「行徳カワウ問題」はどのように発生したのか 2月 14, 2026 テレビ番組でも多数取り上げられた「行徳カワウ問題」。 保護区近くの電線にとまる無数のカワウ。その下を歩いてみると、生臭く魚が腐ったような臭いがして、歩道は一面真っ白、生け垣の葉っぱも白く染まっている。 【異様】1万羽「カワウ」大群に近隣住民も困惑「臭いがキツイ」 常に群れで行動...
妙見島の「妙見」を調べ始めたら、やっぱり話が長くなった件について 2月 10, 2026 『クラナリ』でたびたび取り上げた、旧江戸川の妙見島。 妙見島(Googleマップより) 現在の住所は東京都江戸川区東葛西3丁目ですが、1894(明治27)年まで、住所は千葉県東葛飾郡南行徳村(当時)の字前野及妙見島でした。 つまり、千葉県市川市と縁もゆかりも深い島なのです。...
新田、加藤新田、湊新田……干拓はどこでどうやって行われたのか 5月 23, 2025 新地 新田 新開 新涯 開作 開 籠 (こもり) こうした地名が付いている場所は、干拓地だった可能性が高いといいます。 市川市内にも「新田」「加藤新田」「湊新田」という地名があります。 干拓と埋め立てについては、以下の違いがあります。 干拓 方法 堤防などで水深の浅い海...
行徳で塩業が始まったのは、結局のところ、室町時代の末期ということだろうか その4 江戸時代中期以降は舟運の町に 12月 26, 2024 名寸隅の船瀬ゆ見ゆる淡路島松帆の浦に朝凪に玉藻刈りつつ夕凪に藻塩焼きつつ海人娘子ありとは聞けど見に行かむよしの無ければますらをの心は無しにたわやめの思ひたわみてたもとほりわれはそ恋ふる船梶を無み 現代語訳 名寸隅の船停まりから見える淡路島、その松帆の浦では朝の凪に玉藻を刈り夕方の...
行徳で塩業が始まったのは、結局のところ、室町時代の末期ということだろうか その3 「行徳塩業」といえる段階になるのは江戸時代だろう 12月 25, 2024 これまで、製塩が始まる1483年頃の行徳について調べてきました。 ■行徳で塩業が始まったのは、結局のところ、室町時代の末期ということだろうか その1 https://life-livelihood.blogspot.com/2023/01/blog-post.html ■行徳で...
行徳で塩業が始まったのは、結局のところ、室町時代の末期ということだろうか その2 12月 24, 2024 『行徳の塩づくり』(市立市川博物館)は1983年に発行されています。この本に「歴史上に、行徳塩づくりの様子が散見するのは、今から五〇〇年程前です」という記載がありました。1983年から500年を引くと、1483年。 また、戦国大名の北条氏(後北条氏)が、小田原城を本拠に南関東...
行徳の暮らしと生業を破壊し、分断した「大正6年の大津波」 12月 15, 2024 今でこそ台風が来ても冠水程度で済んでいますが、過去には市川市、なかでも行徳では甚大な被害を受けていました。1917(大正6)年10月1日の高潮は「大正6年の大津波」(「関東大水害」「大正大洪水」)と呼ばれ、行徳の暮らし、そして製塩という生業を破壊しました。 1893年の高谷での...