tag:blogger.com,1999:blog-10756625307346104292024-03-29T10:51:27.361+09:00暮らしと生業をつくる『クラナリ』 知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comBlogger1479125tag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-66408857939779367732024-03-28T11:01:00.001+09:002024-03-28T11:02:12.897+09:00インボイス制度で、フリーランスの交通費の請求書はどうなるのか その3 3万円未満の交通費を「立て替えた」ケース(公共交通機関特例)<p><span style="font-size: small;"> </span><span style="font-size: x-small;"><span>※フリーランスの編集者・ライターである『クラナリ』編集人は、2023年10月1日からの</span><span>インボイス制度(適格請求書等保存方式)導入を機に、消費税の免税事業者から課税事業者となりました。インボイス制度に関係するさまざまな情報で、右往左往している真っ最中なので、記事には不正確な情報が含まれている可能性が多々あります</span><span>。</span></span></p><p><span style="font-size: x-small;"><br /></span></p><p> 記事<a href="https://life-livelihood.blogspot.com/2023/10/1.html">「インボイス制度で、フリーランスの交通費の請求書はどうなるのか その1 交通費を仕事の報酬と見なすケース」</a><a href="https://life-livelihood.blogspot.com/2023/10/2.html">「インボイス制度で、フリーランスの交通費の請求書はどうなるのか その2 交通費は立て替えたと見なすケース」</a>に続いて、交通費の請求に調べてみました。</p><div><br /></div><div> フリーランスが仕事で使った交通費について、「クライアントが支払うべきものを立て替えた」というケースです。</div><div><br /></div><div> 千葉県市川市から都内の取材場所などまでは、『クラナリ』編集人はモバイルSuicaを使って運賃を支払っています。</div><div> 1回の額としては、微々たるもの。</div><div> このような少額の交通費を立て替えた場合は、「公共交通機関特例」に当てはまります。</div><div><br /></div><div><div></div><blockquote><div>適格請求書発行事業者には、国内において課税資産の譲渡等を行った場合に、相手方(課税事業者に限ります。)からの求めに応じて適格請求書の交付義務が課されています(消法57の4①)。</div><div>ただし、次の取引は、適格請求書発行事業者が行う事業の性質上、適格請求書を交付することが困難なため、適格請求書の交付義務が免除されます(消令70の9②)。</div><div>① 3万円未満の公共交通機関(船舶、バス又は鉄道)による旅客の運送(以下「公共交通機関特例」といいます。)</div></blockquote><div></div><div><a href="goog_548767031" style="font-size: x-small;">国税庁</a></div></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/zeimokubetsu/shohi/keigenzeiritsu/pdf/qa/01-07.pdf">https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/zeimokubetsu/shohi/keigenzeiritsu/pdf/qa/01-07.pdf</a></span></div><div><br /></div><div> たかだか318円程度の運賃のために、いちいち領収書・レシート(簡易適格請求書)を発行していられないというところでしょうか。</div><div> そのため、3万円未満の交通費は、JR東日本の領収書がなくても、編集人はクライアントに「交通費は立て替えました」ということで立替金精算書で精算できるわけですね。</div><div> 以下の図だと、領収書が発行されないため、立替金精算書だけを編集人がA社に渡す形となります。</div><div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhAL6weK29Qm0_Iy4g6IQ9rhEml2hqr0v_BAp7Osj9QorFkRab9A-SqyC_GS7nbJ3Tf-rzNxS0kaYNYJHafzQ4OLTFWbh1czFaciwiHf3ZPPAZ-uH5V5CnG6m31TTbU5HWezD_4lLtW5_Odl0sT6HgMTMm7687x5UjouVCL0WOMtPKkO56QXQ9lE_uu3J2Q/s898/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="491" data-original-width="898" height="175" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhAL6weK29Qm0_Iy4g6IQ9rhEml2hqr0v_BAp7Osj9QorFkRab9A-SqyC_GS7nbJ3Tf-rzNxS0kaYNYJHafzQ4OLTFWbh1czFaciwiHf3ZPPAZ-uH5V5CnG6m31TTbU5HWezD_4lLtW5_Odl0sT6HgMTMm7687x5UjouVCL0WOMtPKkO56QXQ9lE_uu3J2Q/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ee; font-size: x-small; text-align: left; text-decoration-line: underline;">https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/zeimokubetsu/shohi/keigenzeiritsu/pdf/qa/01-01.pdf#page=140より一部改変<br /></span></td></tr></tbody></table></div><div><br /></div><div> 最近は精算が面倒で、取材や打ち合わせはオンラインばかりにしていました。ただ、そればかりで済ませられず、上記を調べる前の段階だったため、モバイルSuicaなどJRのサイトで領収書の発行の仕方を探し回っていました。時間の無駄……</div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-91547868553562426132024-03-27T17:44:00.005+09:002024-03-27T20:49:31.295+09:00手児奈霊神堂と浅草神社との共通点「人が神になったわけだが……」<div style="text-align: left;"> 各地に、人間が神様としてまつられている神社があります。日本で最も多いとされている八幡神社は、応神天皇が祭神です。</div><div><br /></div><div> このように、神様としてまつられている人の多くは、「ただの人」ではありません。歴史に名を遺した武将や、命をかけてその土地に貢献した人が、神様になっています。</div><div><br /></div><div><b>将軍、武将、大名</b>:坂上田村麻呂、源義経、平将門、楠木正成、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、毛利元就、武田信玄、上杉謙信</div><div><br /></div><div><b>天皇</b>:応神天皇、天智天皇、後醍醐天皇</div><div><br /></div><div><b>陰陽師</b>:安倍晴明</div><div><br /></div><div><b>軍人、政治家</b>:藤原鎌足(中臣鎌足)、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、乃木希典、東郷平八郎</div><div><br /></div><div><b>名君</b>:保科正之、上杉鷹山、水戸光圀</div><div><br /></div><div><b>学者、思想家</b>:菅原道真、吉田松陰、二宮尊徳</div><div><br /></div><div> しかし、例外はあります。</div><div> 市川市にある手児奈霊神堂は、複数の男性に言い寄られて海に身を投げた美女の手児奈が、無事安産・孝子受胎・健児育成・良縁成就の神として信仰されています。</div><div><br /></div><div> もっとも、『クラナリ』編集人は、手児奈伝説には疑問を呈してきました。</div><div><br /></div><div> その立場はひとまず置いといて、伝説上の手児奈は「とても美人だった」以外には、これといった功績はない「ただの人」です。</div><div><br /></div><div> 最近、仕事関連で神社を調べていたら、「ただの人」がまつられている神社が見つかりました。それが浅草神社です。漁師である檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟と、役人の土師中知(はじのなかとも)が祭神なのです。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgY4O7R7i9NCt0fXu0XV9xd1nQaFxzPUQgoPyWrVcoe19HY4XWbWIO6dMhulhMnCkT1ljeutNhGCPQTChgrYv9QVpud0cdLKLovEGqhA7CO9THfQyQNo1w5XEh4g_yDViYgRNZ6aXf3WsfC54dOnahiYddSn78h8DfIccIGXynCPu7JpSxs1xdpLxBqcQfM/s640/29211387_s.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgY4O7R7i9NCt0fXu0XV9xd1nQaFxzPUQgoPyWrVcoe19HY4XWbWIO6dMhulhMnCkT1ljeutNhGCPQTChgrYv9QVpud0cdLKLovEGqhA7CO9THfQyQNo1w5XEh4g_yDViYgRNZ6aXf3WsfC54dOnahiYddSn78h8DfIccIGXynCPu7JpSxs1xdpLxBqcQfM/s320/29211387_s.jpg" width="240" /></a></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>「推古天皇36年(西暦628)3月18日早朝、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟が江戸浦で漁労中、投網の中に一体の仏像を見付け、これを土師中知(はじのなかとも)が拝し聖観世音菩薩の尊像であることを知り、自ら出家し屋敷を寺に改めて深く帰依した」</div><div>これは『浅草寺縁起』に記された浅草寺草創のお話しです。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.asakusajinja.jp/info/982/">浅草神社宮司姓「土師(はじ)」姓への改姓 趣意書</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.asakusajinja.jp/info/982/">https://www.asakusajinja.jp/info/982/</a></span></div><div><br /></div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjpV6C1FVFSn6JB85OJUEOsYTs1rTt-KsBfhZVb0ckrLeGoHJvWu_89OyvxkPrwCHDmuN9t1ZR9Blh1E1KJ7aP33WMf2y0b-dAvLElp2NiMB8q0JNGR2JhApC_Yt6JQxNFLWPRrcxC7enxFKnzyBWAW62C1gkZcJPM-0ayLpfm9BnTKXdQz5DmptK7-4cX9/s650/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="500" data-original-width="650" height="246" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjpV6C1FVFSn6JB85OJUEOsYTs1rTt-KsBfhZVb0ckrLeGoHJvWu_89OyvxkPrwCHDmuN9t1ZR9Blh1E1KJ7aP33WMf2y0b-dAvLElp2NiMB8q0JNGR2JhApC_Yt6JQxNFLWPRrcxC7enxFKnzyBWAW62C1gkZcJPM-0ayLpfm9BnTKXdQz5DmptK7-4cX9/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">漁をしていた<span style="text-align: left;">檜前浜成・竹成兄弟の網に観音像がかかっていた想像図(『江戸名所図会』第6巻より)</span></span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> 『浅草寺縁起』からもわかるように、観世音菩薩ですから仏教。浅草神社のルーツは浅草寺です。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>正確な創建年代は不明ですが、その起源と経緯や各時代の縁起等に記される伝承を鑑みて、仏教普及の一つの方便である「仏が本であり、神は仏が権りに姿を現じた」とする権現思想が流行り始めた平安末期から鎌倉初期以降と推察されます。</div><div><br /></div><div>明治政府より発せられた神仏分離令により、明治元年に社名を三社明神社と改めて、同五年には社格が郷社に列せられ、翌六年に浅草郷の総鎮守として現在の浅草神社に定められました。今でも氏子の方々にはその名残から「三社様」と親しまれています。</div><div><br /></div><div>当社の鳥居は「神明鳥居」と呼ばれる形で、明治18年9月に建立されたものです。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="goog_2108899344">浅草神社について</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.asakusajinja.jp/asakusajinja/about/">https://www.asakusajinja.jp/asakusajinja/about/</a></span></div><div><br /></div><div> 祭神の一柱が土師真中知命(はじのまつちのみこと)、つまり土師中知。そして浅草神社の現在の宮司は土師幸士さん。姓が「土師」です。</div><div><br /></div><div> 土師氏の歴史は古く、古墳時代にまでさかのぼります。『日本書紀』には、野見宿禰(のみのすくね)という人物が、出雲国(いずものくに、島根県)の土部(はじべ)100人を連れてきて、天皇の墓に一緒に葬る人の代わりに埴輪を作ったという話が収載されているとのこと。野見宿禰が土師氏の祖とされていて、道明寺天満宮の祭神にもなっています。</div><div><br /></div><div> 土師氏の活動の拠点は、現在の大阪府藤井寺市です。藤井寺市には近畿日本鉄道南大阪線の土師ノ里駅があります。「THE土師、」「ここまで土師」という感じですね。</div><div> 藤井寺市のサイトには、土師氏についての説明がありました。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>土師氏は巨大古墳造りを担当することで豪族としての力を蓄えました。</div><div>ところが、6世紀後半になると、巨大古墳の築造は下火になり、土師氏の仕事が大幅に減ってしまったのです。伝統的な土師器の生産や陵墓の管理だけでは、豪族としての地位を保つことはできません。土師氏は一族存亡の危機を迎えたのです。</div><div>巨大古墳築造に替わる大きな仕事が簡単にあるはずもありません。土師氏の選択した道は、多くの豪族と同じように中央官庁に多くの人材を送り込むことでした。事実、文献史料からも外交や軍事の分野で、土師氏の一族が活躍したことが確認されています。</div><div>土師氏は官人を多く輩出することで、一族の危機を乗り切ったようです。その証が土師寺の建立なのです。</div><div>7世紀後半、地方豪族は競って寺院を建立します。その数は全国で700箇所にも達するのです。全国の豪族が急に仏教という新来の宗教に目覚めたとも考えられません。むしろ、寺院というこれまでになかったきらびやかで荘厳な空間を造り上げることで、自らの力を誇示する道具立てに使ったことが考えられるのです。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><a href="https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/sisinosatoomegutte/1387439234129.html"><span style="font-size: xx-small;">『広報ふじいでら』第389号 2001年10月号より</span></a></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/sisinosatoomegutte/1387439234129.html">https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/koramukodaikaranomemessezi/sisinosatoomegutte/1387439234129.html</a></span></div><div><br /></div><div> 古墳、つまり天皇など有力者の墓作りを担当していた豪族が、その勢力を保つために、全国各地に寺院を建立しました。浅草寺はその一つと考えられますね。</div><div><br /></div><div> 土師氏は、後に「菅原」「秋篠」「大枝」などに改姓したとのこと。菅原道真のルーツも、土師氏です。</div><div> 浅草神社の現在の宮司の土師幸士さんについては、もともとは矢野幸士さんという名前で、出身は山口県。 愛知県豊田市のトヨタ学園を卒業後、トヨタ自動車(株)東富士研究所(静岡県裾野市)に研究開発員として従事していましたが、前の宮司の土師泰良さんの遠縁ということで、1993年に神職の道を歩み始めたのだそうです。</div><div><br /></div><div> 浅草神社について調べていたら、手児奈にも伝説以外のエピソードがあるはずだと、改めて思った次第です。また「手児奈にも子孫がいたら……」とつい期待してしまいますが、700年も昔の話なので、「手児奈。その後」は誰にもわからないのでしょう。</div><div><br /></div><div><br /></div><div><span style="font-size: x-small;"><b>■参考資料</b></span></div><div><span style="font-size: x-small;">人が神になる?神となった日本の偉人達</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://career-selection.com/trivia32">https://career-selection.com/trivia32</a></span></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: x-small;">浅草神社 63代目宮司の門出盛大に 幸士さん就任350人祝う</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://www.tokyo-np.co.jp/article/24484">https://www.tokyo-np.co.jp/article/24484</a></span></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: x-small;">天真寺通信</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://tenshin.or.jp/archives/16029">https://tenshin.or.jp/archives/16029</a></span></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: x-small;">日本大百科全書(ニッポニカ)</span></div><div></div><blockquote><div><span style="font-size: x-small;">土師部</span></div><div><span style="font-size: x-small;">はじべ</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: x-small;">土部とも書く。土師連(むらじ)を伴造(とものみやつこ)とし、朝廷に埴輪(はにわ)・土師器(はじき)を貢進し、葬礼をも担当したトモまたはその部民。『日本書紀』垂仁(すいにん)天皇32年条に、土部連の始祖野見宿禰(のみのすくね)が出雲(いずも)国(島根県)土部100人を率い殉人(じゅんにん)の代用として埴輪をつくった説話がみえる。土師部は出雲をはじめ山城(やましろ)、摂津(せっつ)、河内(かわち)、和泉(いずみ)、遠江(とおとうみ)、武蔵(むさし)、下総(しもうさ)、常陸(ひたち)、美濃(みの)、若狭(わかさ)、丹後(たんご)、但馬(たじま)、因幡(いなば)、石見(いわみ)に設定された。雄略(ゆうりゃく)天皇17年条に贄土師部(にえのはじべ)の貢進がみえ、のち諸陵司の伴部となった。</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: x-small;">[前川明久]</span></div></blockquote><div></div><div><br /></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-79023526151707010102024-03-26T17:16:00.008+09:002024-03-28T17:43:23.296+09:00 腎臓の尿細管を傷害するカビ毒 その1 「紅麹」成分配合のサプリメントで腎障害などの健康被害<div style="text-align: left;"><span style="font-size: x-small;">※フリーランスの編集者・ライターである『クラナリ』編集人(バリバリの文系)は、腎臓に関する記事や書籍に携わる機会が多いため、それに関連していろいろと考察しています。素人考えですが。</span></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"> 麹(こうじ、糀)は、穀物にコウジカビ属(Aspergillus 属)などの微生物を繁殖させたものです。ちなみに、菌糸と呼ばれる管状の細胞から構成されている糸状菌は、一般的にカビと呼ばれています。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"> 麹には以下の種類があります。</div><div><br /></div><div>○黄麹菌(きこうじきん、Aspergillus oryzae、Aspergillus sojae) 主にデンプンをブドウ糖に分解→みそ、しょうゆ、清酒</div><div>○白麹菌(しろこうじきん、Aspergillus Kawachii) 黒麹菌の突然変異株 焼酎</div><div>○黒麹菌(くろこうじん、Aspergillus Iuchuensis) 主にデンプンをブドウ糖に分解、タンパク質をアミノ酸に分解、クエン酸を分泌→泡盛</div><div>○鰹節菌(かつおぶしきん、Aspergillus glaucus) 主に脂質を分解→カツオ節</div><div><br /></div><div>○紅麹菌(べにこうじきん、Monascus属) 主に赤い色素を作る→豆腐よう、着色料(かにかま、ウインナー、ハムなど)</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj7QuOtrEtCfqNayiA4wWOPOf42ayerfH017jpWfZRwzrRq2J4SHMOzrTaR8guAVYOF9IdgtHO_daZ6NF2_jeVfSaEEPuop45x8G8AFx65QF4QuE55hkziJEU_DUf-1-TG-_sutSSu64WxSIruwl3-eQwX5Sqtc5xaGhafPaslc2pADa1EbTepzaqaSDw1A/s800/59.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="600" data-original-width="800" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj7QuOtrEtCfqNayiA4wWOPOf42ayerfH017jpWfZRwzrRq2J4SHMOzrTaR8guAVYOF9IdgtHO_daZ6NF2_jeVfSaEEPuop45x8G8AFx65QF4QuE55hkziJEU_DUf-1-TG-_sutSSu64WxSIruwl3-eQwX5Sqtc5xaGhafPaslc2pADa1EbTepzaqaSDw1A/s320/59.jpg" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">紅麹菌(<a href="https://kanpoken.pref.yamaguchi.lg.jp/sf/bio2/index1.html">山口県環境保健センターサイト</a>より)</span></span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> 紅麹菌を使ったサプリメントで、健康被害が出ていると報告されています。その内容が腎臓に関係するものだったので、調べることにしました。</div><div><br /></div><div><blockquote> 現時点で製品と疾患の関連は確定していないというが、分析の結果、「紅麹」原料の一部にカビから生成される成分に似た「未知の物質」が含まれている疑いが強まった。その物質がアレルギー反応を引き起こした可能性もあるとみて、複数の大学と共同で物質の特定や疾患との関連の解明を急いでいる。</blockquote></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.jiji.com/jc/article?k=2024032201137&g=eco">小林製薬、サプリ30万袋自主回収 13人腎疾患に―6人入院、2人は透析</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.jiji.com/jc/article?k=2024032201137&g=eco">https://www.jiji.com/jc/article?k=2024032201137&g=eco</a></span></div><div><br /></div><div> カビも含め生物が生み出す代謝産物の中で、生命活動を維持する上で必須な糖やアミノ酸、脂質、核酸などの物質は「一次代謝産物」、そして必ずしも生命活動に必須ではない物質は「二次代謝産物」と呼ばれています。</div><div> 二次代謝産物として有名なのは、1928年にアオカビ(ペニシリウム、Penicillium)から発見された抗生物質のペニシリンです。そしてスタチンは、コレステロール低下剤として広く使用されてきました。</div><div><br /></div><div> カビの二次代謝産物の中で、人間や家畜などに有害なものは「カビ毒(マイコトキシン)」と呼ばれています。</div><div> アオカビのカビ毒として、シトリニン(citrinin)があります。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>シトリニン</div><div> シトリニンは、ペニシリウム・シトリナム(Penicillium citrinum)、ペニシリウム・ビリディカータム(Penicillium viridicatum)などのカビによってつくられるカビ毒で、腎細尿管上皮変性を起こすことが知られています。</div><div> 東京都の検査では検出例は非常に少なく、その量も極めて少ないものですが、ハト麦、そば粉、ライ麦粉から検出したことがあります。</div></blockquote><div></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/kabi/kabi2-4.html">https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/kabi/kabi2-4.html</a></span></div><div><br /></div><div> シトリニンで腎臓の尿細管の上皮細胞にアレルギー反応が起こり、上皮細胞がはがれ落ちてしまったようです。</div><div><br /></div><div><br /></div><div> 尿細管は、原尿(尿のもと)から水分や電解質を再吸収する役割を果たしています。再吸収された水分や電解質が血液に戻ることで、全身の体液のバランスが保たれています。ですから、尿細管の上皮細胞がはがれ落ちると、体液のバランスが崩れてしまい、各臓器が本来の働きができなくなります。</div><div><br /></div><div> 尿細管に損傷が生じると、血液中の電解質(例えば、ナトリウムやカリウム)の量が変化したり、尿を濃縮する腎臓の機能に問題が生じて、尿が過度に薄くなったりします。尿の濃縮に問題が生じると、毎日の尿の量が増加したり(多尿)、体液の電解質のバランスを良好に維持することが難しくなったりします。</div><div><br /></div><div> シトリニンと同様のカビ毒として、オクラトキシンがあります。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>オクラトキシン</div><div> アスペルギルス・オクラセウス(Aspergillus ochraceus)あるいはペニシリウム・ビリディカータム(Penicillium viridicatum)といったカビによってつくられるオクラトキシンA及びBが知られています。</div><div> オクラトキシンAは腎毒性及び肝毒性のカビ毒として知られていますが、マウスにオクラトキシンを食べされると、肝臓と腎臓にガンを発生させることが報告されています。</div><div> 北欧ではオクラトキシンによって汚染された飼料で飼育した豚の腎障害が多く認められています。</div><div> 人の発症例としては、バルカン諸国で流行性腎臓病がしばしば発生していますが、これもオクラトキシンAが原因とされています。</div><div> オクラトキシンAの汚染は非常にまれですが、コーヒー豆、豆類、大麦、小麦、燕麦などから検出したという報告があります。</div><div> 東京都の検査では、ハト麦、そば粉、ライ麦及び製あん原料豆などから検出されています。</div></blockquote><div></div><div><a href="https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/kabi/kabi2-3.html" style="font-size: x-small;">https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/kabi/kabi2-3.html</a></div><div><br /></div><div> ブルガリアやルーマニアなどのバルカン諸国で腎臓病が多発することがあったため、流行性の病気と思われていたようです。しかし実際は、カビ毒が原因だったということのようです。アオカビが生えた穀物が広く出回ったと予想できますね。</div><div><br /></div><div> ヨーロッパでは、紅麹菌からシトリニンができることが知られていて、健康被害も報告されていたそうです。</div><div><br /></div><div> そのため、紅麹菌を使ったサプリメントを販売していた小林製薬では、シトリニンについて以下の遺伝子研究をすでに行っていました。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>日本で主に利用されている紅麹菌M. pilosusは、物質レベルでシトリニンを生成せず、ゲノムにもシトリニン産生遺伝子が存在しないことが確認されました。一方、中国で主に利用されている紅麹菌M. purpureusでは、シトリニンの産生およびシトリニン産生遺伝子の存在が確認されました。台湾で主に利用されているM. ruber に関しては、今回の研究で用いた菌株ではシトリニンを作る遺伝子は存在していませんでしたが、M. purpureusとM. ruberは過去にシトリニンの遺伝子が機能している菌株の報告があります(Shimizu et al., 2005 and Wang et al., 2016)。</div><div>以上のことから、紅麹菌M. pilosus NBRC 4520は、ゲノムレベルでカビ毒シトリニンを作らない報告のある紅麹菌として、高い安全性を持つ、有用な食品利用菌種であると考えられます。</div></blockquote><div></div><div><a href="goog_355991964" style="font-size: x-small;">ゲノム解析によるカビ毒シトリニン生成不能の証明</a></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://research.kobayashi.co.jp/material/benikoji/benikoji_report03_1.html">https://research.kobayashi.co.jp/material/benikoji/benikoji_report03_1.html</a></span></div><div><br /></div><div> また、腎障害などの報告があったため、商品の調査を行ったところ、シトリニンは検出されなかったと報道されていました。</div><div><br /></div><div><blockquote>紅こうじ関連食品を巡っては欧州などで健康被害が相次いで報告され、有毒物質としてシトリニンの存在が知られているが、同社の調査では原料からはシトリニンは検出されなかったという。</blockquote></div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240324/k10014401171000.html">小林製薬「紅麹」 腎疾患で1人死亡 新たに約50人入院の情報</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240324/k10014401171000.html">https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240324/k10014401171000.html</a></span></div><div><br /></div><div>○紅麹菌を使った食品やお酒が古い時代から存在していた</div><div>○日本で主に利用されている紅麹菌M. pilosusはシトリニンを生成しない</div><div><br /></div><div> 主にこの2つの理由から、紅麹菌を使ったサプリメントは安全だと小林製薬も考えたのでしょう。2016年から、紅麹菌由来の商品を発売していたようです。</div><div><br /></div><div> 食品安全委員会は、2014年3月に健康食品の危害情報をネットにアップしていました。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>欧州において、以下の注意喚起が行われています。</div><div><br /></div><div> 「血中のコレステロール値を正常に保つ」としてヨーロッパや日本などで販売されている「紅麹で発酵させた米に由来するサプリメント」の摂取が原因と疑われる健康被害がヨーロッパで報告されています。EUは、一部の紅麹菌株が生産する有毒物質であるシトリニンのサプリメント中の基準値を設定しました。フランスは摂取前に医師に相談するように注意喚起しており、スイスでは紅麹を成分とする製品は、食品としても薬品としても売買は違法とされています。</div></blockquote><div></div><div><a href="goog_355991967"><span style="font-size: xx-small;">紅麹を由来とするサプリメントに注意(欧州で注意喚起)</span></a></div><div><a href="https://www.fsc.go.jp/sonota/kigai_jyoho/benikouji_supplement.html"><span style="font-size: xx-small;">https://www.fsc.go.jp/sonota/kigai_jyoho/benikouji_supplement.html</span></a></div><div><br /></div><div> 紅麹菌を使ったサプリメントは、遅くとも2014年3月までにはヨーロッパや日本で発売されていたということです。どこの国の商品かは、食品安全委員会の情報からはわかりません。ただ、小林製薬のサイトの情報だと、日本ではなかったと推測できます。</div><div> 中国の福建省や台湾、日本の沖縄など、暖かい地域で紅麹菌を使った食品やお酒が作られてきました。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh8HdQAWFDS13nHY653pKCXHxpovnKxaCdIYdx8uJHREm59uULtb7ukePpkD5ZYiNv-pR3m7weHhOCTQF5Wf-Da6XBtLMS1DdFtaZk_otEF0S_3yaNhIM_V8CSEKrDA0IwcT0C5TdwOEuBULyR1tiGhOv-0UChMm0B3uCZZ1lCfOtzZ-ezGOjm7RW96LwZn/s640/242145_s.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="428" data-original-width="640" height="214" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh8HdQAWFDS13nHY653pKCXHxpovnKxaCdIYdx8uJHREm59uULtb7ukePpkD5ZYiNv-pR3m7weHhOCTQF5Wf-Da6XBtLMS1DdFtaZk_otEF0S_3yaNhIM_V8CSEKrDA0IwcT0C5TdwOEuBULyR1tiGhOv-0UChMm0B3uCZZ1lCfOtzZ-ezGOjm7RW96LwZn/s320/242145_s.jpg" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">豆腐よう</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> 素人考えではありますが、今回の健康被害の原因は次の2つの可能性が挙げられます。豆腐ようを毎日、大量に食べるなんて考えられませんからね。</div><div>○日本で主に利用されている紅麹菌M. pilosusは、シトリニン以外のカビ毒を生成する</div><div>○サプリメントにしたためにカビ毒が濃縮されたと同時に、摂取量も食品・お酒よりはるかに多かった</div><div><br /></div><div> </div><div><br /></div><div> 健康被害については小林製薬で解明が進められるのでしょうが、カビという生き物だからこそ、そんなに簡単に人間の手でコントロールはできないのだろうと考えました。「天然素材」「古来」については要注意。私たちの子どもの世代が小顔・脚長になってきているように、紅麹菌もまた変化しているはずです。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: x-small;"><b>■参考資料</b></span></div><div><span style="font-size: x-small;">健康維持・補完代替医療素材としての紅麹</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcam/6/2/6_2_45/_pdf">https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcam/6/2/6_2_45/_pdf</a></span></div><div>東京都保健医療局 食品衛生の窓</div><div>https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/</div><div>小林製薬サイト</div><div><br /></div><div>みそメーカー各社サイト</div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-51322733541183393542024-03-26T10:32:00.008+09:002024-03-26T11:04:10.110+09:00 「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた ファイナル ルネサンス<div> ルネサンスは、キリスト教以前の古代ギリシア・ローマの文化を復活させて、人間本来のあり方を追及する「ヒューマニズム(人文主義)」の流行を指しています(ルネサンスは「再生」「復活」を意味するフランス語)。14~16世紀に西ヨーロッパで広まりました。</div><div><br /></div><div> ルネサンス初期に登場したパラケルスス(1493~1541年)は、スイス生まれの錬金術師であり、医師でもありました。</div><div> もともとの名前は、テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム(別の説ではフィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム)。名前を変えた理由として、『医学論』を記した古代ローマの医師アウルス・コルネリウス・ケルススと同じレベルだと主張したかったからという説がありました。パラ(「似ている」という意味)+ケルスス=「古代ローマの偉大な医師みたいな」ということでしょう。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh4oifawp8xkZ1M6Ij9b2HZrdnjCpdRZTS_S7iGpRtmelTG_yKBykSBz7-rMPTbAYfTXjkwI9VG2irKhduuYkYb0bayHIJ7ck3Nh-4Pyf19Lt6GKFp-nSYyh4C2WuDd0BkzRLW2g99PHNWVT2hBIP_pCMZPWvLXSHh1BS8Kwv02k9cn5EEYMsENpNFpv4hT/s349/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="349" data-original-width="291" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh4oifawp8xkZ1M6Ij9b2HZrdnjCpdRZTS_S7iGpRtmelTG_yKBykSBz7-rMPTbAYfTXjkwI9VG2irKhduuYkYb0bayHIJ7ck3Nh-4Pyf19Lt6GKFp-nSYyh4C2WuDd0BkzRLW2g99PHNWVT2hBIP_pCMZPWvLXSHh1BS8Kwv02k9cn5EEYMsENpNFpv4hT/s320/1.png" width="267" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">パラケルスス(<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%B9#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Paracelsus_1.jpg">Wikipedia</a>より)</span></td></tr></tbody></table><br /><div> パラケルススは錬金術を研究し、酸化鉄や水銀、アンチモン、鉛、銅、ヒ素などの金属の化合物を、初めて医薬品に採用しました。</div><div> また、すべてのものは水銀・塩・硫黄の三原質で構成されていて、この3つのバランスが崩れると病気になると考えました。例えば、発熱は硫黄の、湿疹は塩のバランスがおかしいからというように、対応させたわけです。そして、ギリシアの医学者であるガレノス(129~218年)の考えを否定したのです。</div><div> パラケルススはヨーロッパを放浪して、占星術も含めた天文学の理論を、医学理論と融合させたとのこと。</div><blockquote><div>天文学の理論が惑星や恒星を研究して深く究明したことはどんなものであっても、身体の天空にも適用することが可能である</div><div><br /></div><div> また、人を病気にするものが人を癒しをもするという信念を持っていました。</div><div><br /></div><div>あらゆるものの中に毒があり、毒を含まぬものは何もない。ある毒物が毒であるか否かはひとえに「服用量(ドージス)」の如何による。</div><div><br /></div><div>私は「秘薬アルカヌム」に属さないものを「秘薬アルカヌム」としてはたらくものから分離し、後者に正しい服用量を与える。</div><div><br /></div><div>そうすれば処方は正しく行なわれる</div><div><br /></div><div>人間に役立つものは毒ではない。ただ人間に役立たず、害を与えるものだけが毒なのだ。</div></blockquote><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/morpho1979/1985/7/1985_7_14/_pdf/-char/ja">パラケルススからゲーテへ スパギリークの変遷に関連してhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/morpho1979/1985/7/1985_7_14/_pdf/-char/ja</a></span></div><div><br /></div><div><br /></div><div> イギリスの科学者で、リンゴの実が落ちる様子から万有引力の法則を発見したとされるアイザック・ニュートン(1643~ 1727年)も、錬金術師としての一面がありました。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiRiCXPs58q3te6Xay1SVJyVzg3ebfTTFweTly-Jm84iKkdGt3lsYhAOABFBAHK7zJBjAS3WRDrzmPtGKZsnt0TtOqhN8IrxDx4n1p2POtX7RiVelV-sRn8uLbnzhM83BnQyxgdwamVaLnG0wWvOuNSqhp8VY_rhipp_HzXqx3Zx3tVjG_yG_GdpHYFn5mv/s1916/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1916" data-original-width="1364" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiRiCXPs58q3te6Xay1SVJyVzg3ebfTTFweTly-Jm84iKkdGt3lsYhAOABFBAHK7zJBjAS3WRDrzmPtGKZsnt0TtOqhN8IrxDx4n1p2POtX7RiVelV-sRn8uLbnzhM83BnQyxgdwamVaLnG0wWvOuNSqhp8VY_rhipp_HzXqx3Zx3tVjG_yG_GdpHYFn5mv/s320/1.png" width="228" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">アイザック・ニュートン(<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:GodfreyKneller-IsaacNewton-1689.jpg">Wikipedia</a>より)</span></span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div> ニュートンが生きた時代には、悪徳医師が錬金術を使って金をだまし取ったり、金の価値が暴落する可能性があったりしたため、1403年に「金属を増殖しようとしたものは死刑に処す」という法律ができ、錬金術が禁じられます。そのため、ニュートンはこっそりと研究していたようです。</div><div> 経済学者のケインズ(1883~1946年)は、「ニュートンは理性の時代 (age of reason) の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と評したとのこと。つまりは、最初の科学者ではなく、<b>最後の錬金術師</b>だと言っているわけです。</div><div><br /></div><div> では、ルネサンス以前まで、錬金術も含めた広い意味で科学的分野でリードしていたイスラーム世界はどうだったのでしょうか?</div><div><br /></div><div> イスラーム世界では、医学なら医学だけ、化学なら化学だけと切り離して研究が進められることはなかったようです。