経由する車が多くて、どこもかしこも渋滞する市川の道路事情 その3 金権千葉で「忘れられた辺境」だった市川市
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| 出典:千葉新産業三角構想1988年66号 |
高度成長期に日本、中でも東京都の人口が増え続ける中、一極集中に限界があると考えられました。そして「都心を分散させる」という考えが生まれます。
東京都の施策で言えば、新宿や渋谷などの副都心、国の施策で言えば、横浜や千葉などの業務核都市、それらの拠点都市では情報化や国際化をキーワードにさまざまな開発プロジェクトが打ち上げられた。
「都心を分散させる」の延長線上に、千葉県千葉市の幕張新都心など「副都心」「新都心」というワードがあるのでしょう。
工場についても、地域分散という方針から、千葉県の湾岸では埋め立てと工場誘致を進められます。1953(昭和28)年に川崎製鉄の工場が稼働し始め、翌年には千葉港が開港して、京葉工業地域(京葉臨海工業地帯)が発達していきました。
空港は、かつては国際線の離発着はすべて羽田空港だったのですが、滑走路が延長できなかったなど、需要に追いつけなかったことなどから、成田国際空港(当時は新東京国際空港)が建設され、1978(昭和53)年に開港しました。こうして成田が、首都圏の国際物流拠点となりました。
道路は、1961(昭和36)年に、松永安左エ門氏が主宰したシンクタンクの産業計画会議が、「東京湾横断堤」という名で、現在の東京湾横断道路(東京湾アクアライン)が提言されました。
「都心を分散させる」
国も千葉県も、成田国際空港と幕張新都心を重きを置いて、開発を進めようとしたのでしょう。
その一例が、幻と消えた成田新幹線です。
幕張新都心については、1967(昭和42)年 に、海浜ニュータウン計画を千葉県が発表します。稲毛・検見川・幕張を埋め立て、24万人が居住できる住宅地を作る計画が発表されました。
1973(昭和48)年から若葉住宅地区(当時は幕張新都心A 地区)が造成され始め、千葉県は1976(昭和51)年に「学園のまち」構想を発表し、文教地区として大学や研究所の誘致を目指しました。しかし、うまくいきませんでした。
本命は早稲田大学だったが、キャンパスの誘致競争は埼玉県所沢市に軍配が上がった。その後、大学では都心回帰が進展。少子化も手伝って教育機関の誘致は難航し、県は08年に住宅用地としての利用に方針転換した。
そしてバブル崩壊後は、ゴーストタウンと呼ばれたこともあったそうです。
都心から約30キロメートルに位置する「幕張新都心」。始まりは戦後の食料増産のための埋立地(1945年)で、その後は中小工場用地、次に計画人口24万人の海浜ニュータウン(67年)、首都機能を分散する業務機能(75年)と次々を計画が変更された経緯を持つ。やっと都市整備基本計画が決まったのが85年。88年から業務地区の分譲が開始されたが、地価高騰のバブル期ということもあり、賃料が安く都心から1時間以内ということで、次々と新都心に企業が進出した。しかし、バブル崩壊で幕張新都心をめぐる環境は激変、進出企業は撤退へ。幕張新都心の顔である「幕張メッセ」(89年オープン)も、その後「東京ビッグサイト」や「東京国際フォーラム」の登場で競争力は低下。新都心の計画就業者人口15万人は4.7万人にとどまり、夜はゴーストタウンと揶揄されるように街のにぎわいもない。新都心への唯一の公共交通・JR京葉線は運行本数が少なく、臨海部のため強風でよく止まるなど、数々の問題点がネックとなり、新都市発展のブレーキとなっている。
開発が続いて巨額のカネが動いた高度成長期の千葉県で、利益の調整を行ってきたのが、首長である知事でした。
「金権千葉」
千葉県に根深い「政治とカネの問題」は、1981(昭和56)年に表面化しました。川上五千万円念書事件です。
3選を目指した自民党推薦の川上紀一知事(当時、任期:1975-1981年)が、選挙資金5000万円を開発業者から受領したとする念書がでてきたのです。
それでも出馬をあきらめない川上氏と、別の候補を担ぐ自民党の勢力が争い、結局、別の候補に一本化され、同年の選挙で沼田武知事が誕生。沼田知事は5期20年(任期:1981-2001年)を務めました。
そんな千葉県が1983(昭和58)年に打ち出したのが、千葉新産業三角構想です。三角の頂点は、幕張(千葉市)・成田・木更津でした。
○幕張新都心構想(幕張):最先端企業→ハイテク産業
○成田国際空港都市構想(成田):工業団地
○かずさアカデミアパーク構想(木更津・君津):149ha (産業用地)の研究学園都市→バイオテクノロジー
千葉新産業三角構想に含まれるかずさアカデミアパーク構想の一環で、1994(平成6) 年にかずさDNA研究所が開設されました。
