2026年4月6日現在、市川市内にある“百貨店” 

ファミリープラザあだちや(2019年2月撮影)


 「百貨店」という言葉は、いつ登場したのでしょうか。

 調べた限りでは、江戸時代には、多種多様(百)な商品(貨)を取り扱う業態はなく、当然、言葉もなかったようです。
 日本で百貨店の歴史が始まったとされる1904(明治37)年に行われた「デパートメントストア宣言」は、「デパートメントストア宣言」なだけに、百貨店というワードは使われていません。

当店販売の品物は今後一層その種類を増加し、衣服装飾に関する品目は、一棟の下に御用弁相成候(ごようべんあいな候)様設備致し、結局、米国に行はるるデパートメント、ストーアの一部を実現致す可きこと
「デパートメントストア宣言」

 おそらく、デパートメントストアという言葉を、誰かが「百貨店」と訳したのでしょう。精選版 日本国語大辞典では、初出は1925年発行の『女工哀史』(著/細井和喜蔵 改造社)とのこと。

三越白木屋等の大阪の百貨店でモスリン会を催した時
『女工哀史』

 精選版 日本国語大辞典で百貨店は「多種類の商品を大きな売場の中で各部門に分けて販売する大規模な小売店」と説明されていました。言葉が誕生した頃には、売り場面積や従業員数などにかかわらず、衣料品や食料品、日用品などを扱っている比較的大きな商店が、百貨店だったのでしょう。

 1949(昭和24)年10月に初めて告示された日本標準産業分類(JSIC)では、百貨店の分類基準が以下のように設定されました。

注1.百貨店
 日本標準産業分類の百貨店,総合スーパー(561)のうち、次のスーパーに該当しない事業所であって、かつ、売場面積が東京特別区及び政令指定都市で3,000平方メートル以上、その他の地域で1,500平方メートル以上の事業所をいう。
注2.スーパー
 売場面積の50%以上についてセルフサービス方式を採用している事業所であって、かつ、売場面積が1,500平方メートル以上の事業所をいう。
 ただし、商業動態統計調査の家電大型専門店、ドラッグストア、ホームセンターの調査対象企業の傘下事業所で、調査対象となっている事業所を除く。


  かつて市川市内にあった“百貨店” 丸興・西武百貨店・京成百貨店・十字屋・緑屋・松坂屋 で挙げた店舗については、丸興・西武百貨店・松坂屋の3つが日本標準産業分類(JSIC)での百貨店といえそうです。

市内にあった百貨店と売り場面積

○丸興本八幡店 約3,329.70㎡(後に 約3,746㎡)
○西武百貨店市川店 約3700㎡
○市川京成百貨店 不明
○十字屋本八幡店 不明
○緑屋本八幡店 約1,114㎡ →日本標準産業分類(JSIC)では百貨店に相当しない
○松坂屋市川店 5082㎡

 2026年現在、『クラナリ』が確認できた範囲ではありますが、市川市内には株式会社安達屋百貨店 ファミリープラザあだちやがあります。創業や売り場面積などはネットではヒットしなかったものの、あくまで印象ですが、昭和には創業していていたのではないかと。
株式会社安達屋百貨店 ファミリープラザあだちや(Googleより)


 ファミリープラザあだちやのInstagramには、切花と鉢花の写真が多数アップされています。

総合衣料品、肌着、日用雑貨、寝具、和装小物、手芸用品、化粧品、切花、鉢花、タバコ、切手ハガキ、印紙、市川市指定ごみ処理券などなど取り揃えております
配達、送迎なども行っております♪

 ちなみに「百貨店」が名称に入っている企業は、以下のとおりです。

「百貨店」が名称に入っている企業

株式会社大丸松坂屋百貨店
株式会社阪急阪神百貨店
株式会社東急百貨店
株式会社東武百貨店
株式会社小田急百貨店
株式会社近鉄百貨店
株式会社丸広百貨店
株式会社水戸京成百貨店
株式会社遠鉄百貨店
株式会社金沢丸越百貨店
株式会社山陽百貨店
株式会社浜屋百貨店
株式会社鶴屋百貨店

※八木橋百貨店については企業名は株式会社八木橋

 あくまでも印象ですが、鉄道系で「百貨店」が多いのではないでしょうか。

  かつて市川市内にあった“百貨店” 丸興・西武百貨店・京成百貨店・十字屋・緑屋・松坂屋 で紹介した東洋経済オンラインの2つの記事で、市川市は「百貨店が全滅した街」「百貨店全滅タウン」と紹介されていました。東洋経済オンラインの記事では、緑屋本八幡店も百貨店としてカウントされていたので、日本標準産業分類(JSIC)にはのっとらずに百貨店という言葉が使われたことになります。
 その点では、株式会社安達屋百貨店 ファミリープラザあだちが宮久保にあるので、市川市は「百貨店が全滅した街」「百貨店全滅タウン」ではなさそうです。


