市川大百科事典 け 芸妓 げいぎ

 

『目で見る市川の100年』(郷土出版社)より

 女性の専門職で自営業で「芸者」ともいう。宴席で唄や日本舞踊などの芸能で客を接待する仕事をする。

 芸妓文化の始まりは、江戸時代中期の京都といわれている。

京都先斗町

 芸妓遊びのできる店が集まっている地域が、「花街」(はなまち、かがい)。料理屋(料亭)・待合茶屋・置屋(芸者屋)がまとめて「三業」と呼ばれていたためため、「三業地」という別名もあった。

○料理屋→仕出し・ケータリング会社
○待合茶屋→イベントプロデュース会社
○置屋→タレントエージェンシー、芸能プロダクション

 客が待合茶屋に「こんな宴席を設けたい」と声をかけると、趣旨や予算に合わせて料理屋に仕出しを頼み、置屋に芸妓を派遣してくれるように頼む。このシステムは、江戸時代くらいまでは全国の花街で共通だった。

 関東などには、「検番」と呼ばれる施設があって、以下の役割を果たしていた。

○待合茶屋・料理屋と置屋の中間に立って、芸妓派遣のあっせん
○花代(芸妓への報酬)の計算
○芸妓の開業・廃業に伴う公的機関への手続きの代理
○芸妓への技芸試験

 市川真間には、かつて市川二業組合検番があった(待合茶屋・置屋で「二業」)。

『目で見る市川の100年』(郷土出版社)より

参考資料

関連項目

森 真希 2022/07/14







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