その理由の一つに、「ウラマー」という知的エリート層の存在があったのかもしれません。</div><div> ウラマーは、法学から医学・天文学まで幅広いジャンルに精通する学者です。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>ウラマーは、歴史の大きな流れのなかで近代西欧の新しいテクノロジーに対応することができなかった。彼らは代数学などでは高いレベルを誇っていたが、西欧が生み出した画期的な新兵器である「微積分学」を受け入れることができなかったのである。</div><div><br /></div><div>翻ってイスラム文明を眺めると、彼らにはそういう「世界は幾何学的に完全な形になっている」といった「調和的宇宙=ハーモニック・コスモス」への信仰をもたなかった。</div><div><br /></div><div>そのため、かえって微積分学や天体力学の弱点が素直にみえてしまったのかもしれないが、とにかく彼らはキリスト教文明ほどには天体力学や微積分学に惹かれることはなく、結果的にその流れに乗り遅れることになった。その結果は重大で、それまではイスラム世界は西欧の先生だったが、ついには知的世界の地位において西欧に逆転されてしまったのである。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="goog_248157597">イスラム世界の衰退は「微積分学」を拒否したから知的世界で西欧の逆転許したプライドの高さ</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://toyokeizai.net/articles/-/615506?page=1">https://toyokeizai.net/articles/-/615506?page=1</a></span></div><div><br /></div><div> イスラームの教えが、近代の西ヨーロッパで錬金術から分化した医学や化学などの発展の仕方と相いれないというか、根本的に違うようなのです。</div><div> ルネサンス初期のパラケルススの観点は、どちらかというイスラーム寄りのように思えます。</div><div></div><blockquote><div>西欧が解析学(関数)的発想を、イスラムが代数学(連立方程式)的発想を、それぞれと文明の基礎に置いていたとすれば、実は両者は、一つの大きな体系の中に現われる、部分的な二つの顔を見ていたわけであり、彼らは文字通り文明全体の中でそれを等分に分け合ってきたのである。</div><div> つまりこの観点からするならば、本来どちらが文明として上かという議論は成り立たないわけであり、両者の断絶をつなぐ数学的ツールとして、作用マトリックスの役割は大いに期待されるところである。</div></blockquote><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="goog_248157598">イスラム文明論</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://pathfind.motion.ne.jp/isram.htm">https://pathfind.motion.ne.jp/isram.htm</a></span></div><div><br /></div><div> だいぶん脱線してしまいました。</div><div> ここで改めて、「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」について、検討しましょう。この疑問には、パラケルススの言葉が答えになるのではないでしょうか。</div><div><br /></div><div><blockquote>多くの人が錬金術を、金銀をつくるためのものだという。私にとってそれは目的ではない。医学にどのような美徳と力があるかを考えることだけが目的だ</blockquote></div><div><br /></div><div style="text-align: left;"> 金目当てで錬金術に取り組む人も多かったのでしょうが、「自分自身を含め、世界は何でできているのか」「どうしたらバランスが整って、健康に、幸せに生きていけるのだろうか」という好奇心が、人々を錬金術へと駆り立てたのでしょう。 </div><div style="text-align: left;"> しかし、本気で卑金属から金を作ろうと実験をしても、うまくいかなかったことから、ルネサンス後期には錬金術の限界が見えてきていたのかもしれません。そして、金を作る試みから離れて、化学が発展していき、今の私たちの生活があるのでしょう。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><span style="font-size: x-small;"><b>■参考資料</b></span></div><div style="text-align: left;"><div><span style="font-size: x-small;">カルロ・ロヴェッリが語る「近代科学の父」ニュートンの偉大さとは</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://mag.nhk-book.co.jp/article/43492">https://mag.nhk-book.co.jp/article/43492</a></span></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: x-small;">アイザック・ニュートンのオカルト研究</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E7%A0%94%E7%A9%B6">https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E7%A0%94%E7%A9%B6</a></span></div></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-46112573919605851562024-03-25T10:05:00.011+09:002024-03-25T16:32:48.627+09:00 「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その7「チェスターのロバート」そして十字軍<div style="text-align: left;"> <span><a href="https://amzn.to/3Tvf8X5">『医学の歴史 大図鑑</a></span><span><a href="https://amzn.to/3Tvf8X5">』</a></span>(監修/スティーヴ・パーカー 河出書房新社)の「医学の再興とルネサンス 700~1800年 錬金術」のページに記載がある「チェスターのロバート」。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4NjX-WSUJHG703s8330MT77Aqn40YHzVashysPNsOLJ3KCbw6AvhuN9o9U0OUH-cKYmk8cesSLhoc1HbTgki34Xr1fJmfb6KNDqokCd6mjF77or2qJ9oGX2NJl-LPnSgwN10eDGhVeWb3Iz9-olGGbKICdCu5qUOG_Xjd5krQNf0zvz1NfizO2auZz87u/s3264/IMG_0813.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="3264" data-original-width="2448" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4NjX-WSUJHG703s8330MT77Aqn40YHzVashysPNsOLJ3KCbw6AvhuN9o9U0OUH-cKYmk8cesSLhoc1HbTgki34Xr1fJmfb6KNDqokCd6mjF77or2qJ9oGX2NJl-LPnSgwN10eDGhVeWb3Iz9-olGGbKICdCu5qUOG_Xjd5krQNf0zvz1NfizO2auZz87u/s320/IMG_0813.jpg" width="240" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><span style="text-align: left;"><a href="https://amzn.to/3Tvf8X5">『医学の歴史 大図鑑</a></span><span style="text-align: left;"><a href="https://amzn.to/3Tvf8X5">』</a>より</span></span></td></tr></tbody></table><br /><div style="text-align: left;"><br /></div><div> あれ、ロバート・チェスターじゃないの?</div><div> 誤植??</div><div><br /></div><div> とりあえずネット検索すると、なんと「チェスターのロバート」がWikipediaにありました。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>12世紀において数学、天文学、錬金術、クルアーン(コーラン)等の文献をアラビア語からラテン語に翻訳し紹介した人物。イギリス人。</div><div><br /></div><div>アル・フワーリズミーの著書『約分と消約との学』(ilm al-jabr wa'l muqabalah)820年をラテン語に訳し『Liber algebrae et almucabola』を著した(あるいはバースのアデラードの功績ともいう)。Al-jabr[1]に由来する「algebra」は今日英語で代数学を意味する語となっている。</div><div><br /></div><div>ジャービルのアラビア語による『Kitab al-Kimya』(化学の書)は錬金術(羅: Alchemia)の語源となった。</div></blockquote><div><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88"><span style="font-size: xx-small;">Wikipedia</span></a></div><div><br /></div><div> 「チェスターのロバート」は実在の人物なのでしょうか?</div><div><br /></div><div> ジャービル・イブン・ハイヤーンの『Kitab al-Kimya』を1144年に翻訳したと、『医学の歴史 大図鑑』には書かれています。この頃には、イスラーム世界の錬金術や数学がイギリスにも伝わっていたと考えられます。</div><div> イスラーム世界で発展した学問を西ヨーロッパに持ち込んだ人々の総称が、「チェスターのロバート」のような気もしてきました。</div><div><br /></div><div> 「チェスターのロバート」と同じくイギリス人のロジャー・ベーコン(1214~1294年)は、カトリック司祭である錬金術師。Wikipediaには「近代科学の先駆者」と呼ばれていると書かれていました。</div><div> カトリック司祭。</div><div> 錬金術師。</div><div> 近代科学。</div><div> なんだか三題噺のお題になりそうです。頭の中で、簡単には結びつかない……</div><div> ちなみに、ロジャー・ベーコンと同時代のドイツのキリスト教神学者であるアルベルトゥス・マグヌス(1200~ 1280年)も、錬金術を検証したとのこと。</div><div><br /></div><div><br /></div><div> さておき、「チェスターのロバート」は、アラビア語の文献をラテン語に翻訳したわけで、おそらく知識階級と想像できます。西ヨーロッパよりも進歩していたイスラーム世界に興味を抱き、積極的に情報を取り入れたのでしょう。</div><div><br /></div><div> そうではない一般大衆にも、イスラーム世界の先進的な文化が伝わっていったきっかけは、十字軍のようです。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHtVIbmT5Hmbyve-0HqOp7WtCJxUt577RztxXCgLfccjUuPMQfKMH9TZOVEA3drzqSLk53eAKtUlso0xJRzpDQVFdesXsmcV57wTapiFj6uoruyvpGg9ymooRXmzVcNCRoVmEKvXHHNJuaOjy0LQx_rYFIwxnPMYjDv0vijkVEK6vmxLDxVIjqzfMKQ1C8/s823/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="536" data-original-width="823" height="208" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHtVIbmT5Hmbyve-0HqOp7WtCJxUt577RztxXCgLfccjUuPMQfKMH9TZOVEA3drzqSLk53eAKtUlso0xJRzpDQVFdesXsmcV57wTapiFj6uoruyvpGg9ymooRXmzVcNCRoVmEKvXHHNJuaOjy0LQx_rYFIwxnPMYjDv0vijkVEK6vmxLDxVIjqzfMKQ1C8/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">十字軍(<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Crusades">Wikipedia</a>より)</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div> 十字軍の始まりは、1095年。</div><div> セルジューク朝 (1038~1194年)が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の領土へと進出してきました。ローマ教皇のウルバヌス2世がクレルモン教会会議で、聖地エルサレムの奪還を呼びかけたことで、西ヨーロッパの諸侯や民衆は熱狂し、十字軍が結成されたのです。</div><div><br /></div><div> セルジューク朝とはトルコ系民族が興した国です。</div><div> <b>「トルコ」</b>と聞くと、『クラナリ』編集人は現在のトルコ共和国をイメージしてしまいますが、モンゴルやカザフスタン、ロシアなどの国境付近にある<b>アルタイ山脈の周辺</b>で活動していたのだそうです。</div><div><br /></div><div><blockquote>トルコ系諸民族は古くから内陸アジアの東方(アルタイ山脈周辺)で活動した騎馬遊牧民であり、中央アジアのトルキスタンに定住してからはイスラーム化して広くイスラーム世界に広がり、現在でも中央アジアから西アジアにかけて広く分布する。</blockquote></div><div><a href="http://www.yk.rim.or.jp/~kimihira/yogo/03yogo04_2.htm"><span style="font-size: xx-small;">http://www.yk.rim.or.jp/~kimihira/yogo/03yogo04_2.htm</span></a></div><div><br /></div><div><blockquote> 10世紀頃、中央アジア西方に移動しながらイスラム教徒になったトルコ遊牧民族の事を、ペルシャ語で“テュルク(トルコ人)に似たもの”を意味する「トゥルクマーン」と呼びます。セルジューク朝の祖先のオグズ族がこのトゥルクマーンでした。</blockquote></div><div><a href="https://turkish.jp/turkey/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%9C%9D"><span style="font-size: xx-small;">https://turkish.jp/turkey/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%9C%9D</span></a></div><div><br /></div><div> セルジューク朝の最初の首都がニーシャプール、次の首都はシャレフ・レイで、最後はイスファハーンで、すべて現在のイランにありました。アルタイ山脈からスタートして、イランを中心に活動し、エルサレム、さらには1071年のマンジケルト(現在のトルコ共和国にある地域)の戦いで現在のトルコ共和国の地域まで、活動範囲を広げたわけです。この戦いで東ローマ帝国は敗れ、皇帝ロマノス4世ディオゲネス(ドゥーカス王朝3代目)は捕虜となりました。</div><div> 以上のことから、トルコ遊牧民族はユーラシア大陸の広い範囲で活動していたことがわかります。</div><div> ちなみに、ローマ教皇のウルバヌス2世に傭兵を要請した東ローマ帝国皇帝アレクシウス1世は、ドゥーカス王朝を倒して自ら皇帝となりました。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh2KB5IlrrGng1Nz0KBpUGNR93SdAwhda57NC8x7ztv1Q5yBnkG36mZ2aHPop9OzE5vxQ9MBzUOGkiKy-E69A9aB180LqHhfPGoVB55EFHlI5qlu7AHGxwLRNku-xsviDMTiZVaC5gpjH6m2vkIZreRTJFCGLL7Ei8IOu9iWvOlSktsA9NNgMVfLkA6tZO9/s1120/3.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="602" data-original-width="1120" height="172" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh2KB5IlrrGng1Nz0KBpUGNR93SdAwhda57NC8x7ztv1Q5yBnkG36mZ2aHPop9OzE5vxQ9MBzUOGkiKy-E69A9aB180LqHhfPGoVB55EFHlI5qlu7AHGxwLRNku-xsviDMTiZVaC5gpjH6m2vkIZreRTJFCGLL7Ei8IOu9iWvOlSktsA9NNgMVfLkA6tZO9/s320/3.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">アルタイ山脈とトルコ共和国との位置関係(グーグルマップを一部改変)</span></td></tr></tbody></table><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg8MBKtDiRqDL4A7J_DRxLuSeIlXP1CQMHC5qvshhpNvbaElvcUwHdfBEL6o03AaQRaNyBgxhxVZYuq5F2KLAJBbRs-PrFART3SEQF3csFpMTRvpH8Zo0U1hwt3dl-DX9ejIeXDsEp-QavVg8BA9nm-hx-svBRgeoFlnv2icFiQdAKVISsjY_j2Q-D6jMg0/s1750/2.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="776" data-original-width="1750" height="142" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg8MBKtDiRqDL4A7J_DRxLuSeIlXP1CQMHC5qvshhpNvbaElvcUwHdfBEL6o03AaQRaNyBgxhxVZYuq5F2KLAJBbRs-PrFART3SEQF3csFpMTRvpH8Zo0U1hwt3dl-DX9ejIeXDsEp-QavVg8BA9nm-hx-svBRgeoFlnv2icFiQdAKVISsjY_j2Q-D6jMg0/s320/2.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">山地が多い(国土地理院地図より)</span></td></tr></tbody></table><div><br /></div><div> こうした経緯で、200年間に7回、十字軍の遠征は行われたのですが、食いぶちのない三男坊などが自分の領地を求めてイスラーム世界を荒らしまわったという側面もあります。</div><div> 所詮は寄せ集め。</div><div><br /></div><div> また、十字軍に参加して、地中海地域の街の豊かさやイスラームの進んだ文化に触れ、西ヨーロッパの人たちは驚きました。こうして、知識階級ではない一般大衆も「自分たちは遅れている」「貧しい」「キリスト教の教会制度の下の封建社会はおかしい」と気づくことになるのです。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEih45YbDKSB5lUU-yzWTYjFCWq-NtUQyp_Ga5THomn6_GW1y-iEfae5Pv0kHaj-aZG5BRgtEqtOVSAr-p50EiDNV-IyINx39gY_7XlPmo_-6MrJq3ecQxxpe4YJUXHAshDW3St8v5b3uQX1TKuA_OrjsuYQNjqANjo-xDqP3TPCwxbJ4ADPtyXbB1y0S9Ps/s905/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="905" data-original-width="640" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEih45YbDKSB5lUU-yzWTYjFCWq-NtUQyp_Ga5THomn6_GW1y-iEfae5Pv0kHaj-aZG5BRgtEqtOVSAr-p50EiDNV-IyINx39gY_7XlPmo_-6MrJq3ecQxxpe4YJUXHAshDW3St8v5b3uQX1TKuA_OrjsuYQNjqANjo-xDqP3TPCwxbJ4ADPtyXbB1y0S9Ps/s320/1.png" width="226" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">十字軍時代に設立されたテンプル騎士団は金もうけに走る側面も</span></td></tr></tbody></table><br /><div> 1270年の第7回十字軍が遠征の最後で、1099年に十字軍が樹立したエルサレム王国も1291年にエジプトのマムルーク朝によって滅亡されました。</div><div><br /></div><div> 十字軍遠征は失敗に終わり、ローマ教皇は権威を失って、西ヨーロッパの領主たちは戦費がかさんで没落しました。</div><div> その一方で、十字軍の物資輸送で内陸部に交易路が広がり、商業都市が誕生しました。そしてイタリアの海港都市は、莫大な富を築きました。</div><div> イスラーム世界で発展した古代ギリシア哲学などが再輸入され、14世紀にルネサンスが興り、錬金術の研究も活発になるのです。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: x-small;"><b>■参考資料</b></span></div><div><span style="font-size: x-small;">NHK高校講座世界史 第14回 十字軍の時代</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/contents/resume/resume_0000000698.html">https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/contents/resume/resume_0000000698.html</a></span></div><div><br /></div><div> 余談ですが、十字軍について調べていたら、『転生したらスライムだった件』第12巻前後に登場するファルムス王国を思い出してしまいました。十字軍のエピソードは、ライトノベルやコミックなどさまざまなジャンルで形を変えて取り込まれているのかもしれません。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj8RU2PI0jS10oRlL2YkAc5y8v5quRRgiWo8QfrpN9hAkajSNkoMGfjh5rLoJgXXsHhXCeuyZK-eaAuXCEi-nM4-rm0tEdC6C1SkqANuwFKgcT4Qd3qAbGVk5-weRrQftMv16x7ZGif1ZQFC3l9raa6Q6r_V6Jf_0MC9z-g-hNabpr16rwPJfjzwV2p66zd/s500/1.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="500" data-original-width="352" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj8RU2PI0jS10oRlL2YkAc5y8v5quRRgiWo8QfrpN9hAkajSNkoMGfjh5rLoJgXXsHhXCeuyZK-eaAuXCEi-nM4-rm0tEdC6C1SkqANuwFKgcT4Qd3qAbGVk5-weRrQftMv16x7ZGif1ZQFC3l9raa6Q6r_V6Jf_0MC9z-g-hNabpr16rwPJfjzwV2p66zd/s320/1.png" width="225" /></a></div><br /><div><br /></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-84985681604447569322024-03-23T10:40:00.009+09:002024-03-25T10:05:30.204+09:00「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その6 先進的だった9~10世紀のイスラーム世界<div style="text-align: left;"> イスラーム世界といえばアラブ。アラブといえば『アラビアンナイト』。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjjR1LRJD8GUQoaFdNGTzvMrcTPNkwgz2bnG0JwOrEvrozgj1c-4zghsrHOmHg7v7pIy3DzkYqqX7vMiMLjd17DoTVTAj8l2HAuXJhSM3kaXR20iIxmN7OEryw6a4eebp3zrVA6KCMPd0_bFSjSv2vfE1xVBIJLTXEVjtAOtZFTPrFxBtoxDvboTGoqdcUh/s900/1.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="900" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjjR1LRJD8GUQoaFdNGTzvMrcTPNkwgz2bnG0JwOrEvrozgj1c-4zghsrHOmHg7v7pIy3DzkYqqX7vMiMLjd17DoTVTAj8l2HAuXJhSM3kaXR20iIxmN7OEryw6a4eebp3zrVA6KCMPd0_bFSjSv2vfE1xVBIJLTXEVjtAOtZFTPrFxBtoxDvboTGoqdcUh/s320/1.png" width="320" /></a></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div> そんなイメージは、「日本といえばニンジャ、ゲイシャ」というレベルで偏っていました。</div><div> イスラーム世界は宗教の力があまりに強いと同時に、呪術的で、ややもすれば「西欧から遅れている」と、なんとなく私たちは刷り込まれていませんか。</div><div> 少なくとも、『クラナリ』編集人はそうでした。ターバンを巻いている人物は砂漠を旅する者であって、化学的な実験などとは結びつかない……</div><div><br /></div><div> しかし実際は、現代の自然科学のベースはイスラーム世界で確立されていました。古代ギリシア(特にアリストテレスの学問)とヘレニズム時代に発展した錬金術やインドの算術などが、イスラーム世界に取り込まれて発展し、現代の科学や医学の礎ができたのです。</div><div><br /></div><div> その象徴の一つが、蒸留装置のアランビック。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjXtxU7NPH5fEu9QJxuR9_OfpYJPuzgxbdxgr293LyADimHgNnMj8S127PI8fzL5ej1CZtgQSSXmVmWWC3wgcH09DbDuAGIvxg-z-TjccJDKx6kQ1fPi0D1TNSNiG4sO_hUMWFJTsvnzYvx0Ek4nzV9vDhSkZ5Aj5rgg1P9iINmOta13fVieyEcCe1Fntew/s567/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="442" data-original-width="567" height="249" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjXtxU7NPH5fEu9QJxuR9_OfpYJPuzgxbdxgr293LyADimHgNnMj8S127PI8fzL5ej1CZtgQSSXmVmWWC3wgcH09DbDuAGIvxg-z-TjccJDKx6kQ1fPi0D1TNSNiG4sO_hUMWFJTsvnzYvx0Ek4nzV9vDhSkZ5Aj5rgg1P9iINmOta13fVieyEcCe1Fntew/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">ジャービル・イブン・ハイヤーンが描いたアランビック(<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/File:Drawing_and_description_of_Alembic_,_by_Jabir_Ibn_Hayyan_in_8th_century.jpg?_fsi=dU6jRHT9">Wikipedia</a>より)</span></span></td></tr></tbody></table><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgOgz5k_WGWmQ4zOFZ89Al-ZnACd3zdcZjbfwx_HGBffDJIN40iRUcFH-9xAOM1mpL46-yofaMB5-3WON8nnCTeMLsRHRGVHUy_sEfhmwT3BObWpPMD2eLpePtVYtNGflLrT8pwB0dVAuFHZwo7IMm0BQTGUTnOzsxocNmEPqp2UOkCkOwaGKGDAhr_MG61/s640/4440889_s.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><span style="font-size: xx-small;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgOgz5k_WGWmQ4zOFZ89Al-ZnACd3zdcZjbfwx_HGBffDJIN40iRUcFH-9xAOM1mpL46-yofaMB5-3WON8nnCTeMLsRHRGVHUy_sEfhmwT3BObWpPMD2eLpePtVYtNGflLrT8pwB0dVAuFHZwo7IMm0BQTGUTnOzsxocNmEPqp2UOkCkOwaGKGDAhr_MG61/s320/4440889_s.jpg" width="240" /></span></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">アロマセラピーやウイスキー作りなどで利用されているアランビック(蒸留器)</span></td></tr></tbody></table><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div> ジャービル・イブン・ハイヤーン(721~815年)という錬金術師がアラビックを考案したとされています。</div><div> ほかにも、彼は以下の発明・発見を行っています。</div><div>○塩酸、硝酸、硫酸の精製と結晶化法</div><div>○金などの貴金属を融解できる王水</div><div>○有機化合物であるクエン酸、酢酸、酒石酸</div><div>○アルカリの概念</div><div><br /></div><div> ヨーロッパでは「ゲーベル」と呼ばれ、「アラビア化学の父」とされています。</div><div> 彼が残したといわれているのが「ジャービル文書」。日本でもジャービル文書の研究がされていました。</div><div><br /></div><div><blockquote>9世紀から10世紀にかけてアラビア語圏で成立したジャービル文書は錬金術書群と目されるが、そこには錬金術に留まらない学知が記録されている。本研究では、人がどのように事物を認識するかを問う<b>「知性論」</b>、存在物の在り方を物的要因と理念的要因の二原理で説明しようと試みる<b>「質料形相論」</b>、性質の強弱を量として把握しようとする<b>「質の量化論」</b>、そして、あらゆるものを数に還元しようとする<b>「バランス理論」</b>の4つを軸に、写本校訂も行いながらジャービル文書を分析する。これにより、ジャービル文書はアラビア語圏における古代ギリシア思想の受容状況を物語り、かつ科学史と哲学史研究の両方に資する文献であることが示される。</blockquote></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-23KJ1981">https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-23KJ1981</a></span></div><div><span style="white-space: pre;"> </span></div><div></div><blockquote><div> ジャービルの理論はギリシャ的な「第一質料+熱冷乾湿=四大元素」という公式を基本とし、そこに硫黄と水銀が結合して諸金属となる、すなわち「硫黄+水銀=諸金属」という公式を加えた。</div><div><br /></div><div> 重要なことは、銀や銅だろうが、鉄や鉛だろうが、金以外はどこかしらのバランスがかけた状態にあるだけで、いかなる金属であってもそれらを構成しているものは同じなのだ。それならば、ある金属を原初の状態に戻し、それからあらためて正しい完全なバランスのもとで結合しなおせば、それは金になるはずであるーー。これがジャービル文書の多くを通じて語られる根本原理であり、ひいてはそれが輸入されて発展したその後の西洋錬金術における基本的な考え方となった。</div><div><br /></div><div> ジャービル文書で説かれている工程において、正しいバランスによる結合へと最終的に導くものが<b>「エリクシール(エリキサー)」</b>である。</div><div><br /></div><div>金属の本性と結合のバランスを正常化するだけでなく、人間の肉体と精神それぞれのバランスをも正常化する効果を持つ。その理由は、極論すれば、金属も人体も、等しく第一質料から分化したさまざまな材料からでき上がっているものと考えたからこそなのだ。</div></blockquote><div></div><div><a href="https://amzn.to/4cr55ee" style="font-size: small;">『錬金術の歴史』</a><span style="font-size: small;">著/井上英洋 創元社</span></div><div><span style="font-size: small;"><br /></span></div><div> エリクシール! 資生堂の化粧品ブランド名のルーツが、錬金術だったとは!!</div><div><br /></div><div> さておき、この時代には、化学も医学も哲学も錬金術もその他諸々も、ジャンルを分ける必要はなかったようです。そもそも、私たちのあり方は、統合的なものですからね。ごちゃ混ぜのほうが自然です。</div><div><br /></div><div><b>金属を完全なバランスで結合し直せば金になる。</b></div><div><b>心身を完全なバランスにすれば人間は健康になる。</b></div><div> 同じ理屈で、研究が進められていました。</div><div><br /></div><div> ジャービル・イブン・ハイヤーンが活躍したアッバース朝の時代(750~1258年)、762年に建造された首都バグダード(バグダッド)は世界最大級のグローバル都市だったそうです。この時代は、ジャービル・イブン・ハイヤーンのほかにも、以下のような学者が誕生していました。</div><div><br /></div><div><b>○アル・ラーズィー(865~925年)</b> 食事と衛生の重要性を強調、エタノールの発見、瞳孔反射を発見、コーヒーについて最初に記述</div><div><b>○アブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー(936~?年)</b> 『解剖の書』に200以上の手術用具の図解を掲載</div><div><b>○イブン・スィーナー(980~1037年)</b> <b>『医学典範』</b>をまとめる、脳腫瘍を初めて発見</div><div><br /></div><div> また、「アルゴリズム」の語源は、アル・フワーリズミー(アブー=アブドゥッラー・ムハンマド・イブン=ムーサー・アル=フワーリズミー)という、アッバース朝時代の数学者の名前とのこと。</div><div><br /></div><div> ヨーロッパとインドの学問の融合の場であるイスラーム世界で、自然科学が生まれる土壌が作られたのです。 </div><div><br /></div><div><br /></div><div><div><span style="font-size: x-small;"><b>■参考資料</b></span></div><div><span style="font-size: x-small;">都市の歴史と都市構造 第5回中世イスラムの都「バグダード」</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="http://coretokyoweb.jp/?page=article&id=1140">http://coretokyoweb.jp/?page=article&id=1140</a></span></div></div><div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://www.nii.ac.jp/today/66/3.html">https://www.nii.ac.jp/today/66/3.html</a></span></div></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: x-small;">イスラーム世界における文理融合論――「宗教と科学」の関係をめぐる考察――</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/70887/1/11kosugi.pdf">https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/70887/1/11kosugi.pdf</a></span></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><div><span style="font-size: x-small;"><span><a href="https://amzn.to/3Tvf8X5">『医学の歴史 大図鑑</a></span><span><a href="https://amzn.to/3Tvf8X5">』</a> </span><span>監修/</span><span>スティーヴ・パーカー 河出書房新社</span></span></div></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-7089960235886275682024-03-20T17:13:00.005+09:002024-03-21T07:39:45.453+09:00「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた 番外編 アラブ、イスラーム、中東。さて、何が違う?<p> 千葉県立西部図書館まで足を運びました。こちらの図書館の特徴は<a href="https://www.library.pref.chiba.lg.jp/guide/west/index.html">「自然科学・技術・工学分野の参考図書、専門図書などが中心」</a>。蔵書を近くの市立図書館に取り寄せたことが何度かあり、「中世のイスラーム世界の錬金術の資料があるかも」と期待していました。<br /><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhGy7zOpwng4ZOQN-VOL2fsaPjiwJ5diLI5Nhy7centPdZmqsPeDGMpkXfcrWocDdRGygs0_C66zl7ialZLz2bDvcYyYqvBqluJZe7ycnXKDANmY0inQ3ByxgNm-m58XIwkCxTnQDaP5n7tN4vKwOCOKVThUEvMro_Waw4ykEfKiwrdPCQT1AJI8Cb3v9kk/s4000/DSC_0607.JPG" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2250" data-original-width="4000" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhGy7zOpwng4ZOQN-VOL2fsaPjiwJ5diLI5Nhy7centPdZmqsPeDGMpkXfcrWocDdRGygs0_C66zl7ialZLz2bDvcYyYqvBqluJZe7ycnXKDANmY0inQ3ByxgNm-m58XIwkCxTnQDaP5n7tN4vKwOCOKVThUEvMro_Waw4ykEfKiwrdPCQT1AJI8Cb3v9kk/s320/DSC_0607.JPG" width="320" /></a></div><br /><p> 蔵書を何冊か読んだ際、「○○はアラビア語で文献を残したが、ペルシア人だ」「アラブ人だがキリスト教徒だ」というような説明が見られました。</p><p><b><span style="font-size: large;">はて?</span></b></p><p> 用語について知っておいたほうがよいと考え、帰宅して、検索してまとめました。その内容は、以下のとおりです。</p><h4 style="text-align: left;">アラブ ←言語絡み</h4><p> アラビア語を使う人々(アラブ人)が住む地域です。さまざまな人種の住民がいて、イスラム教徒もいればキリスト教徒も存在します。紀元前2500年から紀元前600年にかけてメソポタミアで話されていた言語が、アラビア語の起源とされています。アラブの意味は、「砂の民」「遊牧を行う人」。</p><p> アラビア語が公用語であるのは、アラビア半島全域とイラク、シリア、レバノン、パレスチナ、ヨルダン、エジプト、スーダン、リビア、アルジェリア、チュニジア、モロッコ、モーリタニアです。</p><p> トルコ(トルコ語)、イラン(ペルシア語)、イスラエル(ヘブライ語)、アフガニスタン(パシュトー語)は、アラブに含まれません。</p><h4 style="text-align: left;">ペルシア ←地名絡み</h4><p> 古代ギリシア人が、イラン平原西南のファルス地方にちなんでPerse、Persanと呼んだことから「ペルシア」、または漢字表記である「波斯」が用いられていました。イラン(語源は「アーリア人」)の旧称でもあります。</p><h4 style="text-align: left;">イスラーム世界(イスラーム文化圏) ←宗教絡み</h4><p> イスラーム(イスラム教)を信仰している人々(ムスリム)の文化圏です。インドネシアはムスリムが多いことで知られています。</p><h4 style="text-align: left;">中東 ←ヨーロッパからの方向絡み</h4><p> イギリスが作り出した概念で、トルコなどが近東、ペルシア湾沿岸からエジプト周辺までが中東、日本は東の果てなので極東と呼ばれています。中近東は、近東と中東を合わせた地域ということになります。</p><p> ちなみに、「文字 変換」という日本語をGoogleの翻訳機能を使ってアラビア文字とペルシア文字に変換すると、次のとおりです。</p><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgkpsjgr5dnbEJuGBi4S9Q9Te9BUE-VLZhF_Tiqyn8mYAqqGJLVfUm98hc0W69WdVLa3_oTo6WX6hSvBBkmLLclZ9a0f4kcGtNx7Ek5q7yJRlRyiZJWYSZare9SQv3dzWZJ5GS9itB8hhQ2zduDPx572ACfcQBR5Eb_8QzLGa3Ry2jNkMzCSPwsJBWyi8ZH/s216/peri1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="66" data-original-width="216" height="66" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgkpsjgr5dnbEJuGBi4S9Q9Te9BUE-VLZhF_Tiqyn8mYAqqGJLVfUm98hc0W69WdVLa3_oTo6WX6hSvBBkmLLclZ9a0f4kcGtNx7Ek5q7yJRlRyiZJWYSZare9SQv3dzWZJ5GS9itB8hhQ2zduDPx572ACfcQBR5Eb_8QzLGa3Ry2jNkMzCSPwsJBWyi8ZH/s1600/peri1.png" width="216" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">アラビア文字</td></tr></tbody></table><br /><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgO4E9Golk-pdahHBRQrmQOnIpF2S4XNUJ9yOlja9i9wLB7qBZgxGESwhZWiBZcSSsJfW33xiwJd_u5eKh11I7PVLfpQfr_XGALfTnsi7qReygtoLXyRc2eKk9jIoxIurtz1gDxdn3t7MuNKNQ_RauF6puvwyWw8Zgf07Qx8JGexcGDdBpzeUvFOa1hoRXO/s215/peri.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="78" data-original-width="215" height="78" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgO4E9Golk-pdahHBRQrmQOnIpF2S4XNUJ9yOlja9i9wLB7qBZgxGESwhZWiBZcSSsJfW33xiwJd_u5eKh11I7PVLfpQfr_XGALfTnsi7qReygtoLXyRc2eKk9jIoxIurtz1gDxdn3t7MuNKNQ_RauF6puvwyWw8Zgf07Qx8JGexcGDdBpzeUvFOa1hoRXO/s1600/peri.png" width="215" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">ペルシア文字</td></tr></tbody></table><br /><div> 非常に似ていて、区別がつかないのではないでしょうか。この2つの文字は、どうやら中国語の漢字と、日本の漢字と同じ関係のようです。<p><br /></p><p></p><blockquote><p>現在のイランでは、ペルシャ語はアラビア文字で記述されています。アラビア文字は、元来アラビア語を書くための文字で、有名な『コーラン』もアラビア語(アラビア文字)で記述されています。</p><p> では、アラビア語とペルシャ語は似た言語なのでしょうか。実は、違う言語なのです。両者の関係は、中国語と日本語の関係といったらわかりやすいかもしれません。文法的には違っていても、文字や単語の共通性があります。また、ペルシャ語は、英語などヨーロッパで使われている多くの言語が分類される、インド・ヨーロッパ語族の中の仲間とされています。</p><p> 『ことば』を考えるときに、実は話すための『言語』と文字にはあまり大きな関係がないということに気付くと面白いかもしれません。</p></blockquote><p></p><div style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">チャレンジ!外国語 外務省の外国語専門家インタビュー ペルシャ語の専門家 清水さん<br /><a href="https://www.mofa.go.jp/mofaj/p_pd/dpr/page24_001216.html">https://www.mofa.go.jp/mofaj/p_pd/dpr/page24_001216.html</a></span></div><p></p><blockquote><p> ペルシア語とアラビア語はどちらも右から左へと読んでいきます。そして、どちらも、ほぼ同じ文字で書かれています。しかし、全く同じ文字というわけではありません。これは日本語と中国語の関係に似ているでしょう。</p><p>そもそもペルシア語とアラビア語は異なるので、ペルシア語をクーフィー体で表すことはかなり難しい作業でした。そこでイラン人は、クーフィー体を徐々に変え、ペルシア語に適応させていきました。</p><p>まず、クーフィー体にはない「点」とか「母音」を表す文字を作り出しました。