■主な参考資料
Wikipedia

コトバンク

1852年のパリでA・ブーシコによるボン・マルシェBon Marchéの設立が百貨店の創始といわれている。設立者の新しい商法は、(1)顧客の出入り自由、(2)正札販売、(3)商品の大量陳列、(4)返品自由、(5)低価格販売、をねらった低差益・高回転の商法であり、当時の商取引慣習からみれば革新的商法であった。新商法は他のヨーロッパ大陸諸国に波及し、さらには海を越えてイギリス、アメリカにも及んだ。
発展を支え、促した要因は、(1)人口の都市集中が進み、購買力が都市に集中したこと、(2)交通・通信機関が発達し、とくに後者が広告の効果を高めたこと、(3)工業化が進み大量生産体制が発展するにつれ、強大な販売機関が要請されたこと、(4)株式会社制度と銀行資本が発達し、巨大な土地・建物への資本投下と商品の大量仕入れに要する資金調達が可能となったことである。
 百貨店の発達が鈍り始めたのは1930年代からである。百貨店がもっとも発展したアメリカではチェーン・ストアの台頭が著しく、百貨店に追い付き、追い越すまでになっていた。
関東大震災(1923)を契機に百貨店は日用品販売を開始し、昭和に入ってからは大都市の新興中産階級をも対象とする大衆化路線を進める。新たに電鉄系百貨店もおこり、1930年(昭和5)ごろまでは百貨店の黄金時代であった。しかし昭和恐慌期(1930~1932)には百貨店間競争の激化と、中小小売商との摩擦が広がり、1937年制定の百貨店法(第一次)により、百貨店の営業活動に法的統制が加えられるに至った。
1960年代に入って百貨店は退潮の兆しをみせ始める。新興のスーパーと専門店が急成長し、小売業界における百貨店の地位は相対的に低下していったのである。こうした状況下に中央の百貨店は郊外店づくり、地方都市への進出、地方百貨店の系列化・グループ化を進め、百貨店は再編されて、五大グループ(三越、高島屋、大丸・松坂屋、西武、伊勢丹(いせたん)・松屋)に分かれ、グループ間競争の時代に入った。
 1980年代後半のバブル経済とともに成長を続けていた百貨店は、バブル経済崩壊後の不況と他の小売業態との競争激化で、長期低迷期に入った。売上高(日本百貨店協会、店舗調整済)は、1992年(平成4)から1999年まで、1996年を除き前年実績を下回り、ピーク時の1991年と比べて2009年のそれは約4割の減少となった。店舗数も1999年の311店舗から2009年末には271店舗に減少した。一方、経営統合も相次ぎ、大丸と松坂屋、西武とそごう、三越と伊勢丹が経営統合するに至った。

百貨店:日本標準産業分類の百貨店、総合スーパー(561)のうち 2.のスーパーに該当しない事業所であって、売場面積が、特別区及び政令指定都市で 3,000平方メートル以上、その他の地域で 1,500平方メートル以上の事業所。
スーパー:売り場面積の50%以上についてセルフサービス方式を採用している事業所であって、売場面積が1,500平方メートル以上の事業所。
コンビニエンスストア:コンビニエンスストア(日本標準産業分類 細分類5891)を500店舗以上有する企業。
家電大型専門店:日本標準産業分類に掲げる細分類5931-電気機械器具小売業(中古品を除く)または細分類5932-電気事務機械器具小売業(中古品を除く)に属する事業所を有する企業で、家電大型専門店(売場面積500平方メートル以上)を10店舗以上有する企業。
ドラッグストア:日本標準産業分類に掲げる細分類6031-ドラッグストアに属する事業所を有する企業で、ドラッグストアを50店舗以上有する企業またはドラッグストアの年間販売額が100億円以上の企業。
ホームセンター:日本標準産業分類に掲げる細分類6091-ホームセンターに属する事業所を有する企業で、ホームセンターを10店舗以上有する企業またはホームセンターの年間販売額が200億円以上の企業。

第3節 百貨店等
百貨店等とは、百貨店やスーパーマーケットなどの物品販売店舗をいいます。不特定の人が大勢出入りし、商品などの可燃物が大量に収容されているこれらの建物では、一度火災が発生すると大惨事を招く可能性があります。
このことから、百貨店等では、喫煙・裸火使用・危険物品持込みのすべての行為が禁止されています。
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