石とコミュニティとの深い関係 その4 ~感染症と石像につながりあり?
コレラは、コレラ菌で汚染された水や食物を摂取することで感染する病気です。コレラ菌はドイツの医師・細菌学者であるロベルト・コッホによって、1883年に発見されました。
もともとはインドの風土病だったコレラは、7回にわたって世界的に流行したとのこと。
1817年から1899 年までの6回の大流行については、インドのベンガル地方から、そして1961年の7回目の大流行ではインドネシアのセレベス島(現スラワシ島)から世界中に広がったそうです。
コレラの潜伏期は1 日以内で、主な症状は下痢。重症の場合には、腹部の不快感に続いて、突然“米のとぎ汁様”の下痢と嘔吐が始まり、ショックに陥ります。
大量の下痢によって脱水状態となり、血圧が下がって、皮膚が乾燥し、声が出なくなって、全身が痙攣することもあります。
日本でコレラが流行したのは江戸時代後期の1822(文政5)年、幕末の1858(安政5)年でした。安政5年(1858)の大流行では、全国で約4万人が亡くなったようです。発症すると数日で死に至るため、幕末から明治にかけて「三日コロリ」などと呼ばれて、非常に恐れられました。
それで人々は神仏に祈ったり、まじないをしたりしたそうです。
富士宮市によると、江戸時代に「疱瘡(ほうそう)を軽くするまじないとして道祖神を祭った」「コレラが流行ったので、町内で正月のごとくに道祖神を祭った」と記録されていて、こうした習慣は戦前まで続けられていたと報告されています。
疱瘡は天然痘のことで、天然痘ウイルスによる感染症です。日本だと6世紀には発症例が認められ、平安時代には大流行したと記録にありました。
そして道祖神は、村境、峠などの路傍に、外来の疫病や悪霊を防ぐために造立されました。庚申塔や道祖神は、道教などが日本古来の宗教などと交じり合った民間信仰の神仏といわれています。こうした石像を作ることが、江戸時代に流行したとのこと。
胡録神社(千葉県市川市市川2-21-1)の境内の道祖神 |
人間の長い歴史は、さまざまな感染症との戦いだったといえそうです。そして私たちの祖先は、ウイルスや細菌など目には見えない敵に対して、神仏に祈るしかできませんでした。祈りの対象は本当は目には見えないけれど、心許ないので、石像という形にしたかったのでしょうか。
各地にコレラと庚申塔や道祖神との関係性を調べた資料がありましたが、どうやら市川市にはなさそうです。
ただ、戦前まで道祖神を祭った習慣があったとしたら、地元に皆さんにお話を聞くと、この地域の状況がわかるかもしれません。
■参考資料
国立感染症研究所
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/402-cholera-intro.html
富士宮市
http://www.city.fujinomiya.lg.jp/sp/citizen/llti2b0000002tyw.html
静岡県立中央図書館
https://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/50/1/ssr4-46.pdf
日野市郷土資料館
http://hino-museum.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/06/rekimin144.pdf
人文地理(菊池万雄)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/30/5/30_5_447/_pdf
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