そして、これらを元に、「ナスタアリーク体」を発明しました。</p></blockquote><p></p><div style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">ペルシア語とアラビア語はこう違う<br /><a href="https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/062600062/">https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/062600062/</a></span></div><p> クーフィー体とナスタアリーク体は書体で、イラクの国旗の中央には、クーフィー体で「アッラーは偉大なり」と書かれています。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjUMt-JJUT8rLL18_S-rRAb-N4y0X97zSx51XDWYaypgHsnC0yyj2Du1pMjJ5hyjeHLe2A2ilzz2hLj7XEJaU6oRkcqLjEqVidjAZ-AdAioyevZG9KM2syk6TlO4pL_7dDDK2VdRBmqyc1GuOIv-E7hrHYeRn56lLgAfWaCecQNGtyeEwV1p34Mdcs4A6_E/s275/p.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="183" data-original-width="275" height="183" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjUMt-JJUT8rLL18_S-rRAb-N4y0X97zSx51XDWYaypgHsnC0yyj2Du1pMjJ5hyjeHLe2A2ilzz2hLj7XEJaU6oRkcqLjEqVidjAZ-AdAioyevZG9KM2syk6TlO4pL_7dDDK2VdRBmqyc1GuOIv-E7hrHYeRn56lLgAfWaCecQNGtyeEwV1p34Mdcs4A6_E/s1600/p.png" width="275" /></a></div><br /><p> 日本の文字(和文)にも、さまざまな書体がありますよね。それと同じです。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg9B0dyvQ4cqZ3muvtku66rN01rBxWakvDj3KgwI4wvTzv1PbQVnu5BNo2cTUKS-MjHuyF_dHpbIEf78Rwv79HY7-h-7fb_oJUwdzMEiMXGi-ew1QiiK7K1FVGaNAJL66dwovTB6WjlTzgXNbzWQuLUOV5Vgsu7HqJs_r6Yh9ZDyoLOMxuyt-0ONWR-lK5e/s445/%EF%BD%91.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="369" data-original-width="445" height="265" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg9B0dyvQ4cqZ3muvtku66rN01rBxWakvDj3KgwI4wvTzv1PbQVnu5BNo2cTUKS-MjHuyF_dHpbIEf78Rwv79HY7-h-7fb_oJUwdzMEiMXGi-ew1QiiK7K1FVGaNAJL66dwovTB6WjlTzgXNbzWQuLUOV5Vgsu7HqJs_r6Yh9ZDyoLOMxuyt-0ONWR-lK5e/s320/%EF%BD%91.png" width="320" /></a></div><p> ところで、「あなたは何者か?」と問われたとき、日本に住む私たちのほとんどは、「日本人」と答えるでしょう。正月も盆も、クリスマスもハロウィンも、なんでも行事として日常に取り入れているため、「どの宗教を信仰しているか」は、さほどアイデンティティと関係していないようです。</p><p> ところが、中東と呼ばれる地域は違うとのこと。</p><p></p><blockquote>たいていの人はまずイスラム教徒である自分を大切にし、次に来るのはアラブ人である自分、そして最後に来るのはサウジ人やエジプト人、シリア人など国民としての自分である(もちろん、皆が必ずしもそうであるとは限らない。例えば、「アラブ人」であるより、優先順位として先に「自国民」としての自分のアイデンティティーを大切に考える人もいる)。アラブでは、この3つのアイデンティティーを基盤に行動パターンと価値観が形成される。</blockquote><p></p><div style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">日本人には分かりにくい「アラブ」「中東」「イスラム」の違いって?<br /><a href="https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/11/post-97532_1.php">https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/11/post-97532_1.php</a></span></div><p><br /></p><p> <a href="https://amzn.to/3IKiK2j">『語学の天才まで1億光年』</a>(著/高野秀行 集英社インターナショナル)には、初対面の人に「何語を離すの?」と尋ねると、相手を怒らせない上、けっこう盛り上がると書かれていたと記憶しています。宗教などは、当たり障りがあり過ぎるのでしょう。<br /> 世界を見渡すと、私たちの感覚のほうが「不思議」と捉えられてしまう可能性も高そうです。</p><p> なお、冒頭で紹介した千葉県立西部図書館の蔵書の著者はドイツ人でした。ヨーロッパに住む人々のアイデンティティもまた、私たち日本人とは異なるのかもしれません。</p><div style="text-align: left;"><span style="font-size: x-small;"><b>■参考資料</b><br />特別展示「日本とペルシャ・イラン」III ペルシャからイランへ 国号改称概説と主な展示史料<br /><a href="https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_000039.html">https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_000039.html</a></span></div></div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"><div><a href="https://amzn.to/3TIinvj"><span style="font-size: x-small;">『イスラーム医学</span><span style="font-size: small;">』</span></a><span style="font-size: small;"><a href="https://amzn.to/3TIinvj"> </a> 著/マンフレッド ウルマン 青土社</span></div></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-40286410570818441402024-03-12T12:05:00.006+09:002024-03-12T16:32:56.440+09:00「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その5 「アリストテレスとイスラーム」からの「錬金術と化学」<div style="text-align: left;"> 「ヘレニズム時代に盛り上がりを見せた錬金術は、ローマ帝国時代にヨーロッパで衰退しました。しかし、イスラーム世界で発展を遂げることになるのです」と、<a href="https://life-livelihood.blogspot.com/2024/03/17-3.html">「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その3 硬貨と権力と錬金術</a> は締めくくりました。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgaB0RuMZF9r5pdzQ-xCJAz4jb5876thnludHAWRfxrm3ai9EWsVIv2b9w4reJUUzmddMQuhljCMB_BcG0rALXKrzUxNWEEmPOgflX3ZFSa50Mq56xxpMNwfI1l5HVpziQPq5TCl1tY-5XxXaXEMDwElDqaDY9XDzoFJbrpwK0ZT8Qo4dnbwzCmnSWKa3gi/s1500/2.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1500" data-original-width="1196" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgaB0RuMZF9r5pdzQ-xCJAz4jb5876thnludHAWRfxrm3ai9EWsVIv2b9w4reJUUzmddMQuhljCMB_BcG0rALXKrzUxNWEEmPOgflX3ZFSa50Mq56xxpMNwfI1l5HVpziQPq5TCl1tY-5XxXaXEMDwElDqaDY9XDzoFJbrpwK0ZT8Qo4dnbwzCmnSWKa3gi/s320/2.png" width="255" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://amzn.to/4caLtec">『蒸留術とイスラム錬金術』</a></span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> 錬金術がイスラーム世界で発展するきっかけは、529年に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のユスティニアヌス1世がキリスト教以外の宗教などを弾圧したことにあります。ギリシアの学問はギリシアの多神教と結びつけられ、文献は廃棄されて学者は追放されました。</div><div> 文献や学者が移動した先が、イスラーム世界だったのです。</div><div><br /></div><div> ヨーロッパは、キリスト教の教会が支配的な封建社会である「暗黒時代」に突入しました。その時代に、アリストテレスの思想をイスラーム世界では勉強しようとする機運ができて、錬金術が化学へと発展しました。</div><div><br /></div><div><blockquote> イスラーム世界にギリシア科学が導入される契機となったのは、キリスト教を国教とするビザンツ帝国の皇帝ユスティニアヌスの政策にある。皇帝は529 年に、ギリシアの学問が多神教時代に発展したものであるとして、プラトンが創設して以降 900 年間も世界有数の研究機関として運営されてきたアカデメイアを閉鎖し、貴重な文献を廃棄し学者を追放した。そこで、ビザンツを追われた多くの学者たちが、西アジアのハッラーン(トルコ南東部)などの寒村にギリシア語の文献を運び込み、ひそかに研究を継続していた。そこではギリシアの哲学書や科学書、医学書などが研究され、また当時の彼らの言語であったシリア語に多くの写本が翻訳されていた。このシリア語訳のギリシア語文献が、アッバース朝期になると、カリフの命令でバグダードへ移され、「知恵の館」の大翻訳事業へと繋がった。やがてムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒たちとの共同作業によって、ほとんどすべてのギリシア語文献が、直接アラビア語に翻訳されるという一大翻訳事業が展開されたのである。</blockquote></div><div><span style="font-size: xx-small;">イスラーム文明とは何か…現代科学と文化の礎 </span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://arabstudies.jp/pdf/2021-01_03.pdf">https://arabstudies.jp/pdf/2021-01_03.pdf</a></span></div><div><br /></div><div><br /></div><div><blockquote> ウマイヤ朝を倒したアッバース朝は,ヘレニズム文明の教養を身に着けたペルシャ人に支持されて政権を樹立したため,人種による差別はなく,ペルシャ人が保持していたギリシャ文明,その中でも主に哲学と自然科学を積極的に取り入れた。それだけでなく,アッバース朝の最初のカリフたちはペルシャ人の臣下やブレーンたちの影響を受けて,揃いも揃ってヘレニズム文明の愛好家であった。このとき初めて,イスラムは外来の学問として,哲学,論理学,医学,薬学,天文学,数学,化学,錬金術を受け入れた。</blockquote></div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;">科学・技術史から探るイノベーションの萌芽 [第4章]イスラム科学技術概説</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.hitachihyoron.com/jp/column/content/vol21/index.html">https://www.hitachihyoron.com/jp/column/content/vol21/index.html</a></span></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div> 『クラナリ』編集人は、イスラームについては「おっかない」「排他的」「守旧」というイメージを抱いていました。1990年代頃から「イスラム原理主義」という言葉がニュースをにぎわし、近年では女性が大学に通うことを停止させられたり、ヒジャブ(頭部を覆うスカーフ)をかぶっていない女性が殺されたりしたからです(ただ、これは現代の一部の現象であるという意見も)。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;">女性の大学教育再開せず、抗議も沈黙させられ アフガニスタン</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64884550">https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64884550</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;">イランの地下鉄で倒れた少女が死亡、ヒジャブ着用めぐり道徳警察が殴打か</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.bbc.com/japanese/67253446">https://www.bbc.com/japanese/67253446</a></span></div><div><br /></div><div> そんな「おっかない」イメージは、ごく最近で、また、偏った見方によるものかもしれません。今から1500年ほど前のイスラーム世界は、「異なった民族や宗教の下で発展した文明であっても、人類の利益となるものであれば、何でも受け入れるという寛容で現実的な姿勢」だったことで、ヘレニズム期の錬金術が化学へと発展したのでしょう。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: large;"><b> イスラーム世界で化学?</b></span></div><div><br /></div><div> これも私たちの頭の中では結びつきにくいですよね。「化学などの自然科学はヨーロッパで発達し始めた」と考えている人は少なくないでしょう。</div><div> ただ、錬金術の歴史を追っていくと、イスラーム世界が重要な役割を果たしたことは明らかなのです。</div><div><br /></div><div><blockquote>近代以前の文明のなかで自然科学が発達したことはまれで、わずかにヘレニズム(ギリシア・ローマ)文化とイスラーム文化をあげることが出来る。</blockquote></div><div><blockquote>イスラーム文明は外来のギリシア科学を受け継いで発展したものである。当時のイスラームの支配者たちが、異なった民族や宗教の下で発展した文明であっても、人類の利益となるものであれば、何でも受け入れるという寛容で現実的な姿勢を持っていたことも、外来の文明を柔軟に受容して、さらに発展させる意欲につながったのである。</blockquote></div><div><div><span style="font-size: xx-small;">イスラーム文明とは何か…現代科学と文化の礎 </span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://arabstudies.jp/pdf/2021-01_03.pdf">https://arabstudies.jp/pdf/2021-01_03.pdf</a></span></div></div><div><br /></div><div><br /></div><div> また、アリストテレスの考え方(自然観)をイスラーム正解は取り入れたことで、錬金術は化学へと発展したのだと考えられます。</div><div><br /></div><div><br /></div><div><blockquote> イスラムが熱心にアリストテレスを理解しようと努めるようになったのは,第一義的にはユダヤ教徒やキリスト教徒との宗教論争に勝つためであったが,それだけにとどまらなかった。前述したように哲学と科学とを区別せず,真理を探求するイスラムの文化人にとって,アリストテレスの宇宙論(地球は宇宙の中心にあり不動)や目的論的自然観(自然界のものは所期の目的があって作られている)は思考の原点ともいえる。</blockquote></div><div><br /></div><div><blockquote>結論だけをいうと,アリストテレスの「物は誰かによって動かされない限り動かない」という前提から,「物が運動するには運動の連鎖が存在しなければいけない」と考えた。そして運動の連鎖のトップバッターを「第一動者」と呼び,「第一動者」だけは他者から動かされない者,すなわち「不動の動者」であるとした。この「不動の動者」をアラブの哲学者たち,そして後にヨーロッパの哲学者たちが自分たちの信じる宗教の神に置き換えることで,アリストテレスの論理がそのまま流用できることに喜んだ。</blockquote></div><div><br /></div><div><blockquote>さらに,アリストテレスは自然界を観察して,生物は必ず同種の子どもを生むし,石は必ず落下するのに火は必ず上昇するなど,すべての現象には規則性と秩序が備わっていることを見て「不動の動者」は自分の意図を実現するためにこういった規則性と秩序を与えたと考えた。また,多くの動物の観察から,動物の体の各部には必ずある目的を達成するために必要十分な機能が備わっているという目的論的自然観を唱えた。さらに,この考えを推し進め,羊がふさふさとした羊毛を蓄えるのは人間がそれから暖かい着物を作るためという人間中心の目的論的思考に到達した。この点がイスラムやキリスト教の考える神の概念と合致したので,アラブやヨーロッパの信者たちがこぞってアリストテレスを研究した。</blockquote></div><div><div><span style="font-size: xx-small;">科学・技術史から探るイノベーションの萌芽 [第4章]イスラム科学技術概説</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.hitachihyoron.com/jp/column/content/vol21/index.html">https://www.hitachihyoron.com/jp/column/content/vol21/index.html</a></span></div></div><div><br /></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-80377572659785749812024-03-11T11:37:00.012+09:002024-03-23T10:46:37.506+09:00「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その4 「3倍偉大なヘルメス」を意味するヘルメス・トリスメギストス<div style="text-align: left;"><blockquote> 錬金術の起源をめぐる謎について、これまで多くの興味深い解答が出されてきた。ひとつは錬金術が、エジプトの神秘的な半身半人、ヘルメス・トリスメギストスによって人間に啓示されたというものである。手に不朽の「エメラルド表」をかかえながら、太古の靄のなかに浮かび上がったこの偉大な人物は、エジプト人にとってあらゆる芸術・学問の創始者であると信じられていた。</blockquote><p><a href="https://amzn.to/3UUVvdh" style="font-size: x-small;">『新版 象徴哲学体系Ⅳ 錬金術』</a><span style="font-size: xx-small;">(著/マンリー・P・ホール 人文書院)</span> </p></div><div style="text-align: left;"><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJx1hV84hyUB81_f5TmMivqypTSPPtRWzyMWm8C1ogaJ4iF0usFaVc6A2XLIGXGL9MnPDLeYsCKiWDxCKA7XtKY3RS-n45hobJwwKxVwNQN7Jm07WUcLFdE3e4rfoorXO0EyQIy9LaojzfLXJ6-xFZgdqFUO5DVoia5KPflcXqpzxuizwCHnpsKLJfk1dC/s746/8.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="736" data-original-width="746" height="316" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJx1hV84hyUB81_f5TmMivqypTSPPtRWzyMWm8C1ogaJ4iF0usFaVc6A2XLIGXGL9MnPDLeYsCKiWDxCKA7XtKY3RS-n45hobJwwKxVwNQN7Jm07WUcLFdE3e4rfoorXO0EyQIy9LaojzfLXJ6-xFZgdqFUO5DVoia5KPflcXqpzxuizwCHnpsKLJfk1dC/s320/8.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">シエナ大聖堂のモザイクにあるヘルメス・トリスメギストス(<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Hermes_Trismegistus#/media/File:Hermes_mercurius_trismegistus_siena_cathedral.jpg">Wikipedia</a>より)</span></td></tr></tbody></table><br /><br /></div><div style="text-align: left;">******</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"> 古代において、世界の多くの地域では、国家の成立と神話が密接に関係していたようです。言い換えると、権力者は「統治する権利を神から与えられた」というお墨付きが必要だったのでしょう。</div><div><br /></div><div><blockquote> 集団にとっても個人にとっても、宗教的信仰は欠かせないものであった。あらゆる人間共同体は、その存続のためには、一体感を維持して内部的不和から身を守り、結束力を強化して外からの脅威に対抗しなければならない。そのために求められる自己犠牲を市民たちに受け入れさせるには、抽象的な正当化や計算づくとは別のもの、すなわち、その社会的集団がそれ自身で個人を超えた高い価値をもっているのだという合理性を超えた信念が植えつけられなければならない。</blockquote></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://amzn.to/4a3PXkU">『ヘレニズム文化』</a>(著/フランソワ・シャムー 論創社)</span></div><div><br /></div><div> 紀元前5000~3000年頃に世界最古の都市国家が築かれ、文明が起こったとされるメソポタミア。そのシュメール文明では、どうやら「都市国家は神に作られたものだ」という建国に関する神話をがあったとのこと。</div><div><br /></div><div><blockquote>シュメールにおける原初の5都市のうち、天から与えられた4番目の都市シッパル、ほかラルサにおいても都市神を担い、両都市に神殿「エバッバル」を持つ[3]。シュメール人は太陽を白色と見ており、エバッバルは「白く輝く神殿[4]」の意を含み別名「白い家」とも呼ばれていた[5][※ 1]。</blockquote></div><div><br /></div><div> 紀元前1792年から紀元前1750年に、メソポタミアのバビロニア帝国の王だったハンムラビは、太陽の神であるシャマシュから王権を与えられたという話になっていたようです。</div><div> ハンムラビ法典碑には、その様子が刻まれています。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhAOeXrCFkBTj_reLNTTln_ubOcuza-f_BbwRKk6SohJqaFbQnr2VmRfvsfh-ikuG2A55J9m3f1JUy8sdgBpQkNnrhX5RTouQtkDh9u66gcbS-sALjX1WwIdjRsXIs7lT68RBi1r9MWe9FLHqseKBXcKoAUz7K7Ti8PeKMtvc5ERXXBnU8P6P7SKoV0InlX/s714/3.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="714" data-original-width="576" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhAOeXrCFkBTj_reLNTTln_ubOcuza-f_BbwRKk6SohJqaFbQnr2VmRfvsfh-ikuG2A55J9m3f1JUy8sdgBpQkNnrhX5RTouQtkDh9u66gcbS-sALjX1WwIdjRsXIs7lT68RBi1r9MWe9FLHqseKBXcKoAUz7K7Ti8PeKMtvc5ERXXBnU8P6P7SKoV0InlX/s320/3.png" width="258" /></a></div><div><span style="font-size: xx-small;"></span></div><blockquote><div><span style="font-size: xx-small;">ハンムラビ法典碑頂部に彫られたシャマシュ(向かって右側)とハンムラビ(向かって左側)。シャマシュがハンムラビに王権の象徴である「輪と棒」を与える場面。</span></div><div><span style="font-size: xx-small;">Luestlingとone more author - 投稿者自身による著作物</span></div></blockquote><div><span style="font-size: xx-small;"></span></div><div><br /></div><div> シュメール神話もバビロニア神話も多神教で、バビロニア神話についてはギリシア神話やローマ神話とリンクしているという情報がヒットしました。</div><div> ギリシア神話の神ヘルメスのルーツは、バビロニア神話のナブにあるようです。</div><div></div><blockquote><div>バビロニア神話の神</div><div>Nabu ナブ</div><div>水星を象徴する神</div><div>知恵と書記の神</div><div>運命の石板の保持者<span style="white-space: pre;"> </span></div><div><br /></div><div>ギリシア神話の神</div><div>Hermes ヘルメス</div><div>水星を象徴する神</div><div>知恵の神,伝令神</div><div>死出の旅路の案内者<span style="white-space: pre;"> </span></div><div><br /></div><div>ローマ神話の神</div><div>Mercurius メルクリウス</div><div>水星を象徴する神</div><div>知恵の神,伝令神</div><div>死出の旅路の案内者</div></blockquote><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5Hr00W1wSXrhZZ5oaSFjZAuVZF7eVyXD1c4D35NGiGtfgutTKCD9wUVFB4mK1elE1QZWuit-FXs-rFRlbCER0Lq8gRNIrst6Oz22vdza3TY5E2nN7ov5HYrRgDJji56JtmM-fFlhbZigxdjvAf3oza6aCuD3Vo3960knXtfObLZMzYnGJWQJ_5hnbyb7y/s943/2.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="841" data-original-width="943" height="285" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5Hr00W1wSXrhZZ5oaSFjZAuVZF7eVyXD1c4D35NGiGtfgutTKCD9wUVFB4mK1elE1QZWuit-FXs-rFRlbCER0Lq8gRNIrst6Oz22vdza3TY5E2nN7ov5HYrRgDJji56JtmM-fFlhbZigxdjvAf3oza6aCuD3Vo3960knXtfObLZMzYnGJWQJ_5hnbyb7y/s320/2.png" width="320" /></a></div><br /><p> </p><div></div><div><span style="font-size: x-small;">英語の曜日の由来 <a href="https://quasar.cc.osaka-kyoiku.ac.jp/~katsura/seven-days-names.html">https://quasar.cc.osaka-kyoiku.ac.jp/~katsura/seven-days-names.html</a></span></div><div><br /></div><div><br /></div><div> ところ変わってエジプトでも、エジプト古王朝が成立した紀元前3000年頃には神話があり、数多くの神が祀られていました。</div><div><br /></div><div> その一柱が知恵の神トト。鳥のトキの頭を持つ男性の神です。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh5bx4jIeBk5_V4cYSn69nDTrDMW5PuiSDhMtjAPdqLPduGqk4NIDTjQ_iUVFMVRlFMVrvJ_5NvfCbdUtiHyjuh6CeJww9mERkOnSYDUh9qsOeisMhJqSOddm08-OJ9kZL7SNLeEGOOzLffAnZOOEkeThLw9Q9gIyyh8FnUBQEKzgzo7c6S4bQ9-TwxGh_q/s1076/5.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1076" data-original-width="800" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh5bx4jIeBk5_V4cYSn69nDTrDMW5PuiSDhMtjAPdqLPduGqk4NIDTjQ_iUVFMVRlFMVrvJ_5NvfCbdUtiHyjuh6CeJww9mERkOnSYDUh9qsOeisMhJqSOddm08-OJ9kZL7SNLeEGOOzLffAnZOOEkeThLw9Q9gIyyh8FnUBQEKzgzo7c6S4bQ9-TwxGh_q/s320/5.png" width="238" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">トト(写真/<a href="https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33846695">Léon-Jean-Joseph Dubois</a>)</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div> 紀元前334年のマケドニア王アレクサンドロス3世の東方遠征(別の説では、アレクサンドロス3年が死亡した紀元前323年)から、プトレマイオス朝エジプトが滅亡した紀元前30年まで、ギリシア文化とオリエント(東方)文化が融合したヘレニズム文化が発展しました。</div><div> 「ヘレニズム」は「ギリシア風」という意味です。東方遠征の前は、アケメネス朝ペルシアの支配領域が広がっていました。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg1Ob6h-wuG2BlyTTDPE9nEeTK3wb6iEyZrZxd0W6Y02FQ8iCT0qmBQvp9c4vFlVTfhTuGvdndMSMprPoHkrNrV14oIZWAOcXZo-UyqoVOlHuWDmcH_l38IkZ_gE_GU0SyCHTar9Z6vUgXtlsNY8BPeTwWdSbmQ45v5K1k26WtcPDJ5dC6Pzgyyh-Q3arXO/s1200/3.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="900" data-original-width="1200" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg1Ob6h-wuG2BlyTTDPE9nEeTK3wb6iEyZrZxd0W6Y02FQ8iCT0qmBQvp9c4vFlVTfhTuGvdndMSMprPoHkrNrV14oIZWAOcXZo-UyqoVOlHuWDmcH_l38IkZ_gE_GU0SyCHTar9Z6vUgXtlsNY8BPeTwWdSbmQ45v5K1k26WtcPDJ5dC6Pzgyyh-Q3arXO/s320/3.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">アケメネス朝ペルシアの支配領域(<a href="https://en.m.wikipedia.org/wiki/File:The_Achaemenid_Empire_at_its_Greatest_Extent.jpg">Wikipedia</a>より)</span></span></td></tr></tbody></table><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiQQMqhzSbFdAHyly9woTFYzTiORPkKr1iYqNh_FXdXACBBo_21R-NLAH7mSjgoIqODgr3gzgnp9DxCF9tpotiSOD3T-CJFzR1OSIy2CiDgqRgLYqfiQ1z6XR8zvmtnEckJ383zG1beOudGRKN7YMYDMatHS6CE6fXnZ3Jkp8cH1-qluULSNgG7QnYCdEAZ/s1852/4.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="786" data-original-width="1852" height="136" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiQQMqhzSbFdAHyly9woTFYzTiORPkKr1iYqNh_FXdXACBBo_21R-NLAH7mSjgoIqODgr3gzgnp9DxCF9tpotiSOD3T-CJFzR1OSIy2CiDgqRgLYqfiQ1z6XR8zvmtnEckJ383zG1beOudGRKN7YMYDMatHS6CE6fXnZ3Jkp8cH1-qluULSNgG7QnYCdEAZ/s320/4.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">周辺地形(国土地理院地図より一部改変)</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> その勢力を押しのけて、さらにいえば「アケメネス朝ペルシアを倒してしまいたい」「世界をギリシア色に染めてしまいたい」という思いがギリシア人たちにはあったのかもしれません。ちなみにアレクサンドロス3世の子ども時代は、ギリシアの伝統に従う教育を受けさせられました。13~17歳のときに、ギリシアの哲学者であるアリストテレスがアレクサンドロス3世の教師だったのも、父王の方針です。</div><div><br /></div><div> このヘレニズム文化で、エジプトの神トトと、ギリシアの神ヘルメスが融合したのが、ヘルメス・トリスメギストスの第1段階。そこに、ローマの神メルクリウスが融合して、ヘルメス・トリスメギストスというキャラクターが生まれたようです。ちなみにメルクリウスとヘルメスのルーツは同じで、バビロニア神話の神ナブです。</div><div><br /></div><div> ヘルメスは、ギリシアの神のヘルメス。トリスメギストスについては、「3倍偉大な」「三重に賢い」という意味があるのだそうです。</div><div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh5bx4jIeBk5_V4cYSn69nDTrDMW5PuiSDhMtjAPdqLPduGqk4NIDTjQ_iUVFMVRlFMVrvJ_5NvfCbdUtiHyjuh6CeJww9mERkOnSYDUh9qsOeisMhJqSOddm08-OJ9kZL7SNLeEGOOzLffAnZOOEkeThLw9Q9gIyyh8FnUBQEKzgzo7c6S4bQ9-TwxGh_q/s1076/5.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1076" data-original-width="800" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh5bx4jIeBk5_V4cYSn69nDTrDMW5PuiSDhMtjAPdqLPduGqk4NIDTjQ_iUVFMVRlFMVrvJ_5NvfCbdUtiHyjuh6CeJww9mERkOnSYDUh9qsOeisMhJqSOddm08-OJ9kZL7SNLeEGOOzLffAnZOOEkeThLw9Q9gIyyh8FnUBQEKzgzo7c6S4bQ9-TwxGh_q/s320/5.png" width="238" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">トト(写真/<a href="https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33846695">Léon-Jean-Joseph Dubois</a>)<br /></span><br /></td></tr></tbody></table><div style="text-align: center;"><span style="font-size: x-large;">+</span></div></div><div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhQvLz_eDsynx2VgBQC7Wc6M6urYGKac_rIVIexS0GW5qXn7g5MjWgXRDZLPErDl9hlLjzhuuI9oIwh7Fh7Qsbc3UTzNeMwhj87GdLL3-WdOz_iR6sVj7M8jYNkcILxdmtM8tyXzRImhhEaptvyY3yxy3K5HNOKR8XzvYdpgcyPP6qYSmTqnbVcKfdHx9VU/s750/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="750" data-original-width="594" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhQvLz_eDsynx2VgBQC7Wc6M6urYGKac_rIVIexS0GW5qXn7g5MjWgXRDZLPErDl9hlLjzhuuI9oIwh7Fh7Qsbc3UTzNeMwhj87GdLL3-WdOz_iR6sVj7M8jYNkcILxdmtM8tyXzRImhhEaptvyY3yxy3K5HNOKR8XzvYdpgcyPP6qYSmTqnbVcKfdHx9VU/s320/1.png" width="253" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">ギリシア神話に登場するヘルメスは最高神ゼウスの息子(ローマ神話だとメリクリウスで、父神はユピテル 写真/<a href="https://www.pexels.com/ja-jp/@allecgomes/">Allec Gomes</a>)</span><br /><br /></td></tr></tbody></table><div style="text-align: center;"><span style="font-size: x-large;">=</span></div></div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJx1hV84hyUB81_f5TmMivqypTSPPtRWzyMWm8C1ogaJ4iF0usFaVc6A2XLIGXGL9MnPDLeYsCKiWDxCKA7XtKY3RS-n45hobJwwKxVwNQN7Jm07WUcLFdE3e4rfoorXO0EyQIy9LaojzfLXJ6-xFZgdqFUO5DVoia5KPflcXqpzxuizwCHnpsKLJfk1dC/s746/8.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="736" data-original-width="746" height="316" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhJx1hV84hyUB81_f5TmMivqypTSPPtRWzyMWm8C1ogaJ4iF0usFaVc6A2XLIGXGL9MnPDLeYsCKiWDxCKA7XtKY3RS-n45hobJwwKxVwNQN7Jm07WUcLFdE3e4rfoorXO0EyQIy9LaojzfLXJ6-xFZgdqFUO5DVoia5KPflcXqpzxuizwCHnpsKLJfk1dC/s320/8.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">シエナ大聖堂のモザイク画にあるヘルメス・トリスメギストス(<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Hermes_Trismegistus#/media/File:Hermes_mercurius_trismegistus_siena_cathedral.jpg">Wikipedia</a>より)<br /><br /></span></td></tr></tbody></table><div><br /></div><div> 上のような「足し算」でヘルメス・トリスメギストスが生まれたという話なのですが、鳥のトキの頭を持つトトがなぜこのような姿になったのかが不思議でした。</div><div> その謎の答えが、以下です。</div><div><br /></div><div><blockquote> 要するに、ヘレニズム時代、ギリシア人たちは自分たちの多神教のなかにさまざまな異民族の宗教を摂り入れたが、それは、あくまで、ギリシアの神々と同じ要望を帯びさせ、ギリシア古来の伝統的儀礼に合わせてのことであった。ギリシア人たちは、新しいものを快く受け入れたが、自分たちの伝統的なものと反する要素は除外し、あくまでギリシア的に装わせたのである。</blockquote><p><a href="https://amzn.to/4a3PXkU" style="font-size: x-small;">『ヘレニズム文化』</a><span style="font-size: x-small;">(</span><span style="font-size: x-small;">著/フランソワ・シャムー 論創社)</span></p><p><br /></p><p> 同じ現象は日本でも見られます。一例が、弁財天。</p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhld1t2A8u0QEhIuPtT4s1ORVd3pTj24xvXwoEaelqr1O4UkLJSUmR82U5nhoaPBcGYf1keOfr5Y_Tmv1X_ZKMRFy5ZZbhCyvsQWB2vLr1NxI0JB1YLQEP2T6PRjZ_BHBxjswZHPpTN6EQIqx-FTtpSjZpO58WTdI7SW79RaMomy_aY8RCoBO2thU3ENcdv/s597/3.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="597" data-original-width="499" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhld1t2A8u0QEhIuPtT4s1ORVd3pTj24xvXwoEaelqr1O4UkLJSUmR82U5nhoaPBcGYf1keOfr5Y_Tmv1X_ZKMRFy5ZZbhCyvsQWB2vLr1NxI0JB1YLQEP2T6PRjZ_BHBxjswZHPpTN6EQIqx-FTtpSjZpO58WTdI7SW79RaMomy_aY8RCoBO2thU3ENcdv/s320/3.png" width="267" /></a></div><br /> 弁財天のルーツは、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーといわれています。<p></p><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWPKMqWXH8Lv6Mdaphk3ra5fueobItwlbEZ9orgWRRrsxdK0XzG1w-KHSseDB4wJ4b7bWSypkDvBnY3-nFu9LUf7F1bSWBcm0F2W2-AlgZmY7R283xgKym5JdaaoUVVuVcXooFMOiXeVnlkdNVtOfT4YdJOse2d85ZFxn4hicg-FB-6vjkGAESUuBgZ8xq/s946/3.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="946" data-original-width="651" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWPKMqWXH8Lv6Mdaphk3ra5fueobItwlbEZ9orgWRRrsxdK0XzG1w-KHSseDB4wJ4b7bWSypkDvBnY3-nFu9LUf7F1bSWBcm0F2W2-AlgZmY7R283xgKym5JdaaoUVVuVcXooFMOiXeVnlkdNVtOfT4YdJOse2d85ZFxn4hicg-FB-6vjkGAESUuBgZ8xq/s320/3.png" width="220" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">サラスヴァティー(<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Goddess_Saraswati_by_Raja_Ravi_Varma,_1896.jpg">Wikipedia</a>より)</span></span></td></tr></tbody></table><p><b><span style="font-size: large;"> えっと、えっと、本当にルーツはこれ?</span></b></p><p> そんな感じもしますが、古い時代には当たり前の現象だったのでしょう。<br /></p><p> 古代ギリシアではさまざまな学問が誕生しますが、人生の悩みを学問で解決できると信じていたのは、少数の哲学者たちだけだったとのこと。</p><p></p><blockquote>大多数の人々は、彼らが示す推論などはほとんど気にもかけず、それよりも、ずっと容易で、はるか遠い先祖から行なわれてその有効性が証明されている確実な方法として、何らかの超越的力を信じて祈り、捧げ物を捧げる慣習に従った。</blockquote><p></p><p><a href="https://amzn.to/4a3PXkU" style="font-size: x-small;">『ヘレニズム文化』</a><span style="font-size: x-small;">(</span><span style="font-size: x-small;">著/フランソワ・シャムー 論創社)</span></p><p> 現在を生きる私たちも、朝の情報番組の占いコーナーで「今日の牡羊座のラッキーフードは焼きそば」などと紹介されたら、つい焼きそばを食べちゃいますよね。牡羊座は西洋占星術なのに、ラッキーフードが焼きそばという不思議はさておき、食べちゃうものなのです。