「市川市河原番外地」が生まれた背景に、「ちょこっとまたいだ」江戸川放水路掘削の歴史あり ~デイリーポータルZ 番外地・境界未定地・飛び地2006

 『クラナリ』でも、たびたび話題に上ってきた「市川市河原番外地」。

地理院地図を一部改変

 この河原番外地が誕生した謎を解き明かしたのが、デイリーポータルZの記事でした。なんと、国土交通省江戸川河川事務所・江戸川河口出張所の所長にインタビューをしているのです。


●デイリーポータルZ 番外地・境界未定地・飛び地2006


 詳細は記事をぜひとも読んでいただきたいのですが(文章もおもしろい!)、かいつまんで説明すると、1919年(大正8年)に竣工した江戸川放水路によって新たに生まれた陸地が「ちょこっとまたいだ」ために、河原番外地が誕生してしまったようです。

 当時の工事は人力
 鍬(くわ)・鋤(すき)・モッコを使って、土砂を削り、運び出していたわけです。

 下の写真は、昭和7年(1932年)に愛知県新城市富岡で行われた宇利川改修の様子です。


 クレーンもないし、ダンプカーもない。ですから、非常に危険で、大変な工事だったのです。

●土木工事 今昔
https://life-livelihood.blogspot.com/2019/04/blog-post_4.html

 それに「洪水をどうにかしなくちゃ!」と江戸川放水路を作ったので、東京都と千葉県の境界など大したことではなかったのでしょう。

 江戸川放水路を作る前は、江戸川の中央が県境だったとのこと。しかし、江戸川放水路を作ったことで、この県境をまたぐ形で陸地ができちゃったんですね。後から境界でモメることがわかっていたら、江戸川の中央をまたがない形にしたはずです。

 江戸川放水路ができていく様子を、今昔マップを使って確かめました。

工事前の江戸川(今は「旧江戸川」)

海のほうから掘削が始まった模様

江戸川放水路が江戸川につながる前に、過去にあった道路が消えて、行徳橋が架けられていたんですね

今度は江戸川のほうから掘り進められてきて……うん? 江戸川(旧江戸川)が細くなった印象

1965~1968年の地図だと、県境がはっきりと河原番外地の上に描かれていますね


 ただ、「番外地」といっても鉄条網が張り巡らされているわけでもなく、野球グランドもあって、いたって平和な様子なのでありました。



□参考資料
000643810.pdf - 関東地方整備局 - 国土交通省
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000643810.pdf


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