市川 芸妓ものがたり 8 ~ かつて芸妓が食べたすしを、私も 鮨会館 林屋
「芸妓さんが、うちのすしを? ええ、食べに来ていましたよ。10年ぐらい前まで」
そんなお話を、「鮨会館 林屋」でお聞きしました。すしがちょっと食べたくなって訪れたお店ですが、「創業明治七年」と書かれていたので、かつていた市川の芸妓さんについて質問したのです。
明治7年は、西暦だと1874年で、147年前に当たります。
店内には、1904年(明治37年)に撮影されたとされる写真が貼られていました。
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https://smtrc.jp/town-archives/city/ichikawa/index.html |
「最初は千葉街道沿いにあったんですけど、昭和24年に真間に移転したんです」
千葉街道(国道14号)には、かつて「三本松」と呼ばれた立派な松があり、市川市の名所だったとされています。
その三本松のすぐ隣に、当初は茶店だった林屋がありました。
1928年(昭和3年)に松井天山が発表した「千葉縣市川町鳥瞰」にも、「御料理 林屋」と記載されていました。
ただ、1885(明治18)年に、国府台に陸軍教導団などの陸軍施設が設置されました。その後は陸軍を中心に町が変化していき、千葉街道は道路を拡張することになったため、1949年(昭和24年)に林屋は移転することになりました。
今の店舗があるところはもともとは酒屋で、その裏に林屋はあったのだそうです。酒屋が廃業する際に、手児奈橋通りに面しているので移ったのだとか。酒屋だった建物をすし屋に改築したとのことでした。
手児奈橋通りには、市川二業組合検番がありました。「二業」とは、待合茶屋と置屋(芸者屋)のこと。待合茶屋に、すしの出前も行っていたのだとか。
「芸妓さんたちは、真間に住んでいましたね」
市川二業組合検番からは、三味線や踊りの練習をしている音などが聞こえてきたのだそうです。
かつては手児奈橋通りを、三味線を抱えた芸妓たちが行き来していたのでしょうか。
今の様子からは、まったく想像ができません。
真間から芸妓が消えたのは、高齢化が進んだからのようです。時代の変遷とともに、芸妓になりたがる若い人が減っていったのかもしれません。
江戸前すしをつまみつつ、花街だった市川真間の懐かしい風景をお聞きしました。
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しょうゆ皿にも趣を感じる |
■鮨会館 林屋
千葉県市川市真間2-10-11
千葉県市川市真間2-10-11
※出前あり
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