</p><p><br /></p><p>○サラスヴァティー→弁財天<br />○ヘルメス+トト+メルクリウス→ヘルメス・トリスメギストス</p><p><span style="font-size: x-small;"><b>□参考文献</b><br /><a href="https://amzn.to/4cr55ee">『錬金術の歴史』</a>著/井上英洋 創元社</span></p></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-3300020998348238292024-03-07T12:28:00.003+09:002024-03-11T09:30:38.114+09:00 「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その3 硬貨と権力と錬金術<div style="text-align: left;"><blockquote>『世界コイン図鑑』には,西欧世界での最初の円形コインが,小アジア半島の西端に位置するリディアのエレクトロン貨である。初期のものはおよそ紀元前650年頃に作られている。エレクトロンと言うのは金と銀の自然合金であり,コインの表面にはライオンの頭部を描いているとの記述がある。</blockquote></div><div><a href="https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000227291"><span style="font-size: xx-small;">https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000227291</span></a></div><div><br /></div><div><br /></div><div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkDMnI1iJuFx7X0Zh0sF88UoVOfHJjsndDYW7I3qvvucfsKATijQAJxWuJ7g9ApOJ9OsYMedw8QER8YB_EcI_lB6AAHcMTmpdfMYdnsY8f7LJp2KVwFZ-KGiqOrFGpPMWhJM7jW8mVDmDxOp_rUhUnkW1uqWzL4xl36v1Yjjvl_ZOjuo5Wpv1XyiIuO-RI/s500/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="202" data-original-width="500" height="129" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkDMnI1iJuFx7X0Zh0sF88UoVOfHJjsndDYW7I3qvvucfsKATijQAJxWuJ7g9ApOJ9OsYMedw8QER8YB_EcI_lB6AAHcMTmpdfMYdnsY8f7LJp2KVwFZ-KGiqOrFGpPMWhJM7jW8mVDmDxOp_rUhUnkW1uqWzL4xl36v1Yjjvl_ZOjuo5Wpv1XyiIuO-RI/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">エレクトロン貨(写真/<a href=" http://www.cngcoins.com">Classical Numismatic Group</a>)</span></td></tr></tbody></table><div><br /></div></div><div> 紀元前8世紀から前6世紀末までの間には、ギリシア人とフェニキア人との交易システムができてきました。「フェニキア」は地中海東岸を指す地名です。現在のシリア、レバノン、イスラエルの北部に当たります。シドン、ビブロス(ジュベイル)、テュロスといった、独立した複数の都市国家があり、海上交易を行っていました。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiBLnZov7tj5p-z7_pOAZPYRk3A8Z6INF01g_bkzwR5BN6fbIixtYCVdwQOCzrg7sQ7R6aRtoIWEuJ0VSBWVPs-OArsRwYdNthaqeJmMMGhfoN292kjfMtjFZm2bh50T9lu1rHWNFioeH7Ae0bFedFfICFqDGO02eLjZiZMjw7eR_ExJ16maq1EY1zGutNE/s1154/%E5%9C%B0%E4%B8%AD%E6%B5%B7.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="610" data-original-width="1154" height="169" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiBLnZov7tj5p-z7_pOAZPYRk3A8Z6INF01g_bkzwR5BN6fbIixtYCVdwQOCzrg7sQ7R6aRtoIWEuJ0VSBWVPs-OArsRwYdNthaqeJmMMGhfoN292kjfMtjFZm2bh50T9lu1rHWNFioeH7Ae0bFedFfICFqDGO02eLjZiZMjw7eR_ExJ16maq1EY1zGutNE/s320/%E5%9C%B0%E4%B8%AD%E6%B5%B7.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">Googleマップより(一部改変)</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div> ギリシア人とフェニキア人が交易で利用していたのは、銀塊です。</div><div> 紀元前7世紀末から紀元前6世紀初めまでの間に、トルコ西部にあったリュディア王国で硬貨が発行されました。冒頭のエレクトロン貨です。</div><div><br /></div><div> そして紀元前6世紀後半には、近隣の都市やギリシアで硬貨の使用が広まり、エーゲ海の各都市国家で硬貨が鋳造されるようになっていきました。</div><div><br /></div><div> ローマでは、共和制ローマの初期に硬貨の鋳造が始まりました。アスという青銅貨とディドラクマという銀貨です。</div><div> 3回にも及ぶカルタゴとの戦争(ポエニ戦争)で、ローマは財政危機に直面します(カルタゴは、現在のチュニジア共和国の首都チュニス近郊にあったフェニキア人の都市国家)。そこで、銀貨が改鋳され、銀の含有量を減らして硬貨の数を増やし、兵士たちに支払いを行ったのです。そのため、人々は改鋳前の価値の高い(銀の含有量が多い)銀貨をため込んで、使わなくなりました。流通するのは価値の低い銀貨で、当然、インフレが起こったと考えられます。</div><div><br /></div><div> 紀元前211年、銀貨のデナリウス、ウィクトリアトゥス、クィナリウス、セステルティウスが発行されました。デナリウスの語源は「10個単位」という意味の言葉で、1デナリウスは青銅貨の10アスに相当しました。</div><div> 紀元前87年、当時の権力者であるスッラが戦争に勝ったことを記念して、金貨のアウレウスを発行されました</div><div> ガイウス・ユリウス・カエサルがガリアを征服したことで、金が手に入るようになり、金貨のアウレウスが大量に発行されて、流通しました。</div><div> </div><div> ローマ帝国の時代に入ると、293年(297年という説も)に皇帝のディオクレティアヌスが、エジプトで起きた反乱を鎮圧する際に、錬金術書を集めて廃棄し、錬金術を禁止しました。一説には、贋金の流布が硬貨の価値を下げるからではないかとされています。</div><div> また、313年に皇帝のコンスタンティヌス1世がキリスト教を公認しました。キリスト教神学以外は禁じられ、「邪教」の錬金術はヨーロッパで衰退することになります。</div><div><br /></div><div> 『クラナリ』編集人が調べた限りでは、錬金術師が硬貨を偽造したというエピソードは見つかりませんでした。硬貨=権力の象徴・信頼度といえるので、「権力に歯向かおう」とまでは錬金術師たちは考えてなかったのかもしれません。</div><div> ですから、ローマ皇帝のディオクレティアヌスが錬金術を禁止したのは、一種の八つ当たりのようにも見えます。インフレ対策が功を成さず、ローマ帝国の維持が難しい中で、ストレスがたまっていたに違いありません。</div><div><br /></div><div> ヘレニズム時代に盛り上がりを見せた錬金術は、ローマ帝国時代にヨーロッパで衰退しました。しかし、イスラーム世界で発展を遂げることになるのです。</div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><b>王政ローマ</b>(ところどころ省略)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前753年</span> 初代ローマ王ロームルスが建国</div><div><div>第2代 ヌマ</div><div>第3代 トゥッルス・ホスティリウス</div><div>第4代 アンクス・マルキウス 海沿いの都市オスティアを征服して、ローマに塩をもたらす→<span style="color: red;">塩が通貨の役割を果たす</span></div><div>第6代 タルクィニウス・プリスクス</div><div>第7代 セルウィウス・トゥッリウス</div></div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前509年</span> 第7代の王タルクィニウス・スペルブスが追放</div><div><br /></div><div><b>共和制ローマ</b>(ところどころ省略)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前509年</span> タルクィニウス・スペルブスを追放し共和制の開始</div><div>内戦や政治的対立の中で政情不安定</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前300年</span> <span style="color: red;">硬化の鋳造が始まる</span>(青銅貨アス、銀貨ディドラクマ)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前272年</span> イタリア半島の統一</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前264年~紀元前241年</span> 第一次ポエニ戦争(シチリア島を巡る、カルタゴとの戦争)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前219年~紀元前201年</span> 第二次ポエニ戦争(カルタゴのハンニバルによるローマ侵攻、シチリア島のシラクサのアルキメデスはローマ兵によって殺害)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前149年~紀元前146年</span> 第三次ポエニ戦争(カルタゴ滅亡)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前58年~紀元前51年</span> ガリア戦争(ガイウス・ユリウス・カエサルがガリア〈フランス、ベルギー、スイスなどの地域〉を征服し、共和政ローマの属州とした)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前45年</span> ガイウス・ユリウス・カエサルが終身独裁官に任命</div><div>アウレウス金貨を8.0gと規定</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前44年</span> ガイウス・ユリウス・カエサル暗殺</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前31年</span> アクティウムの海戦(カエサルの養子オクタウィアヌスがマルクス・アントニウスとクレオパトラに勝利)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前30年</span> オクタウィアヌスがプトレマイオス朝エジプトを征服</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前27年</span> ローマ元老院がオクタウィアヌスに全権と新しい称号「アウグストゥス」を与える→最初のローマ皇帝</div><div><br /></div><div><b>ローマ帝国</b>(年代は在位、ところどころ省略)</div><div><span style="color: #2b00fe;">紀元前27年~14年</span><span style="white-space: pre;"> </span>アウグストゥス</div><div><span style="color: #2b00fe;">54~68年</span> ネロ</div><div>アウレウス金貨を7.3gに減らす</div><div>大プレニウス(博物学者)</div><div><span style="color: #2b00fe;">96~98年</span> ネルウァ</div><div><span style="color: #2b00fe;">98~117年</span> トラヤヌス 領土拡大</div><div><span style="color: #2b00fe;">117~138年</span> ハドリアヌス 最盛期</div><div><span style="color: #2b00fe;">138~161年</span> アントニヌス・ピウス</div><div><span style="color: #2b00fe;">161~180年</span> マルクス・アウレリウス・アントニヌス 治世の後半は疫病や異民族の侵入</div><div><span style="color: #2b00fe;">177~192年</span> コンモドゥス 暗殺後は混乱</div><div><span style="color: #2b00fe;">3世紀</span> ガリア帝国とパルミラ帝国がローマ国家から分離</div><div>短命の皇帝が続出</div><div>激しいインフレ</div><div><span style="color: #2b00fe;">270~275年</span> アウレリアヌス 再統一</div><div><span style="color: #2b00fe;">284~305年</span> ディオクレティアヌス 専制君主制を確立、東西分裂(西ローマ帝国と東ローマ帝国=ビザンツ帝国に分かれる)</div><div>ソリドゥス金貨を発行 5.5g</div><div><span style="color: #2b00fe;">307~337年</span> コンスタンティヌス1世 キリスト教を公認</div><div>キリスト教を容認し国教とする→キリスト教徒に税金を払わせる(「信仰と税金」がリンク)→財政安定</div><div>ソリドゥス金貨の重さを4.5gに減らす</div><div><span style="color: #2b00fe;">379~395年</span> テオドシウス1世</div><div><span style="color: #2b00fe;">475~476年</span> ロムルス・アウグストゥルス 西ローマ帝国最後の皇帝、ゲルマン人の傭兵隊長だったオドアケルによって滅亡</div><div><span style="color: #2b00fe;">1449~1453年</span> コンスタンティノス11世パレオロゴス 東ローマ帝国(ローマ帝国)最後の皇帝</div><div><br /></div><div><br /></div><div><span style="font-size: x-small;"><b>■参考資料</b></span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://amzn.to/439AFsQ">『貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで』</a>著/カビール・セガール 早川書房</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://amzn.to/3TtFgTu">『脱税の世界史</a>』著/大村 大次郎 宝島社</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><div><a href="https://amzn.to/4bYMsy9">『錬金術の歴史』</a>著/井上英洋 創元社</div></span></div><div><span style="font-size: x-small;">Wikipedia</span></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-57604521465626103302024-03-01T17:16:00.005+09:002024-03-02T11:40:33.008+09:00 「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その2 「自然は真空を嫌う」<p> <span style="font-size: x-small;"> </span><span style="font-size: x-small;">※フリーランスの編集者・ライターである『クラナリ』編集人(バリバリの文系)は、腎臓に関する記事や書籍に携わる機会が多いため、それに関連していろいろと考察しています。素人考えですが。</span></p><div><span><div><div><span style="font-size: large;"><b>「自然は真空を嫌う」</b></span></div><div><blockquote>[由来] 紀元前四世紀のギリシャの哲学者、アリストテレスが、その著書「自然学」の中で述べた考え方から。たとえば、ポンプで水を吸い上げられるのは、ポンプが空気を抜いてできる真空を水が埋めようとするからだ、といった考え方です。</blockquote></div><div><span style="font-size: xx-small;">コトバンク<a href="https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%AF%E7%9C%9F%E7%A9%BA%E3%82%92%E5%AB%8C%E3%81%86-2236650">https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%AF%E7%9C%9F%E7%A9%BA%E3%82%92%E5%AB%8C%E3%81%86-2236650</a></span></div><div><br /></div><div> 真空には、次の2つの意味があります。</div><div><br /></div><div><b>真空</b>:「真空とは通常の大気圧より低い圧力の気体で満たされた空間の状態で、圧力そのものをいうものではない」日本工業規格(JIS)=<b>負圧</b>:標準的な大気圧(1気圧)より低い状態</div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: x-small;">真空の世界へようこそ|真空とはなに? </span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://showcase.ulvac.co.jp/ja/how-to/column-about-vacuum/post-32.html">https://showcase.ulvac.co.jp/ja/how-to/column-about-vacuum/post-32.html</a></span></div><div><br /></div><div>絶対真空:空間中に分子が一つもない状態、空っぽ(概念)</div><div><span style="font-size: xx-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: xx-small;">知ってるようで知らない!?「真空」をわかりやすく解説 </span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://agus.co.jp/?p=1726">https://agus.co.jp/?p=1726</a></span></div><div><br /></div><div> アリストテレス(紀元前384年~紀元前322年)の「自然は真空を嫌う」の「真空」は、空っぽの絶対真空を指していたようです。ちなみに、これはアリストテレス自身の言葉ではなく、後世の人々が彼の考えをそう表現したとのこと。</div><div><br /></div><div> 古代ギリシアでは、レウキッポスとデモクリトス(デーモクリトス、紀元前460~紀元前370年)が「原子論」を提唱しました。「原子(アトム)」が動き回るためには「空虚(ケノン)」、つまり絶対真空が必要と考えました。目には見えないアトムの運動で、自然界のさまざまな現象は説明できると主張したのです。</div><div> それに対して、アリストテレスは「自然は真空を嫌う」と述べて、原子論と絶対真空の存在を否定しました。物質は隙間(絶対真空)のない連続体でできていて、すべてが結びついていると考えたのです。</div><div><br /></div><div> アリストテレスの著書『形而上学』には、以下の用語が出てくるとのこと。</div><div><br /></div><div><b>形質</b>(エイドス):概念的な一種の設計図</div><div><b>質料</b>(ヒュレー):素材、材料</div><div><br /></div><div><b>第一質料</b>(プリマ・マテリア):何の形相を持たない純粋な質料</div><div><br /></div><div>第一質料+「冷・乾」→土</div><div>第一質料+「冷・湿」→水</div><div>第一質料+「熱・乾」→火</div><div>第一質料+「熱・湿」→空気</div><div><br /></div><div> 土・水・火・空気という四原質(四元素)で物質は構成されていて、それぞれを第一質料に戻すと別の元素に変化できると考えたようです。</div><div><br /></div><div>土-「冷・乾」→第一質料 第一質料+「冷・湿」→水 ということで、土→水 という構図でしょうか。</div><div><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiULxjXBXNN_G6q50xhElSIoHyMN6oGnYGm2BmQmp615U3MV1RJ7TS1Ezg5xwsLR2NI7mbLnVIGfp2l87YllFOhJQCvSNZPkIqgOJq1gwTK9ZWTn40_xIJPNcUlvO4EsvRUp5xMviNZHUA6mSzs2I8Biu_9KzI9krjPscvzr4yhUTP3dsftt5IA_yGbWg4b/s500/2.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="500" data-original-width="500" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiULxjXBXNN_G6q50xhElSIoHyMN6oGnYGm2BmQmp615U3MV1RJ7TS1Ezg5xwsLR2NI7mbLnVIGfp2l87YllFOhJQCvSNZPkIqgOJq1gwTK9ZWTn40_xIJPNcUlvO4EsvRUp5xMviNZHUA6mSzs2I8Biu_9KzI9krjPscvzr4yhUTP3dsftt5IA_yGbWg4b/s320/2.png" width="320" /></a></div><br /><div><br /></div><div><br /></div><div><blockquote>火、空気、水、土の4つを「単純物体」と呼び、ほかの物体はこれらで構成されていると考えた。しかし四元素を「いわゆる構成要素」と表現しており、最終的な構成要素ではないとしている。単純物体を構成する要素として、「熱・冷」「湿・乾」という二対の相反する性質を挙げ、これらの組み合わせによって成り立ちを説明した[12]。</blockquote></div><div><br /></div><div><blockquote>アリストテレスの物質観においては、任意の物質にたいして「熱・冷」「湿・乾」といった原理的には単純な操作を行い、四元素の配合を金と同じに変化させることができれば、金を作りだすことができると考えられるため、錬金術との相性が良く[13]、「硫黄=水銀理論」(または、これに塩(えん)を加えた三原質説)と並ぶ錬金術の基礎理論となった。ヨーロッパの錬金術師たちは、錬金術と占星術を結び付け、四元素と黄道十二宮は対応関係にあり、4つの基本性質、季節も黄道十二宮の支配を受けると考えた[4]。</blockquote></div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;">Wikipedia <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%85%83%E7%B4%A0#%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%9B%9B%E5%A4%A7">https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%85%83%E7%B4%A0#%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%9B%9B%E5%A4%A7</a></span></div></div><div><br /></div><div>□参考文献<br />『錬金術の歴史』著/井上英洋 創元社</div></span></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-7569068055696661172024-02-29T11:11:00.007+09:002024-03-10T18:08:57.119+09:00 「古代から17世紀まで、どうして錬金術に夢中になった人々がいたのか」 文系人間がまとめてみた その1 古代エジプトと金<p><span style="font-size: xx-small;"> <span>※フリーランスの編集者・ライターである『クラナリ』編集人(バリバリの文系)は、腎臓に関する記事や書籍に携わる機会が多いため、それに関連していろいろと考察しています。素人考えですが。</span></span></p><div style="text-align: left;"><span><div><blockquote>ケムはエジプトの地を指す古代の呼び名である。錬金術(アルケミー)と化学(ケミストリー)という言葉はいずれも「エジプトの学問体系」という意味である。</blockquote></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://amzn.to/3UUVvdh">『新版 象徴哲学体系Ⅳ 錬金術』</a></span></div><div><br /></div><div> ウィキペディアでは、「錬金術は、最も狭義には化学的手段を用いて卑金属から貴金属を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す」と説明されています。</div><div><br /></div><div> 単純化してしまうと、<b>鉛など金ではない金属から、金を作り出す方法が錬金術</b>です。</div><div> 現代を生きる私たちにとっては、「?」という荒唐無稽な話です。しかし古代から17世紀まで、多くの人々が本気で、真面目に錬金術に取り組んできたとのこと。</div><div><br /></div><div> どうしてそれほどまでに錬金術に夢中になったのでしょうか。まずは金の持つ意味について考えてみたいと思います。</div><div><br /></div><div> 人類が金を使うようになったのは、今から7000年前、つまり紀元前5000年頃の、エジプトのナイル川沿岸だったと考えられるようです。</div><div><br /></div><div><blockquote>金が発見されたのは、じつに古く、今から7000年前とも8000年前とも言われています。当時はもちろん金鉱石から金を取り出す(精製する)技術などあろうはずもなく、砂金として、あるいは砂金が発見された川の上流にある山などから、露頭の自然金(ナゲット)の形で発見されたものと思われます。</blockquote></div><div><span style="font-size: xx-small;">金の発見 三菱マテリアル</span></div><div><a href="https://gold.mmc.co.jp/primer/museum/08.html"><span style="font-size: xx-small;">https://gold.mmc.co.jp/primer/museum/08.html</span></a></div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh1rNEtJRxJ3808d9z-lrf6LOUmCaDlqlKi6fmRoHj-NP0r33ObouE3UsiFC5psk_aAgbB6_n26VfMcNlyVGaYPjbAIC_eazXAPZF_9moSbjW56a-YR87zzznmbMxOm8tlVJ1ShFe6FZ3q8Ky1_W4eCBks1Coxqos6zlsdzRazCFOKk62ld8xWXNlHzb6Dz/s497/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A-1.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="491" data-original-width="497" height="316" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh1rNEtJRxJ3808d9z-lrf6LOUmCaDlqlKi6fmRoHj-NP0r33ObouE3UsiFC5psk_aAgbB6_n26VfMcNlyVGaYPjbAIC_eazXAPZF_9moSbjW56a-YR87zzznmbMxOm8tlVJ1ShFe6FZ3q8Ky1_W4eCBks1Coxqos6zlsdzRazCFOKk62ld8xWXNlHzb6Dz/s320/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A-1.jpg" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">エジプト</span></td></tr></tbody></table><br /><p></p><blockquote> 米国の考古学者チームが、エジプトの砂漠地帯のオアシス、ファイユーム(Fayyum)で約7000年前の初期農耕時代の都市遺跡を発見した。</blockquote><p></p><blockquote><div><br /></div><div> 今回発見された遺跡は紀元前5200年から4500年の間の新石器時代もの。ハワス事務局長によると、電磁気調査を行ったところ、カラニス(Karanis)地区の地表下に城壁・道路網が存在することが判明。これらは、グレコ・ローマン(Greco-Roman)時代に建設されたものに似ているという。今回の調査により、テラコッタや加工石灰岩で作られた城壁や住居跡のほか、陶器、石窯、穀物貯蔵庫なども大量に発見されたという。</div></blockquote><div></div><div><span style="font-size: xx-small;">エジプトで約7000年前の都市遺跡を発見</span></div><div><a href="https://www.afpbb.com/articles/-/2343675"><span style="font-size: xx-small;">https://www.afpbb.com/articles/-/2343675</span></a></div><div><br /></div><div> ウィキペディアの内容をまとめると、古代エジプトの歴史は以下のとおりです。</div><div><br /></div><div><b>紀元前5千年紀~紀元前4千年紀</b> 都市が誕生</div><div><b>紀元前4千年紀末</b> エジプト第1王朝が成立</div><div><b>紀元前27世紀~紀元前22世紀</b> 古王国 ギザの大ピラミッド(クフ王)</div><div><b>紀元前21世紀~紀元前18世紀</b> 中王国</div><div><b>紀元前16世紀~紀元前11世紀</b> 新王国 黄金のマスク(ツタンカーメン)</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgeZRTqZVXZKNZozJfkyPPyh-LopYMeJDVnh4NtLON0Qya91AqmUbO4GX9O1bipKoti6RvhkqZWsc4YpFLkkNo1Ya6SBuY9TgJbpzOuUxkwwG7PeP9UZQPLNKoEBNS8gjaeckk4ShGpUjx1Vjti55prWnVV2AagXCCOKbq_1CqeAJSicmnJ9CBfMFLdQbtR/s2048/pexels-pixabay-33571.jpg" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="2048" data-original-width="1241" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgeZRTqZVXZKNZozJfkyPPyh-LopYMeJDVnh4NtLON0Qya91AqmUbO4GX9O1bipKoti6RvhkqZWsc4YpFLkkNo1Ya6SBuY9TgJbpzOuUxkwwG7PeP9UZQPLNKoEBNS8gjaeckk4ShGpUjx1Vjti55prWnVV2AagXCCOKbq_1CqeAJSicmnJ9CBfMFLdQbtR/s320/pexels-pixabay-33571.jpg" width="194" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">ツタンカーメンの黄金のマスク(写真/<a href="https://www.pexels.com/ja-jp/photo/33571/">Pixabay</a>)</span></td></tr></tbody></table><div><br /></div><div><br /></div><div> 古代エジプトでは金が権力の象徴で、王=金というように、王朝の成立と金との間に関係性があったのかもしれません。</div><div> 新王国の頃には、金細工職人がいた模様。</div><div></div><blockquote><div>エジプトのルクソール近郊で3500年前の墓が見つかり、金細工職人夫婦の像が発掘された。</div><div>発見場所は、ナイル川西岸のドゥラ・アブル・ナガ墓群</div><div>第18王朝時代の家族だ、と考古学者は語っている。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21164620V10C17A9000000/">https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21164620V10C17A9000000/</a></span></div><div><br /></div><div> 古代エジプトは「ケム」「ケミ」と、そしてミイラ作りや金細工などの技術は「アル・ケム」「アル・ケミア」と呼ばれて、これがalchemy(錬金術)とchemical(化学)の語源とのこと。冒頭の引用にも同様のことが書かれています。</div><div><br /></div><div><blockquote>古代エジプト語で,不毛な砂漠のことを「デシュレト(赤い土)」,ナイルの水が及ぶ耕地は「ケメト(黒い土)」と呼び分けていた。この「ケメト」はエジプトそのものを意味する時に用いられた。後世アラブ人はエジプトのことを古代名「ケム」「ケミ」で呼ぶことがあり,エジプトの古代魔術(ミイラ作りや神秘的な宗教儀式)や科学的な産物を「アル・ケム」「アル・ケミア」といった。これが,英語の alchemy(錬金術),chemical(化学)の語源になった。エジプトにおける砂漠と耕地の境界は,今でも赤と黒にはっきり分かれており,「赤」は不毛,死を,「黒」は生命力,肥沃を,そして,ケメトに芽吹く作物の「緑」は生命,再生,復活を象徴する色とされている。ケメトから姿を現すのが「フンコロガシ(スカラベ)」であり,創造神ケプリとして崇められ,生命力,再生,復活,そして太陽の運行を司る神とされた47)。</blockquote></div><div><span style="font-size: x-small;">「土」──その存在と多面的な役割(Ⅲ)──土の文化論──</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/56/2/56_125/_pdf/-char/ja">https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/56/2/56_125/_pdf/-char/ja</a></span></div><div><br /></div><div> メソポタミアについては、紀元前2600年頃のウルク第1王朝の王ギルガメシュの姿が、「人類最古の文学」と呼ばれている「ギルガメシュ叙事詩」で描写されています。</div><div> ギルガメシュ叙事詩では金について触れられていないようですが、エジプトの中王国に相当する紀元前2000年頃に、メソポタミアでも金は権力の象徴だったようです。古代シュメール人の王家の墓から、金を使った装飾品などが見つかっています。</div><div><br /></div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhHQJl7m3hjm7dGMAieDkvLBgN_WGvx25bqOXDrlAvTSxiq5xtEqBCwUjW3sDSioaamxHF-84HAjqORECjkUXc41IVdpaWjLGhINHgudtkB6mlDNcGLa6wgBWnZDkkUogCsdL58mYyvViTH_yJFJJ9u0_2sDsqD59NldnE7rH8rv0Ok6Xv9n81ATMVtU-DD/s945/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="945" data-original-width="800" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhHQJl7m3hjm7dGMAieDkvLBgN_WGvx25bqOXDrlAvTSxiq5xtEqBCwUjW3sDSioaamxHF-84HAjqORECjkUXc41IVdpaWjLGhINHgudtkB6mlDNcGLa6wgBWnZDkkUogCsdL58mYyvViTH_yJFJJ9u0_2sDsqD59NldnE7rH8rv0Ok6Xv9n81ATMVtU-DD/s320/1.png" width="271" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">紀元前2600年頃の古代都市ウル全盛期に生きていたとされるプアビ女王(復元)と頭飾り(Queen Puabi's Headdress、写真/<a href="https://www.penn.museum/collections/highlights/neareast/puabi.php">Penn Museum</a>)</span></td></tr></tbody></table><div><br /></div><div></div><blockquote><div>考古学者レオナード・ウーリーが、現代のイラクにあたる古代都市バビロンの南東225キロで、古代都市ウルの王家の墓を発見した。4000年以上前から無傷のまま残されていたメソポタミアの王墓は、世界最古の物語『ギルガメシュ叙事詩』を残した古代シュメール人が作ったものだった。</div><div><br /></div><div>神殿の周囲を掘ると、小さな黄金の遺物が次々に見つかった。</div><div><br /></div><div>青銅の武器と一緒に、ラピスラズリの柄がついた黄金の短刀が紛れていたのだ。その隣にあった黄金の袋の中には、やはり黄金で作られた楽器一式が納められていた。</div></blockquote><div></div><div><span style="font-size: x-small;">「偉大な死の穴」 メソポタミアの財宝と残酷な儀式</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.nikkei.com/article/DGXZQOLM090LF0Z00C22A5000000/">https://www.nikkei.com/article/DGXZQOLM090LF0Z00C22A5000000/</a></span></div><div><br /></div><div> 地中海沿岸では、紀元前2000年~紀元前1400年のクレタ(ミノア)文明の頃に、金の装飾品「アイギナの財宝」が作られたとされています。クレタ文明については、クノッソス宮殿が有名ですね。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiVxNIFoRsNBOK2GsIkMMgLAlz29PXeCbF_D9iNPJWy1WLT6ApVFxTjlP4rEHZl8CYfQrUcRS6NBpUCI6KHOL_tfzyXBty1TF-840GChLReg0or2eNd2EUz6kW7YG3X4lzz14Bv-DoP-VGkGRcGNjTCHFsLqiuOLXlGem_vGhVqByK0zTXUBDzvZfcMyYiG/s1138/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="899" data-original-width="1138" height="253" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiVxNIFoRsNBOK2GsIkMMgLAlz29PXeCbF_D9iNPJWy1WLT6ApVFxTjlP4rEHZl8CYfQrUcRS6NBpUCI6KHOL_tfzyXBty1TF-840GChLReg0or2eNd2EUz6kW7YG3X4lzz14Bv-DoP-VGkGRcGNjTCHFsLqiuOLXlGem_vGhVqByK0zTXUBDzvZfcMyYiG/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><span style="text-align: left;">アイギナの財宝</span>(Aegina treasure 02.jpg、写真/Einsamer Schütze)</span></td></tr></tbody></table><br /><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhKJbCB7j_T5JHQE0RGpN5Qk8-PqibXHI6jVORGiuvefLZwW1jFZvO3o8Vdvbfn0V9RnNGWILuPHBIs2ja88yU0e8U-Fx85LI8_AwLvhoYmj8EVF6rLXpjFulIrZHwK-SZcqlMfN_phfYFuTgksjAsH8wIFum7-q_Jn3os2VXHAIb439LJ-t8SVTEv874KC/s1008/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1008" data-original-width="756" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhKJbCB7j_T5JHQE0RGpN5Qk8-PqibXHI6jVORGiuvefLZwW1jFZvO3o8Vdvbfn0V9RnNGWILuPHBIs2ja88yU0e8U-Fx85LI8_AwLvhoYmj8EVF6rLXpjFulIrZHwK-SZcqlMfN_phfYFuTgksjAsH8wIFum7-q_Jn3os2VXHAIb439LJ-t8SVTEv874KC/s320/1.png" width="240" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><span style="text-align: left;">クノッソス宮殿(写真/</span><a href="https://www.pexels.com/ja-jp/@vassilis-st-356117022/">Vassilis St</a>)</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> また、金が物々交換に使われ、通貨の代わりも果たしていた可能性があります。</div><div><br /></div><div><blockquote>アナトリアの歴史考古学でいうところの「アッシリア・コロニー時代」(前 1950 年頃〜前 1719 年頃)(Kulakoğlu2011: 1019)1)、中央アナトリアでは、キュルテペ(Kültepe)/古代名カニシュ(Kanesh)を拠点とし、北メソポタミアの都市国家アッシュール(Aššur)との交易が盛んに行われていた(図 1)。その交易は、アッシュールから青銅の原料となる錫や織物などを輸入し、銀あるいは金で支払いを行うというものであった。金、銀などの金属鉱物資源を有するアナトリアで、当時、それらの採掘が行われていたことは確かである(Yener et al. 1996: 375)。</blockquote></div><div><span style="font-size: x-small;">中央アナトリア、アッシリア・コロニー時代における青銅製品について</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="http://jswaa.org/wp/wp-content/uploads/2019/06/JWAA17_137_Tsuneki.pdf">http://jswaa.org/wp/wp-content/uploads/2019/06/JWAA17_137_Tsuneki.pdf</a></span></div><div><br /></div><div><blockquote>西アジアでは古くから物品の価値を銀などの貴金属で換算していた。この習慣の中から、前7~前6世紀にトルコ西部にあったリュディア王国などで最初期のコイン(形状・重量・品質の定められた金属貨幣)が発行された。アケメネス朝は前6世紀半ばにリュディアを征服し、自国のコイン(金貨・銀貨)の発行を始めた。しかしコインの使用は貨幣制度が既に浸透していたギリシャ世界との接点、すなわち地中海側の帝国西部に偏り、その他の地では貴金属の秤量貨幣が用いられていた。その後、西アジアがアレクサンドロス大王とその後継者(セレウコス朝シリア)に支配されると、ギリシャ系コインが発行され、国がコインを発行する行為と貨幣経済が定着していく。アテネを中心とするアッティカの重量制度による銀貨が主流で、表に国王胸像、裏に神像、さらに王名や称号が打刻された。前3~後3世紀のアルサケス朝パルティアや3~7世紀のササン朝ペルシャはこの伝統を受け継ぎ、国の管理下に銀貨を中心に発行した。肖像や神像を刻む基本は同じだが、美術的表現、銘文、宗教観などに民族的特色が見てとれる。コインは経済的役割だけでなく国家や発行者である支配者自身を顕示する媒体としての役割も担っていた。</blockquote></div><div><span style="font-size: x-small;">ペルシャ歴代の王とコイン-アケメネス朝からササン朝を中心に-</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.osakamushis.jp/news/2007/persia/persia_item3.html">https://www.osakamushis.jp/news/2007/persia/persia_item3.html</a></span></div><div><br /></div><div> アケメネス朝ペルシアとギリシアとの間のペルシア戦争には、貨幣が関係していたという説があります。金と銀との交換ルートで、アケメネス朝ペルシアが損を被るから、「ギリシア、許すまじ(実際は、ペルシアの商人が悪いのですが……)」という空気になったと考えられます。</div><p> </p><blockquote><div><div>紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシアは全オリエントを統一し、強大な力を誇りました。ペルシアは金貨を鋳造し、領域内に流通させました。</div><div><br /></div><div>ペルシアの貨幣は極めて良質で、国王ダレイオス一世が鋳造させたダレイオス金貨は、不純物がわずか3パーセント以下でした。ギリシアの歴史家ヘロドトスは著書『歴史』の中で、「ダレイオスはできる限り純粋に精錬した金で貨幣を鋳造させた」と記しています。</div><div><br /></div><div>アケメネス朝ペルシアにおいて、金と銀の交換比率GSR(gold silver ratio)は1:13.3と定められました。</div></div></blockquote><div><div></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>同じ頃、ペルシアの西方で、エーゲ海交易圏の確立とともに、ギリシア各地でポリスと呼ばれる都市社会が興隆します。ミレトス、アテネ、スパルタ、テーベなどの都市です。</div><div><br /></div><div>ギリシアのGSRは、ペルシアとほぼ同じ水準で1:14でした。ところが、アテネで紀元前6世紀の半ば、ラウレイオン(ラウリウム)銀山の組織的な採掘がはじまり、独自の通貨ドラクマが鋳造されます。ドラクマはギリシア語で「摑む」という意味を持ちます。