妙典駅を巡る時間旅行 その5 土地区画整理事業とともに消えた、生業とぬかるみとドイツネズミ
1986(昭和61)年 東西線沿いの風景(『街づくりの軌跡』 より) |
水田ならば上からスズメの餌、下からネズミの餌。ほいじゃあって蓮田に切り替えたら、今度はドイツネズミにあっちこっち掻ん回されちゃう。お手上げだよ。
『街づくりの軌跡』(編/市川市妙典土地区画整理組合)に掲載されている座談会の会話の中で、佐倉稔夫さんがこのように話していました。
佐倉さんの発言など、座談会の話題から、次のことがわかります。
〈江戸川放水路開削前〉
○雨が降ると、行徳の一角から富浜まで水浸しになり、なかなか水が引かなかった
〈江戸川放水路開削後〉
○よい水田になって米も収穫できるようになった
○水田の稲がスズメやネズミの食害に遭った
○稲の代わりにレンコン(ハス)を栽培し始めた
○レンコンがドイツネズミの食害に遭った
ドイツネズミ?
『クラナリ』編集人以外にも、何を指しているのかを知りたい人がいたようで、レファレンス協同データベースに情報がありました。
マスクラットは、ネズミ目ネズミ科の特定外来生物で、頭から胴体までだいたい32cmとのこと。
北アメリカ原産なのですが、なぜかドイツネズミと呼ばれていました。その理由については、「戦争中は、ドイツネズミと呼ばれた。飼育業者がぜいたく品を禁止する当局の目をごまかすために、同盟国ドイツの名をつけ『軍用』をPRしたからだ」と、読売新聞1990年8月8日付朝刊に書かれています。
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マスクラット(パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集より) |
マスクラットが日本に入ってきた経緯については、南アメリカ原産でネズミ目ヌートリア科のヌートリアと似ています。
ヌートリアは日露戦争の頃に、マスクラットは第二次世界大戦中に、どちらも航空機パイロットの毛皮用に養殖・飼育されていたのです。パイロットの飛行服の内張りに、その毛皮が使われていました。
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ヌートリア(山口市サイトより) |
マスクラットについては、江戸川区の養鶏業者が養殖していたものの、第二次世界大戦後に野に放ってしまいました。こうして江戸川の周辺で野生化したのです。
行徳では、マスクラットは忌み嫌われたようです。
地元ではドイツネズミと呼んで、発見しだい撲殺している。
『房総の生物』(河出書房新社)
当然ですね。大事な作物をダメにしてしまうからです。「ひどい!」「かわいそう!」などと言っている場合ではありません。
ちなみに、市川市妙典土地区画整理事業の前は、妙典の農家は自転車でリヤカーを引いて、東京方面へ野菜の行商に行っていたようです。小松川まで1時間、錦糸町まで2時間、浅草まで3時間かかったとのこと。当時、車はめったに通らなかったので、自転車で悠々と東京まで行けたみたいです。夏場は野菜をぶっちゃっちゃう(捨てる)こともあったとのこと。
今だと、宅配便で、配達人が自転車でリヤカーを引いている姿が見られます。昭和の中頃までの様子が自転車文化センターに画像がありましたが、同じ「自転車でリヤカー」でも、雰囲気が全然違いますね。
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「昭和35〜36年頃 リヤカーを引いて荷物を運ぶ」(自転車文化センターサイトより) |
そのほかに座談会からわかるのは、行徳地域に共通して、土地区画整理事業の前は土地がぬかるんでいて、雨が降るとすぐに冠水していたこと。「行徳駅前のA病院の裏は、それこそ雨が降れば渡れなかっただね」という発言もありました。
土地区画整理事業の後は宅地化が進み、農家が減って、朝、数台並んだ自転車が野菜を山積みにしたリヤカーを引く風景は見られなくなったのでしょう。
そして、レンコン農家が消えたことで、ドイツネズミと呼ばれたマスクラットも姿を消したようです。
なお、千葉県行徳野鳥観察舎に確認をとったところ、マスクラットは、現在では埼玉県の一部と葛飾区の水元公園で生存が確認されているのみで、行徳地区では2000 年代後半から目撃されていないとのことであった。
■参考資料
『街づくりの軌跡』(編/市川市妙典土地区画整理組合)
国立環境研究所侵入生物データベース
レファレンス協同データベース
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