石とコミュニティとの深い関係 その1 ~インスタブームと同様、石標や石碑を作るブームが

 それにしても庚申塔が多すぎませんか。


千葉街道の歩道の青面金剛(しょうめんこんごう)

じゅんさい池の前にある青面金剛


 最初は興味深くて写真を撮っていたのですが、点数がどんどん増えていくので、「さすがに多すぎるだろう……」と不思議に思うわけです。曽谷から大野町に抜ける道も、庚申塔をはじめ石標や石碑がたくさんあります。

 大野町の駒形大神社の裏には、馬頭観音の石碑が大量に集められたゾーンがあります。道路工事などで持て余してしまった石碑が、ここに置かれていると推測できます。庚申塔についても寺社の一角に大量に置かれている光景をたびたび目にしました。


駒形大神社の裏にある馬頭観音密集ゾーン

 江戸時代には、「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われたそうで、お稲荷さんがたくさん建てられたようです。同じような流れで庚申塔も作られたのではないでしょうか。

 庚申信仰については、ウィキペディアに以下のように解説されています。
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 現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。
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 60日に1回訪れる庚申の日、眠っていると三尸虫(さんしちゅう)という妖怪みたいなものが体から逃げ出して、その人の罪を天帝という神様に告げ口するのだそうです。虫が体から出ないように、その日は徹夜する風習があったとのこと。

 どうやら、それを理由にみんなで集まって、夜通し騒いでいたとの説も。

 この説で思い出したのは、福岡の片田舎にあった実家周辺での「秋葉様」という宴会。集落では持ち回りで自宅で宴会を開くのですが、なんだかよくわからない掛け軸なども担当する家には回ってきて、宴会会場(客間など)にそれらを飾る風習があったのです。
 秋葉様というのは、火防・火伏せの神様で天狗とのこと。

 日本各地で、さまざまな形で信仰を理由にして、わいわいと人が集まってローカルフェスや宴会などが開かれていたのでしょうね。
 そして現在のインスタブームと同様、石標や石碑を作るブームが江戸時代には巻き起こっていたと思われ、ネットコミュニティならぬ石コミュニティがあったに違いありません。



■参考
仏像ワールド 庚申信仰は江戸のハロウィン?
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20170311-2/
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