</div><div><br /></div><div>銀が大量に生産され、ギリシアの銀価格が値下がりし、急激な「金高=銀安」の状況が発生しました。この機に乗じて、ペルシア商人はギリシアで、金を割安な銀と交換し、為替差益を稼ぎました。</div><div><br /></div><div>そのため、紀元前6世紀末以降、ペルシアのダレイオス金貨が大量にギリシアへ流出しました。事実上の金本位制をとるペルシアにとって、看過できない深刻な事態でした。</div><div><br /></div><div>ペルシアの政権内部では、金の流出を食い止めるためにも、ギリシアを征伐するべきとの声が強まり、ペルシア戦争が始まります。紀元前480年、アテネ沖のサラミスの海戦で、海戦が得意なギリシアにペルシアは敗北します。</div><div><br /></div><div>以後、ペルシアの覇権は急激に失われ、紀元前4世紀後半には、ギリシア勢力を率いたアレクサンドロス大王がペルシアに攻め入り、これを滅ぼしました。</div></blockquote><div></div><div><span style="font-size: xx-small;">ペルシアvs.ギリシャに始まり、現代に続く覇権争い…貿易戦争の世界史</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://rekishikaido.php.co.jp/detail/8239">https://rekishikaido.php.co.jp/detail/8239</a></span></div><div><br /></div><div><br /></div></div><div> 上記とWikipediaをまとめると、次のとおりです。</div><div><br /></div><div><b>紀元前7世紀~紀元前6世紀</b> リュディア王国 金属貨幣「エレクトロン貨」を発行</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkDMnI1iJuFx7X0Zh0sF88UoVOfHJjsndDYW7I3qvvucfsKATijQAJxWuJ7g9ApOJ9OsYMedw8QER8YB_EcI_lB6AAHcMTmpdfMYdnsY8f7LJp2KVwFZ-KGiqOrFGpPMWhJM7jW8mVDmDxOp_rUhUnkW1uqWzL4xl36v1Yjjvl_ZOjuo5Wpv1XyiIuO-RI/s500/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="202" data-original-width="500" height="129" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhkDMnI1iJuFx7X0Zh0sF88UoVOfHJjsndDYW7I3qvvucfsKATijQAJxWuJ7g9ApOJ9OsYMedw8QER8YB_EcI_lB6AAHcMTmpdfMYdnsY8f7LJp2KVwFZ-KGiqOrFGpPMWhJM7jW8mVDmDxOp_rUhUnkW1uqWzL4xl36v1Yjjvl_ZOjuo5Wpv1XyiIuO-RI/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">エレクトロン貨(写真/<a href=" http://www.cngcoins.com">Classical Numismatic Group</a>)</span></td></tr></tbody></table><div><br /></div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgtUUakTWxo6AbaEXm6UV2eqV6PMHnoqNTeKu1H03rcVI68X-H3lolVfB-kcNA55ZnBHCQQ45XcjCVANT2ZTRFehigc_d1tzfTJNmsqCevMBhSAErjAE3pGFEJ6_hRmy38Nc7S9iZ7YWrWpjr4f0BB1wLyIvAYaoJEr3DoPe68swBgB942vMfM0CIw6ooLD/s315/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="207" data-original-width="315" height="207" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgtUUakTWxo6AbaEXm6UV2eqV6PMHnoqNTeKu1H03rcVI68X-H3lolVfB-kcNA55ZnBHCQQ45XcjCVANT2ZTRFehigc_d1tzfTJNmsqCevMBhSAErjAE3pGFEJ6_hRmy38Nc7S9iZ7YWrWpjr4f0BB1wLyIvAYaoJEr3DoPe68swBgB942vMfM0CIw6ooLD/s1600/1.png" width="315" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">紀元前550年頃にリディア王国のクロイソス王が発行した金貨(写真/BabelStone)</span></td></tr></tbody></table><div><b><br /></b></div><div><b>紀元前6世紀~3世紀</b> アケメネス朝ペルシャ 金貨・銀貨を発行</div><div><b>紀元前500年~紀元前449年</b> ペルシア戦争</div><div><b>紀元前331年</b> マケドニア王国のアレクサンドロス3世によって制圧→アケメネス朝ペルシャ滅亡</div><div><b>226~651年</b> ササン朝ペルシャ 銀貨を中心に発行した</div><div><br /></div><div> ここで、錬金術と関係が深いとされる人物が登場しました。<b>アレクサンドロス3世</b>です。そして、アレクサンドロス3世の家庭教師が、<b>アリストテレス</b>でした。</div><div> マケドニア王国は、ギリシアの北方にありました。当時のギリシアは、都市国家の間で騒乱が起こり、ペルシア戦争もあって、衰退期にありました。</div><div> 紀元前384年に、バルカン半島の東南のトラキア地方にあるスタゲイロスという都市で、アリストテレスは生まれました。当時、マケドニア王国の支配下です。</div><div> 紀元前342年、アリストテレスが42歳のときにマケドニア王から首都のペラに招かれました。そして、13歳のアレクサンドロス3世の家庭教師になります。アリストテレスは、アレクサンドロス3世が13歳のときから教え始めます。</div><div> 6年後の紀元前336年に、アレクサンドロス3世は王位に就き、その翌年に、アリストテレスはアテナイに戻りました。</div><div><br /></div><div> 紀元前332年に、エジプトでアレクサンドリアという都市が建設されました。このアレクサンドリアで、古代エジプトの金の加工技術と、アリストテレスの四原質(四元素)説が結びつき、錬金術が生まれたという説があります。 </div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;">§3 錬金術時代から純粋化学時代</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://subsites.icu.ac.jp/people/yoshino/alchemy.html">https://subsites.icu.ac.jp/people/yoshino/alchemy.html</a></span></div><div><br /></div><div> なお、紀元前2800年~紀元前600年の長江文明の、中国四川省広漢市の三星堆(さんせいたい)遺跡からは金の容器が発見されています。</div><div> そして、紀元前2500年~1533年と長く続いたアンデス文明では、金の装身具をつけた「パコパンパの貴婦人」と呼ばれる紀元前900年頃の女性権力者の墓が見つかっています。</div><div> 紀元前2500年~紀元前1500年のインダス文明は、「インダス文明からの金の出土はきわめて量が少ないが、シート状に敲き伸ばした小片を筒状. に丸めた小型のビーズなどが知られている」(インダス文明のビーズについて-覚え書き)とのこと。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;"><デジタル発>中国の「長江文明」丸ごと見せます 三星堆遺跡 古代の謎、次々解明</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.hokkaido-np.co.jp/article/731453/">https://www.hokkaido-np.co.jp/article/731453/</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: xx-small;">ジャガーの頭にヘビの胴体! アンデスで神官の墓発見 巨大金製首飾りも 民博調査団がペルーで発掘</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.sankei.com/article/20150911-PAD7GVYVTJLQPKFG6JB6L2MIJI/">https://www.sankei.com/article/20150911-PAD7GVYVTJLQPKFG6JB6L2MIJI/</a></span></div><div><br /></div><div> 洋の東西を問わず、私たちの祖先は金を貴重なものとして扱ってきたようです。キラキラが好きなのでしょうね。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: x-small;"><b>■参考文献</b></span></div><div><span style="font-size: x-small;">『中学生にもわかる化学史』(著/左巻健男 ちくま新書)</span></div></span></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-69660249424993950692024-02-26T12:00:00.009+09:002024-03-21T07:50:41.578+09:00そもそも、人間関係は「水物」 『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』<div style="text-align: left;"> 『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』(すばる舎)の著者は、精神科の中村恒子医師。1929年に広島県尾道市因島で生まれ、太平洋戦争末期に1人で大阪へ出てきました。</div><div style="text-align: left;"> その背景には、今でも地方には色濃く残る男性優遇がありました。中村医師の両親が弟2人を溺愛し、中村医師は愛情をかけられた記憶がなかったそうです。要は、一種の口減らしのために、中村医師は外に出されたわけです。</div><div> 中村医師が家庭を持ち、子育てしている間には、両親がパラサイトする形で同居が始まり、家庭の実権も握られた時期があったとのこと。</div><div><blockquote> 「今から考えると、そのとき両親は恐らく大阪に来たかったんでしょうなあ(笑)。溺愛している弟たちが徳島と東京の大学へ入っていたし、父親が仕事を定年退職していたので時間を持て余していたんやと思います」</blockquote></div><div><br /></div><div> 夫については、酒を飲み歩き、酔ってから家族に1時間も説教をするなど、とにかく、まあ、面倒な人物でした。</div><div><br /></div><div> そんな家庭での経験と、精神科医としての経験とが、言葉の一つ一つに表れていて、中村医師の書籍は累計30万部のベストセラーになっています。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgg0D5dExs-OGkkdClbpQyRCuKXxq3qTHcEmvhDUFJfC36dEmZ1I-uusgq1an8_TjuES4AT86mU4o7hX-YH4_grWZR1uNJWc3lwNa6YmE22IYqb1IYwFPHJewLW5lAvU0IFQosppWqLZFRQ4CDnQfDPSP7wjTOb9SlN55QvyQwJzXMjfO9K2-5wCWus1de/s640/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="424" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgg0D5dExs-OGkkdClbpQyRCuKXxq3qTHcEmvhDUFJfC36dEmZ1I-uusgq1an8_TjuES4AT86mU4o7hX-YH4_grWZR1uNJWc3lwNa6YmE22IYqb1IYwFPHJewLW5lAvU0IFQosppWqLZFRQ4CDnQfDPSP7wjTOb9SlN55QvyQwJzXMjfO9K2-5wCWus1de/s320/1.png" width="212" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://amzn.to/49KufCo">『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』</a></span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> 『クラナリ』編集人は、終末期医療の書籍編集の仕事が終わったところなので、『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』の中で人間関係について語られた言葉が印象に残りました。</div><div> 家族の中で誰かが終末期を迎えると、急に人間関係に波風が立ちます。疎遠になっていた兄弟姉妹、親類縁者がわらわらとやって来て、「ああするべきだ」「こうしてあげたい」など、やたら口出しします。</div><div> また、「小さい頃にひどい目に遭わされた」「えこひいきされた」「毒親だった」「実は恨んでいた」など、やたら過去が蒸し返されることも。</div><div><br /></div><div> そんな人間関係について、中村医師は「水物」といいます。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div> そもそも、人間関係は「水物」。</div><div> ほんのちょっとしたことでひっついたり離れたりするもんです。人間は己の利のあるほうへすぐ流れるし、時間や距離が離れて会わなくなると、縁もどんどん薄くなる。それが人間関係というものです。</div><div><br /></div><div> 血を分けた親子でも、兄弟でも同じ。</div></blockquote><div></div><div> 「己の利のあるほうへすぐ流れる」のが、人間という生き物の習性</div><div> 親類縁者だけでなく、職場や近所でも「人間は己の利のあるほうへすぐ流れる」ものだと、ある種のあきらめを持って付き合うと、心に折り合いがつけやすいのかもしれません。</div><div><br /></div><div> 家族のみならず、職場や近所などの人間関係で、傷つけられることも珍しくありません。これは「避けようがありません」と中村医師は語ります。</div><div> ですから、クヨクヨ悩んだり、ずっと傷ついたりしているよりも、「己の利のあるほうへすぐ流れる」人間の「身勝手」な言動ととらえて、その人たちとは「なんか事情があるんだね」「大変だね」と距離を置くとよさそうです。</div><div><br /></div><div><div></div><blockquote><div> ちょっとしたやりとりの中で、何かされたり、言われたり。これは、自分では避けようがありません。</div><div><br /></div><div> 「なんか意地悪したくなる事情があったんやろうなあ」</div><div> 「イライラして八つ当たりしてはっただけなんやろ」</div><div> 「なんか気の毒な人やなあ」くらいで解釈しておきましょう。</div><div> 実際、人が人を注意したり、怒ったりするときなんていうのは、だいたい身勝手なもんなんです。</div></blockquote><div></div></div><div><br /></div><div> 「親子だから」「兄弟姉妹だから」「同僚だから」「近所だから」といった理由で、「仲良くしなければならない」「打ち解けなければならない」という義務感を負う必要もないと中村医師は語ります。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div> 「こうあらねばならない」っちゅうのは、荷物みたいなもんです。</div><div><br /></div><div> 本当はそうしたくないのに、無理をして背負っているわけやから、どんどんと身動きが取れなくなっていきますわ。</div><div> そうすると、<b>「私はこんなに辛抱しとるんやから、あんたもこうあるべきや」と人に強要をしたりする</b>。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> はっとしました。「我慢している」「辛抱している」という被害者意識が強くなると、周りの人にも自分と同じ思いをさせようとしたがるものなのですね。</div><div><br /></div><div><blockquote> でもね、単純な話で、「こうあるべき」と強く思ってがんばりすぎているときは、「欲求不満」なことが多いんですわ。</blockquote></div><div> この「欲求不満」が、なかなか厄介。自分自身でも、「どうすれば欲求が満たされるのか」がよくわからないからです。不満は募るけれど、自分で対処するすべが見つからず、他人のせいにしてしまうのでしょう。親しい人を罵って縁を切ったり、転職や引っ越しで環境を変えたりしがちなのですが、「結局、どこに行っても一緒」と中村医師は語ります。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div> 結局、どこに行っても一緒なんやなあ。100%満足できる環境はないんです。</div><div> だから大事なのは、「今いる場所で、どうしたら己が快適に過ごせるのか」を中心に考えることやと思います。</div><div> 他人さんを変えて快適にするのではなく、「自分がどう動けば快適になるやろうか」「ここで気持ちよく過ごせるようになるやろうか」なんです。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> 「ここで気持ちよく過ごせる」ためのアドバイスがありました。</div><div><br /></div><div><blockquote> 合わない人やイヤな人には意識をできるだけ向けないで、楽しい人、ウマの合う人に意識と時間をできるだけ向けていると、どんな場所でもそれなりに長く居続けられるようになるものです。</blockquote></div><div> 嫌いな人は「あたりさわりなくやり過ごす」のが、中村医師流の対処法です。</div><div><br /></div><div> 中村医師とは別の人が語ったことなのですが、必要最小限の敬意を持って礼儀正しく接することが、「あたりさわりなくやり過ごす」方法とのこと。昔の貴族が、子どもの頃から礼儀作法をたたき込まれていたのは、そのためという説もあります。</div><div><br /></div><div> また、欲求不満の解消には、「自分は結局一人なんやと開き直っていく」ことがポイントになりそうです。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div> 自分は結局一人なんやと開き直っていくと、他人さんに対して必要以上に執着しなくなってきます。</div><div><br /></div><div> 誰かに対して無性に怒りが湧いたり、心がどうにも寂しさや悲しさを感じるというときは、そんなことを考えてみるとええかもしれませんね。</div></blockquote><div></div><div> 欲求不満は、怒り・寂しさ・悲しさとに言い換えられそうです。その原因には、他人への執着があるのでしょう。</div><div> 「他人が私をわかってくれない」「他人が私をきちんと扱ってくれない」という欲求不満が、怒り・寂しさ・悲しさという感情として表面化すると考えられます。</div><div><blockquote> でもね、人っていうのは、「~してくれ」ってしつこく言われてするのはイヤなもんなんです。</blockquote><p></p><blockquote> 自分のことを尊重してもらいたかったら、相手のことを尊重すること。単純やけど、とっても大切なことやと思います。 </blockquote><p></p><p> 本当にそのとおりです。<br /> 逆に、親子だから、兄弟姉妹だから、同僚だからなどの理由だけで、 「~してくれ」をこちらが受け止める必要もありません。</p><p></p><blockquote> 気持ちを入れすぎると大変やから、「みんな大変やなあ」くらいのいい距離感がいちばんやと思います。</blockquote><p></p></div><div> 「あなたも大変」「私も大変」、そして「あなたも結局一人」「私も結局一人」と線引きすると、いい距離感が取れそうです。</div><div> 場合によっては、離れるしかない人間関係や仕事もあるでしょうが、その際には「飛ぶ鳥後を濁さず」を心がけたいところです。</div><div><br /></div><div><blockquote> 「飛ぶ鳥後を濁さず」って言いますやろ。人間はどこでどんな縁でつながっているかわかりませんから、できるかぎり迷惑がかからんように整えて、やめるのが良いと思います。</blockquote></div><div><br /></div><div><br /></div><div> 欲求不満については、「努力で人生をコントロールできるという思い込み」「暇」も関係しているようです。</div><div><br /></div><div><blockquote> つまり、<b>どのタイミングでこうする、こんなことがしたいと計画しても、決してそのとおりにいかんのが人生</b>やと思います。</blockquote></div><div><br /></div><div> 本書が刊行された当時、中村医師は88歳。その重みを感じさせるのが「決してそのとおりにいかんのが人生」という一言です。</div><div> 私たちが受けた教育のせいか、日本での平和な日々のせいか、「勉強して賢く立ち回れば、うまくいく」「自分の努力次第」とつい考えがちです。SNSなどを使えば自分の思いどおりに他人を動かせる、世界も変えられると考えている人もいるような、いないような……</div><div><blockquote>なんというか、力が入りすぎてるんですわ。</blockquote></div><div><br /></div><div> がんばり次第という思い込みと、「決してそのとおりにいかんのが人生」という現実とのギャップで、欲求不満に陥るのでしょう。</div><div><br /></div><div><blockquote> あんまり大きな期待や思い入れを持ちすぎていると、失望したりイラつく原因になります。</blockquote></div><div><div><blockquote> もうこれは、私たちがちょっとあがいたところでどうしようもないことが多い。政治や経済がなんやかんやの前に、目の前の生活があって、自分を、家族を守っていかないとなりません。</blockquote></div><div><p> 前述の「こうあるべき」とも関係するのですが、仕事に対しては特に思い込みが強くなりがちなようです。 </p></div><div><blockquote> 「仕事は好きでなければいかん」「楽しくやらないかん」そんなふうにまじめに考える人もいるかもしれへんけど、そんな必要はまったくないんやと思います。</blockquote></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div> たとえば掃除や洗濯なんかも、大好きでやっている人は少ないでしょ。「生活のためにやっている」のと違いますか?</div><div> 仕事も同じですわ。</div></blockquote><div></div></div><div><br /></div><div> 「こうあるべきだ」「~してくれ」とつい思ってしまうのは、暇を持て余している証拠かもしれません。</div><div><br /></div><div><blockquote> 私の経験から言わしてもらうと、ウジウジとあれこれ考えないようにするには、暇をつくらないことに限ります。</blockquote></div><div> 暇だと、目の前の状況が延々と続くように錯覚しがちですよね。だからグチグチと欲求不満を垂れ流したり、ウジウジと考えたりしてしまうのです。</div><div> 中村医師は、「ゴールや期限を決めてみたらどうや」とアドバイスします。</div><div><br /></div><div><blockquote> 私が言いたいのは、夫婦関係だけでなく、辛抱が必要なときは、ゴールや期限を決めてみたらどうやということです。</blockquote></div><div><br /></div><div> 人生は自分の計画どおり進むものではないし、他人は自分の思いどおりに動くものでもありません。ですから、「辛抱はつきもの」。それを前提に、「同じ辛抱でも、いかにラクにできるか」と考え、「子どもが結婚するまでは離婚しない」と期限を決めるなど、自分に合う方法を見つけ出すと、「うまいことやる」ことができるのかもしれません。</div><div><br /></div><div><blockquote> 人生に辛抱はつきもの。できるだけ避けたいけど、己だけの問題ではないので、どうなるかわかりません。そう考えたら、「辛抱しない方法」ではなくて、「同じ辛抱でも、いかにラクにできるか」を考えるのがおすすめです。</blockquote></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-64030247078769092542024-02-22T16:49:00.004+09:002024-02-22T17:06:19.596+09:00SNSでも「書籍編集者・ライター」として活動することにしました<p> 2016年5月から「暮らしと生業をつくる『クラナリ』」としてTwitter(現・X)を利用してきましたが、これからしばらくの間は「書籍編集者・ライター」を使います。</p><p> できれば新しくアカウントを開設したかったのですが、エラーが発生し、やむなくプロフィール名を変更した次第です。無事にアカウントが開設できた暁には、元に戻したいと考えています。</p><p> </p><p> なお、アイコンの書体は同じで、やることもほとんど変わりません。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjtoYYqstDSZ3WwEr8Ye-DGTlsP-7AybTXc3r4Uas6UUrkBK6XHO9ZYVdlqXk1D5521WnTvVgKZVSN3Bob2gxEmmgPyYh-zXjX9YgtiYTxCNpoXRgjskgTa-3mibEWiCzIZbmaMBp1QayQLm7kuGMPShyphenhyphenaQpdENV6JE5qdoU6PRzMX6Qxzf3MBi1YD03MPz/s150/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="150" data-original-width="150" height="150" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjtoYYqstDSZ3WwEr8Ye-DGTlsP-7AybTXc3r4Uas6UUrkBK6XHO9ZYVdlqXk1D5521WnTvVgKZVSN3Bob2gxEmmgPyYh-zXjX9YgtiYTxCNpoXRgjskgTa-3mibEWiCzIZbmaMBp1QayQLm7kuGMPShyphenhyphenaQpdENV6JE5qdoU6PRzMX6Qxzf3MBi1YD03MPz/s1600/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3.png" width="150" /></a></div><br /><p><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitAGvmbG_pcgXB2A3k2Bvw3LBQfSyQTfp_hLFCjAOalsD1WnroNZcqIQIsRt_UKK5wu3DKUTGX9fAa-b9MvIF8h3oNTIhzaqupWEcDXtaXG1NZUakXU6wecUVjqfNEr5Gbo-WgdvvprSB8M8SsazgqpDsGSGk_iHFnGevRfhimUb_VTxDxiQfMga4GdVK_/s512/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3%E6%A3%AE%E7%9C%9F%E5%B8%8C.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="512" data-original-width="512" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitAGvmbG_pcgXB2A3k2Bvw3LBQfSyQTfp_hLFCjAOalsD1WnroNZcqIQIsRt_UKK5wu3DKUTGX9fAa-b9MvIF8h3oNTIhzaqupWEcDXtaXG1NZUakXU6wecUVjqfNEr5Gbo-WgdvvprSB8M8SsazgqpDsGSGk_iHFnGevRfhimUb_VTxDxiQfMga4GdVK_/s320/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3%E6%A3%AE%E7%9C%9F%E5%B8%8C.jpg" width="320" /></a></div><p> 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。</p>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-81259678978536913102024-02-20T11:30:00.006+09:002024-03-01T17:00:08.655+09:00 「原子とか、元素とか、どこがどう違うのかさっぱりわからない」問題を、 文系人間が考えてみた<p> <span style="font-size: x-small;">※フリーランスの編集者・ライターである『クラナリ』編集人(バリバリの文系)は、腎臓に関する記事や書籍に携わる機会が多いため、それに関連していろいろと考察しています。素人考えですが。</span></p><div><br /></div><div><br /></div><div><b>「原子とか、元素とか、もう、全部一緒でいいじゃないか……」</b></div><div><br /></div><div> そう思ったことはありませんか?</div><div> 「元素周期表」には、水素やヘリウムなどの原子が並んでいますよね。</div><br /><div><br /></div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgt3c67cWiP5d00GVdfIN-Fp6HLz7oKaO_rtBnwXb8LPMHjeLR6HaJsdz7kmrOHRKv3rMwvyQxldt_AlrgrDDKHesGyAMiL_RiJKPReKH1FlURcAYXyODpK0RqXbAxcDNkAKgmzA0TzNasPmjZ5WXPlvit9EsHdf-piF3GmTBctmZvQe8enTSCbVAr5I_1F/s1199/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="812" data-original-width="1199" height="217" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgt3c67cWiP5d00GVdfIN-Fp6HLz7oKaO_rtBnwXb8LPMHjeLR6HaJsdz7kmrOHRKv3rMwvyQxldt_AlrgrDDKHesGyAMiL_RiJKPReKH1FlURcAYXyODpK0RqXbAxcDNkAKgmzA0TzNasPmjZ5WXPlvit9EsHdf-piF3GmTBctmZvQe8enTSCbVAr5I_1F/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: x-small;"><a href="https://www.mext.go.jp/stw/common/pdf/series/element/element_b13s.pdf">「一家に1枚 元素周期表」</a>(文部科学省)</span></td></tr></tbody></table><br /><div> 原子=元素と思いませんか?</div><div> ……などと、勝手にキレかけていたときにヒットしたのが、東邦大学のサイト<a href="https://www.toho-u.ac.jp/sci/biomol/glossary/chem/atoms_and_chemical_elements.html">「原子と元素 (atoms and chemical elements)」</a>。</div><div><div><br /></div><div></div><blockquote><div> すべての物質は、非常に小さい粒子が集まってできている。物質を構成する基本的な粒子を原子という。原子は正の電荷を持つ原子核と、負の電荷を持つ電子でできている。さらに、原子核は正の電荷を持つ陽子と、電荷を持たない中性子でできている。原子核のもつ陽子の数を原子番号という。また、陽子と中性子の数の合計を質量数という。</div><div><br /></div><div> 物質中には異なった数の陽子を持つ原子が存在しているが、同じ数の陽子を持つ(つまり同じ原子番号の)原子は、同じ元素であるという。</div></blockquote><p> <span style="text-indent: 10.5pt;">原子は、正の電荷を持つ原子核(</span><span lang="EN-US" style="text-indent: 10.5pt;">nucleus</span><span style="text-indent: 10.5pt;">)と負の電荷を持つ電子(</span><span lang="EN-US" style="text-indent: 10.5pt;">electron</span><span style="text-indent: 10.5pt;">)からできています。<br /></span><span style="text-indent: 10.5pt;"> そして原子核は、正電荷を担う陽子(</span><span lang="EN-US" style="text-indent: 10.5pt;">proton</span><span style="text-indent: 10.5pt;">)と、電荷を持たない中性子(</span><span lang="EN-US" style="text-indent: 10.5pt;">neutron</span><span style="text-indent: 10.5pt;">)からできています。<br /> 陽子の正電荷と対応する数の電子が、原子には存在します。</span></p><p><span style="text-indent: 10.5pt;"> 例えば炭素だと、陽子の数は6</span><span style="text-indent: 14px;">(原子番号6番)</span><span style="text-indent: 10.5pt;">なので電子の数も6つ。ただ、中</span><span style="text-indent: 14px;">性子については5 ~8つ</span><span style="text-indent: 14px;">と違う場合があるのです。</span></p><p><span style="text-indent: 14px;"> 中性子の数が違う原子については、「炭素」という元素名に質量数</span><span style="text-indent: 14px;">(陽子と中性子の合計数)をくっつけて、「</span><span style="text-indent: 14px;">炭素11」、「炭素12」、「炭素 13」、「炭素</span><span style="text-indent: 14px;">14」などと呼ばれています。</span><span style="text-indent: 14px;"> ちなみに、</span><span style="text-indent: 10.5pt;">原子全体の質量は、陽子と中性子の数で決まります(電子の質量は陽子や中性子の約</span><span lang="EN-US" style="text-indent: 10.5pt;">1840</span><span style="text-indent: 10.5pt;">分の</span><span lang="EN-US" style="text-indent: 10.5pt;">1と、非常に軽いので</span><span style="text-indent: 10.5pt;">)。</span></p><p><span style="text-indent: 10.5pt;"> となると、元素は「炭素」、原子は</span><span style="text-indent: 14px;">「</span><span style="text-indent: 14px;">炭素11」、「炭素12」、「炭素 13」、「炭素</span><span style="text-indent: 14px;">14」ということになります。</span><span style="text-indent: 14px;">質量数が違っても陽子の数が同じなら同じ元素。</span></p><p><span style="text-indent: 14px;"> わかったような、わからないような……</span></p><p><span style="text-indent: 14px;"> ということで、時代をさかのぼって、それぞれの語源などを調べることにしました。</span></p><p style="text-indent: 14px;"> 「万物の根源は水である」</p><p style="text-indent: 14px;">古代ギリシアの哲学者である<b>タレス</b>(タレース、紀元前624年~紀元前546年)の言葉から、元素の話は始まるのではないでしょうか。<br /> ちなみに、万物の根源を示す古代ギリシア語は「アルケー(ἀρχή)」。beginning、originという意味だそうです。</p><p style="text-indent: 14px;"> となると、アルケーは、元素の英訳であるelementとはニュアンスが異なります。「世界が何でできているか」だとelement、「世界は何から始まったのか(何から変化して今の世界が出来上がっているのか」だとbeginning、originというところでしょうか。</p><p style="text-indent: 14px;">脱線すると切りがないので、話をアルケーに戻しましょう。</p><p style="text-indent: 14px;">タレスの縁者・弟子のアナクシマンドロス(紀元前610~ 紀元前546年)は万物の根源を「無限なるもの」(ト・アペイロン)、アナクシマンドロスの弟子であるアナクシメネス(紀元前585~紀元前525年)は空気(アエール)、またヘラクレイトス(紀元前540~紀元前480年)は火(ピュール)と考えたそうです。ちなみに「万物は流転している」という概念を生み出したのは、ヘラクレイトス。また、クセノパネスは、万物の根源が土だと主張したとされています。</p><p style="text-indent: 14px;">整理すると、次のとおり。</p><p style="text-indent: 14px;"><span style="color: #2b00fe;"><b>古代ギリシアの哲学者:主張した万物の根源(アルケー)</b><br />タレス:水<br />ヘラクレイトス:火<br />クセノパネス:土<br />アナクシメネス:空気</span></p><p style="text-indent: 14px;">こうした考えをもとに、エンペドクレス(紀元前490~紀元前430年)は<b>四元素論</b>を唱えました。火・空気(風)・水・土の4つの元素で、この世界の物質は構成されていると考えたのです。出ましたね、元素。</p><p style="text-indent: 14px;"><b>アリストテレス</b>(紀元前384年~紀元前322年)は、 アリストテレスが唱えた四原質説(四元素説)では、物質は火、空気、水、土の4つで構成されていて、土は「冷・乾」、水は「冷・湿」、空気は「熱・湿」、火は「熱・乾」の性質を持ち、また、土と水は「重さ」、空気と火は「軽さ」を持つとしました。</p><p style="text-indent: 14px;">このようなアリストテレスまでの流れと対立する形で、<b>原子論</b>を提唱したのが、レウキッポスと<b>デモクリトス</b>(デーモクリトス、紀元前460~紀元前370年)。</p><p style="text-indent: 14px;"> 原子論は、「自然はそれ以上分割できない最小単位としての原子(atom)から成り立つとする理論」とのこと。atomは、「分割できないもの」という意味なのだそうです。アルケーとは違いますね。</p><p style="text-indent: 14px;">原子は真空の中を絶えず動き回るとする原子論は、アリストテレスに批判されます。連続体であるアルケー元素説と、非連続のアトム原子論が相いれなかったという印象。</p><p style="text-indent: 14px;">その後、長い間、ヨーロッパではアリストテレスの考えが主流でしたが、ルネサンス期(14~16世紀)に原子論が見直され、普及したとのこと。</p><p style="text-indent: 14px;">フランスの化学者で「近代化学の父」と呼ばれているアントワーヌ・ラヴォアジエ(1743~1794年)は、1777年に燃焼とは空気の一成分と物質の結合であることを発見し、空気が酸素と窒素で構成されていることを明らかにしたほか、1785年に水の分解実験に成功。1789年に発表した『化学原論(Traité élémentaire de chimie、英訳するとElements of Chemistry)』では、物質の究極的な構成要素を<b>元素(élément)</b>と名付け、水素、酸素、窒素など33種類の元素のリストを掲載したとのこと。</p><p style="text-indent: 14px;">つまり、水や空気は「根源」ではなかったということです。 </p><p style="text-indent: 14px;">フランス語のélémentも、古代ギリシア語の(アルケー)も「元素」と訳したことから、自分のような文系人間には混乱が生じたのかもしれません。</p><div></div></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-58259125451617890862024-02-17T18:05:00.008+09:002024-02-18T09:09:59.273+09:00「進化へ向けての変化そのものは内から起きる」 『生きもの上陸大作戦 絶滅と進化の5億年』<div style="text-align: left;"></div><blockquote><div style="text-align: left;"> 四足動物の特徴の多くが、まだ水中にいる間に進化していたというなんとも興味深いことがわかってきているのです。その後を知っている私たちは、ついここで準備をしているように見てしまいますが、魚たちがその先を知っていたわけではない……進化を追う面白さです。</div><div> 進化は、最終的には環境に適したものが生き残るという選択がかかった結果が見えてくるので、環境への適応や自然選択こそ進化を語るものとして強調されますが、進化へ向けての変化そのものは内から起きるということがここから見えています。</div></blockquote><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://amzn.to/3I3hvLj">『生きもの上陸大作戦 絶滅と進化の5億年』</a>(著/中村桂子、板橋涼子 PHP研究所)</span></div><div><br /></div><div> 私たちは、つい、もっともらしいこと、偉い人が言っていること、自信ありげに断言されていること、なんだか格好がいいことを信じる傾向があります。こうしたことは、心理学の分野ではよく研究されているようです<span style="font-size: xx-small;">(<a href="https://life-livelihood.blogspot.com/2022/05/blog-post_54.html">他人のもろさを見抜いて操る人々! 彼らが使う心理テクニックを知ることも大事</a>)</span>。</div><div><br /></div><div> よく取り上げられるのが、ダーウィンが言ったとされる言葉。</div><div>「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」</div><div><br /></div><div> いやあ、格好いいですよね。でも、ダーウィンではなく、アメリカの経学者であるレオン・メギンソンによるものです。</div><div> 『種の起源』を読んでみたのですが、まだるっこしいというか、なんというか……</div><div> 訳者も「ダーウィンとはそのような文章を書く人だ」と述べていました。</div><div><br /></div><div> ⽇本⼈間⾏動進化学会は、次のように警告しています。</div><div><blockquote>しかしダーウィンの著した⽂献にこのような記述はなく、メギンソン(Leon C. Megginson) が⾃⾝の解釈として述べた⽂章が、あたかもダーウィンが主張したかのように誤って流布したものだと指摘されています(引⽤ 2、3)。また、進化論は変化できる者のみが⽣存できるとは主張していないのです。進化は「集団中の遺伝⼦頻度の変化」のことであり、個体の変容に関する⾔及ではありません。さらに、すでに述べたように、⽣物の進化のありようから、⼈間の⾏動や社会がいかにあるべきかを主張することは、論理的な誤りです。</blockquote></div><div><a href="https://www.hbesj.org/wp/wp-content/uploads/2020/06/HBES-J_announcement_20200627.pdf"><span style="font-size: xx-small;">https://www.hbesj.org/wp/wp-content/uploads/2020/06/HBES-J_announcement_20200627.pdf</span></a></div><div><br /></div><div> 生物の陸上への進出も、一つの進化といえますが、あえて、そしてわざわざ「変化に適応した」というよりも、たまたま現在の環境で変わったものが、環境の変化の中で生き残りやすかったという偶然の産物かもしれません。</div><div><br /></div><div> ここでは、生物の陸上への進出と、またも腎臓について、調べてみたいと思います。</div><div><br /></div><div> 生物が陸上に進出したのは、古生代です。 そんな古生代とは、いつなのでしょうか。</div><div> デジタル大辞泉には、次のように説明されていました。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>こせい‐だい【古生代】</div><div>読み方:こせいだい</div><div><br /></div><div>地質時代を三大区分したうちの、最初の時代。5億7500万年前から2億4700万年前まで。古い順に、カンブリア紀・オルドビス紀・シルル紀・デボン紀・石炭紀・ペルム紀の六紀に区分される。海生の無脊椎動物が栄え、後半には魚類・両生類も発展した。植物では藻類・シダ類が栄えた。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div>カンブリア紀:5億7500万年前から5億900万年前まで</div><div>オルドビス紀:5億900万年前から4億4600万年前まで。オウムガイの全盛期で、三葉虫(さんようちゅう)や筆石(ふでいし)が発展し、甲冑魚(かっちゅうぎょ)が出現した。</div><div>シルル紀:4億4600万年前から4億1600万年前まで。海中では筆石(ふでいし)・珊瑚(さんご)・三葉虫が栄え、陸上では下等なシダ類が出現した。</div><div>デボン紀:4億1600万年前から3億6700万年前まで。魚類やシダ植物が繁栄し、両生類が出現した。</div><div>石炭紀:3億6700万年前から2億8900万年前まで。巨大なシダ植物が大森林を形成し、両生類が栄え、爬虫類・昆虫類が出現。海中では珊瑚(さんご)・紡錘虫などが栄えた。</div><div>ペルム紀:2億8900万年前から2億4700万年前まで。両生類・紡錘虫が繁栄し、裸子植物が発展しはじめた。南半球には広く氷河が発達した。</div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div> 両生類が出現したデボン紀が、すなわち、脊椎動物の陸上への進出した時期となります。</div><div> 海の中で誕生した生物にとって、周囲に水も食塩(NaCl)もない環境に適応するために、腎臓が発達したと考えられています。</div><div><br /></div><div> ただ、腎臓の発達の第一段階は、陸上進出よりも前の、川への進出があるようです。