「東市川南平台高級住宅地」はどこなんだ問題 ファイナル

 『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』(著/三浦 展 光文社)には、昭和30年代に民間の開発業者が作成したと思われる、「東市川南平台高級住宅地」のチラシが掲載されています。

『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』より

 この「東市川南平台高級住宅地」は中山団地の近くの本北方(もときたかた)辺りだと推測したのが、2年前のこと。

○「東市川南平台高級住宅地」はどこなんだ問題

 チラシには「附近の公団住宅風景」と書かれています。前回も紹介しましたが、公団(日本住宅公団)が市川市内に作った団地は、ハイタウン塩浜と中山団地です。
 「現地案内所 国電市川駅前」とあるため、「附近の公団住宅風景」として撮影されたのは、市川市本北方2-3に位置する中山団地に間違いないでしょう。中山団地は、1967(昭和42)年3月に竣工しています。

高架水槽?(Googleマップでは「給水塔」)

 足を運んでみたところ、中山団地の敷地は広々としていて、10号棟までありました。いたるところで花を見かけ、気持ちのよい空間です。


 冒頭で紹介したチラシの写真が不鮮明ではありますが、建物の特徴から、写真に写っているのは中山団地で間違いないでしょう。

チラシの写真「附近の公団住宅風景」

4階建てでベランダの形状もそっくり


 10号棟もあるということは、工事期間もそれなりに長かったはずです。市川市本北方2-3に公団が大規模な団地を作るという情報を得て、民間業者も周囲の土地を買って住宅団地として開発したのではないでしょうか。

 今昔マップで中山団地周辺を確認すると、昭和40年の地図では中山団地(青ピン)の右下に、道路ができています。

 道路ができている場所の現在の様子を確認してきました。
写真の右側が中山団地

 中山団地の近くには、昭和レトロな建物が残っています。
 まず、典型的な看板建築。



 そして、平屋。

 「東市川南平台高級住宅地」が開発された頃は、こうした店舗や住宅が見られたに違いありません。中山団地という大規模な団地ができるということで、店舗はかなり多かったのではないでしょうか。

 ちなみに、道路については、“市川あるある”はこれ。
「行き止まり」「車の通り抜けできません」

 見通しが悪い上に、狭く、行き止まりが多いのです。

 しかし、中山団地の周辺は違います。

 まっすぐ。
 見通しOK。
 広々。

 ちゃんと十字路(市内はガタガタになっているところが多い)。
 遠くまで見渡せる。
 はい、まっすぐ。


 こうした道路の形状からも、「東市川南平台高級住宅地」は本北方だと確信した次第です。

 そして昔のチラシで、やっぱりダメじゃないかと思ったのが、「分譲地に隣接した公団駅前広場」。
「分譲地に隣接した公団駅前広場」

中山団地の敷地中央にある広場の幼児遊園

 広場の幼児遊園を撮影したのでしょうが、Googleマップだと、最寄りの京成電鉄鬼越駅まで徒歩24分です。
Googleマップより

 なにが駅前広場だ!

 チラシには「光土地株式会社 本社 四谷見付 新宿区四谷1~24番地」とありますが、この住所に今は関西系ホテルチェーンの建物が建っています。ということで、光土地株式会社は、今はないのでしょう。

 光土地株式会社については、「市内 松風苑 高級住宅地」も売り出していたようです。

○「市内 松風苑 高級住宅地」チラシ

 「駅へ歩いて8分」と書かれていましたが、さて、何駅なのでしょうね。

 


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 これも繰り返しになりますが、『クラナリ』は検証・探求するサイトではありません。素人である『クラナリ』編集人が右往左往する姿をただ面白がるサイトなので、不正確な情報が含まれている可能性が多々あります。今回の記事も勝手な推測です。千葉県や市川市には問い合わせておりません。
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