海上生活を送る高度な技術を持っていた 古代本八幡の海洋民の謎 その2

 1400年ほど前は、「鬼高(おにだか)遺跡のある本八幡一帯も海の底。

 古墳時代には、千葉県内に豪族が支配する以下の地域(国造、くにのみやつこ、こくぞう)があったと、「房総の古墳を歩く」に書かれていました。なお「国造」は豪族を指す場合もあります。

印波国(いんばのくに)
下海上国(しもつうなかみのくに)
武社国(むさのくに) 和邇氏は水系を管理する豪族
伊甚国(いじみのくに)
長狭国(ながさのくに)
阿波国(あわのくに)
須恵国(すえのくに)
馬来田国(まくたのくに)
上海上国(かみつうなかみのくに)
菊麻国(きくまのくに)
千葉国(ちばのくに)

※地図は、国土地理院の地図を標高で色分けしたものに、国造の名称を上書きしたもの。当時は海水面が高く、地図の赤茶色の部分が陸地だったと推測


 「房総の古墳を歩く」を読むと、今の市川市は千葉国に含まれるようで、思いっきり辺境。ほとんどが湖沼やラグーン(潟湖)が広がる湿地で、アシやマコモ(水草)のグチョグチョの土地だったと考えられます。

マコモ(写真はウィキペディアより)

https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/ryoso/rekishi/01.html


 ですから、鬼高遺跡で暮らしていた人々は、千葉市にあった千葉国とは関係のない海洋民の可能性もあるのではないでしょうか。ちなみに、海洋民に関する調査は、神奈川県で進められているようです。

○列島東部における古墳時代の海洋民文化の重層性
http://archaeology.jp/wp-content/uploads/2018/04/77003a64c2b264470db06a5808285f3e.pdf


 陸地伝いに千葉国などからやってきたのではなく、海上に住居を建てる土木技術を持った人々が、船でこの辺鄙な場所にたどり着き、暮らすようになったと考えられます。

 その理由は、「わざわざ海の上に家を建てなくてもいいんじゃないの?」という疑問。逆を言えば、「そのほうが都合がいい人々が移り住んできた」という可能性があると考えられます。


 市川市の小学生は、古い時代、市のほとんどが海の底だったと教わるようです。大人のほうが知らないことが多いのかもしれません。平田からは、約5000年前のものと思われるコククジラの骨格が発見されています(写真は、市川考古博物館に展示されている標本)。


■参考資料
『房総の古墳を歩く』

『房総の神話・伝承からみた古代日本の謎』


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海上生活を送る高度な技術を持っていた 古代本八幡の海洋民の謎 その1
https://life-livelihood.blogspot.com/2021/04/blog-post_30.html

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