市川 芸妓ものがたり 6 ~語り継がれない歴史の一幕
「花街」という言葉から受けるイメージについては、世代や地域によって大きく異なるのではないでしょうか。
若い女性だと、例えば京都の先斗町のように、日本の伝統が残された、雅な観光地。
一方、70~80代では、いかがわしい場所という印象を抱いていると考えられます。
前者の場合は、花街は文化や景観であり、そこで音楽や踊りといった芸を芸妓は売って生業としています。
後者については、花街は遊郭や色町と、そして芸妓は娼婦と同一視され、撲滅すべき対象と見られているわけです。
後者のイメージがあることから、市川の公的な資料には芸妓についての記載が非常に少ないのかもしれません。
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『陽暉楼』画像はhuluより |
華やかな花街を支えていた職業の一つが女衒であり、生業にしていた人々がいたということです。
市川の花街は、市川市のガイドブックには決して載っていない話 ~松戸街道 と同様に、公には語られないものとして、歴史に埋もれていってしまった可能性があります。
※『陽暉楼』
昭和初期に高知にあった料亭「陽暉楼」を舞台にした宮尾登美子の小説
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