「干ものあります。」「とんかつ予約承ります。」常夜灯公園のあずまや
常夜灯公園
〒272-0103 千葉県市川市 本行徳33−1
常夜灯は1812年に建てられたそうです(東京メトロ)。当時は江戸時代、将軍は第11代の徳永家斉でした。
Wikipediaなどによれば1787~1793年に行われた寛政の改革(緊縮財政のケチケチ大作戦)の後、江戸の町人を中心とした文化、化政文化が栄えたのだそうです。市川も舞台の一部になっている『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴)は、この時代の作品とのこと。
寺社参詣が流行し、成田山新勝寺に参詣する人も多かったようです。きっかけの一つは、歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗ったことだそうです。
「成田土産名所尽」の解説(船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム)によれば、江戸時代に江戸の人が成田参詣に出かける場合に最も楽なコースは、日本橋小網町から出ていた行徳船(もともとは行徳塩田で塩を運ぶために使われた船)で小名木川・新川を通り、行徳で下船して陸路を行くというもの。
そのおかげで行徳はにぎわっていたようです。
江戸から成田山新勝寺に向かうために、旧江戸川は多くの船が行き来していたのでしょうね。
旅人のために、常夜灯には明かりがともされていたというわけです。
そんな常夜灯を見るために足を運んだのですが、インパクトが強かったのがあずまやの張り紙。
「干ものあります。」
海が近いからほんのり潮の香りもしますが、こんな公園で干物? 焼いて食べる?? そりゃ、もうビール??? でもここで????
さらに、とんかつの予約も、このあずまやで受けているそうです。すごいぞ!!
私が足を運んだときは、「4時まで休憩中!!です。」という張り紙がしてありました。残念。また来ます!
〒272-0103 千葉県市川市 本行徳33−1
常夜灯は1812年に建てられたそうです(東京メトロ)。当時は江戸時代、将軍は第11代の徳永家斉でした。
Wikipediaなどによれば1787~1793年に行われた寛政の改革(緊縮財政のケチケチ大作戦)の後、江戸の町人を中心とした文化、化政文化が栄えたのだそうです。市川も舞台の一部になっている『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴)は、この時代の作品とのこと。
寺社参詣が流行し、成田山新勝寺に参詣する人も多かったようです。きっかけの一つは、歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗ったことだそうです。
「成田土産名所尽」の解説(船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム)によれば、江戸時代に江戸の人が成田参詣に出かける場合に最も楽なコースは、日本橋小網町から出ていた行徳船(もともとは行徳塩田で塩を運ぶために使われた船)で小名木川・新川を通り、行徳で下船して陸路を行くというもの。
そのおかげで行徳はにぎわっていたようです。
江戸から成田山新勝寺に向かうために、旧江戸川は多くの船が行き来していたのでしょうね。
旅人のために、常夜灯には明かりがともされていたというわけです。
そんな常夜灯を見るために足を運んだのですが、インパクトが強かったのがあずまやの張り紙。
「干ものあります。」
海が近いからほんのり潮の香りもしますが、こんな公園で干物? 焼いて食べる?? そりゃ、もうビール??? でもここで????
対岸には船の整備工場と思しき建物が並んでいる…… |
さらに、とんかつの予約も、このあずまやで受けているそうです。すごいぞ!!
私が足を運んだときは、「4時まで休憩中!!です。」という張り紙がしてありました。残念。また来ます!
あずまやの横には、近隣の案内板が |
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