平成9)~2009(平成21)年 千葉光行市長

2000(平成12)年 都市計画変更(住宅を中心とした施設計画とする)
2002(平成14)年2月 事業計画決定
2002(平成14)年5月 権利者要望により施設計画の見直しを検討
2003(平成15)年2月 都市計画変更
2003(平成15)年3月 事業計画変更
2003(平成15)年4月 権利変換計画縦覧
2003(平成15)年10月 事業計画変更
2003(平成15)年10月 権利変換計画再縦覧
2003(平成15)年12月 権利変換計画認可
2004(平成16)年2月 権利変換期日(20日)
2004(平成16)年2月 90条登記(従前の土地の表題部の登記の抹消及び新たな土地の表題登記)
2004(平成16)年度 土地建物の明け渡し 特定建築者公募 

2005(平成17)年8月4日 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス(仮称:市川駅南口A街区タワー) 起工式挙行
2005(平成17)年8月 I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト着工
2005(平成17)年10月 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス着工
2008(平成20)年7月 I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト竣工

→2008(平成20)年9月15日にリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが破綻→リーマン・ショック

2009(平成21)年1月 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス竣工

2009(平成21)年12月~ 2017年12月 大久保 博市長

2013(平成23)年4月 佐藤尚美さんが市川市の副市長に就任

シリーズ「市川駅南口アーケード街を巡る旅」







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