地域を見守ってきたお地蔵様と先人たちの祈り

 とげぬき地蔵、いぼとり地蔵、延命地蔵、咳止め地蔵、厄除け地蔵、化粧地蔵、塩地蔵、とうがらし地蔵……
 お地蔵様ほど、地域の人々に親しまれ、名前がたくさんある石像はないでしょう。

 これは、仏教の信仰対象である「地蔵菩薩」の枠を超えて、地域の民間信仰でお地蔵様が作られ、信仰されてきたからだと考えられます。
梅窓院(東京外苑前)のお地蔵様

 市川でも道端やお寺・神社の境内などで、さまざまなお地蔵様が見られます。

 稲荷木を通る千葉県道6号の江戸川沿いで、行徳橋の近くに、2体のお地蔵様があります。



 「姉弟地蔵」。
 この道路の横断歩道を渡っている姉と弟が、交通事故で亡くなってしまったのだそうです。「親の悲しみのあまり 今後交通事故のないやう 心より祈り 姉弟地蔵を建立す」と書かれていました。我が子を失った親の悲しみが伝わってきました。
 そして「運転手さん あなたが守る小さな命 友は作るものなのにここで友をふたり失いました」と、当時の富川 進市長の名前とともに刻まれています。

 昭和47年(1972年)12月ですから、今から約50年前のことです。
 今はそれほど車が走ってはいないのですが、当時は交通量が多かったのかもしれません。

 お地蔵様は、子どもたちを守ってくれる存在として、古い時代から信仰されています。
 小さな姉と弟の慰霊だけでなく、ここで二度と交通事故が起こらないように子どもたちを守ってほしいという願いからお地蔵様が作られ、地域の人々に大切にされてきたのでしょう。

 また、姉弟地蔵にそっと手を合わせることで、我が子を失った親自身の悲しみも少しずつ癒えていったのではないでしょうか。



 お地蔵様の「地蔵」というのは、サンスクリット語のクシティ(大地)・ガルバ(子宮)を訳した言葉で「大地の恵み」という意味のようです。
 日本に地蔵信仰が入ってきたのは、奈良時代とされています。そして平安時代に「六道能化(ろくどうのうげ)の菩薩」としてお地蔵様の信仰が広まりました。

 六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のこと。
○地獄道 罪を犯した人の落ちる地獄
○餓鬼道 食べようとしたものはすべて炎に変わるため、飢えと渇きに苦しまねばならない場所
○畜生道 牛馬と同じ扱いを受ける場所
○修羅道 怒りや争いが絶えない場所
○人間道 人間が今生きている世界
○天道 天人が住む場所

 仏教では、釈迦が入滅して(死んで)から56億7000万年後に救世主として弥勒菩薩が現れるのですが、それまでの間、人々は六道を輪廻しながら苦しまなければならないと考えられています。
 お地蔵様は人々の身代わりとなって苦しみから救済してくれることで、貴族から庶民まで信仰が広まっていったようです。

 昔話の笠地蔵は、お地蔵様たちが親切で貧しい老夫婦に笠の恩返しをするという内容ですが、貧しい人を救済するというお話とも考えられますね。

 交通安全、招福、無病息災など、さまざまな状況で救いの手を差し伸べてくれたお地蔵様。

 お地蔵様の名前と場所から、先人たちが何を祈って建立したのか、思いをはせるのもいいのかもしれません。

■国府台 見返地蔵


里見公園近くの桜並木に……

ひっそりと「見返地蔵」が

左から右への横書きなので、台座だけ新しくした可能性が。でもなぜ「見返」なのかな?

■新田 地蔵山

 地蔵山のお地蔵様は、1655年(明暦元年)に亡くなった田中正成という人の墓碑。新田という地名どおり、この人が新たに作った田んぼとのこと。
かなり大きなお地蔵様は、田中正成の功績を表しているのでしょうか

■稲荷木 延命地蔵



■国府台 水神宮の横


■国分 道端

 成桝商店の斜め向かいの、坂の下にありました。

○参考資料
『お地蔵さんの世界』 著/渡 浩一 慶友社
『地蔵びより』ワールドムック



  お地蔵さんの世界


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