また、1997(平成9)年に、木更津市でかずさアカデミアセンター(かずさアーク)がオープン。センター内に、かずさアカデミアホール(滞在型コンベンション施設)・オークラアカデミアパークホテル・アクアかずさ(スポーツクラブ)といった施設があります。
| かずさアカデミアセンター(出典:かずさアーク) |
なお、2010(平成22)年には第三セクターの運営法人である株式会社かずさアカデミアパークが民事再生法を申請して経営破綻。民事再生手続きを経て民間会社に移行しました。
千葉県が筆頭株主(35.9%出資)になっているほか、木更津市、君津市や大手企業、金融機関からの出資を得ている第三セクターで、2006年3月期には年収入高約30億4700万円をあげていたが、設立以来借り入れ主体の経営状況から脱せず、大幅な欠損計上を余儀なくされていた。2009年3月期も依然として採算ベースには届かず年収入高約28億2100万円にとどまり、連続欠損から脱却出来なかった。今期に入ってからも、リーマン・ショック以降の景気悪化は依然として解消されず、厳しい経営環境が続いていたことから、今回の措置となった。
2026(令和8)年5月29日の時点で「かずさアーク」サイトでは、千葉県総合企画部長だった人と同姓同名の人が代表取締役社長、また、株式会社ホテルオークラ、株式会社TOKYO TOWER、株式会社マザー牧場、グリーンコア株式会社が株主となっていました。
非常に長い前置きとなりました。
ここまでで市川市を含む葛南地域、それから東葛地域がまったく登場していません。つまり、高度成長期の千葉県では「忘れられた辺境」だったのです。
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| 出典:千葉新産業三角構想1988年66号、一部改変 |
葛南・東葛飾地域は、千葉県にとっては端っこ、東京にとっては隣ということで、「都心を分散させる」という観点からは中途半端なロケーションです。
しかも東京からあふれ出してきた人々が江戸川を越えて対岸の千葉県にやってきたことから、葛南・東葛飾地域には早くに住宅地も形成されていて、道路を通す、あるいは幅を広くするには面倒なエリアでもあります。カネにならないということで、金権千葉の政治家の興味も薄かったのではないかと考えられます。
2025(令和7)年国勢調査の人口速報値では、日本の総人口は1億2304万9524人で、2020(令和2)年よりも309万6575人(2.5%)減り、本日付の日本経済新聞で「進む東京一極集中、埼玉・千葉・神奈川が人口減に 25年国勢調査」と報じられていました。
「都心を分散させる」……あれは何だったのだろうと、思わず遠い目になります。
東京都の隣の市川市内は平常どおり、今日も渋滞が発生しています。
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■主な参考資料
羽成哲郎のぴーなっつ通信 千葉県知事の重み
公益財団法人 かずさDNA研究所
木更津業務核都市基本構想
千葉県が策定した千葉新産業三角構想(昭和58年6月)においては、上総新研究開発都市(かずさアカデミアパーク)構想について、木更津・君津地域が将来の交通の拠点として大きな発展の可能性を有すること及び緑豊かな自然の残されている上総丘陵地帯が自然と人間の共生による新たな生活様式に対応した都市づくりの場としての魅力を有することに着目し、技術立国の核形成、本県の技術・情報供給県への飛躍、地域産業への研究開発機能の提供、研究開発投資を活用した地域の振興を目的として、木更津・君津両市を母都市とする上総丘陵地域に民間研究所の集積を図り、幕張・成田とともに21世紀へ向けた新しい千葉県づくりを目指すこととされている。また、新世紀ちば5か年計画(平成13年度~平成17年度)では、木更津市を含むかずさ・臨海ゾーンを21世紀の首都圏の諸機能を分担する地域として、産業・生活・文化等多様な機能の集積を図り、県南部地域の中核的な都市の形成を目指すとしている。本業務核都市は、自然と都市サービスを併せ持ち、アメニティにあふれ、世界をリードする研究開発機能を中心とし、首都圏の諸機能の再配置に寄与するとともに、国際交流機能・中枢的業務機能を担う千葉業務核都市及び国際的物流機能を担う成田・千葉ニュータウン業務核都市と有機的に連携することにより千葉自立都市圏の形成を図る。
千葉新產業三角構想1988年66号
財団法人ハイライフ研究所 東京生活ジャーナルまちづくりフィールドレポート Vol.11 まちの価値を維持していくこと 幕張ベイタウン 2011 年 2 月
はしがき
平成22年9月定例千葉県議会知事あいさつ


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