</div><div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh4wKEIVhC-aFEhvGx_pJ54lX9MI__OIO_4U4QRFH7mmn3fK6z8l2htIXZnUddGm5UFFHaRUugqCjLs4tJfLE48inshj1VtVvc5XgkAsOGxK1tbPyOQfS_JANHsNO0A_zwfyJQ1VKPI1kTgOC3WzfYo4yOqDmHJyHfDKDLCeYNdoiuLrcbagh5B4y8oCblZ/s1200/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="614" data-original-width="1200" height="164" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh4wKEIVhC-aFEhvGx_pJ54lX9MI__OIO_4U4QRFH7mmn3fK6z8l2htIXZnUddGm5UFFHaRUugqCjLs4tJfLE48inshj1VtVvc5XgkAsOGxK1tbPyOQfS_JANHsNO0A_zwfyJQ1VKPI1kTgOC3WzfYo4yOqDmHJyHfDKDLCeYNdoiuLrcbagh5B4y8oCblZ/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">古生代の水生生物(<a href="http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/">Wikipedia</a> 原作/Dave Souza)<br /><br /></span></td></tr></tbody></table></div><div><br /></div><div><b>脊椎動物、上陸までの軌跡</b> ※元データについては、文末に記載</div><div><br /></div><div>5億2000万〜5億500万年前(カンブリア紀~オルドビス紀):脊索動物から脊椎動物への進化</div><div><br /></div><div>4億6000万年前(オルドビス紀~シルル紀):<b>アランダスピス</b> 魚類の進化の初期段階、あごがない(無顎類)</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEguJ6qDsHA0bCZgM71obTIddalQCuL-joTp_EIQk6Qbk5JbyIJ5Z7FjPZY4FvPhluKY_zYfQ3CUDUGCv7d1XumdnyDRdPGyhZCtT6-rIsfy-Pr-s_RNhuhCnmGXBCSAdGfoicrGnSxaUwsqnVQDJu_jGdx_mWUxTe3CUUD_5Ae2W0HNwaSJ7W2j2QOFJjiB/s529/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="212" data-original-width="529" height="128" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEguJ6qDsHA0bCZgM71obTIddalQCuL-joTp_EIQk6Qbk5JbyIJ5Z7FjPZY4FvPhluKY_zYfQ3CUDUGCv7d1XumdnyDRdPGyhZCtT6-rIsfy-Pr-s_RNhuhCnmGXBCSAdGfoicrGnSxaUwsqnVQDJu_jGdx_mWUxTe3CUUD_5Ae2W0HNwaSJ7W2j2QOFJjiB/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">体長が15センチメートルほどだったとされるアランダスピス(<a href="http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/">Wikipedia</a> 原作/<a href="http://spinops.blogspot.com)">Nobu Tamura</a> )</span><br style="font-size: x-small;" /></td></tr></tbody></table><div><br /></div><div>4億年前(デボン紀):<b>プテラスピス</b> 川に進出、腎臓を持つ魚類</div><div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhopc_YOvfFbJJJX1EK3gSBI7ZP8DqFih8_8flmEtPkUVYK_AfQ9VEyfGKbgZ0Dtnv5KYeoY_MZkwGQ_0camKdMYCajBgvAnqzYJhRkdveQ6Fwr6yW-4X6p_2Zmt7UDHTeQP4BjBBHHlHd6G-whrjQJhyyNJRK64RThhT9xOYS8CgzSxiapVBlGZOx7M33S/s759/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="453" data-original-width="759" height="191" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhopc_YOvfFbJJJX1EK3gSBI7ZP8DqFih8_8flmEtPkUVYK_AfQ9VEyfGKbgZ0Dtnv5KYeoY_MZkwGQ_0camKdMYCajBgvAnqzYJhRkdveQ6Fwr6yW-4X6p_2Zmt7UDHTeQP4BjBBHHlHd6G-whrjQJhyyNJRK64RThhT9xOYS8CgzSxiapVBlGZOx7M33S/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">体長25センチメートルほどのプテラスピス(<span face="sans-serif" style="background-color: #f8f9fa; color: #54595d; text-align: start;">Vladislav Egorov</span>〈<span face="sans-serif" style="background-color: #f8f9fa; color: #54595d; text-align: start;">3D model〉, Jaagup Metsalu</span>〈render〉)<br /><br /></span></td></tr></tbody></table></div><div>3億8500万年前(デボン紀):<b>エウステノプテロン</b> 肺を持つ、現生の多くの脊椎動物・四肢動物の祖先、胸びれ・背びれ・腹びれ・尾びれのつけ根に3本の骨がある</div><div>3億8000万年前(デボン紀):<b>パンデリクティス</b> 頭が大きい</div><div>3億7500万年前(デボン紀):<b>ティクターリク</b> 魚類(ひれ・うろこがある)と陸生動物(頭が扁平、胸びれに骨=原始的な手首がある)の特徴を併せ持つ、「腕立て伏せのできる魚」</div><div>3億6750~3億6250万年前(デボン紀):<b>イクチオステガ</b> 最古の両生類、指が7本</div><div>3億6500~3億6000万年前(デボン紀):<b>アカントステガ</b> 原始的な四肢動物、水生動物、四肢と尾を持つ、指が8本</div><div><br /></div><div><br /></div><div> 冒頭の引用に出てくる「進化へ向けての変化そのものは内から起きる」という文章は、アカントステガ<span style="font-size: x-small;">(『生きもの上陸大作戦 絶滅と進化の5億年』だと「アカンソステガ」)</span>と関係しています。ウィキペディアには、次の記述があります。</div><div><blockquote>アカントステガは浅瀬や植物の茂った湿地に住んでいて、脚は地上を歩くこと以外の目的で使われたと推測される。Clackは、アカントステガは手足を得て陸上を這っていたというよりも魚から進化しつつあった水生動物であるという解釈を示している。</blockquote><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhvsGXClxZ_XK6YqUHgQkUwHCD_dteZx2m8sCpi3gRs0Lx0CnSwWF4uLvkU7HcVy1uKLbRBDT-Z4wr5p9BaYLAufrG9eKgJW5mLg0PgTEXvopNhdKJO_lsUp1vNmPUNv_GFkUiXitz8mv2pQAHl6h9uMT_u4_sTqzsQoPJgIkNqYZJ7aK0paIWBSlF9oC16/s1280/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="886" data-original-width="1280" height="222" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhvsGXClxZ_XK6YqUHgQkUwHCD_dteZx2m8sCpi3gRs0Lx0CnSwWF4uLvkU7HcVy1uKLbRBDT-Z4wr5p9BaYLAufrG9eKgJW5mLg0PgTEXvopNhdKJO_lsUp1vNmPUNv_GFkUiXitz8mv2pQAHl6h9uMT_u4_sTqzsQoPJgIkNqYZJ7aK0paIWBSlF9oC16/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><span style="text-align: left;">アカントステガの復元模型(<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%AC">Wikipedia</a>、原作/</span>Dr. Günter Bechly )</span></td></tr></tbody></table><p></p></div><div> 以前は「陸上生活を送るために、魚類のえらが四肢に変化した」という説が主流だったようです。しかし、アカントステガは四肢があるにもかかわらず、川の浅瀬などで水中生活を送っていたとされています。陸上=四肢という、なんだかもっともらしい話と、アカントステガの化石が示していることとは違っていたようですね。</div><div><br /></div><div> では、腎臓はどうかというと、現在のところ、海から川へ進出したプテラスピスという魚類の出現の際にできたと考えられているとのこと。</div><div> ウィキペディアで紹介されている、プテラスピスのビジュアルが、なんか変。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhopc_YOvfFbJJJX1EK3gSBI7ZP8DqFih8_8flmEtPkUVYK_AfQ9VEyfGKbgZ0Dtnv5KYeoY_MZkwGQ_0camKdMYCajBgvAnqzYJhRkdveQ6Fwr6yW-4X6p_2Zmt7UDHTeQP4BjBBHHlHd6G-whrjQJhyyNJRK64RThhT9xOYS8CgzSxiapVBlGZOx7M33S/s759/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="453" data-original-width="759" height="191" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhopc_YOvfFbJJJX1EK3gSBI7ZP8DqFih8_8flmEtPkUVYK_AfQ9VEyfGKbgZ0Dtnv5KYeoY_MZkwGQ_0camKdMYCajBgvAnqzYJhRkdveQ6Fwr6yW-4X6p_2Zmt7UDHTeQP4BjBBHHlHd6G-whrjQJhyyNJRK64RThhT9xOYS8CgzSxiapVBlGZOx7M33S/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">プテラスピス(<span face="sans-serif" style="background-color: #f8f9fa; color: #54595d; text-align: start;">Vladislav Egorov</span>〈<span face="sans-serif" style="background-color: #f8f9fa; color: #54595d; text-align: start;">3D model〉, Jaagup Metsalu</span>〈render〉)</span></td></tr></tbody></table><br /><div> 顔に角が生えているように見えます。体長は25センチメートルほどとのこと。フナぐらいの大きさになるのでしょうか。</div><div> 食塩が含まれる海水から、淡水へと進出する際に、頭部は硬くなり、胴体はうろこで覆われたようです。プテラスピスの体内は、私たち人間と同様、塩分濃度が高くなっています。防御なしに川に入ると、周囲の濃度と同じになるまで、体内に水が引き寄せられて細胞が膨張してしまい、生命活動が維持されなくなります。</div><div> そのため、うろこが体内と体外を分けるために必要となったのでしょう。</div><div><br /></div><div> また、呼吸のために口から水を取り込みます。水を排出させて体内の塩分濃度を一定に保つ(ホメオスタシス)のために、腎臓が発達したと考えられているようです。</div><div><br /></div><div> うろこをまとい、腎臓を発達させるといった面倒なことを、なぜ行ったのでしょうか。</div><div> 当時の海には、オウムガイという捕食者がいて、それから逃れて生き延びるために、川へと進出したという説があります。</div><div> オウムガイは「生きた化石」と呼ばれていて、現在も生き残っています。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgpDX4APRkTaZBBNCHnN7JETAdwuUq_2CqzXOvzQicS6uBMYFxWaNZqaJmcGFmyMxeJQuW93AQHkSAwSmqE8hJ8fy7LBYsDtqWyE3btB-QuF1WN5HNZs8CO5WoiFQIMsNV00ESlCuj2cvn18uE4kpR_StbDa6cczerbGm4yZH1ovFoS7Owy1St9Fw9RM9HJ/s768/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="511" data-original-width="768" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgpDX4APRkTaZBBNCHnN7JETAdwuUq_2CqzXOvzQicS6uBMYFxWaNZqaJmcGFmyMxeJQuW93AQHkSAwSmqE8hJ8fy7LBYsDtqWyE3btB-QuF1WN5HNZs8CO5WoiFQIMsNV00ESlCuj2cvn18uE4kpR_StbDa6cczerbGm4yZH1ovFoS7Owy1St9Fw9RM9HJ/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">体長20センチメートルほどのオウムガイ(<a href="https://www.moaru.net/715">もある</a><span style="text-align: left;">、撮影/</span>みなみちゃん)</span></td></tr></tbody></table><br /><div><div> <a href="http://www.museum.tohoku.ac.jp/past_kikaku/ammonoidea/whats/index.htm">東北大学総合学術博物館のサイト</a>によると、オウムガイは、カンブリア紀に海に現れました。最初はまっすぐな角のような細長い円錐形だったとのこと。</div><div>その後、デボン紀に渦巻き状に巻いた、現在の形に近いものが現れました。</div><div><br /></div><div> アンモナイトは、デボン紀の一つ前のシルル紀に、オウムガイから分かれる形で現れました。デボン紀以降は多くの種類を増やし大繁栄したものの、中生代の終わりの白亜紀末に絶滅。</div><div><br /></div><div> なお、アンモナイトとオウムガイの違いについては、<a href="https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000314259#:~:text=p.66%2D67%20%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88,%E3%81%A8%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82">レファレンス協同データベース</a>に記載されています。</div><div><br /></div><div> アンモナイトの絶滅は、6600万年前に小惑星が地球に衝突したことで起こった気候変動が関係しているとのこと。このときに恐竜も絶滅したと、<a href="https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2016/07/press20160714-01.html">東北大学のプレスリリース</a>に書かれています。</div><div> 小惑星が衝突したのはメキシコのユカタン半島で、突然の出来事だったのでしょう。生物は衝突など予測せず、ただ生きていて、たまたま衝突のショックに耐えられた生物が私たちの祖先になったということでしょう。まさに「絶滅と進化の5億年」。</div><div> 「生物が生き残る意志を持って、自らを変えた」的な表現は、格好はいいのですが、やはり現実は違うようですね。</div></div><div><br /></div><div> ちなみに、『生きもの上陸大作戦 絶滅と進化の5億年』は<a href="https://www.brh.co.jp/">JT生命誌研究館</a>の展示「生きもの上陸大作戦」をベースに作られた模様。サイトが充実しているので、お勧めです。</div><div><br /></div><div>■生きもの上陸大作戦</div><div><a href="https://www.brh.co.jp/exhibition_hall/hall/living-things-gain-ground/">https://www.brh.co.jp/exhibition_hall/hall/living-things-gain-ground/</a></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div>※「脊椎動物、上陸までの軌跡」について</div><div> ネット上には、次のデータがあります。土肥 眞医師が作成したものです。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>魚類の進化:上陸への1億年の軌跡</div><div><br /></div><div>4億6000万年前:最初の魚類:アランダスピス</div><div>4億年前:腎臓を持つ魚類:プテラスピス</div><div>3億9000万年前:脊椎を持つ最初の魚類:ケイロレピス</div><div>3億7500万年前:ティクターリク (魚類と両生類の中間:関節のある鰭)</div><div>3億7000万年前:肺を持つ最初の魚類:ユーステノプテロン</div><div>3億6750万前:最初に上陸した両生類:イスチオステガの誕生</div><div>3億6750~6250万年前のある時、 ついに上陸</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><a href="https://shibuya-naika.jp/wp-content/uploads/2013/04/kouen03.pdf"><span style="font-size: xx-small;">https://shibuya-naika.jp/wp-content/uploads/2013/04/kouen03.pdf</span></a></div><div><br /></div><div> </div><div> ただ、東京大学総合研究資料館のサイトに、以下の記述がありました。</div><div><br /></div><div><blockquote>「脊椎動物は淡水域に起源があり、初期の魚類の進化は淡水域で起こった。したがって、硬骨魚類も淡水域に出現し、その後海洋に進出した」と長い間考えられてきた (Romer, 1968)。しかしながら、現在では、多くの化石の証拠から、「脊索動物から脊椎動物への進化は、古生代のはじめ頃(カンブリア紀後期、約5億2000万〜5億500万年前)に、浅海域で起こり、したがって初期の魚類の進化の舞台は海であった」と考えられている (Carroll, 1987; Long, 1993)。最初に出現した脊椎動物は顎を持たない無顎魚類であるが、デボン紀(約4億800万〜3億6000万年前)になるまでには、全ての主要な有顎魚類(板皮類、棘魚類、軟骨魚類、硬骨魚類)が次々と海に出現した (Carroll, 1987; Long, 1993; Denison, 1978; Zangerl, 1981)。それでは、古生代に出現した硬骨魚類は、その後どのような進化の道を歩んだのであろうか。</blockquote></div><div><a href="https://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1995collection2/tenji_gyorui_29.html"><span style="font-size: xx-small;">https://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1995collection2/tenji_gyorui_29.html</span></a></div><div><br /></div><div> そこで、2つのデータを融合させて、『クラナリ』版の「脊椎動物、上陸までの軌跡」を作成しました。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: x-small;">※フリーランスの編集者・ライターである『クラナリ』編集人(バリバリの文系)は、腎臓に関する記事や書籍に携わる機会が多いため、腎臓に関していろいろと考察しています。素人考えですが。</span></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-19118413660396755762024-02-15T10:30:00.002+09:002024-02-15T10:38:52.521+09:00 印刷関連用語今昔<div style="text-align: left;"> 最近、多くの印刷会社がスケジュールを連絡してくるときに、「本文のデータは○月×日までに、付物は△月□日までに」という形で、本文と付物のスケジュールを別に設定しています。 </div><div> この場合の本文と付物は、以下のとおりです。</div><div><b>○本文……はじめに・目次から、おわりに・奥付まで</b></div><div><b>○付物……表紙やカバー、帯、遊び紙、別丁扉など</b></div><div><br /></div><div> 本文はすべて、同じ紙と同じインクを使って刷るものを指しています。印刷された紙は切られて、折られて、綴じられます。</div><div> この束になった紙=本文に、表紙や遊び紙などを貼り付けて、カバーを巻くわけです。</div><div> 本文のデータを付物よりも数日先に渡すように設定されていることが多いのは、おそらく、作業の違いから発生するのでしょう。</div><div><br /></div><div> ただ、<a href="https://www.jfpi.or.jp/webyogo/index.php">「印刷用語集」</a>によると、本文と付物の本来の意味は、次のとおりのようです。</div><div><b>○本文……目次の次のページから、おわりにの前のページまで</b></div><div><b>○付物……表紙、カバー、帯、遊び紙、別丁扉、はじめに、目次、おわりに、奥付など</b></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>本文</div><div>ほんもん / text</div><div>(1)書籍の前付・後付を除く主要記事。(2)見出し・リード・注・図表などを除く記事の中身。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>付き物</div><div>つきもの / annexed matter</div><div>前付け,後付けなど出版物の本文を除いたものの総称。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> 「前付」と「後付」は、<a href="https://daijisen.jp/digital/">デジタル大辞泉</a>で以下の説明があります。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>まえ‐づけ〔まへ‐〕【前付(け)】</div><div>書籍・雑誌の本文の前に添える、扉・口絵・序文・端書き・目次など。⇔後付け。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>あと‐づけ【後付(け)】</div><div>[名](スル)</div><div>1 書籍の最後につける、付録・付図・索引・後書きなど。⇔前付け。</div><div>2 後から付け足すこと。「後付けの周辺装置」「理由を後付けする」</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> 言葉が指すものが微妙に違うのは、活版印刷の時代と、DTPの今とでは、印刷所での作業が変化したからなのでしょう。</div><div><br /></div><div> ちなみに、印刷用語集によると、「校正」も微妙に違います。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>校正</div><div>こうせい / proofreading</div><div>原稿やレイアウトの指定との比較をおこない,校正刷り上で誤りや不体裁の訂正を指示する作業。文字組版の校正刷りをゲラ刷りともよぶが,活版組版をゲラという台に入れたまま校正機で刷ったことが語源である。</div><div><br /></div><div>1回目の校正を初校,2回目を再校,以下,三校,四校とよぶ。</div><div><br /></div><div>校正が終了したものを校了,残った訂正箇所を印刷会社の責任に任せた校正を責任校了といい,責了と書く。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> なになに!</div><div> ゲラという台?</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>ゲラ</div><div>げら / galley</div><div>(1)活版印刷で用いる活字の組版を入れる浅い盆状容器。植字にて活字を並べる際に,版を整えるための組みゲラと,校正刷りから印刷を行うまでの間,組版を保管しておくための置きゲラがある。(2) 参照⇒ゲラ刷り</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>ゲラ刷り</div><div>げらずり / galley proof</div><div>元来は,組版された活字をゲラに入れたまま校正刷りすることをさしたが,現在では,文字校正用の印刷物をいう。</div><div>同義語:ゲラ(2)</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> galley proofで検索すると、Wikipediaで画像も発見。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiN-ZudiC5hq6-6lE3ZskLWtwoX-mc2z5OWxu8oNy5RIqaVVsHXggpsQxT5hTBBkdu8sJ6UcFcxSeJJpef25Bx4oG3yZN8hjz2oBJEmxYPh5jcOsvSTGXGzvVla1II0mg7ZaZkmCie5nIBxwVQ4nB4KK_vylOeAz_JpQK6JHoeVa5Xvvg-j6z1cdi3YugW7/s899/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="899" data-original-width="899" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiN-ZudiC5hq6-6lE3ZskLWtwoX-mc2z5OWxu8oNy5RIqaVVsHXggpsQxT5hTBBkdu8sJ6UcFcxSeJJpef25Bx4oG3yZN8hjz2oBJEmxYPh5jcOsvSTGXGzvVla1II0mg7ZaZkmCie5nIBxwVQ4nB4KK_vylOeAz_JpQK6JHoeVa5Xvvg-j6z1cdi3YugW7/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Galley_proof#/media/File:Medewerker_in_de_zetterij,_Bestanddeelnr_254-5230.jpg">Correcting after a galley proof. The Netherlands, 1965.</a></span></td></tr></tbody></table><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjTbjrcVBcVJ1a0gzHKkCMNHJAEIPgeyGGdIE1FRF_sNk_XItNNyUZga4SgqXeEG4OxDGXDsGUKTimRqyeeFV3QgIwwjQ5R4C6U2wMIntY2hWT2AFI-lM9KVLymYCB85V1FUFO7bU6J5XWDleWuu_m8hsQtfQnYjgS4-TYNCE-lwQ4wMLb23nTmXMnDopgg/s304/2.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="181" data-original-width="304" height="181" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjTbjrcVBcVJ1a0gzHKkCMNHJAEIPgeyGGdIE1FRF_sNk_XItNNyUZga4SgqXeEG4OxDGXDsGUKTimRqyeeFV3QgIwwjQ5R4C6U2wMIntY2hWT2AFI-lM9KVLymYCB85V1FUFO7bU6J5XWDleWuu_m8hsQtfQnYjgS4-TYNCE-lwQ4wMLb23nTmXMnDopgg/s1600/2.png" width="304" /></a></div><br /><div><br /></div><div> 普段の仕事で「ゲラが出た」と言っていますが、本来の意味だと、上の写真のような容器というか、トレイというか、そのようなものが出てきたことになるのですね。DTPの今でも同じ用語が使われているのが、不思議な感じです。</div><div><br /></div><div> ちなみに、galleyをカタカナ読みするとギャレーで、船の炊事場を意味するギャレー(galley)がなまって、ゲラになったと<a href="https://yougo.kazi.co.jp/2792/">「Web版 ヨット - モーターボート用語集」</a>と説明されていました。</div><div><br /></div><div><div></div><blockquote><div>ギャレー【galley】</div><div>船の炊事場。船ではキッチンという呼称はほとんど使われない。古代の手こぎ軍艦、ガレー船のガレーも同じ綴り。さらには、出版界で使われるゲラ刷り(出版前のチェック用校正紙)のゲラもgalleyが訛ったもの。</div></blockquote><div></div></div><div><br /></div><div> </div><div> 校正に話を戻すと、「著者校正」という言葉も使います。印刷用語集に載っている「校正刷り上で誤りや不体裁の訂正を指示する作業」とは違う作業です。ということで、<a href="https://daijisen.jp/digital/">デジタル大辞泉</a>で検索。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>こう‐せい〔カウ‐〕【校正】 </div><div>[名](スル)</div><div>1 文字・文章を比べ合わせ、誤りを正すこと。校合 (きょうごう) 。</div><div><br /></div><div>2 印刷物の仮刷りと原稿を照合し、誤植や体裁の誤りを正すこと。「ゲラ刷りを—する」</div><div><br /></div><div>3 測定器が示す値と真の値の関係を求め、目盛の補正などを行うこと。国家標準で定められた標準器や、あらかじめ物理的量や化学的な純度などがわかっている標準試料を用いて校正する。較正。検定。キャリブレーション。</div><div><br /></div><div>類語</div><div>訂正(ていせい) 修訂(しゅうてい) 改訂(かいてい) 勘校(かんこう) 校閲(こうえつ)</div><div>関連語</div><div>校合(きょうごう)</div></blockquote><div> 著者校正については、「校合(きょうごう、こうごう)」の意味ですね。</div><div> 活版印刷の頃は、活字を拾ってくる際にミスが発生するので、元の原稿と照合する作業が必要だったようです。DTPの現在は、著者校正に限らず、本を作る際の「校正」はすべて「校合」になっている気もします。</div><div><br /></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-91065150514146519772024-02-14T17:05:00.005+09:002024-02-14T17:35:46.297+09:00ハイソ真間川周辺は、カラスネットまでハイソなのか問題<div style="text-align: left;"> 江戸川河川敷の河津桜が咲き始めました。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRJLd48RO13e8ojAdDC-5GDGf6yPRAgCyOL3flXAB1lb7cpnMqZWuYVtHYp-6iLDGNi20Z9N6MklBhZFomLcBkIt3oVFNpAhgwjFXlkspNmvOjkxYC4OlqTVnm8OfJkGej2C5IPggHyo8_99iibELtzSuKCLSRwVIyMhO1E3G5pzVFbLNlwn_ngSPq5g6X/s4000/DSC_0491.JPG" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2250" data-original-width="4000" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRJLd48RO13e8ojAdDC-5GDGf6yPRAgCyOL3flXAB1lb7cpnMqZWuYVtHYp-6iLDGNi20Z9N6MklBhZFomLcBkIt3oVFNpAhgwjFXlkspNmvOjkxYC4OlqTVnm8OfJkGej2C5IPggHyo8_99iibELtzSuKCLSRwVIyMhO1E3G5pzVFbLNlwn_ngSPq5g6X/s320/DSC_0491.JPG" width="320" /></a></div><br /><div style="text-align: left;"> 「真間川沿いの桜はどうなのかな?」</div><div style="text-align: left;"> そう思って、足を運んだハイソ真間川で、見つけたのです。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuYCd7hyJG3MMRXm6ZvLqUMeVtA4JBhY2zvO-U3uzM9gu30LKr56B5PrnP36GWAHCwkRWXj3S-uGqNVF_5gVUWNxDXxKKIEXlUtud0k7kSfiIp5urBy8QRpL2ycpB_opDDCushxdH44vGdCJE_K7XnJ3pk1qO52NyAfZLqc-7cmYYHFnq1kop-dcFhEY7P/s4000/DSC_0494.JPG" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2250" data-original-width="4000" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuYCd7hyJG3MMRXm6ZvLqUMeVtA4JBhY2zvO-U3uzM9gu30LKr56B5PrnP36GWAHCwkRWXj3S-uGqNVF_5gVUWNxDXxKKIEXlUtud0k7kSfiIp5urBy8QRpL2ycpB_opDDCushxdH44vGdCJE_K7XnJ3pk1qO52NyAfZLqc-7cmYYHFnq1kop-dcFhEY7P/s320/DSC_0494.JPG" width="320" /></a></div><br /><div style="text-align: left;"> ウッディな柵と調和する、ブラウンのカラスネット。ふと疑問が浮かびました。</div><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;"> <b>「ハイソ真間川の周辺にあるカラスネットも、やっぱりハイソなのだろうか?」</b><b><br /></b><b><br /></b></div><div style="text-align: left;"> ゴミ出しをしない人たちのために解説をしましょう。</div><div style="text-align: left;"> カラスネットとは、生ゴミを漁りに来るカラスが、ゴミを散乱させないよう、燃えるゴミにかぶせて使うネットのこと。</div><div style="text-align: left;"> どうやら市川市が、行政が市民に貸し出しをしているようです。</div><div style="text-align: left;"> 仕様 200×300センチメートル。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiRAoJVzcZWpHoOQBfz_qDEemh3EQOrDImZSdoSJS_cZZtsijPMxtRB3M8keMflAbGKooD_KemV4Y3MyMWbZBUYDgDbUOMkDvQ7oaFYEUxBBj69sUzAmknt-YciSgyPKQknBX87nolI5KlEGnXagNyHWX9r2OM7kavfmTnaUesq_pFI0uWi9_IIp7qCJJg0/s300/3.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="206" data-original-width="300" height="206" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiRAoJVzcZWpHoOQBfz_qDEemh3EQOrDImZSdoSJS_cZZtsijPMxtRB3M8keMflAbGKooD_KemV4Y3MyMWbZBUYDgDbUOMkDvQ7oaFYEUxBBj69sUzAmknt-YciSgyPKQknBX87nolI5KlEGnXagNyHWX9r2OM7kavfmTnaUesq_pFI0uWi9_IIp7qCJJg0/s1600/3.png" width="300" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.city.ichikawa.lg.jp/env07/1111000002.html">市川市ホームページ</a>より</span></td></tr></tbody></table><br /><div style="text-align: left;"> 貸出条件は、以下のとおり。</div><div style="text-align: left;"><div></div><blockquote><div>ごみ集積所を戸建5世帯以上で利用すること。</div><div>利用者により自主的にごみ集積所の維持管理を行うこと。</div><div>設置後、他のごみ集積所の模範となること。</div></blockquote><p><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.city.ichikawa.lg.jp/env07/1111000002.html">https://www.city.ichikawa.lg.jp/env07/1111000002.html </a></span></p><p> 「模範」ですって、奥様。</p><p> 最近のカラスは賢いので、カラスネットをくちばしでつまんで引っ張り、ゴミを漁ることも珍しくありません。模範になるためには、カラスを上回る人間の知恵が要求されている気がしなくもありません。</p><p> さておき、上の写真からもわかるように、市が貸し出しているカラスネットは青。<br /> ということは、ハイソ真間川専用ネットが用意されているのか……<br /> まさかカラスネット格差が……</p><p> そんなことは、ありませんでした。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhUDVGAq_RpWyZtkINJFgPwy_xa6Y3GBuksHF0zn0TMuH7HKmD_DyMKc3NdqxEAySqaHYjLE87R_57hWawkt6s0LoDCr7jQaaxjv-GlkzaEtNriiL7O_UGnVmnDtxjvowFxyguY3TaoXP365kGnopFMjGnr3MkP28aiL3bUsYNclmaCplDi1rAwVkDTmHTy/s4000/DSC_0495.JPG" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2250" data-original-width="4000" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhUDVGAq_RpWyZtkINJFgPwy_xa6Y3GBuksHF0zn0TMuH7HKmD_DyMKc3NdqxEAySqaHYjLE87R_57hWawkt6s0LoDCr7jQaaxjv-GlkzaEtNriiL7O_UGnVmnDtxjvowFxyguY3TaoXP365kGnopFMjGnr3MkP28aiL3bUsYNclmaCplDi1rAwVkDTmHTy/s320/DSC_0495.JPG" width="320" /></a></div><br /><p> 別の場所には、例の青いネットがバサッとかかっていたからです。</p><p> ということは、ハイソ真間川周辺の一部では、地元住民がお金を出して、ブラウンネットを購入しているということでしょうか。<br /></p><p> 格差はよくないものの、ウッディな柵に青いネットが引っ掛けられているのは興ざめです。ブラウンのほうがいいな……</p><p> カラスネットの色といえば、以前、「カラスは黄色が苦手」というウワサが流れ、黄色のカラスネットやゴミ袋が登場したという記憶があります。<br /> 色によって効果は違うのでしょうか?</p><p> 我孫子市のサイトによると、色は関係ないようです。</p><p></p><blockquote><p>カラスの視覚は、人間の五倍程度ほど良く、紫外線も見えています。黄色いゴミ袋は、紫外線をカットできる特殊な顔料を練り込んだフィルムを使ったごみ袋で、顔料の成分は特許を得ています。そのフィルムの顔料が黄色に見えます。</p><p>黄色であることが重要ではなく、紫外線をカットする成分がカラスの色覚をかく乱することで被害を防いでいます。</p><p>この「黄色」という色だけが独り歩きして、カラスに効果があると誤解されたようです。紫外線をカットする顔料が入っていなければ、黄色いごみ袋やネットであってもカラスへの効果は期待できません。</p></blockquote><p><a href="https://www.city.abiko.chiba.jp/kurashi/faq/gomi_sumai_pet/gomi/shusekijo/karasu.html"><span style="font-size: xx-small;">https://www.city.abiko.chiba.jp/kurashi/faq/gomi_sumai_pet/gomi/shusekijo/karasu.html</span></a></p><p> 興味深いのは、清瀬市のサイト。</p><p></p><blockquote><p>カラスは嗅覚ではなく、視覚でエサとなるごみを識別しているため、容器に入れたり生ごみを新聞紙などで包んで外側から見えなくするとカラスからの被害を防ぐことができます。</p><p>また、同じ高さで飛び続けることができないため、フックなどを利用しご自宅のフェンスや塀などから吊り下げることでも被害を防ぐことができます。</p></blockquote><p><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.city.kiyose.lg.jp/kurashi/gomi/gomi/1003782.html">https://www.city.kiyose.lg.jp/kurashi/gomi/gomi/1003782.html</a></span> </p><p> 道路にベタッとゴミ袋を置くのではなく、ちょっと高い所につるしておくといいようですね。清瀬市、すばらしい!</p><p> 実はね、ウチの集積所にゴミ捨てマナーの悪い人物がいて、燃やすゴミがいつもカラスに漁られて周囲が汚くなってしまうんですよ、奥様。<br /> 特徴は、市の指定のゴミ袋に、直接、生ゴミを捨てていること。突くとすぐにエサにありつけると思ったカラスに、毎回、ゴミを散乱させられているんですわよ。<br /> 以前は、鶏の塊肉をぽいと市の指定のゴミ袋に入れて捨てちゃったみたいで、カラスが奪い合いのケンカをしていて、たまたまゴミを捨てに行ったあたくしを激しく威嚇したんですの。カラスに言いたいですわ。</p><p> <b><span style="font-size: large;">いらんわ、そんな肉!</span></b></p><p> まあ、その人物は『クラナリ』など見ていないでしょうが、回り回って伝わることを期待して、一言。</p><p><b> 生ゴミは、カラスに見えないように包んで捨てようね。ネットはゴミ袋にしっかりとかけような。ポンと置いて行くなよ。他のゴミ集積所の模範となるようにな。</b></p><p><b> </b>ちなみに「真間川沿いの桜はどうなのかな?」というと、まだまだでした。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgr6AYVtl0-0oCVNvFhElo6cZJrem6i9ObpUxUaXDHT9MIwjEUlg84UnfFg5FbfcWWSSGgIGrZd0icvTG4d1fCMsdb8wnhVl5u3ewf5x1rdiCWzSQXfRNoQ9lm-UtKiNey3M1MGMyFJyUhdR3WCPRSpm6snC2r5EsSNOdfKX76s1Vrb2FdqIatoekF3hoBv/s4000/DSC_0493.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="2250" data-original-width="4000" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgr6AYVtl0-0oCVNvFhElo6cZJrem6i9ObpUxUaXDHT9MIwjEUlg84UnfFg5FbfcWWSSGgIGrZd0icvTG4d1fCMsdb8wnhVl5u3ewf5x1rdiCWzSQXfRNoQ9lm-UtKiNey3M1MGMyFJyUhdR3WCPRSpm6snC2r5EsSNOdfKX76s1Vrb2FdqIatoekF3hoBv/s320/DSC_0493.JPG" width="320" /></a></div><br /><p><br /></p><p></p><p></p><div></div></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-91164389574622090462024-02-14T10:26:00.000+09:002024-02-14T10:26:18.056+09:00クシャミをするときに軽くひざを曲げると腰痛リスクを減らせる クシャミが原因でぎっくり腰になった人を、『クラナリ』編集人は知っています。そんな私自身も、鼻アレルギーでクシャミを連発し、腰をグギッと痛めた経験があります。<br /><br /> <a href="https://amzn.to/48dFu53">『速さ(スピード)の不思議 面白すぎる博学知識』(編/びっくりデータ情報部、河出書房新社)</a>によると、クシャミのスピードは時速320キロ。当然、体に負担をかけ、腰にダメージを与えます。<br /><br /> クシャミによる腰痛を防ぐには、クシャミをするときに軽くひざを曲げること。ひざを軽く曲げることで、クシャミの衝撃が全身に分散するのです。<br /> 筋トレやジャンプの着地でひざをロック(ピンと伸ばした状態)しないように注意されるのも、負荷を分散させるためです。<br /><br /><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjn9fuK6tCobHj2s5ZZ1n0qfEUHrc93wtreMk3WXuQItnuUMz7LkmdNhrwMq2yrhyphenhyphenuJe6v2LZITJPeKDyupbwLzqpKSbH14Mc53i8wtd7NqrpQn4sJZKmWVuMDZyi6uxm39uqPxA4Aik2HO/s1600/%25E7%2584%25A1%25E9%25A1%258C.