市川の「海の字・小字」が墓地などを意味していたのか問題

 千葉県の資料には、「船橋浦海圖乃附近町村位置」が掲載されています。
船橋浦海圖乃附近町村位置(出典:第一章 再生の基本的な考え方

 掲載されている図から、残念ながら文字の判別ができませんでした。試しにAIを使ったら、あまりにもひどい、本当にひどい結果が出たので、その図はここでは掲載しません。

 上の図の赤字は、「船橋浦海圖乃附近町村位置」をなんとか人力で判読しようとした結果で、「字三番瀬」「字高瀬」という具合に、大正期における三番瀬周辺の海(漁場)には字(あざ)・小字(こあざ)、つまり住所があったことはわかります。

 海の字・小字に関連して、1993(平成5)年発行の『船橋小字地図』(著:滝口昭二 発行:船橋地名研究会)に掲載されている図がXで紹介されていました。原本をまだ見ることができていないので、いつの頃のデータなのかはわかりません。
『船橋小字地図』に掲載された図(出典:関東小字地図X


 非常に気になるのは、二俣・妙典から続く海域が「卵塔場」、行徳・南行徳については「報国場」になっていること。それぞれの意味は、次のとおりです。

卵塔場(らんとうば):墓地
報国(ほうこく):国家の恩に報いること

 当時は干潟だった海域が、卵塔場、つまり墓地だったということでしょうか。
 「報国場」も、文字どおりに考えると「国家の恩に報いる場所」ということになります。

 字・小字の「毛場」「塵避」は意味不明で、「毛」については五穀を指すという説明が『群馬の地名』にはありました(海なので五穀はちょっと関係ないのではないかと)。

 船橋や浦安に近い海域で多数登場するのが「ボンゲ」。「ボンゲは目印に立てた『棒杭』の転であろう」など諸説あるようですが、結局のところ、何を意味するのかはわかりません。
 わかっているのは、次の言葉です。

澪(みお):潮の満ち引きや川の流れで干潟の底にできる溝で、干潮時には船の航路
梵天(ぼんてん):古代インドの最高原理である梵を神格化したもの
色梵天(いろぼんてん):無病息災や豊作を祈願して立てられる色鮮やかな御幣(ごへい)付きの竹
 


■主な参考資料
三番瀬ガイドブック
三番瀬は江戸湾の漁場である船橋浦の一部で、この海域の最沖部の瀬を「字三番瀬」と呼んでいました。右の図は、大正時代(約80年前)のものです。他にも「字西浦」「字高瀬」がありましたが、今では埋め立てられ、地名で残っています。
江戸時代の古文書に、「二番瀬」「三番瀬」の文字がありましたが、「二番瀬」の位置や「一番瀬」があったかどうかは不明です。

関東小字地図X
『船橋小字地図』にも沿岸部の海の小地名が載っていて興味深かった。

卵塔

梵天について知りたい。

船橋市 ふるさとの地名(改訂版)
 内湾有数の漁場であった船橋浦は、それを反映するかのように、海の地名も多い。
 現在は埋め立てられて町名になっている西浦と高瀬も、元は海の地名であった。
 川が海に流れ込む流路は澪(みお)といって深く、干潮時の船の航路となり、また漁場境となる場合もあった。船橋漁師の漁場は東は現習志野市鷺沼前面の遠(おち)の澪、西は現浦安市東方沖の貝ヶ澪までであった。その中間に海老川からの舟町澪があり、その他にも山谷澪・海神澪(稲荷澪)等があって、沖で合流して船橋大澪という大きな澪となり、東は遠の澪、西は貝ヶ澪に続いていた。大澪は東西に伸びる海の中の大きな川ともいうべきものであった。
 海の浅い部分が瀬や洲である。現在も海浜公園の沖に三番瀬がある。三番瀬は江戸前近くで有数の貝の繁殖地であった。また大澪北の宮本側には梵天洲があった。供養のための梵天を立てた場所から付いた名であろう。舟町澪東の特に浅い所は中之島と呼ばれた。
 おもしろい地名では、ワンドノボンゲ・ニカイノボンゲ・サンジロボンゲ等がある。ボンゲは目印に立てた「棒杭」の転であろう。
 これらの場所も多くは陸になってしまっているが、永く記憶にとどめたい「海の地名」である。

梵天にみる房総の出羽三山信仰
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