「東市川南平台高級住宅地」はどこなんだ問題 ファイナル 10月 01, 2025 『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』 (著/三浦 展 光文社)には、昭和30年代に民間の開発業者が作成したと思われる、「東市川南平台高級住宅地」のチラシが掲載されています。 『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』より この「東市川南平台高級住宅地」は中山団地の近くの本北方(もときたか...
石とコミュニティとの深い関係 その7 ~田尻の橋楽橋と八幡の藪知らずの共通点 12月 20, 2024 江戸後期に田尻に橋楽橋を架けた伊勢屋宇平衛。 ■石とコミュニティとの深い関係 その6 ~田尻の橋楽橋 https://life-livelihood.blogspot.com/2024/12/6_18.html 『白井町の文化誌』(著/鈴木普二男)によると、旧江戸崎下新宿に住...
石とコミュニティとの深い関係 その6 ~田尻の橋楽橋 12月 18, 2024 千葉県道179号船橋行徳線を歩いていたら、出くわしたのが橋楽橋の石碑。 この石碑は、湯治と関係があるようです。 湯治の歴史は古く、『伊予国風土記』では、聖徳太子が596(推古天皇4)年に、現在の道後温泉である伊豫温湯(いよのゆ)へ行幸したとのこと。 湯治が盛り上がるのが江...
ジグザグ境界問題 信篤市民体育館の右半分が市川市で左半分が船橋市?編 続き 12月 13, 2024 原木村も高谷村も、東京湾に向けて田畑が広がり、その合間を縫って塩を焼く煙りがたなびく、静かな農村地帯だった。 『校歌は生きている』より 『校歌は生きている』(著/吉井道郎 市川市教育委員会)には、市川市の原木と高谷について、このように書かれています。明治には、今とはまったく違...