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="477" data-original-width="310" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjn9fuK6tCobHj2s5ZZ1n0qfEUHrc93wtreMk3WXuQItnuUMz7LkmdNhrwMq2yrhyphenhyphenuJe6v2LZITJPeKDyupbwLzqpKSbH14Mc53i8wtd7NqrpQn4sJZKmWVuMDZyi6uxm39uqPxA4Aik2HO/s320/%25E7%2584%25A1%25E9%25A1%258C.png" width="207" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"></div><br />知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-77794884698380856222024-02-13T11:13:00.000+09:002024-02-13T11:13:26.623+09:0050代以降は要注意! 頭がかゆいのはシャンプーやヘアカラーが原因かも<p style="text-align: left;"> 頭皮がかゆいと、つい「洗い足りないのかな?」と思ってしまいませんか?<br /> 実は、シャンプーやコンディショナー、ヘアカラーによって、皮膚炎が起こっているのかもしれません。それにもかかわらず、熱心にシャンプーを使ってゴシゴシ洗うと、炎症を悪化させてしまいます。</p><div><br /></div><p style="text-align: left;"> 私たちが「皮膚へのダメージが大きい」「かぶれや赤みを引き起こす」とイメージしている主な日用品は、洗剤ではないでしょうか。洗剤を使うときには注意をして、手袋をはめる人は珍しくありません。</p><p style="text-align: left;"> しかし、<a href="https://www.dermatol.or.jp/uploads/uploads/files/guideline/130_523contact_dermatitis2020.pdf">「接触皮膚炎診療ガイドライン 2020」</a>を見たところ、アレルギー性皮膚障害については、2016年4月から 2017年 3 月までにデータとして集められた423 件で、化粧品・薬用化粧品が 54%、医薬品が 25%、装身具・装飾品 9%。<b>家庭用洗剤は、たった1%</b>でした。<br /> そして、化粧品・薬用化粧品の中でも、<b>ヘアカラーとシャンプーの件数が多かった</b>のです。</p><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgFyWsoFVIsKuPJFF7AHEZ31nZFtbVTI_F_EGxgKt06srqfTeBvIQX-6cNlLQzgOGgv5i-3MrQgNIkY7t__63wuvAMmr1wm2OWhQWyT9V0kjPJNS8CLwLcvxaL-F3dlrvowPQfJvDdEoP6I0aW8EjgjgP34dOhGigv2zE7p1oaJpkDq4EwWjq_RyFySvg/s552/5.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="408" data-original-width="552" height="237" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgFyWsoFVIsKuPJFF7AHEZ31nZFtbVTI_F_EGxgKt06srqfTeBvIQX-6cNlLQzgOGgv5i-3MrQgNIkY7t__63wuvAMmr1wm2OWhQWyT9V0kjPJNS8CLwLcvxaL-F3dlrvowPQfJvDdEoP6I0aW8EjgjgP34dOhGigv2zE7p1oaJpkDq4EwWjq_RyFySvg/s320/5.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">「接触皮膚炎診療ガイドライン 2020」より</span></td></tr></tbody></table><br /><p style="text-align: left;"> 「薬を使ってもかゆみが治まらない」という場合、身近な物に原因が隠れている可能性があります。日用品が皮膚炎の原因になっていないか、一度確認してみましょう。</p><p style="text-align: left;"> 接触皮膚炎は50代以降の報告が多くなっています。以前は大丈夫だった製品でも、かゆみなどが起こることも十分にあり得るのです。</p><div><br /></div><h2 style="text-align: left;">日用品による接触皮膚炎</h2><div><span style="font-size: xx-small;">(「接触皮膚炎診療ガイドライン 2020」より一部改変 ※以下は、<b>日用品</b> <span style="color: #2b00fe;">主な原因物質</span>)</span></div><h3 style="text-align: left;">刺激性接触皮膚炎</h3><div><b>シャンプーや化粧品、洗剤など</b> <span style="color: #2b00fe;">界面活性剤(主にアニオン系界面活性剤)</span></div><div><b>ドライクリーニングを行った衣類</b> <span style="color: #2b00fe;">残留した溶剤</span></div><div><br /></div><h3 style="text-align: left;">アレルギー性接触皮膚炎</h3><div><b>抗菌製品</b>(衣類等の繊維製品・家具・洗面器具・台所製品・浴室用品・文房具、壁紙などの内装材・塗装材など) <span style="color: #2b00fe;">ピリジン系有機抗菌剤、2,3,5,6-テトラクロロ-4-(メチルスルホニル)ピリジン(TCMSP)</span></div><div><span style="color: #2b00fe;">防腐剤含有製品</span></div><div><b>シャンプーやリンス、化粧水、美容液マスク、冷却ジェル寝具</b> <span style="color: #2b00fe;">イソチアゾリノン系防腐剤</span></div><div><b>ゴム製品や履物</b> <span style="color: #2b00fe;">メルカプトベンゾチアゾール(MBT)、テトラメチルチウラムジスルフィド(TMTD)、ジフェニルグアニジン(DPG)、ジメチルジチオカルバミン酸亜鉛(ZnMDC、ホルムアルデヒド、樹脂成分のパラ - タート ブチルフェノール ホルムアルデヒド レジン(PTBP-FR)</span></div><div><b>靴用接着剤、テーピングテープ、スニーカー、膝装具、マーカーペン、ウエットスーツ</b> <span style="color: #2b00fe;">PTBP-FR</span></div><div><b>衣類</b> <span style="color: #2b00fe;">ホルムアルデヒド、黄色染料分解生成物(塩素化ホスゲン化合物)、ナフトール -AS、ナフトール -AS-D、分散染料(ブルー 106、124)、紫外線吸収剤(チヌビン)、防ダニ加工剤(ジブチルセバケート)</span></div><div><b>プラスチック製品</b> <span style="color: #2b00fe;">分散染料(イエロー 3、オレンジ 3、レッド 17)、(油溶性染料(オレンジ 60、レッド179)、紫外線吸収剤(チヌビン P)、接着剤(アビエチン酸)</span></div><div><b>眼鏡</b> <span style="color: #2b00fe;">金属(ニッケル、コバルト)、プラスチック樹脂中の可塑剤、紫外線吸収剤、エポキシ樹脂添加剤、アゾ系染料、アントラキノン系染料、ペリノン系染料である油溶性染料(Solvent)オレンジ 60、レッド179</span></div><div><b>絆創膏</b> <span style="color: #2b00fe;">アクリル系粘着剤、エステルガム</span></div><div><br /></div><div><br /></div><div>※アニオン系界面活性剤には、以下の3種類があります</div><div>①アミノ酸系界面活性剤(ココイルグルタミン酸Na、ココイルグリシンK)</div><div>②硫酸エステル塩(ラウリル硫酸Na、ラウレス硫酸Na、オレフィン(C14-16)スルホン酸Na)</div><div>③カルボン酸塩(石けん素地、カリ石けん素地)</div><div><br /></div><div><br /></div><div><span style="font-size: x-small;"><b>■参考資料</b></span></div><div><span style="font-size: x-small;">「接触皮膚炎診療ガイドライン 2020」</span></div><div><span style="font-size: x-small;"><a href="https://www.dermatol.or.jp/uploads/uploads/files/guideline/130_523contact_dermatitis2020.pdf">https://www.dermatol.or.jp/uploads/uploads/files/guideline/130_523contact_dermatitis2020.pdf</a></span></div><div><br /></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-81468825530294493272024-02-04T11:47:00.021+09:002024-02-06T15:45:28.814+09:00 『はたらく細胞』と『新しい免疫入門』を 文系人間が比較してみた<p> <span style="font-size: x-small;">※フリーランスの編集者・ライターである『クラナリ』編集人(バリバリの文系)は、健康に関する記事や書籍に携わる機会が多いため、いろいろと考察しています。素人考えですが。</span></p><div><br /></div><div><div> 皆さーん、漫画の『はたらく細胞』シリーズは読みましたか?</div><div> 『クラナリ』編集人は、大好きです。何度も読み返しました。アニメも好きですね。影響を受けて、マクロファージは、つい「さん」付けしてしまいます。</div><div><br /></div><div> そんな『クラナリ』編集人は、『新しい免疫入門』を読んで驚きました。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: large;"><b>『はたらく細胞』シリーズと、書いてあることが違う……</b></span></div><div><br /></div><div> 周囲にショックを伝えると、「そんなの当然でしょ。マンガなんだから」と冷ややかな目で見られてしまいました。</div><div><br /></div><div> 今回は『新しい免疫入門』を引用しながら、『はたらく細胞』シリーズでの描写との違い、あるいは『クラナリ』編集人の勘違いを検証していきます。</div><div><br /></div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi3l7uVb2AYJln7KTXl24Pcg3hQP7ghboV4P5MFDc73QQDn-Uh2xyN6b2GCZIIcYWotbu-zYgE9ITp0hv1UnAsiKo1eDXAQ_x_xU4lFXHbt3gSwKw4O1ytTbMVsaP139QRv-tX9aVwJJUkhzOmEYal5B0b_9N_x9HN7aXI_RakEnSttF4eTghb4LTDM8U8a/s397/3.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="397" data-original-width="308" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi3l7uVb2AYJln7KTXl24Pcg3hQP7ghboV4P5MFDc73QQDn-Uh2xyN6b2GCZIIcYWotbu-zYgE9ITp0hv1UnAsiKo1eDXAQ_x_xU4lFXHbt3gSwKw4O1ytTbMVsaP139QRv-tX9aVwJJUkhzOmEYal5B0b_9N_x9HN7aXI_RakEnSttF4eTghb4LTDM8U8a/s320/3.png" width="248" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><a href="https://amzn.to/3SsmvxF"><span style="font-size: xx-small;">『はたらく細胞』(6)</span></a></td></tr></tbody></table><br /><div><span style="font-size: xx-small;">※前列右から</span></div><div><span style="font-size: xx-small;">赤血球、血小板、白血球</span></div><div><span style="font-size: xx-small;">マクロファージ</span></div><div><span style="font-size: xx-small;">好酸球、B細胞、記憶細胞、のどの細胞(と乳酸菌)、キラーT細胞</span></div><div><span style="font-size: xx-small;">マスト細胞、樹状細胞、ヘルパーT細胞、制御性T細胞</span></div><div><span style="font-size: xx-small;">がん細胞?</span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><br /></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><br /></span></div><div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBVjhuNvqChxnx8jfmqn9ZtLrLcVCDCNHQSjTfahyphenhyphenya6q5prV7WSNkUKNUhx2ddH-3b-YI_mBqNsfBkqKE26-xmfe5Z-XoL4WsT9D4OQ4Hbt4XVVeTLT1-gXNKjce6JYLEGuLwiIBtq9_sx9Atjf3cvkstVAQTSB0I8cB21AmZ3ykHK1wC6IABaghcLw_2/s997/2.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="997" data-original-width="640" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhBVjhuNvqChxnx8jfmqn9ZtLrLcVCDCNHQSjTfahyphenhyphenya6q5prV7WSNkUKNUhx2ddH-3b-YI_mBqNsfBkqKE26-xmfe5Z-XoL4WsT9D4OQ4Hbt4XVVeTLT1-gXNKjce6JYLEGuLwiIBtq9_sx9Atjf3cvkstVAQTSB0I8cB21AmZ3ykHK1wC6IABaghcLw_2/s320/2.png" width="205" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><a href="https://amzn.to/3SpdHJc"><span style="font-size: xx-small;">『新しい免疫入門』</span></a></td></tr></tbody></table></div><div><br /></div><div> そもそも、免疫とはなんなのか。</div><div> 『新しい免疫入門』には、次のように説明されています(太字は、『クラナリ』編集人による)。</div><div><br /></div><div><blockquote> <b>免疫とは、細菌やウイルスなど、病原体の攻撃からわたしたちのからだを守るしくみ</b>のことである。</blockquote></div><blockquote><div> 食細胞はなんでも食べるが、わたしたちのからだの生きている正常な細胞には手を出さない。なぜなら、死んだ細胞の表面には“食べて”という目印が出ているが、生きている正常な細胞の表面には“食べないで”という目印が出ているからだ。</div><div> <b>生体防御の最前線で病原体を食べてやっつける食細胞のはたらきは「自然免疫」とよばれている</b>。自然免疫は、下等生物から高等生物まで共通にもつ基本的な免疫のしくみで、主として食細胞が担当している。</div></blockquote><div></div><div> 食細胞には、好中球やマクロファージがあります。『はたらく細胞』だと好中球は小さなナイフ、マクロファージはなたや大きなトンカチなど物騒な武器を手にしていますが、好中球もマクロファージも病原体を食べているんですね。</div><div><br /></div><div><blockquote> 食細胞が病原体を食べると、食細胞は活性化する。人間的なたとえで恐縮だが、やっつけなければならない相手とわかると、気合が入るのである。</blockquote></div><div></div><blockquote><div> 活性化して、つぎにどうするか。</div><div> さまざまな警報物質を出すのである。これをひっくるめてサイトカインとよぶ。</div></blockquote><div><blockquote> これら<b>サイトカインの作用によって、病原体が侵入した現場には、まずは食細胞がぞくぞくと応援にかけつけて活性化する。この状況を「炎症」という</b>。最初に立ちはだかる食細胞はおもにマクロファージで、まっさきに応援にかけつける食細胞はおもに好中球である。応援のマクロファージは少し遅れてかけつける。</blockquote></div><div> あれ?</div><div> 『はたらく細胞』では、病原体に対応する順番として、好中球→マクロファージなどとなっていました。</div><div> 実際は、マクロファージ(単体または少数)→好中球→マクロファージのようですね。</div><div><br /></div><div><blockquote> 食細胞が病原体を感知するために用意しているセンサーは、TLRという受容体である。<b>TLR</b>はToll-like receptorの略で<b>トル受容体</b>という。</blockquote></div><div><blockquote> <b>受容体とは、細胞が外からの情報を受けとるのに使われるもの</b>で、タンパク質でできている。(中略)<b>受容体に結合する特定の物質をリガンドという</b>。</blockquote></div><div><blockquote> TLRが病原体に特徴的な構造成分にくわえて、DNAまで認識するという発見により、自然免疫のイメージは大きく変わった。相手かまわず食べまくるだけと思われていた食細胞には、TLRというきわめて繊細な病原体センサーがそなわっていたのだ。</blockquote></div><div><blockquote> くれぐれも誤解しないでいただきたいが、食細胞はTLRを使って病原体を見分けて、病原体だけを選んで食べているわけではない。相手かまわずなんでも食べて、結果として病原体を食べたらTLRで認識して、警報物質を出すのである。</blockquote></div><div> Toll-like receptorのTollとは何なのでしょうか?</div><div> 検索すると、以下の情報がヒットしました。</div><div><blockquote>Tollは、ショウジョウバエの発生において背と腹の軸を決定する遺伝子として1985年に発見されました。この遺伝子を発見した研究者が思わず「toll !」(ドイツ語で「すごい」という意味)と叫んだことが、そのまま名前になったそうです。(中略)さらに1997年、Toll遺伝子に似た塩基配列を持つ遺伝子がマウスで見つかりました。その遺伝子からつくられるタンパク質がToll様受容体(以下、TLR)です。</blockquote></div><div><a href="http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_88/"><span style="font-size: xx-small;">http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_88/</span></a></div><div><br /></div><div> ということは、遺伝子を発見した人はドイツ人だったのでしょうね。この"すごい遺伝子"に似た遺伝子が作るタンパク質であるTLRを見つけたのは、フランスのホフマン博士たちなのだそうです。</div><div> 上記のサイトには、わかりやすい図が掲載されていたので、引用します。</div><div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjLlg4yRZMKYIF0qxSpaaoplsbHwviP3SPxLuRqNQbv9kH1L7zwMmj4G0fSYAaaThtNQV-gz5ruaUNBtToEa2Xm1srOz_9hhZBoVe__cUgekn0Rn2eToT-ceUqNeVqVizv5fjG1P1Pc9O-CNQ-d7ZeeYMIPZioowPXiPpijU5Qniaw5Nvk_1pMgI7XRA3uh/s696/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="665" data-original-width="696" height="306" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjLlg4yRZMKYIF0qxSpaaoplsbHwviP3SPxLuRqNQbv9kH1L7zwMmj4G0fSYAaaThtNQV-gz5ruaUNBtToEa2Xm1srOz_9hhZBoVe__cUgekn0Rn2eToT-ceUqNeVqVizv5fjG1P1Pc9O-CNQ-d7ZeeYMIPZioowPXiPpijU5Qniaw5Nvk_1pMgI7XRA3uh/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><a href="http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_88/">取り残されていたToll様受容体の立体構造をついに解析</a>より</span></td></tr></tbody></table><br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div> 話を『新しい免疫入門』に戻すと、以下のように、全身の細胞が免疫に関わっているようです。これも驚きました。</div><div><blockquote> 従来の免疫の見方では、<b>わたしたちのからだを病原体の侵入から守っているのは「免疫細胞」とよばれる特定の細胞</b>だった。ところが、細菌やウイルスを認識するセンサーが全身の細胞に分布しているという事実は、この見方を一変させる。</blockquote></div><div><blockquote> TLR、RLR、NLRなどを総称してパターン認識受容体という。病原体に共通するパターンを認識することからこういわれる。</blockquote></div><div><br /></div><div><blockquote> 獲得免疫のターゲットを抗原という。細菌、ウイルス、真菌などはもちろん抗原であり、細菌が出す毒素、あるいは細菌が死んで漏れだす毒素なども抗原である。<b>わたしたちが生まれたあと、抗原の刺激を受けてはじめて獲得される免疫ということで獲得免疫という</b>。</blockquote></div><div><br /></div><div><blockquote> リンパ節の免疫の細胞のなかにはマクロファージがいて、リンパ管を流れるリンパ液の濾過装置になっている。マクロファージがリンパ節に流れこむ自己細胞の死骸や老廃物、病原体を食べてしまうのだ。この樹状細胞が流れついた病原体を食べて活性化することもある。</blockquote></div><div> 樹状細胞については、『はたらく細胞』(1)だと大きな樹木として描写されていました。そのため、『クラナリ』編集人は「根っこが生えたような状態で動かないのかな」と勘違いしていました。</div><div> 実際は、体の中を動き回っていて、病原体に出会うと食べて活性化し、たくさん枝分かれをするようです。枝分かれした先には、病原体のタンパク質をぶつ切りにしたもの(ペプチド)が載っている状態です。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgetEf_TMfVhkoyt9Nn52N9lR8MPPLB_e6_d5EYUibvkS4xY0p1GWL7TYcQcieCJHD9_IAi4xavsiG_JerTsID43nbCrtsW9EdlHH85DIKf5vAIRTl7qqbiGJusLFhGYRy3KEXBdxDerP78KaFtTwpCCD4UHbMHIYDdPLHYGVkksogrGaG3AtHqFWqd1CAT/s663/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="460" data-original-width="663" height="222" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgetEf_TMfVhkoyt9Nn52N9lR8MPPLB_e6_d5EYUibvkS4xY0p1GWL7TYcQcieCJHD9_IAi4xavsiG_JerTsID43nbCrtsW9EdlHH85DIKf5vAIRTl7qqbiGJusLFhGYRy3KEXBdxDerP78KaFtTwpCCD4UHbMHIYDdPLHYGVkksogrGaG3AtHqFWqd1CAT/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><a href="http://files.jsi-men-eki.org/general/q_a/inaba.pdf">樹状細胞:免疫の監視細胞</a>より</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><blockquote> 病原体を食べて活性化した樹状細胞が、もよりのリンパ節に移動することを述べた。</blockquote></div><div><blockquote> 樹状細胞はこのような経過をたどり、リンパ節で抗原提示をおこなう。「こんな病原体を食べたぞ」ということを提示するわけだ。ただし、病原体をまるごと提示するのではなく、病原体のタンパク質を断片化したペプチドを提示するのは前述のとおりだ。</blockquote></div><div><blockquote> 樹状細胞やナイーブヘルパーT細胞など免疫細胞の多くは、基本的には体内を循環している。リンパ節を起点とするなら、「リンパ節→リンパ管→静脈→心臓→動脈→末梢→リンパ管→リンパ節」といった流れだ。</blockquote></div><div><div> 『はたらく細胞』では、ナイーブT細胞はなよっとした、弱気な若者の姿で描写されていましたが、実際には以下の意味のようです。</div><div>○ナイーブT細胞……まだ抗原に遭遇したことのないT細胞</div><div>○エフェクターT細胞……一度抗原に遭遇して活性化しているT細胞</div><div> 以下のパターンでT細胞は活性化します。</div><div>①ナイーブT細胞が、樹状細胞などに抗原を提示される</div><div>②エフェクターT細胞が、抗原を提示している細胞に遭遇する</div></div><div> </div><div><blockquote> <b>免疫システムはきわめて動的な系である</b>ことを、再度強調しておく。</blockquote></div><div><blockquote>免疫の過剰反応を避けるため、活性化した樹状細胞には余命が設定されるのだ。</blockquote></div><div><blockquote>活性化した食細胞は、免疫細胞をよびよせたり、付近の血管から応援の免疫細胞が抜けだしやすくするサイトカインを出していた。</blockquote></div><div> 自然免疫は、以下のようにまとめられていました。</div><div></div><blockquote><div> まず、最初の戦いにいどむのは食細胞だ。食細胞は怪獣(病原体)を食べて、皮の材質やRNA、DNAなどからそいつが怪獣だとわかると活性化する。活性化すると、警報物質を放出する。</div><div> 警報物質に引きよせられて仲間の食細胞が応援にかけつける。それで怪獣が退治されてしまえば、それでおしまい。怪獣がなかなか手ごわく、食細胞だけでは手に負えないとなると、仲間の樹状細胞がリンパ節に抗原提示に向かう。</div><div> 樹状細胞が、怪獣のからだの断片を表面のお皿に乗せて見せると、それぞれのお皿にピッタリ合うナイーブヘルパーT細胞が結合して活性化する。活性化ヘルパーT細胞は増殖して、一部がリンパ節に残り、多数は末梢組織に出ていく。</div><div> 末梢組織に出た活性化ヘルパーT細胞は、すでに怪獣を食べて活性化しているマクロファージと抗原特異的に出合い、マクロファージをさらに活性化して強力にする。</div></blockquote><div></div><div> 共著者の審良静男博士に関係する資料が、ネット上で見つかりました。上記のまとめが図にしてあるので、引用します。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgyRWBPufwjSkJx1eIytcdfaCbH6I7QXPBfxy8JW9qs90zItJlHQm4ygWi68tPYfb35Kyz2J94yV6SgYdLXFZECyV7T-XkAkOkGqbC4IvX2508D4alVF-LF7URlEwHF5ra8ABVRFB8LQquo-NjFHtweYewv0W2YAz-i8_v7J5sLty9bMSeuluJWIqSK6UYz/s887/1.png" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="640" data-original-width="887" height="231" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgyRWBPufwjSkJx1eIytcdfaCbH6I7QXPBfxy8JW9qs90zItJlHQm4ygWi68tPYfb35Kyz2J94yV6SgYdLXFZECyV7T-XkAkOkGqbC4IvX2508D4alVF-LF7URlEwHF5ra8ABVRFB8LQquo-NjFHtweYewv0W2YAz-i8_v7J5sLty9bMSeuluJWIqSK6UYz/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.ifrec.osaka-u.ac.jp/jpn/topics/upload_img/achievements_j.pdf">2011 年 Gairdner 国際賞における審良静男の受賞理由の解説</a>より</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> 免疫細胞の活性化については、「やたら起こる」わけではなく、以下の条件が必要です。つまり、「慎重に」行われているのです。その理由は、誤作動を起こさないためです。</div><div> 文章中の「MHC」は、major(主要な) histocompatibility(組織適合性) complex(複合体)の頭文字を取った言葉で、細胞の表面にたくさんある糖タンパク質を指しています。</div><div> MHCには、クラスIとクラスIIがあります。</div><div> すべての有核細胞は、MHCクラスI分子を持っています。細胞内の抗原をペプチド(十数個のアミノ酸がつながったもの。タンパク質の断片)に分解し、MHCクラスI分子とともに提示します。</div><div> 樹状細胞、マクロファージ、B細胞には、MHCクラスI分子だけでなく、MHCクラスIIもあります。細菌やウイルス、寄生虫、毒素といった抗原のペプチドをMHCクラスIIとともに提示します(「皿に載せて運んで、見せる」)。</div><div> このような特徴があることから、これらの細胞は抗原提示細胞と呼ばれています。</div><div></div><blockquote><div>つぎの三つがそろったときにだけナイーブヘルパーT細胞に刺激が入り、活性化するのだった。</div><div>①T細胞抗原認識受容体が樹状細胞の「MHCクラスⅡ+抗原ペプチド」にピタッとくっつく</div><div>②補助刺激分子の結合</div><div>③サイトカイン</div></blockquote><div></div><blockquote><div>増殖化した活性化ヘルパーT細胞の多くは末梢組織に向かい、病原体を食べて活性化しているマクロファージと出合って、抗原特異的に、あるいは抗原非特異的にサイトカインで彼らをさらに活性化する。このときも、つぎの三つの条件が必要だった。</div><div>①T細胞抗原認識受容体が樹状細胞の「MHCクラスⅡ+抗原ペプチド」にピタッとくっつく</div><div>②補助刺激分子の結合</div><div>③サイトカイン</div><div> すなわち、自然免疫と獲得免疫のダブルチェックが必要となっている。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div> 1章で、サッカーやバスケットボールの試合にたとえて、食細胞はユニフォームを見て敵(病原体)か味方かを認識しているとのべた。それに対してT細胞は、敵(病原体)と見なすべき無数の相手の「顔型」をそなえて、相手の顔を認識している。「顔型」がピタッとくっつけば敵、という原則である。そして、ユニフォームを見ても敵、顔を見ても敵である場合に限り、獲得免疫のシステムが指導する。</div><div> このように、重要なポイントでは自然免疫と獲得免疫のダブルチェックがはたらき、まちがって自分を攻撃する致命的な誤作動はおこらないようになっている。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> 獲得免疫の主役の一人は、B細胞です。『はたらく細胞』(1)で登場し、放水銃のようなものを背負ったキャラクターです。B細胞が産生する抗体(免疫グロブリン)が主体となった液性免疫です。ちなみにもう一人の主役はT細胞で、T細胞が主体となるのは細胞性免疫で、抗体という武器を使わず、直接ボコりに(?)行きます。</div><div><blockquote> (B細胞が)いかなる抗原にも対応できるように一〇〇〇億種類以上が用意され、かつ、自己成分に反応してしまうものがほとんどないのは、T細胞抗原認識受容体と同じである。</blockquote></div><div><br /></div><div><blockquote> 活性化したB細胞は、増殖して数を増やし、プラズマ細胞とよばれる抗体産生細胞になる。そして一部はプラズマ細胞にならず記憶B細胞になる。</blockquote></div><div> プラズマとは、複数のサイトを見てまとめると、「非常に反応性が高くなっている状態」ということになりそうです。</div><div> 最近だとテレビCMでやたら「プラズマ乳酸菌」と出てきますが、これも「反応性が高い」と言いたいのかもしれませんね。よくわかりませんが。</div><div><div> プラズマについては、丸文株式会社のサイトの説明が非常にわかりやすいので、引用します。活性酸素も、酸素がプラズマ状態ということだそうです。</div><blockquote><div>プラズマとは物質の第4の状態を指しています。</div><div>物質には固体、液体、気体の三態があります。</div><div>固体にエネルギーを加えて液体に、液体にエネルギーを加えると気体に、<b>気体にさらにエネルギーを加えて行くと、物質の第4の状態と呼ばれるプラズマ状態になります</b>。</div><div><b>分子・原子から電子も離れ非常に活性状態で化学的には不安定な状態</b>になります。</div></blockquote><div></div></div><div> 国立科学博物館のサイトでの説明では、プラズマは「電気をおびた粒子でできているガス」「電気をおびた電子や陽子などの素粒子」とのこと。プラズマはここまでにしておいて……</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg9ZeD-9dye-s5q0uMBJ6LLfRYbjBog7QS-V5xDhxxAlIy4zVplOmJZ8DpcULBIWZErz86pnASWiGgGqw1xUu4jYZMy89D9nk_RTYVGHx0ZzWrsXH_LxBjJlhNHeCTCclMjLkAahOEJ8sklph_xn_bTA-f9_zewB4ey_N_dHvPKtsqKi5_FyVIS8_7i2S0x/s900/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><span style="font-size: xx-small;"><img border="0" data-original-height="600" data-original-width="900" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg9ZeD-9dye-s5q0uMBJ6LLfRYbjBog7QS-V5xDhxxAlIy4zVplOmJZ8DpcULBIWZErz86pnASWiGgGqw1xUu4jYZMy89D9nk_RTYVGHx0ZzWrsXH_LxBjJlhNHeCTCclMjLkAahOEJ8sklph_xn_bTA-f9_zewB4ey_N_dHvPKtsqKi5_FyVIS8_7i2S0x/s320/1.png" width="320" /></span></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">オーロラは、太陽から吹き出したプラズマが地球の大気にぶつかって発生する現象(写真/GAHAG)</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><br /></div><div> B細胞は「親和性成熟」によって、抗原にぴったりと合うように抗体を作り上げているようです。</div><div><blockquote> 読者はお店で合カギをつくってもらった経験がおありだろうか。合カギをつくるとき、まず機械で形状をけずりだして、最後の仕上げにやすりをかけて微調整する。するとピタッとカギ穴にはまる合カギができる。この最後の仕上げに相当するのが親和性成熟ともいえよう。</blockquote></div><div> </div><div> 抗体はY字形で、『はたらく細胞』のB細胞の放水銃の銃口もY字形になっています。</div><div> 抗体のYの二股の先に、抗原がくっつくとのこと。</div><div></div><blockquote><div> <b>「抗体」は抗原に対する用語で、物質名としては免疫グロブリン(Immunoglobulin)という。略してIgだ。</b></div><div> 抗体はY字形の構造をしていて、ふたまたの先端の構造が一〇〇〇億種類以上もあるので、どんな抗原が来てもそれに結合する抗体が用意されている。一方で、Y字形の先端以外の部分にそれほどの多様性はないが、いくつかの種類がある。これによって抗体は分類され、その分類を「クラス」という。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> 病原体をバリバリと破壊してしまうと、内部にあった有害な物質が飛び散ってしまうリスクが高くなります。「そんな危ないことはしませんよ」というのが、次の文章です。</div><div></div><blockquote><div> 抗原抗体反応ということばがあまりに有名なためか、抗体が抗原に結合しようものなら、瞬間、バリバリと音を立てて抗原が破壊されるようなイメージが根強い。最初に断言すると、体がくっついた瞬間に抗原が破壊されるようなことはない。</div><div> 抗体の主力であるIgGのおもなはたらきとして「①中和」と「②オプソニン化」の二つを紹介する。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> そして、以下のように締めくくられています。とてもわかりやすい文章なので、引用しておきます。上記の「オプソニン化」は、「食細胞の食欲をそそるように、おいしく仕上げる」というような変化のようですね。</div><div></div><blockquote><div> 侵入した病原体に、まず食細胞が対応する。食細胞は病原体を認識して活性化する。食細胞だけで手に負えないようなら、仲間の樹状細胞が抗原提示のためリンパ節に向かい、抗原特異的にナイーブヘルパーT細胞を活性化する。</div><div> 並行してナイーブB細胞がB細胞抗原認識受容体にくっついた抗原を食べて、さきに誕生した活性化ヘルパーT細胞に抗原提示する。活性化ヘルパーT細胞は抗原特異的にB細胞を活性化し、活性化B細胞はプラズマ細胞になって抗体をつくり放出する。抗体による「①中和」作用がはたらき、病原体が排除されていく。</div><div> このとき、末梢に出ていた活性化ヘルパーT細胞がなにをしていたのかを思いだしてほしい。食細胞を活性化していたはずだ。すでに活性化していた食細胞がさらに活性化され、相当強力な消化能力と殺菌能力を手にしている。ここに「②オブソニン化」が登場する。</div><div> つまり、最高にパワーアップしている状態の食細胞の前で、抗原が抗体にくっついてオプソニン化されるのだ。ステーキがほどよく焼けたようなものであり、食細胞たちの食欲たるや猛烈なものとなる。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><blockquote> 自然免疫と獲得免疫は、相互に、複雑に助け合って、病原体を排除している。</blockquote><p> 私たちは何事も単純化して考えがちですが、免疫については「複雑です!」と筆者たちは伝えたいようですね。 </p></div><div><br /></div><div><blockquote> 細胞に感染したウイルスや、細胞内に寄生するタイプの細菌に対して、抗体は無力だ。抗体は細胞のなかまで入りこめないからだ。</blockquote></div><div> となると、どう対処するのか。それは感染してしまった細胞を、免疫細胞が自殺へと導くようです。</div><div><blockquote> いずれの方法も、感染細胞をこっぱみじんに破壊するのでなく、アポトーシスをおこさせることが重要である。なぜなら、アポトーシスをおこした細胞は、まるごと食細胞が処理してくれるからだ。木っ端みじんになってしまったら、内容物が漏れだし、なかにはタンパク質分解酵素のような危険物もあるから、周囲にダメージをあたえてしまう。また、自己に反応するT細胞、B細胞が活性化するかもしれない。</blockquote></div><div> NK細胞については、『はたらく細胞』だと「孤独な殺し屋」的な描かれ方をしていましたが、実際は感染細胞を自殺に導く、どちらかというと催眠術師的な働きをしている印象です。</div><div><blockquote> NK細胞が感染細胞を破壊する方法は二つあり、これらはキラーT細胞と同じである。どちらも感染細胞にアポトーシスを誘導する。</blockquote></div><div> 『はたらく細胞』第1巻で紹介されていた花粉症については、以下のように説明されていました。</div><div> 2021年に亡くなった藤田紘一郎博士が、過去にアレルギーの誤作動対策として、自分のおなかでサナダムシを飼っていたエピソードを思い出します。「アケミ」などとサナダムシは名づけられていて、取材に行った際にホルマリン漬けにされていたアケミちゃんたちを見せてもらいました。</div><div></div><blockquote><div> 初登場のIgEはEクラスの抗体で、IgMからクラススイッチしてIgEができる。親和性成熟もおこる。プラズマ細胞から放出されたIgEは、免疫細胞の一種であるマスト細胞(肥満細胞)の表面に根もとの部分が結合する。マスト細胞は、からだじゅうの粘膜細胞などにいて、ヒスタミン、ロイコトリエンなど炎症を促進する分子や、さまざまなタンパク質分解酵素を含む顆粒を細胞内にためこんでいる。</div><div> 抗原がやってきてマスト細胞の表面のIgEに結合すると、マスト細胞が活性化し、細胞内にためこんだ顆粒のなかの物質(ヒスタミンなど)を一気に放出する。これらの物質は、平滑筋を収縮させて蠕動運動を亢進させたり、血管透過性を高めて粘液を増量したりする。なんのために? 寄生虫を排除するためと考えられている。もちろん、現代の先進国に帰省中はほとんどいない。このしくみが、鼻や目の粘膜ではたらく(誤作動する?)のが花粉症といわれている。</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div> 『はたらく細胞』第3巻の「胸腺学校」の内容は、次のように書かれています。</div><div><br /></div><div><blockquote> これら正と負の選別により、遺伝子再構成をへて誕生したT細胞の九〇%以上が取りのぞかれ、生き残るのは数%といわれている。</blockquote></div><div> 「正と負の選別」については、以下のとおり。</div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>「MHC+自己ペプチド」との結合<span style="white-space: pre;"> </span>結果</div><div>①強く結合<span style="white-space: pre;"> </span>アポトーシスをおこして死ぬ(負の選択)</div><div>②適度に結合<span style="white-space: pre;"> </span>生き残る</div><div>③まったく結合できない<span style="white-space: pre;"> </span>アポトーシスをおこして死ぬ(負の選択)</div></blockquote><div></div><div><br /></div><div><blockquote> だから記憶細胞は、「一度、抗原を経験して、そのあと抗原が存在しない状況下でも生きのびている細胞」をその定義としている。</blockquote></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div> まず、抗原刺激により、ナイーブB細胞、ナイーブキラーT細胞、ナイーブヘルパーT細胞が抗原特異的に活性化され、増殖する。増殖した細胞はそれぞれの役割をはたすべく一生懸命にはたらく。これまではとくに言及しなかったが、この時期の細胞を書く細胞のエフェクター細胞とよぶ。「はたらく細胞」という意味合いである。一方、増殖した細胞の一部は記憶細胞になる。</div><div> 抗原が排除されると、エフェクター細胞はやがてアポトーシスによって死んでしまう。一方、記憶細胞はそのまま生きつづけて、つぎの抗原侵入にそなえる。</div></blockquote><p> 上記の記述でわかるように、「はたらく細胞」は短命なのです。ナイーブな状態で待機していて、いざ、病原体が体内に侵入して活性化されたら「はたらく細胞」になり、病原体(抗原)が排除されたら大部分が死んでしまうということです。<br /> ちなみに、赤血球も短命で、「体内のまたどこかで、赤血球と好中球が再会する」という甘いストーリーはなさそうです。 </p><div></div><div> 腸管免疫も、『はたらく細胞』(4)で紹介されていました。</div><div><blockquote> また、腸管で放出されるIgAであることは理にかなっている。IgAにはオプソニン化作用がないので、食細胞の食欲をむやみに増すことがない。(中略)間断なくIgAが放出されている腸管において、無用の炎症をおこさないことは重要である。</blockquote></div><div><br /></div><div><blockquote>経口免疫寛容とは、口から食べて入ってくるタンパク質に対しては、免疫反応が抑えられる現象をいう。</blockquote></div><div> これは、俗説である「口から食べられるものは"安全"だから、肌に塗ってもいい」が間違いということを示していますね。</div><div><blockquote> おそらく腸管免疫は、免疫細胞や腸内細菌だけを登場人物としてそのしくみを描き切ることは不可能ではないかと筆者らは考える。腸管は免疫系としてはたらくだけでなく、ホルモン系としても、神経系としてもはたらいているからである。</blockquote></div><div> 腸については、さまざまな本が出ているものの、「実は、まだまだよくわかっていない」という状況のようです。</div><div><br /></div><div><br /></div><div> 自然炎症は、結構耳にするワードですが、『はたらく細胞』では見かけなかった記憶が。</div><div><blockquote> じつは、TLRなどのパターン認識受容体が認識する成分は、病原体由来のものだけではなかった。わたしたちのからだの自己成分の一部も認識することがわかってきたのだ。それらの自己成分を「内在性リガンド」という。自己細胞が大量に死んだときに出てくる成分などが多い。</blockquote></div><div><blockquote> そうなると、マクロファージ、好中球などの食細胞は、病原体だけでなく内在化リガンドを認識しても活性化し、炎症をおこすことになる。病原体が引きおこす炎症に対して、病原体がかかわらないこの炎症を「自然炎症」という。</blockquote></div><div><blockquote> 自然炎症がなんのためにおこるのか、まだはっきりとわかっていないが、組織の修復にかかわっているという考え方が有力だ。自然炎症がおこると、マクロファージや好中球が集まり、損傷部位が取りのぞかれる。さらに修復のための専門細胞が集まり、組織の再建にとりかかる。こうして組織は修復される。