「一人暮らしの高齢者」「認知症」の割合が増える未来のランドスケープをデザインする問題 その7 市川市立第七中学校×コンパクトシティ
縦割り組織は、部門ごとに独立して業務を行うため、効率よく作業ができるというメリットがあったと思われます。
ただ、私たちの暮らしでは、食事も、栄養も、家など環境作りも分けて考えることはできないですよね。現実に即していない部分も多く、行政や企業が縦割り組織だと、私たちはたらいまわしにされることも少なくありません。というか、多々、その経験があり、イライラ。
加えて、縦割りの悪いところは、重複も起こりがちなことです。
例えば「脱炭素」。経済産業省も国土交通省も環境省も文部科学省も、それぞれにそれぞれの取り組みをしているようなのですが、情報検索をしている、「こんなにバラバラで……。税金の無駄遣いじゃないの?」と、来月に確定申告を控えている国民としては、つい愚痴が。
行政はなにかと縦割りではありますが、その垣根を超えた取り組みと思われるのが「市川七中行徳ふれあい施設」。中学校校舎A棟と給食室 、 行徳文化ホール、すえひろ保育園、行徳ケアハウス翔裕園、 行徳デイサービスそよ風が、1棟の施設に収まっています。
残念ながら、『クラナリ』編集人は市川七中行徳ふれあい施設に行ったことがありません。今回は、調べられる範囲で、市川七中行徳ふれあい施設が誕生した経緯をまとめてみます。
一体化した施設ができた背景(と思われる出来事)
1970(昭和45)年に世界中の約100名の有識者が集まって、ローマクラブが発足しました。ローマクラブは、1972(昭和47)年に「このまま人口増加や環境汚染が続くと、あと100年で地球の成長は限界に達する」と述べた研究報告書「成長の限界」を発表。日本でも同年に『成長の限界』(著/ドネラ H.メドウズ ダイヤモンド社)が刊行されました。
『成長の限界』 |
1973(昭和48)年に、アメリカの数学者のジョージ・ダンツィヒと、ピッツバーグ大学教授のトーマス・L・サーティが共著で"Compact City: Plan for a Liveable Urban Environment"を刊行し、コンパクトシティという概念が生まれました。「都市環境の質を改善するため、都市を垂直に積み上げ、時間の概念も含めた四次元都市を実現する」「都市を中心に集積することで都市機能の効率化を図る」ことを提案しているとのこと。
複合化・集積化が進んだコンパクトシティは、都市のエネルギー消費を抑えることができます。
1987(昭和62)年には、国連に設置された、環境と開発に関する世界委員会(World Commission on Environment and Development、WCED)が、「我ら共有の未来(Our Common Future)」を発表しました。委員長はグロ・ハーレム・ブルントラント(後のノルウェー首相)のため、「ブルントラント・レポート」とも呼ばれています。この中で「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念が打ち出されました。
こうした世界的な潮流の中で、日本では2014(平成26)年に、都市の再生の推進に関する基本方針を定めた都市再生特別措置法が改正されました。
我が国の都市における今後のまちづくりは、人口の急激な減少と高齢化を背景として、高齢者や子育て世代にとって、安心できる健康で快適な生活環境を実現すること、財政面及び経済面において持続可能な都市経営を可能とすることが大きな課題です。こうした中、医療・福祉施設、商業施設や住居等がまとまって立地し、高齢者をはじめとする住民が公共交通によりこれらの生活利便施設等にアクセスできるなど、福祉や交通なども含めて都市全体の構造を見直し、『コンパクト・プラス・ネットワーク』の考えで進めていくことが重要です。このため、都市再生特別措置法が改正され、行政と住民や民間事業者が一体となったコンパクトなまちづくりを促進するため、立地適正化計画制度が創設されました。
第七中学校のこれまで
高度経済成長期に、日本では地方から東京都へと労働者が集まり、郊外で暮らす人が増えました。東京都の隣の市川市でも人口が増えた時期です。
行徳中学校と南行徳中学校を統合して設立された第七中学校は、もともとは水田が広がっていた場所でした。開校後に周辺の宅地化が進み、どんどん生徒数が増えて、校舎を増設したり、ほかの中学校へと分かれたりを繰り返していました。
第七中学校の校舎で最も古いA棟の改築の検討が始まったのが1995(平成7)年。バブル崩壊後です。同時に、コンパクトシティなどの概念も出来上がっていました。
1962(昭和37)年 行徳中学校、南行徳中学校を統合して設立
第七中PTAより |
1963(昭和38)年 統合校舎竣工
1969(昭和44)年 池の埋立
1976(昭和51)年 増築校舎竣工(B棟)
1982(昭和57)年 増築校舎及び職員室拡張工事竣工(C棟)
1994(平成6)年 校舎の耐力度調査
1995(平成7)年 中学校校舎A棟改築の検討を開始
改築検討時の学校施設の配置(市川市ケアハウス整備等PFI事業より) |
1999(平成11)年 検討の再開
2001(平成13)年 新総合計画にて老人福祉施設や保育所整備の必要性を提唱
2002(平成14)年 実施方針公表、特定事業の選定公表、A棟仮設校舎設置、移転
工事の様子(市川市ケアハウス整備等PFI事業より) |
2004(平成16)年 新A棟竣工
管轄の垣根を超えて
ポイントは、「1995(平成7)年 、中学校校舎A棟改築の検討を開始」から「2001(平成13)年、新総合計画にて老人福祉施設や保育所整備の必要性を提唱」までの間にあります。校舎が古くなったから建て替えるというのが一般的な発想ですが、そこから一段上に積み重ね、地域で必要な設備を集約させる形で計画を作り直しています。
施設と管轄については、以下のように対応しているようです(違っていたら指摘をいただければと)。
○中学校→文部科学省
○公会堂
○保育所→厚生労働省
○ケアハウス→厚生労働省
○デイサービスセンター(通所介護)→厚生労働省
1棟の施設に多機能性を持たせるには、調整が非常に大変だったと推測できます。 その辺りを、計画作成に担当した人が語っているインタビューが欲しかったのですが、現時点では見つかっていません。また、実際に運用を始めて20年が経過しているので、今までにわかったメリット・デメリットも知りたいところです。中学校や保育所、ケアハウスをバラバラに運営するよりも、コストがかなり軽減できていると考えています。
以上のことから、クリエイティビティと緻密な調整力が発揮された取り組みだと、しみじみ。
■主な参考資料
コンパクト・シティ原論
立地適正化計画とコンパクト・プラス・ネットワーク
立地適正化計画作成の手引き
3.市川市立第七中学校校舎・給食室・公会堂整備等並びに保育所整備PFI事業及び市川市ケアハウス整備等PFI事業
要求水準書参考資料(平成14年7月4日)
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