これからの市川市民として 「ただ老いる町」「新陳代謝する町」の話がしたい その4 「風情と艶の町」真間編


 真間と市川(どちらも町名)に共通するのは、陸軍施設が国府台に置かれたことで、明治から市街地が形成されていたことです。真間については、大正の頃には料亭や富裕層の別宅があったことでも知られています。黒松の濃緑と桃のピンクがなまめかしい、ちょっとしたリゾート気分を味わえる艶っぽい町だったと考えられます。
 そして真間山弘法寺は、江戸時代は紅葉の名所でした。
真間山弘法寺

 自家用車の普及は高度成長期以降なので、真間と市川に市街地ができた頃、荷物の運搬に使われていたのは大八車(だいはちぐるま)です。
大八車(写真/日本版Wikipediaの+と-さん

 大八車の幅は1メートル足らずなので、道幅も1メートル程度で十分。さらに、人間が大八車を引くので、道が曲がりくねっていても通れなくもありませんでした。
 そんな大八車仕様の道がそのまま残ったと推測するのですが、京成電鉄の線路脇の住宅地の道が曲がりくねっている上、袋小路が非常に多いのです。路地をブラブラ歩いていると「あっ、行き止まり」「ここも行き止まり」を連発することから「真間ラビリンス」と個人的に呼んでいます。
Googleマップより、一部改変

 真間ラビリンスを北上して抜けると、真間川沿いのゆったりとした住宅地が現れます。一軒一軒のデザインが凝っていて、庭も広く、春になれば川沿いの桜が楽しめます。「町並みや風情は、住民一人ひとりが作るものなのだな」としみじみ。散策にはもってこいの場所です。
閑静でゆったりとした、真間川沿いの町並み

 さらに北上すると、下総台地を削り取った真間5丁目で、ここの土を取る土木工事は昭和17年(1942年)頃まで続きました。つまりは自家用車が普及する前の大八車仕様の道で、かなり狭い坂道です。坂道の上や、下った先の低地にも住宅地が広がっています。 

 ところが、真間の西端にある真間銀座通りになると風景が一変。2014年7月に竣工した14階建てのブランズ市川真間、2016年2月に竣工した14階建てのブランズ市川レフィール、1995年6月に竣工した10階建てのファミール市川真間など、高層マンションが建ち並びます。

 以上のことから、市川市が作成した市川市空家等対策計画で「⑧真間」の空き家率が13%(同率2位)と高くなっている理由は、主に真間ラビリンスにあると推測しています。道があまりに狭いため、住民がいなくなった古い家でも、重機を使った解体がやりにくいのです。すべて手作業で行うと時間もお金もかかります。
 また、旗竿地で竿の部分が狭い(人が並んで通れるのは2人程度の幅)家も多々見かけます。入り組んだところにある土地は、更地にしたとしても、買い手がつきにくいものです。そのため、別の場所で暮らす家族や親族は、空き家を様子見というか、見て見ぬふりというか、そっとしておきたくなるのかもしれません。

 狭い路地にはちょっと怪しげな魅力もあるものの、その先が半壊の空き家ならばまったく風情がありません。空き家問題は、倒壊などの危険性だけでなく、周辺や町の価値も左右します。

 かつて、桃の花と香りが、訪れる人たちを魅了した真間。人口減少時代に、空き家が黒松や桃などに置き換わっていけば、懐かしい風景に回帰する可能性も十分にあるのではないでしょうか。  
  2017(平成29)年9月時点で、市川市空家等対策計画のデータでは「⑧真間」は高齢化率(全人口における65歳以上の割合)が28%と高くなっていますが、芸事もたしなむ粋な高齢者がここに集まってきたら、また違った風情が楽しめそうです。
この写真は古河桃まつりを撮影したフリー素材で、市川とは関係ありません……

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