税金と絵図、軍事と地図とのややこしい関係
法務局によると、地図は不動産登記法第14条第1項に規定されていて、土地の面積や形状、位置について正確性が高い図面です。
一方、公図は「地図に準ずる図面」。土地の面積などについては正確性が低く、土地の配列や形状をざっくりと記載した図面とされています。
さらに地籍図(ちせきず)とは、一筆ごとの土地についての境界、地番(各土地に付けられた番号で不動産登記に利用)、地目、面積、所有者などを明らかにした図面です。
地図や絵図などについては、作る目的を4つに大別できます。
1 税金を徴収するため
2 国防など軍事関係や防災、福祉などの資料を作成するため
3 販売するため
4 好奇心を満たすため(興味)
国が地図を作成するのは、1と2の目的です。そもそも地図を作るのは大変。そのため目的さえ達成できれば、あとはけっこう雑に作業をしていたようです。「境界線とかグダグダでも、税金さえ徴収できたら、まあいっか」という感じなのでしょうか。
今回は、税金と絵図(「地図に準ずる図面」)、軍事と地図の関係を追っていきました。
なお、日本最古の絵図は、701 年に始まった律令制度で「班田収授の法」のもとに作成された「田図(でんず)」とのこと。このように古いものは現在と関係がないため、明治維新の後をまとめています。
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| 越前国坂井郡高串村東大寺大修多羅供分田図案(東大寺開田図)(文化遺産オンラインより) |
地租改正は、1873(明治6)年に明治政府が行った租税制度改革です。特徴は次のとおりです。
○土地に対する私的所有権が確立
○江戸時代の物納制度を廃止
○土地の収益ではなく地価(土地の値段)に基づいて、現金で納税
○個人単位での納税
地租改正の際に、土地の面積や位置関係などを明確にしなければなりませんでした。そうでなければ、誰からどれだけ税金を徴収すればいいのかがわからないからです。
地租改正に先立ち、1872(明治5)年に明治政府は地券を発行しました。この年は壬申年(十干の「壬(みずのえ)」と十二支の「申(さる)」を組み合わせた干支)に当たることから、この地券は「壬申(じんしん)地券」と名づけられました。そして、作成されたのが「壬申地券地引絵図(地券取調総絵図)」です。
なお、地券とは、土地の所有権を証明するために、明治政府が発行した証書です。土地の所有者、面積、地価などが記載されていました。
1873(明治6)年には、地租改正で全国的に測量が行われて、「地租改正地引絵図(野取絵図)」が作成されます。ただ、「早く税金を徴収せねば!」ということから、短期間で作成されました。さらに、当時の測量技術が未熟で、測量も土地所有者などが行って役人が検査する方式だったため、地租改正地引絵図はかなりいい加減だったそうです。
1885(明治18)年には、地租改正地引絵図を正すために、地押調査が始まりました。そして作成されたのが地押調査図(字限図〈あざぎりず〉)です。
こうして、土地の図面がいろいろと作られたのですが、形式がばらばらで、かなり不正確だったようです。
1885(明治18)年に、明治政府は地図更正の件を伝達して地図の雛型を定めました。そして作成されたのが、更正地図です。
ただ、更生地図が作られなかった地域も多々あったとのこと。面倒くさかったのですよね、きっと。
1889(明治22)年 には土地台帳制度ができて、地券が廃止されました。この段階で旧公図がそろえられたのですが、中身は壬申地券地引絵図だったり、地租改正地引絵図だったりと各地域でばらばらだったそうです。
明治には、租税徴収用とは別に、陸軍(大日本帝国陸軍参謀本部陸地測量部)によって地図が作成されました。それが「迅速測図(じんそくそくず)」です。クラナリでかなり利用している今昔マップには、迅速測図が用いられています。首都東京の防衛のため、首都圏の測量が綿密に行われていたようで、おかげで市川市のデータも残っています。
太平洋戦争が終わった1945(昭和20)年に陸軍がなくなり、代わりに内務省の機関として内務省地理調査所が設置されました。軍事ではなく国土管理や防災のために、地図などを整備する機関です。これが後の1960(昭和35)年に、国土地理院へと改称しました。
話を公図に戻すと、税金算出のために税務署が管理していました。それが1950(昭和25)年に固定資産税が地方税(市町村税)になり、法務局に移管されました。同じ年に土地台帳法も改正され(「土地台帳法等の一部を改正する法律」昭和 25 年法律第 227 号)、土地台帳と土地台帳附属地図は、税務署から法務局管轄の登記所に移りました。
そして1960(昭和35)年に不動産登記法が改正されます(「不動産登記法の一部を改正する等の法律」昭和 35 年法律第 14 号)。ここで、土地台帳と家屋台帳に記録されていた情報が、登記簿に一本化されました。
法律の改正が行われた頃の昭和30~40年代は、旧公図を手描きで複製した公図が多かったとのこと。そんな公図は、境界と地番だけを写し取り、旧公図の彩色や地目などを省略したり、地番を算用数字で記したり、写し間違えや細部を省略したりしているようです。
1962(昭和37)年には「住居表示に関する法律」が公布・施行されました。この法律は、「本来住所表示のために設けられたものでない地番を住居表示に用いていたところによる様々な障害」の解消を図るために定められたものです。
これを受けて、税金の徴収とは関係なく、「公共の福祉の増進に資することを目的」として、市町村で住居表示が進められます。
市川市については、1965(昭和40)年の市川・市川南地区から順番に実施されました。1969(昭和44)年には本北方(もときたかた)という地名が誕生し、最近では稲越町で2021(令和3)年2月1日に住居表示が実施されました。
住居表示の「街区符号」や「住居番号」は、住居や店舗といった建物の場所(住所)を表すために付けられた番号です。
住居表示が実施されても、不動産(土地・建物)の登記は地番で表わされ、地番は残っています。また、戸籍上の本籍地も、原則として地番が使われています。そのため、ややこしいことになっているのです。
なお、市町村が作成・保有している地番現況図は、固定資産税の算出などに使用されます。航空写真や法務局が作製している公図を基に、おおよその土地の形と場所を表した図面で、公図とは異なります。
税金関係
旧公図:地租改正の際に作成した図面
公図:旧公図を基にした図面で、土地の面積などについては正確性が低く、土地の配列や形状をざっくり記載
地籍図:一筆ごとの土地についての境界、地番(各土地に付けられた番号)、地目、面積、所有者などを明らかにした図面
地番現況図:公図や地図、地籍図、地積測量図、区画整理図、土地改良図をもとに作成した図面
軍事や防災、公共の福祉関係
地図:土地の面積や形状、位置について正確性が高い図面
■主な参考資料
地券制度
国土地理院について
土地をめぐる税の歴史
住居表示に伴う手続きのご案内
住居表示の制度について

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