本八幡駅は「北八幡駅」あるいは「下総八幡駅」「八幡駅」になっていたかもしれない問題

 

『市川市要覧』の付録「市川市観光図」(出典:『図説 市川市の歴史』)


 1935(昭和10)年に発行された『市川市要覧』の付録である「市川市観光図」を見ると、現在のJR本八幡駅が「北八幡」と記載されています。一方、『市川市要覧』の本文だと「下総八幡驛」でした。

 なんとまあ、いい加減な本だこと……
 そんな印象も抱きますが、パソコンがなかった当時の本作りは大変なもので、制作期間もかなり長かったはずです。人の手によって描かれた「市川市観光図」の制作中は駅名が「北八幡」になる予定が、本文の印刷を始める頃に「下総八幡」が有力になり、1935(昭和10)年9月1日の開業時には「本八幡」で決着したとも考えられます。
 
 『市川市要覧』の発行元である房総日日新聞社は、「千葉市西院内」、現在の千葉市中央区要町・栄町にあった株式会社です。
 表紙の題字が浮谷竹次郎市長によるもの、そして副題が「市川市制施行記念」だったことから、『市川市要覧』は千葉市の新聞社が勝手に作成したものではなく、市川市の公的な本だったと考えられます。

 ちなみに、市川市勢調査会が1934(昭和9)年に発行した『市川市勢総覧』だと、JR本八幡駅は「八幡」と書かれていました。

 本八幡駅の歴史について、Wikipediaには以下の説明があります。
並走する京成電気軌道は既に新八幡駅および八幡駅(ともに現・京成八幡駅)が存在していたものの、総武本線には駅が開設されていなかった。新駅開設は旧・八幡町の要望の一つであった[3]。駅名の由来は所在地となる町名からだが、福岡県にある鹿児島本線の八幡駅との同名回避もあり「本八幡」とした[4]。

 「鹿児島本線の八幡駅との同名回避」という情報は、今のところ、市川市関連の資料では見つけられませんでした。
 また、『市川市要覧』の付録「市川市観光図」で、京成八幡駅は「けいせひやわた」と書かれていました。1935(昭和10)年よりも前に「けいせひやわた」になっていたのであれば、同名回避を行う必要はなかったはずです。
 本題とは関係ありませんが、「けいせひ」という表記が気になり、「けいせい」あるいは「けひせひ」としなかった理由が知りたいところです。
 

 市川市が誕生したのは、1934(昭和9)年11月3日です。市川市の資料には「紆余の曲折経路を踏んだ」「険悪な局面」「デマさへ乱れ飛んだ」などと記載されていて、市制が施行される前には大いにモメたと簡単に類推できました。駅の名前も同様にモメにモメたのでしょう。

■主な参考資料
『あねがさき案内』詳報堂
Powered by Blogger.