これからの市川市民として 「ただ老いる町」「新陳代謝する町」の話がしたい その11 「歴史の新陳代謝を、自然的に受入れるのではなく、積極的に促進させようとする」メタボリズム
「メタボリズム」とは、来たるべき社会の姿を、具体的に提案するグループの名称である。われわれは、人間社会を、原子から大星雲にいたる宇宙の生成発展する一過程と考えているが、とくにメタボリズム(新陳代謝)という生物学上の用語を用いるのは、デザインや技術を、人間の生命力の外延と考えるからに他ならない。したがってわれわれは、歴史の新陳代謝を、自然的に受入れるのではなく、積極的に促進させようとするものである。今回は、建築家による都市の提案でまとめられたが、今後は、各分野のデザイナーや美術家、技術者、科学者、また政治家など、多分野からの参加が予定され、すでにその一部は準備を始めている。われわれのグループそのものも、たえまない新陳代謝を続けていくであろう。
1960年に東京で開催された世界デザイン会議に向けて、建築家などを中心に集まった「メタボリズム・グループ」の建築運動の名称が「メタボリズム」でした。
メタボリズムの原点といえる人物が、建築家の丹下健三氏です。丹下健三研究室が1961年1月に発表した『東京計画1960 : その構造改革の提案』(著/丹下健三、神谷宏治、磯崎新、渡辺定夫、黒川紀章、康炳基)では、未来の暮らしと生業を踏まえながら、都市の在り方が壮大なヴィジョンで描かれていたようです。
『東京計画1960 : その構造改革の提案』目次I. 1000万都市・東京の本質―その存在の重要性・その発展の必然性―II. 1000万都市・東京の地域構造―求心型・放射状構造の矛盾と限界―III. 東京計画 1960―その構造改革の提案―IV. 求心型構造から線形構造への改革―サイクル・トランスポーテーションの提案―V. 都市・交通・建築の有機的統一―コアーシステムとピロティを統一する一つの提案―VI. 都市の空間秩序の回復―現代文明社会を反映する都市空間の新しい秩序―VII. 建設のプログラム―混乱のエネルギーを構造改革のエネルギーに転化させる方式の提案―
「II. 1000万都市・東京の地域構造」については、江戸時代に話がさかのぼります。東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道などの街道は、江戸日本橋を起点に放射状に整備されました。大名は街道を通り、参勤交代のため江戸に向かいました。
この交通システムが明治政府にも引き継がれ、一部が国道として今も残っています。
こうした一極集中を「求心型・放射状構造」と表現したのでしょう。
高度成長期に東京の人口が増え続ける中、こうした構造自体に無理があるとして、分散化する「線形構造」が『東京計画1960 : その構造改革の提案』では提案されたのだと推測できます。
「都心を分散させる」という考えの延長線上に、幕張新都心など「副都心」「新都心」というワードがあるようです。
東京都の施策で言えば、新宿や渋谷などの副都心、国の施策で言えば、横浜や千葉などの業務核都市、それらの拠点都市では情報化や国際化をキーワードにさまざまな開発プロジェクトが打ち上げられた。
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幕張新都心にようこそより |
また「IV. 求心型構造から線形構造への改革」での「サイクル・トランスポーテーションシステム」については、次のように説明されていました。
サイクル・トランスポーテーションシステムは東京―千葉間の東京湾を横断する巨大構造物であり,その主機能は三層構造の高速道路である.上層は時速120 ㎞,中層は時速 80 ㎞,下層は 60 ㎞と制限速度が異なっており,全て 10 車線一方通行である.それぞれの層は異なった構造をしており,下層は 1㎞四方の環状道路,中層は 3 ㎞ごとに,上層は 9 ㎞ごとに 2 ㎞の右左折を繰り返す螺旋構造となっている.層が重なる道路にはインターチェンジが設置され,下層から上層までの移動が可能である.このことから,交差点が生じないため信号機は存在しない.また,サイクル・トランスポーテーションシステムの周辺には海上都市が構築される.下層環状道路内側は中央官庁やオフィス,サイクル・トランスポーテーションシステムの両翼には住宅地が配置される.「東京計画 1960」では,この海上都市は 1 日 500 万人から600 万人が流動すると想定されている.
『東京計画1960 : その構造改革の提案』自体は高度成長期を背景に作成されたため、今の私たちの認識と大きく異なる点が多いでしょう。「V. 都市・交通・建築の有機的統一」に挙げられているピロティ(2回以上の建物で、1階部分は柱のみの構造)は、地震に弱いとされています(津波では、1階部分を水が通り抜けることで、逆に強かったという報告も)。
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ピロティ(メタボリズムの未来都市展: 戦後日本 ・ 今甦る復興の夢とビジョンより) |
時代は下り1987年に、『東京計画1960 : その構造改革の提案』の共同執筆者だった建築家の黒川紀章氏が「東京計画2025」を発表しています。
浚渫により、干潮満潮による海水の浄化が可能だが、水質を江戸時代にまで戻すためには九十九里浜より運河によって太平洋の海水を東京湾の奥へ導入すること、沿岸部の埋め立てをやめ、干潟を残すこと、さらに、河川から流入する水野再処理による中水道システム等、総合的な施策が必要であることを提案している。
千葉県を横断する運河で、太平洋の海水を九十九里浜から東京湾へと移動させるという案は、市川の一市民としては「ぶっ飛んでいる」という印象です。
『東京計画1960 : その構造改革の提案』と「東京計画2025」のベースとなっているのは、「歴史の新陳代謝を、自然的に受入れるのではなく、積極的に促進させようとする」メタボリズム。これは、「現状維持」とは相反するもので、未来を先取りして積極的に少子高齢化仕様に都市を作り替えることにもつながりそうです。
余談ですが、イギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィンは、寄生虫が進化した結果、祖先が持っていた器官や能力を失う、つまり退化することが多いとも述べています。
腸管がなく、体腔や原腎管といった器官もない無腸類が単純なのは、原始的(下の図のA)だからではなく、進化の過程で体腔や肛門、鰓孔などの構造を失って単純化した(下の図のB)ためだと、最近では考えられています。
黒川紀章氏の手掛けた神奈川県のニュータウンは、住民の3人に1人が高齢者となり、持続可能なまちづくりを目指すための検討が進められています。
「メタボリズム」の建築家が存命であれば、対症療法的ではない「ぶっ飛んでいる」計画が作成されていたのではないかと、現状をちょっと残念に思っているところです。
■主な参考資料
丹下健三による軸の都市デザイン手法に関する研究
交通マイクロシミュレーターによる「東京計画 1960」構想の復元
選択する未来 第3章 人口・経済・地域社会をめぐる現状と課題
機械の時代から生命の時代へ
湘南大庭の未来を考える会議について
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