土木工事 今昔


  行徳橋の工事で、かなり大きなクレーンを見かけました。また、江戸川河川敷ではダンプカーがときどき行き交っています。

 土木工事などで使われる建設機械やトラックは、いつ頃から使われるようになったのでしょうか。

 以下は、昭和10年(1935年)頃に行われた、阿武隈川に新飯野橋(福島市飯野町)をかける工事の様子の写真です。


  人力。
  ロープで運ばれてきた、巨大な鉄骨らしきものを、十数人が受け取ろうとしている様子がわかります。非常に危険です。

 
 さらに、昭和7年(1932年)に愛知県新城市富岡で行われた宇利川改修の様子です。

 「氾濫が多い宇利川の河床に堆積した土砂をモッコで運び,トロッコを使って川岸を築く大変な土木作業でした」と説明されています。
 
 モッコとは、以下の図の網の部分に土砂を載せて、上部(図では切れています)に棒を通して担ぎ、運搬する道具です。
 モッコを担いで河床から上らなければならないので、かなりの重労働だったと推測できます。

 やっぱり人力。

 ダンプトラック技術委員会によれば、ダンプトラックが日本で最初に使われたのは、昭和28年(1953年)に着工した佐久間ダム建設工事だったとのこと。

 パワーショベルやブルドーザーなどの大型建設機械が使われるようになったのは、昭和20年代後半のようです。
 それまでは、鍬(くわ)・鋤(すき)・モッコを使った人力作業だったのですね。

 そして、馬。主に平地では、馬を使って材木や土砂を運んだのでしょう。「馬頭観世音(ばとうかんぜおん)」は、過酷な労働や病気などで死んでしまった馬を供養するために建てられたのだそうです。
写真は大和田で撮影


 「市川市真間5丁目近辺、台地を削り取って地形が変わっちゃった問題」で紹介した菅野近辺の湿地帯の埋め立ても、江戸川放水路の開削も、すべて人力で行われていたということです。大規模な工事なので、多くの人が駆り出されたのでしょうか。
 消えていった川や台地、そして新しく生まれた川と土地。昔は今以上に、地形の変化が私たちの日々の暮らしや仕事と大きく関係していたように思えます。

〇出典・参考資料
国土交通省 中国地方整備局
https://www.cgr.mlit.go.jp/ootagawa/chiebukuro/search/mame/No_174.html

福島県ホームページ 今昔フォトギャラリー
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/41310a/konjakuphoto-7-1-old.html

富岡ふるさと会館
http://tomioka-aichi.jp/isan/syashinkan/3-senzen/sonota/s7urigawakaisyu-m.jpg

ダンプトラック技術委員会
https://jcmanet.or.jp/bukai-iinkai/kikai-bukai/dump-truck-gijutsu/
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