「新浜鴨場」が、新浜(にいはま)にあるけど「しんはまかもば」の理由(2025年7月9日初出、2025年7月20日更新)
 宮内庁が管理している、千葉県市川市の「新浜鴨場」は「しんはまかもば」と読みます。所在地は市川市新浜(にいはま)です。地名と読み方が異なっているのです。
 その理由は、東京都中央区の浜離宮にあった鴨場が、千葉県市川市の干潟に新設されて、「新しい浜(浜離宮の『浜』)」ということで「しんはま」と呼ばれたからとのこと。
 浜離宮については、1652年に、徳川4代将軍の家綱が、縁戚である甲府藩主の松平綱重に下屋敷として渡したことが始まり。「甲府浜御殿」、「海手屋敷」などと呼ばれていました。
 6代将軍家宣(1709~1712年)の頃に将軍家の別邸となり、名前を「浜御殿」としました。ここで、天皇の勅使として江戸を訪れた公家を接待しました。
 11代将軍家斉は、鷹狩で浜御殿を頻繁に訪れました。
 鴨場は、浜御殿の庭園内で鷹狩を行う場所で、まず、飛ぶのが下手なアヒルを池(「溜り」「元溜」)で飼い、木の板をたたいてカン、カン、カンと音を立てると、池につながる堀(「引堀」)でエサを与えます。こうやって飼い慣らすと、音を立てるとアヒルは堀に入ってくるようになります。
 池に野生のカモがやってくるシーズンに、鷹狩を行います。音を立てるとアヒルは堀に入っていくのですが、その後ろをなぜかカモがついてきます。こうして堀に入ったカモは、堀の両脇から人間が現れるとびっくりして飛び立ちます。バタバタと飛ぶカモをタカで狩るというわけです。
 明治に入り、1869(明治2)年に徳川将軍家の別邸から皇室の離宮となり、「浜離宮」と改称されました。また、狩猟も鷹狩ではなく、絹糸で作られた手持ちの網「叉手網(さであみ)」を使って、カモが飛び立つところを捕獲する技法になりました。
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| 特別名勝・特別史跡 浜離宮恩賜庭園「鴨場」の文化を伝えるより | 
 現在の新浜鴨場である「新濱御猟場」は、市川市の南行徳エリアで干潟があった場所に、1893(明治26)年に開設されました。
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| 1902(明治36)年測図(左側の地図、右は現在。今昔マップより) | 
 市川市については1934(昭和9)年に誕生し、新浜鴨場が位置する東葛飾郡南行徳町については1956(昭和31)年に市川市に合併しています。
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| 広報いちかわ2024年(令和6年)1月1日 No.1727より | 
 市川市のデータ「市川のまち 地名の由来 №34」によると、「新浜」という町名ができたのは1974(昭和49)年とのことです。
 地図を見ると、高度成長期に埋め立てが進んで、町ができているのがわかります。
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| 1976(昭和51)年測図(左側の地図、右は現在。今昔マップより) | 
 埋め立てによって新浜3丁目ができたのが1980(昭和55)年。
※2025年7月20日訂正
 違っていました、スミマセン!
 1882(明治16)年に梅沢藤蔵によって作成された「千葉県北総東葛飾郡沿浦之地図」に「新濱」という地名が記載されていました。直線の海岸線から、干拓が行われた土地だと推測できます。
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| 「三十八 字 新濱」の記載(千葉県北総東葛飾郡沿浦之地図) | 
 1902(明治36)年測図の地図と向きをそろえてみましょう。
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 「千葉県北総東葛飾郡沿浦之地図」から、遅くとも1882(明治16)年には「新濱」という地名がありました。
 この地と同じく塩の産地として知られる兵庫県赤穂郡に、1937(昭和12)年4月1日まで存在した「新浜村」は「しんはまむら」という呼び名でした。
 江戸時代前期の1645年頃に、浅野長直が赤穂藩主として入封した際に、塩田開発のために作られたのが新浜村です。
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| 赤で囲まれた部分が兵庫県赤穂郡新浜村で、近くには「千鳥町」という地名も(兵庫県赤穂郡新浜村 (28B0130008) | 歴史的行政区域データセットβ版より) | 
 江戸時代の塩田開発と新浜。近隣に「千鳥町」。
 この2つの地には共通点があるため、かつて存在した千葉県東葛飾郡南行徳村の「新濱」の読み方が「しんはま」の可能性が濃厚になってきました。
 南行徳村については、「千葉県北総東葛飾郡沿浦之地図」ではオレンジ色の部分となります。この地図からわかるのは、飛び地が非常に多いこと。江戸川(今の旧江戸川)の中州も南行徳村となっています。
 南行徳村の人々の祖先は、室町時代に国府台の崖(「同郡眞間村等の岡陵」)付近に住んでいた人々です。1923(大正12年)に刊行された『東葛飾郡誌』には、欠真間について以下の記述があるとのこと。
同郡眞間村等の岡陵決崩し、沈澱して遂に岡をなし、文明年間諸方の農民漸々移住して荒蕪の地を開拓し、始めて村勢を成し名くるに真間村の泥土決崩して村を成したりと云ふを以って、欠真間村と唱へたり
http://www.pref.chiba.lg.jp/shizen/shingikai/gyoutoku/documents/gyoutokuwg8tuikasiryou.pdf
http://www.library.pref.chiba.jp/nanohana/archive/guide_07.html
真間からの移住者の子孫に当たる南行徳村の人々は、開墾する意欲に満ちていたのだろうと「千葉県北総東葛飾郡沿浦之地図」を見ながら感じた次第です。
■主な参考資料
令和7年度新浜鴨場見学会でのビデオ説明
鴨の捕獲・鴨場の接遇
市川の地名
Hama-rikyu Gardens浜離宮恩賜庭園
特別名勝・特別史跡 浜離宮恩賜庭園「鴨場」の文化を伝える
~「叉手網(さであみ)」製作の技能伝承と普及啓発の取組について~





 
 
 
 
 
 
 
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