</blockquote></div><div><blockquote> いま自然炎症に注目が集まっているのは、自然炎症がさまざまな疾患の原因になっている可能性が出てきたからだ。痛風、アルツハイマー病、動脈硬化、糖尿病 – これまでたしかな原因がわかっていなかったものが多い。</blockquote></div><div><br /></div><div> 『はたらく細胞』シリーズの『はたらく細胞BLACK』(1)で紹介されていた円形脱毛症も、自己免疫疾患の一つです。 </div><div><blockquote> さて、免疫システムが本来攻撃しないはずの自分を攻撃してしまうのが自己免疫疾患である。</blockquote><p> 『はたらく細胞』シリーズは、実際の免疫とは違う描写があるものの、免疫細胞一人ひとり(一つひとつ)があたかも人間社会で暮らしているように描かれていて、「それは、複雑だよね」ということがわかります。</p><p> つまり、免疫をはじめ、人間の体には、まだまだ確認されていないことのほうが多いのです。人間同士の関わりも、簡単ではありませんからね。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgPfP1XdqCU7p4K6Q37UVzgPZSkzRU10U9FbAoKvlWI5QeaqEehR-vUlTJd345SviQAWrjKE0uKoc-9JyQI01NfnIsl99t_yZagswFnDy73GLY6Lt-8Txe6re53DRm8nucpNdobJrQWjKXo3uNUvzd2Egu1XKIzrVTg430ftVt0qxx75b2ydZ-lmxVK9vvt/s914/1.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="914" data-original-width="640" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgPfP1XdqCU7p4K6Q37UVzgPZSkzRU10U9FbAoKvlWI5QeaqEehR-vUlTJd345SviQAWrjKE0uKoc-9JyQI01NfnIsl99t_yZagswFnDy73GLY6Lt-8Txe6re53DRm8nucpNdobJrQWjKXo3uNUvzd2Egu1XKIzrVTg430ftVt0qxx75b2ydZ-lmxVK9vvt/s320/1.png" width="224" /></a></div><br /><p><b>○上記以外で、とても役立つサイト</b><br />一般の方向け記事:免疫のしくみを学ぼう!<br />http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/public/public_001.html</p></div></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-77070567269021759222024-01-23T16:02:00.000+09:002024-01-23T16:02:46.481+09:00日本小児アレルギー学会が推奨「卵アレルギー予防として生後6カ月から微量摂取を」 食事制限は、子どものアトピー性皮膚炎の予防に必要か否か……<br /> 20年以上にわたって医師を取材してきた私の経験では、小児科と皮膚科では正反対の方針を取っている場合がほとんどでした。<br /><br /> 小児科医は、アトピー性皮膚炎の原因になりやすい鶏卵やピーナッツなどは摂取しないように指導しがちです。<br /><br /> 一方の皮膚科医は、最優先すべき治療はスキンケアという方針。そして行き過ぎた食事制限には否定的で、子どもの成長障害が起こる危険があると警告していました。<br /><br /> ほかにも、アトピー性皮膚炎に関しては「玄米菜食をベースとした食事療法だけで子どものアトピーが治った」「妊娠中に鶏卵などを食べないようにすれば、おなかの赤ちゃんがアトピーになりにくい」といった、出所がよくわからない情報もたくさん流れています。<br /> まさに混乱状態です。<br /><br /> そんな中、2017年6月16日に日本小児アレルギー学会が「鶏卵アレルギー発症予防に関する提言」を発表しました。その内容は、アトピー性皮膚炎の赤ちゃんが鶏卵アレルギーの発症を防ぐため、生後6カ月から医師の管理下で鶏卵を少しずつ摂取することを推奨するというものでした。<br /><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgn05HO1ZG1X81gz6rt9e_4C986BXd3q-xRciPJyGN0YYxjztY4YXABfuxKZJHgf5Bcywvzynd9GGPRQtltcsvcwgM9lX6vb9WmAqW3R9h__es9F7y-VasqIGN2U3YYEGF4IeDYywvelvH8/s1600/b7b38f88d3d9ebdf4f36ed4d0b201817_m.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1067" data-original-width="1600" height="213" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgn05HO1ZG1X81gz6rt9e_4C986BXd3q-xRciPJyGN0YYxjztY4YXABfuxKZJHgf5Bcywvzynd9GGPRQtltcsvcwgM9lX6vb9WmAqW3R9h__es9F7y-VasqIGN2U3YYEGF4IeDYywvelvH8/s320/b7b38f88d3d9ebdf4f36ed4d0b201817_m.jpg" width="320" /></a></div><br /><br /><b>生後6カ月からゆで卵を与えたら</b><br /><b>アレルギーの発症を約8割予防</b><br /><br /> 「鶏卵アレルギー発症予防に関する提言」に先立ち、日本小児アレルギー学会は2016年10月に「食物アレルギー診療ガイドライン」を改訂。アレルギーを招く食べ物の除去は必要最小限にして、原因食品を可能な限り摂取させる方針が強調されていました。<br /><br /><span style="font-size: xx-small;">〇日本小児アレルギー学会 「鶏卵アレルギー発症予防に関する提言」の発表について</span><br /><span style="font-size: xx-small;"><a href="http://www.jspaci.jp/modules/membership/index.php?page=article&storyid=205">http://www.jspaci.jp/modules/membership/index.php?page=article&storyid=205</a></span><br /><br /> 「食物アレルギー診療ガイドライン」には、国立成育医療研究センターのグループが行った研究が紹介されています。<br /> アトピー性皮膚炎を発症した乳児たちに、生後6カ月から固ゆで卵を少量ずつ与えると、固ゆで卵を与えなかった乳児たちと比較して、1歳になったときの鶏卵アレルギーを約8割予防できることがわかったのです。この研究結果は医学雑誌『ランセット』でも発表されました。<br /><br /> 一昔前ならば、アトピー性皮膚炎の子どもは血液検査を受け、「陽性」と結果が出た食べ物を完全に除去するように医師から指導されることが多かったものです。鶏卵は、陽性が出る代表的な食べ物です。<br /><br /> 「アレルギーを引き起こす可能性がある食べ物は子どもに与えない」という考え方が変わってきたのは、「経口免疫寛容」が確認されたためだと推測できます。<br /> 経口免疫寛容とは、口から体内に入った食べ物が私たちの体にとって必要であれば、アレルギーを起こさないという現象です。例えば、血液検査では鶏卵で陽性という結果が出たとしても、実際に鶏卵を食べたところで皮膚がかゆくなるなどのアレルギー症状は出ないのです。<br /><br /> 経口免疫寛容という現象から、次のようなことも推測できるでしょう。<br /><br /> ある食べ物が子どもの血液検査で陽性になったので、子どもに一切口にさせずに育てた。<br /> そのため、幼い頃から少しずつ食べていればアレルギーを起こさなかった食べ物であるにもかかわらず、経口免疫寛容の機会が与えらなかった。<br /> 結果として、子どもが成長したときに、その食べ物をちょっと口にしただけで重いアレルギー症状を起こすようになってしまった……<br /><br /><b>「摂取時期を遅らせても発症予防につながらない」が</b><br /><b>世界的コンセンサス</b><br /><br /> 経口免疫寛容の研究は10年ほど前から世界各国で行われるようになり、現在は、食物アレルギーの原因になりやすい食べ物を摂取し始める時期を遅らせても、発症予防にはつながらないということで意見が一致しているそうです。<br /><br /> 鶏卵を食べてすぐにじんましんや呼吸困難などのアレルギー症状が起こる子どもや、アトピー性皮膚炎を発症させて赤み・カサカサ・ジュクジュクといった「皮疹」が現れている子どもについては、鶏卵の摂取はアレルギー専門医とよく相談することが必要不可欠。<br /> しかし、上記にまったく当てはまらない子どもに対しては、厳しい食事制限は成長や発達に悪影響を与える可能性が高いのです。子どもの将来にはマイナスに働くかもしれません。<br /> 「鶏卵アレルギー発症予防に関する提言」は、自己流で厳しい食事制限を行っている人にとって食生活を見直すいいチャンスになるでしょう。<br /><br />〇関連書籍<br />『アトピー治療最前線』 NHK取材班 (編集) 岩波書店<br /><br /><iframe frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" scrolling="no" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&t=makimaki333-22&m=amazon&o=9&p=8&l=as1&IS1=1&detail=1&asins=4000024728&linkId=56291babbe491652298936d9573a86f1&bc1=ffffff&lt1=_top&fc1=333333&lc1=0066c0&bg1=ffffff&f=ifr" style="height: 240px; width: 120px;"> </iframe><br /><div><br /></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-90715252247609816482024-01-23T11:39:00.002+09:002024-01-23T12:06:52.344+09:00 「心臓や肝臓などは1つなのに、どうして腎臓と肺は2つあるのか」 文系人間が考えてみた<div style="text-align: left;"><span style="font-size: xx-small;">※フリーランスの編集者・ライターである『クラナリ』編集人(バリバリの文系)は、腎臓に関する記事や書籍に携わる機会が多いため、腎臓に関していろいろと考察しています。素人考えですが。</span></div><div><br /></div><div><br /></div><div><b>「心臓や肝臓などは1つなのに、どうして腎臓と肺は2つあるのでしょうね」</b></div><div><br /></div><div> ある版元の編集者が、打ち合わせのときに疑問を口にしました。それでネット検索するとヒットしたのが、以下のサイト。</div><div><br /></div><div><a href="goog_1697736840">なぜ肺や腎臓は2つあるの?</a></div><div><a href="https://www.kodomonokagaku.com/read/hatena/5326/">https://www.kodomonokagaku.com/read/hatena/5326/</a></div><div><br /></div><div><br /></div><div> <b><span style="font-size: large;">ねえねえ、</span></b><span style="font-size: large; font-weight: bold;">これって答えていることになるのかな……</span>(コナン君口調)</div><div><br /></div><div> サイトを見ながらつぶやいて、文系人間が独自に考察することにしました。もちろん、素人考えです。</div><div><br /></div><div> 心臓や肝臓など1つだけの臓器と、腎臓と肺との違い。それは、<b>「脊椎動物が陸上に進出した際に、重要性がグンと増した臓器であるかどうか」</b>ではないでしょうか。</div><div><br /></div><div> そんなわけで、水生生物と陸生生物とで肺・腎臓を比較してみようと思いました。</div><div><br /></div><div> ネット上での資料が充実していたのは、肺。そして、「これが答えだろう!」と思える研究にヒットしました。</div><div><br /></div><div><blockquote>現存する⽔中で⽣活をする肺を持つ⿂(古代⿂とも呼ばれている)と陸上⽣活をする有尾両⽣類を⽤いて、それらの肺の形態をシンクロトロン放射光 X 線を⽤いた詳細な画像解析を⾏うことで⽐較しました。その結果、⽔中で⽣活する⿂では、肺がつながっているのは 1 つの気管(吸気管)のみで、肺を 2 つ持つように⾒える場合は 1 つの肺が発⽣過程で⼆次的に拡張したものであることが分かりました。⼀⽅、陸上で⽣活する有尾両⽣類の肺はヒトと同じように 2 つに分枝した気管⽀が左右の肺に接続する対肺(paired lung)でした。系統図上で⽐較すると、<b>⿂から陸上脊椎動物へ進化した系統で、肺が 1 つから 2 つ(対肺)へ変化した</b>と推定されます。 </blockquote><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiUviPkFfbovtrg_O28oOr4s-FkKHf6-pprDgr-VyWJbK2eUpbz2L_XiXCLpP-IdNyv1fZ9WPd1NAx13ly-m6bPFtAL1Dk2X5GdcJJX1dbCeVpqNLqkhCbRCFriq8Yf__4RtUs8b22uR1FCu46hIWS05zmDJgZsBjOwrJnnI5VpdUx_TRhy3x-biJhXIZzp/s567/1.png" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="298" data-original-width="567" height="168" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiUviPkFfbovtrg_O28oOr4s-FkKHf6-pprDgr-VyWJbK2eUpbz2L_XiXCLpP-IdNyv1fZ9WPd1NAx13ly-m6bPFtAL1Dk2X5GdcJJX1dbCeVpqNLqkhCbRCFriq8Yf__4RtUs8b22uR1FCu46hIWS05zmDJgZsBjOwrJnnI5VpdUx_TRhy3x-biJhXIZzp/s320/1.png" width="320" /></a></div><p></p></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="goog_1697736841">脊椎動物の水から陸への進出にともなう肺の進化を世界で初めて解明</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="goog_1697736841">東京慈恵会医科大学、東京大学大学院理学系研究科、北九州市立自然史・歴史博物館、リオデジャネイロ州立大学</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="goog_1697736841">https://medical.jiji.com/topics/2732</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.jikei.ac.jp/news/pdf/press_release_20220825.pdf">https://www.jikei.ac.jp/news/pdf/press_release_20220825.pdf</a></span></div><div><br /></div><div> 肺を持つ魚、つまり肺魚の研究です。肺が2つあるように見えても、実は1つの肺が広がっていって「2つに見えるだけ」の状態だったようですね。</div><div><br /></div><div> 最初に陸上進出を果たした脊椎動物である両生類は、肺魚から進化したと考えられています。ですから、肺魚のときに分岐した肺が、背骨をまたいで両生類では2つに変化したという話です。</div><div><br /></div><div> この研究結果を見て、「肺だけでなく腎臓も同様に、脊椎動物が陸上に進出するタイミングで1つから2つへと変化したのではないか(あるいは、2つに変化したものが生き延びたのではないか)」ということ。周りに水がある環境からない環境へと移動した中で、体の機能を維持するために体内に水分を保持するシステムを発達させる必要が出てきました。そのシステムの中心的な役割を果たしている臓器が、腎臓です。</div><div><br /></div><div> 浮力が働いていた水中生活とは違って、陸上進出では重力をモロに受けるため、その力に耐えられるように骨格も発達しました。肺、腎臓、骨格(背骨)を発達させた結果が、「背骨の両サイドに肺と腎臓」という配置になったのではないかと推測できるわけです。</div><div><br /></div><div> 一方、<b>心臓や肝臓などは陸上進出の影響をそれほど受けなかったため、1つのままで事足りた</b>ということになります。</div><div><br /></div><div> では、実際のところ、どうなのでしょうか。進化の過程をたどるために、まずは水中で生活する脊椎動物について見ていきましょう。</div><div><br /></div><div> 最も原始的段階の脊椎動物は円口類(ヤツメウナギ、ヌタウナギなど)と呼ばれ、ここから、体のすべての骨が弾力性のある軟骨でできた軟骨魚(サメやエイ、ギンザメなど)、そして石灰質が多く含まれた硬い骨を持つ硬骨魚へと進化していきます。</div><div><br /></div><div> コトバンクで見つけた株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」が出典の「脊椎動物の腎臓の外部形態」という図では、ヤツメウナギの腎(前腎?)が何を指しているのかわからず、軟骨魚については副腎・腎臓(に相当する臓器?)の一部が2つに分かれた状態(上腎体)で、硬骨魚も同様に一部が2つに分かれた状態(頭腎)でした。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://kotobank.jp/word/%E8%85%8E%E8%87%93-82122#goog_rewarded">https://kotobank.jp/word/%E8%85%8E%E8%87%93-82122#goog_rewarded</a></span></div><div><br /></div><div><br /></div><div> 頭腎は、哺乳類の副腎組織に相当する内分泌組織、そして体腎には尿細管や糸球体などの泌尿器系組織が観察されるとのことで、腎臓として働いているのは体腎ということになります。</div><div><br /></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="goog_1697736842">魚類造血機構の解明</a></span></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://hp.brs.nihon-u.ac.jp/~vetfish/fishpatho.pdf">https://hp.brs.nihon-u.ac.jp/~vetfish/fishpatho.pdf</a></span></div><div><br /></div><div> となると、魚で腎臓として働く臓器は1つ。どちらかという副腎がメインで2つに分岐しているという印象です。それが陸上に進出し、両生類で腎臓が大きくなり、2つに分かれたのでしょうか。肺魚の腎臓については、残念ながら形がよくわからず……</div><div><br /></div><div> 「こんなことになるなら、高校時代にちゃんと生物を勉強するんだった……」と、しみじみ思っているところです<span style="font-size: x-small;">(『クラナリ』編集人が卒業した公立高校は、当時の校長が理科好きのため、文系を選択した生徒でも理科を3教科も取らされたのでした)</span>。</div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-43703920800315606732024-01-20T13:00:00.001+09:002024-01-21T16:56:52.024+09:00 消費のトレンドは「モノ」「コト」「トキ」「イミ」と来て、今は「エモ」?<div style="text-align: left;"><b>モノ消費:商品の所有を重視する</b>(商品そのものの機能性やブランド価値などを求める)</div><div><b>コト消費:体験や経験を重視する</b></div><div><b>トキ消費:特定のタイミングでしか体験できないことを重視する</b>(非再現性、参加性、貢献性)</div><div><b>イミ消費:商品を持つことよりも、消費における社会貢献や他者支援、環境保全を重視する</b></div><div><b>エモ消費:共感やうれしさといった感情(エモーショナル)を重視する</b>(応援消費、物語消費、商品自体よりも周辺の世界観などを求める、必要かどうかは考えない、よくわからないけどなんとなく買っちゃう)</div><div><br /></div><div>*******</div><div><br /></div><div> 私事ですが、中高年を対象にした、Z世代とのコミュニケーションの取り方に関する本を手掛けています。</div><div><br /></div><div><blockquote>Z世代とは、1990年代半ばから2010年代序盤に生まれた世代で、2023年現在12歳~28歳前後の年齢層に当たります。デジタルネイティブ、SNSネイティブとも呼ばれるZ世代は、タイパ(タイムパフォーマンス)重視の効率主義、強い仲間志向、仕事よりプライベート重視、多様性を重んじるなど、従来の若者以上に特徴的な価値観を持っています。</blockquote></div><div><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/lst/alphabet/generation_z">https://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/lst/alphabet/generation_z</a></span></div><div><br /></div><div> 私はZ世代(=子どもたち)と暮らしていて、スマホとそれに付随するサービス(SNSなど)が生まれたときからある世代と、そんなものはなかった世代との差は、常々感じてきました。</div><div> また、80代で亡くなった義母の荷物を整理している際にも、あまりの物の多さに、自分との価値観の差を実感したものです。</div><div><br /></div><div> そんな日常から、時代とともに消費のトレンドも移り変わることは、肌身に染みています。</div><div><br /></div><div> Z世代を理解するためのキーワードの一つである「エモ消費」について調べる中で、興味深い記事がヒットしました。</div><div><br /></div><div><a href="goog_539612868">ヴィレヴァンが知らぬ間にマズいことになってた</a></div><div><a href="https://toyokeizai.net/articles/-/728491">https://toyokeizai.net/articles/-/728491</a></div><div><br /></div><div> 記事タイトルにある「ヴィレヴァン」は、「遊べる本屋」をキーワードにした雑貨店兼書店であるヴィレッジヴァンガードの略。ヴィレッジヴァンガードは1986年創業で、当時はかなり話題になっていたので、関東に出店した際には私も足を運びました。</div><div> そんなヴィレッジヴァンガードが、「黒字化と赤字転落を繰り返し、経営の足取りはふらついている」という事態だそうです。</div><div><br /></div><div> 不調の原因として、記事では次の2点が挙げられています。</div><div></div><blockquote><div>①ヴィレヴァンを支える「サブカル」という言葉が曖昧になり、その空間も曖昧になった。</div><div>②「世界観」を強く訴求することと、消費者のニーズに齟齬がある。</div></blockquote><div></div><div> </div><div> ②の「世界観」と共通するのが、<b><span style="font-size: large;">「押し付けがましさ」</span></b>だと筆者の谷頭和希さんは述べています。比較されている企業がドン・キホーテとブックオフ。</div><div> </div><div> ドン・キホーテもヴィレッジヴァンガードも、ごちゃごちゃした迷路のような店舗デザインで、特徴的な宣伝POPがある点でも似ています。コト消費の場だったと考えられますね。ごちゃついた空間で商品探しという経験も消費していたというわけです。</div><div><br /></div><div> ブックオフについては、本と雑貨を扱っている点で、商品が共通しています。また、「平成を支えてきたカルチャー企業」という見方もあるようです。</div><div> </div><div> ドン・キホーテもブックオフも、時代の変化とともに商品のラインナップなどを変えてきたと谷頭さんは述べていました。</div><div> 確かに、近所のブックオフではオモチャや衣類などが大量に置かれていて、本については立ち読みしている人はいるものの、購入している様子はほとんど目にしていません。実は私も、雑貨など本以外の商品ばかりを買っています、ブックオフという店名なのに。</div><div><br /></div><div> 私自身は本を作る仕事をしてきましたが、本の存在自体、「押し付けがましさ」の塊といえるかもしれません。物知りやえらそうな肩書きを持つ著者が「教えてやる」という態度で文章をまとめているという側面があり、エモ消費で重視されている共感やうれしさは軽く見られている気もします。</div><div><br /></div><div> また、80代で亡くなった義母の荷物からは書道に関する本が大量に出てきて、これはどちらかというとモノ消費の傾向が強いと私は思いました。「本を並べる=インテリジェンスな雰囲気を出せる」という、一種のブランド効果ですね。読むこと以上に持っていることに価値を感じていたのでしょう。そんなとらえ方自体が、エモが重視される現在だと古臭いというわけです。</div><div> </div><div> デジタルネイティブのZ世代には、「押し付けがましさ」だけでなく、物理的に邪魔になるという点でも、本の価値は下がっているのかもしれません。うちの高校生は、紙の辞書ではなく電子辞書を使っています。</div><div> 加えて、本の著者や編集者が醸し出している自己顕示欲や、「本は文化だ!」「読んでわからない奴は頭が悪い(あくまでもニュアンスで……)」という選民感も、共感を重視する世代においては鼻つまみものなのでしょう。そんな本にこだわっているヴィレッジヴァンガードだから、苦境に陥っているという可能性もあります。そして本を作ることを生業にしてきた私も、やはり苦境といえます。</div><div><br /></div><div> 最後に、何の脈絡もありませんが、エモいネコの寝顔の画像を置いておきます。言葉はいらない、最強の存在だな……</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiB4DWjM-kSL01D2DmGNXyA7MUKT0BAohnsUn-y4hH7mX19QBSy0_fnlOVZvJaDiYMzu9LIrhpfzEJDM4qLeWMgxkFnuUsYDmG2t9YtFn6_qFso74Y2fGegOOfv9Hz4JRJWeUqzZNMQ_sDys6ev5E6SER7-yoyQarNMrfFkSeUrUlZk7hnKpbzXooS0vUOb/s1600/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1014" data-original-width="1600" height="203" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiB4DWjM-kSL01D2DmGNXyA7MUKT0BAohnsUn-y4hH7mX19QBSy0_fnlOVZvJaDiYMzu9LIrhpfzEJDM4qLeWMgxkFnuUsYDmG2t9YtFn6_qFso74Y2fGegOOfv9Hz4JRJWeUqzZNMQ_sDys6ev5E6SER7-yoyQarNMrfFkSeUrUlZk7hnKpbzXooS0vUOb/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">photo/<a href="https://www.pakutaso.com/20220534140post-40387.html">ぱくたそ</a></span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div><b style="font-size: small;">■参考資料</b></div><div><a href="goog_539612870"><span style="font-size: x-small;">Z世代は「エモ」でモノを買う。これからのマーケティングで重視すべき「エモ消費」とは</span></a></div><div><a href="https://comemo.nikkei.com/n/n3909ae758815"><span style="font-size: x-small;">https://comemo.nikkei.com/n/n3909ae758815</span></a></div><div><span style="font-size: x-small;"><br /></span></div><div><a href="goog_539612871"><span style="font-size: x-small;">現代消費潮流概論-消費文化論からみるモノ・記号・コト・トキ・ヒト消費-</span></a></div><div><a href="https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=69930?pno=1&site=nli"><span style="font-size: x-small;">https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=69930?pno=1&site=nli</span></a></div><div><br /></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1075662530734610429.post-89845245218122154172024-01-17T11:54:00.001+09:002024-01-17T11:54:54.077+09:00生きているから死ぬという、当たり前の話 『超圧縮 地球生物全史』<div style="text-align: left;"><b> 「今」がすべてではなく、絶え間なく時間は過ぎゆき、生き物は誕生したからには滅亡する運命にある。</b></div><div style="text-align: left;"><b> 地球という星についてもそうだ。誕生したからには滅亡する。</b></div><div><br /></div><div> こうやって書いてしまうとあまりにも陳腐なのですが、この事実をとてつもない説得力を持って突きつけてくるのが<a href="https://amzn.to/48N0hgC">『超圧縮 地球生物全史』(著/ヘンリー・ジー ダイヤモンド社 )</a>。なんでも世界的ベストセラーなのだそうで、一読するとそれも納得します。</div><div> とにかく、文章のテンポがよく、かなり上手。読みだしたら、止められません。</div><div><br /></div><div> 宇宙が急激に膨張し、水素やヘリウム、炭素、酸素などの物質が作られ、小さな塊がぶつかって地球ができたのがおよそ46億年前のこと。</div><div> 「コンロで煮えたぎる鍋」のような状態を経てから、生命が海で生まれたのが38億年前。</div><div> 「大酸化イベント」や「スノーボール・アース(全球凍結)」といった「終末論的な災害」で、生き物の多くが死んで、新しい種に置き換わって、生命という存在は続いてきました。</div><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirJ_-md3fdebWx27aqRzduCMwForsLLzp346HgBa_gEecBneGbzni1Unp1SmhcLP8lBaN0KVruYKb3vDtcYUs7PN_44Ew-6Aic8FERnQPGsvLDUNN8YOPxPJnS4tbCSa9Mi5sUirixilMtFpWG9s6Cl96lbrT3go9kRNI8RM0LaYCK130wzgsg_UPH53kB/s748/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="647" data-original-width="748" height="277" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirJ_-md3fdebWx27aqRzduCMwForsLLzp346HgBa_gEecBneGbzni1Unp1SmhcLP8lBaN0KVruYKb3vDtcYUs7PN_44Ew-6Aic8FERnQPGsvLDUNN8YOPxPJnS4tbCSa9Mi5sUirixilMtFpWG9s6Cl96lbrT3go9kRNI8RM0LaYCK130wzgsg_UPH53kB/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;">Adapted from Press and Siever, 2000 - Understanding Earth</span></td></tr></tbody></table><br /><div><br /></div><div> 38億年の間に、消えていった無数の生き物たち。私たち人間も、そんな生き物のうちの一つに過ぎません。</div><div><br /></div><div><blockquote> 今後数千年のあいだに、ホモ・サピエンスは消滅するだろう。その原因の一つは、長いあいだ未払いになっていた「絶滅の負債」を返済しないといけないから。</blockquote></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div> 人間には感情があるため、自分の命がつい永遠に続くように錯覚するし、自分や他人の死を恐れるし、地震・噴火その他で家などが失われると悲しむわけで、この感情というのがなかなかに面倒くさいものです。ただ、先輩に当たる生き物たちはこうした現象を淡々と受け止めていたのだろうと、38億年の歴史に思いをはせるわけです。</div><div><br /></div><div><br /></div><div></div><blockquote><div>地球を救え!</div><div>このようなスローガンを目にすると、</div><div>それなら、プレートテクトニクスを止めてみろよ!</div><div>といい返したくなるし、</div><div>いますぐ、プレートテクニクスを止めてみせろよ!</div><div>とまで、反論したくなる。</div><div> 結局のところ、地球は、ホモ・サピエンスが出現する46億年前から存在しており、ホモ・サピエンスがいなくなった後もずっと存在しつづける、大きすぎる存在なのだ。</div></blockquote><div></div><div> </div><div> プレートテクトニクスでは、デジタル大辞泉と世界大百科事典で、次のように説明されています。</div><div><br /></div><div><blockquote>地震・火山活動・造山運動などの地球表面の大きな変動は、各プレートが固有の方向に動くために、プレートの境界で起こるという学説。</blockquote></div><div><blockquote>固体地球の表面が十数個のかたい板(プレートplate)によってすきまなく覆われていて,それらの板どうしの相対運動に基づいて板と板との境界に沿って種々の地学現象が引き起こされるとする考え。</blockquote><table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><tbody><tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhye0rgvA3PHrVeqKh_MUoVIzP422y6swlZSl0YBOmFDjcw9JHYy6VVkWWfW-UVGKV1LFiekY2aYGBzarbu9Bf1VxCmD29JhCAA5EaZhPmGl7JxlSyiZ8LgumDM53dGVh0_9-pxIa7ks_LrgcsuL0x9f2FfAoEGzpR9DCy1TiTGrZSJtF49l09Bxl6WtHND/s719/1.png" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="534" data-original-width="719" height="238" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhye0rgvA3PHrVeqKh_MUoVIzP422y6swlZSl0YBOmFDjcw9JHYy6VVkWWfW-UVGKV1LFiekY2aYGBzarbu9Bf1VxCmD29JhCAA5EaZhPmGl7JxlSyiZ8LgumDM53dGVh0_9-pxIa7ks_LrgcsuL0x9f2FfAoEGzpR9DCy1TiTGrZSJtF49l09Bxl6WtHND/s320/1.png" width="320" /></a></td></tr><tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;"><span style="font-size: xx-small;"><a href="https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/jishin/about_eq.html">気象庁 HP</a> より</span></td></tr></tbody></table><br /><p> </p></div><div><br /></div><div> ホモ・サピエンスは約30万年前にアフリカで誕生し、地球上を移動しながらほかのホモ属のDNAを取り入れて繁栄した後に、ほかの生き物と同様に消えていくことになるのでしょう。</div><div><br /></div><div> 今年の元日には能登半島地震が起こりました。</div><div> 私たちはなすすべもなく、生命のありようを眺めているだけなのですが、最後に著者の言葉を借りたいと思います。</div><div><blockquote> 絶望してはいけない。地球は存在し、生命はまだ生きている。</blockquote></div><div><br /></div><div> ちなみに、現在の一部の教科書では、最古の人類として紹介されているのがアウストラロピテクスではなく、サヘラントロプス・チャデンシスとのこと。</div><div><a href="goog_37798189"><span style="font-size: xx-small;">最古の人類はアウストラロピテクスからサヘラントロプス・チャデンシスに</span></a></div><div><a href="https://www.nikkei.com/article/DGXMZO72199060U1A520C2W11300/"><span style="font-size: xx-small;">https://www.nikkei.com/article/DGXMZO72199060U1A520C2W11300/</span></a></div><div></div><blockquote><div>【目次】</div><div>1章 炎と氷の歌</div><div>太陽が生まれた瞬間</div><div>生まれたころの地球</div><div>コンロで煮えたぎる鍋のように</div><div>生命の誕生</div><div>三〇億年の支配者</div><div>宇宙でもっとも危険な物質</div><div>終末論的な災害</div><div>驚異のバクテリア</div><div>スペシャリストと分業制</div><div>もっと奇妙なこと</div><div>地球上の生命は……</div><div><br /></div><div>2章 生物、大集合</div><div>超大陸の分裂</div><div>海綿のたゆまぬはたらき</div><div>肛門の発達がもたらしたもの</div><div>逆境の時代の回復力</div><div>奇妙な美しさを持つ生き物</div><div>食べられない方法を探す</div><div>「内側がない」動物</div><div>三葉虫はすごい</div><div>風変わりな生き物たちの動物園</div><div>頭足類の化石の歴史</div><div>カンブリア紀の生命の開花</div><div>化石記録に名を記した最初の魚</div><div><br /></div><div>3章 背骨のはじまり</div><div>小さな生き物ののぞみ</div><div>「鎧」で防御する</div><div>逃げろ!</div><div>オズの魔法使い</div><div>体のほとんどが尻尾</div><div>脊椎動物の進化</div><div>人間はとても大きい動物</div><div>悪夢のような生物</div><div>「鎧をまとったヤツメウナギ」のように</div><div>全く新しい動物</div><div>最強の捕食者</div><div>最古の脊椎動物の微笑み!?</div><div>議論の余地</div><div><br /></div><div>4章 渚に打ち上げられて</div><div>魚でごったがえした海</div><div>最初の樹木</div><div>緑に覆われる大地</div><div>葉っぱの下の小さなドラマ</div><div>ちょっと変わった魚類</div><div>保守的なシーラカンス</div><div>捕食者たち</div><div>四肢動物の足跡</div><div>絶滅の危機</div><div>足のある奇妙な総鰭類</div><div>パンゲア大陸の暗くて蒸し暑い森</div><div>彼らは、いつの日か……</div><div><br /></div><div>5章 羊膜類あらわる</div><div>陸地の奪還</div><div>西部戦線のように</div><div>ヒカゲノカズラと石炭</div><div>両生類の繁栄</div><div>新世界に移住するための「宇宙服」</div><div>水の支配からの脱却</div><div>負債を返すとき</div><div>草食動物の奮闘</div><div>ディメトロドンの背中の帆</div><div>地球上を闊歩した樽型の生物</div><div>競争が激化した世界</div><div>追い詰められる陸上生物</div><div>絶滅、絶滅、絶滅</div><div>三葉虫の旅立ち</div><div>ほとんど生き残らず</div><div>生命は戻ってくる</div><div><br /></div><div>6章 トライアシック・パーク</div><div>数千万年の復興</div><div>勝ち残ったものたち</div><div>は虫類のカーニバル</div><div>脚を失うトカゲ</div><div>五メートルの怪物</div><div>ワニのような「ハイウォーク」</div><div>空への進出</div><div>最古の恐竜たち</div><div>超大陸の分裂・生命の宝くじ</div><div><br /></div><div>7章 空飛ぶ恐竜</div><div>五トンの怪物</div><div>恐竜の呼吸はすごい</div><div>史上最大の陸上動物</div><div>恐竜が成功したもう一つの鍵</div><div>恐竜、空へ飛びたつ</div><div>離陸する二つの方法</div><div>オルドビス紀のそよ風</div><div>小型ほ乳類のパラシュート飛行</div><div>始祖鳥の翼</div><div>命の灯火</div><div>飛べない鳥たち</div><div>無数の鳥たちのさえずり</div><div>菜食主義のワニ</div><div>花を咲かせる植物の登場</div><div>たった一撃で……</div><div>大絶滅、姿をあらわすほ乳類</div><div><br /></div><div>8章 素晴らしきほ乳類たち</div><div>むかしむかし……</div><div>鼓膜の誕生</div><div>人間は耳が悪い</div><div>逃げ出した魚の顎関節</div><div>小さく、毛深く</div><div>カモノハシやハリモグラの祖先</div><div>代謝の速い活動的な動物</div><div>体重に匹敵する昆虫を食べよ!</div><div>ほ乳類は夜に遊ぶ</div><div>脂肪とタンパク質が豊富な「乳」</div><div>恐竜がニッチを埋める</div><div>ほ乳類の進化と拡張</div><div>有袋類の長く輝かしい歴史</div><div>とっちらかった世界</div><div>バスくらいの大きさがあるヘビ</div><div>クジラは海へ……!</div><div>急速に変わりゆく世界</div><div><br /></div><div>9章 猿の惑星</div><div>南極の長い冬の夜</div><div>奇妙な新しい贈り物</div><div>類人猿の鳴き声</div><div>直立歩行のはじまり</div><div>腰痛が大きな悩みの種</div><div>動物界のエリート戦闘機</div><div>未解決の問題</div><div>樹上も、地上も</div><div>新鮮な肉と優れた石器</div><div><br /></div><div>10章 世界を股にかける</div><div>終わりを告げる鐘</div><div>時には近く、時には遠く</div><div>地軸の傾き</div><div>ポラリスはやがて……</div><div>一〇万年ごとの寒波</div><div>深層海流の循環システム</div><div>ホモ・エレクトゥス</div><div>火を使う</div><div>「つがいの絆」と不倫</div><div>死後の世界はない</div><div>もっとも美しい道具の製作者</div><div>私たちが本当に世界を見ることができたなら</div><div>各地に進出するホモ・エレクトゥス</div><div>サイを狩る</div><div>数奇な運命</div><div>脳を維持するためのコスト</div><div>地球には巨人がいた</div><div>ネアンデルタール人の繁栄</div><div>アフリカからやってきた種</div><div><br /></div><div>11章 先史時代の終わり</div><div>生命の繁栄</div><div>脂肪を蓄える目的</div><div>生殖と寿命のあいだ</div><div>長老たちの知恵</div><div>悲痛な叫び</div><div>ホモ・サピエンスの進出</div><div>ある場所では死に絶え……</div><div>熱帯気候化したヨーロッパ</div><div>道具の開発、高度な技術</div><div>壊滅的な噴火</div><div>移動する人類</div><div>ネアンデルタール人との交配</div><div>ネアンデルタール人の絶滅</div><div>洞窟壁画と儀式</div><div><br /></div><div>12章 未来の歴史</div><div>絶滅の形</div><div>ホモ・サピエンスの絶滅の可能性</div><div>たった一発の銃弾</div><div>到来する氷河時代</div><div>独り占めする人類</div><div>「絶滅の負債」を返済するとき</div><div>大氷河時代</div><div>次々と死に絶える</div><div>地球の歴史と二酸化炭素</div><div>ゆっくりと着実に</div><div>分業と効率的な生産</div><div>もっと大きく、もっと速く、もっと遠くへ</div><div>生命の進化と多細胞生物</div><div>大地に広がる菌類</div><div>花の進化と昆虫の進化</div><div>「コロニー」は超生物</div><div>植物の未来</div><div>生命は深海や地中に集中する</div><div>約八億年後の未来</div><div><br /></div><div>エピローグ</div><div>ホモ・サピエンスが特別な理由</div><div>「第六の絶滅」か?</div><div>私たちの惑星</div><div>人類の課題</div><div>地球の「外」へ</div><div>生命は……</div><div><br /></div><div>年表1 宇宙のなかの地球</div><div>年表2 地球上の生命</div><div>年表3 複雑な生命</div><div>年表4 ほ乳類の時代</div><div>年表5 人類があらわれる</div><div>年表6 ホモ・サピエンス</div></blockquote><div></div>知恵の木http://www.blogger.com/profile/17618029944880412664noreply@blogger.com