桃の花の美しさと香りが人々を魅了した昔の市川市

  2019年2月11日に放送されたNHKの「ファミリーヒストリー」という番組で、六代目中村勘九郎さんのルーツが紹介されたそうです。六代目中村勘九郎さんの曾祖母に当たる女性が切り盛りしていた割烹旅館の「松桃園」が、京成電鉄市川真間駅南口のすぐそばにあったとのこと。大正の頃のようです。

 その話を聞いて疑問を抱いたのが、どうして「松桃園」という名前なのかということでした。市川の梨は有名ですが、桃については聞いたことがありません。
この写真は古河桃まつりを撮影したフリー素材で、市川とは関係ありません……


 そして本日、1冊の本を読んで疑問が解けました。
 その本が『写真で見る わがまち市川』(郷土出版社)。
 桃林は市川の名物で、大正の頃まで観光スポットだったのです。
『写真で見る わがまち市川』より

 枯れてなくなってしまった三本松のほかに、大正の頃は松の木も残っていて、現在とはまったく違う光景が広がっていたのでしょう。

 さらに、江戸川はなんとスイミングスポットで、東京のリゾート地が市川だったのだそうです。

 こうした風景を一変させたのが、戦争でした。

 1939年(昭和14年)に第二次世界大戦が始まります。
 日本は1941年(昭和16年)に太平洋戦争を開戦。
 「市川の特産品だった梨や桃の木は切られ麦やジャガイモが植えられた。また明治三十五年から栽培され、東京市場の一割以上を占めていた市川のイチゴ畑は水田となり、市川の果物は完全に中断されていた」と『写真で見る わがまち市川』113ページに記載されています。

 今のJR市川駅周辺には、松も桃もイチゴも見られることはありません。少し寂しい気もします。




〇「松桃園」について教えてくれたのは、市川街歩きの会の岡田 公治さんです。桃について興味を持つきっかけとなりました。ありがとうございます!
〇郷土出版社は長野県松本市の出版社で、今はもうないようです。『写真で見る わがまち市川』は市川市内の図書館で借りられます。
〇NHK「ファミリーヒストリー」 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1396/1804161/index.html

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