市章・市の木・市民の花って、そもそも何なのでしょうね問題
千葉県市川市の市章は、2025年8月19日現在、不明です。ただ「シンボルマーク」はこちら。
□市川市のシンボルマークとキャッチフレーズ
そして「市民の花」はバラで「市の木」はクロマツです。
□ガーデニングシティいちかわオリジナルキャラクター 「クロロとバララ」
ふと疑問に思ったのです。
市章・市の木・市民の花って、そもそも何?
まず市章について調べたところ、日本には市章のない市があるとわかりました。
ちなみに、市川市は1937(昭和12)年に以下の市章が制定され、2014(平成26)年に冒頭の「シンボルマーク」を作成したのだそうです。
以上のことから、市章(市町村章)はあってもなくてもいいし、2つあってもいいと考えられます。
さらに、都道府県章や市町村章の歴史をたどっていくと、江戸時代の藩の家紋(家の紋章)という可能性も出てきました。
家紋のルーツについては、中国文化の文様とされています。
ただ、家紋は、中国では見当たらず、日本独自に発展した文化とのこと。家紋が誕生したのは平安時代後半で、貴族たちが自分の家が所有する牛車 (牛が牽引した車)につけた目印から始まったようです。
鎌倉時代には、戦場で敵と味方を区別できるように、武家が家紋を使うようになり、陣地に掲げる陣幕や旗、鎧兜に家紋が付けられました。
戦場での目印という点では、ヨーロッパの紋章も変わりません。
中世のヨーロッパでも、やはり騎士たちが敵味方の区別をつけるための目印が、後に紋章となりました。最古のものは1010年のドイツ貴族の紋章だと、Wikipediaには書かれています。
ちなみに、古代エジプトと現代とを行ったり来たりする女性を描いた(かなりおおざっぱでスミマセン)『王家の紋章』という長編漫画がありますが、古代エジプトには紋章はなく、“聖なるもの”(神など)のシンボルが魔除けやお守りで使われていたようです。
話を日本に戻すと、江戸時代には各藩に家紋がありました。
その延長で、1871年(明治4年)廃藩置県の後にも、藩の家紋に相当する都道府県のシンボルマーク(都道府県章)がデザインされたのだと推測します。
ちなみに、石川県は県章のない唯一の県だとWikipediaに書かれていました。
ネットで調べた限りでは、都道府県章で古いのは、東京市(現在の東京都)で1889(明治22)年ではないかと考えられます。家紋と違って戦場での目印ではなく、東京市の物品とそうでない物品との目印として使われたようです。
東京都の紋章は、東京市時代に正式な徽章として定められたものを、昭和18年(1943)7月の都制施行時に引継ぐ形で成立しました(正式に告示されたのは昭和18年11月2日)。では元となった東京市の徽章は、どのように制定されたのでしょうか。当館に残っている資料から見ていきたいと思います。東京市が明治22年(1889)5月に成立した後、同年12月18日に開催された参事会で、市の徽章を定めることが提案されました。発案者は、当時東京市の参事会員だった渡辺洪基。外交官を経て東京府知事や帝国大学初代総長等を歴任したことで知られる人物です。この件は、同月24日の市会に議案(市会議案第60号)として提出されます(画像2)。
議案提出にあたっては、「本市所属諸役所ノ徽章ヲ左ノ通リ相定メ物品其他燈灯ニ附シ、非常失火等ノ際識別スルノ便ニ供スルモノトス」との説明がなされています。都市のシンボルというより、非常時に市の物品を識別するためという、実利的な理由が前面に出ているのが面白いですね。
千葉県の県章も古く、1909(明治42)年12月28日に制定され、カタカナの「チ」と「ハ」を図案化したものです。
あくまでもネットで調べた限りの話ですが、都道府県章の多くが昭和の初めに制定されているという印象です。
市川市の市章については、1937(昭和12)年に制定されたものだと、『日本の市町村章』(編/小学館辞典編集部)に書かれているようです。1934(昭和9)年の市制施行で市川市が誕生し、それに伴ってシンボルを作成したのでしょうか。市制施行〇周年で盛大に行われてきたイベントその他から、このように考えた次第です。
都道府県章や市町村章と同様に、いわゆる「県の花」「市の木」も制定されているところが多々あります。
市川市については、1970(昭和45)年に「市の木」としてクロマツが、1975(昭和50)年には「市⺠の花」としてバラが決まりました。
「県の花」「市の花」については、ルーツはアメリカの州花で、第二次世界大戦後の1949(昭和24)年の日本で「郷土の花」が構想されたとのこと。そして1954(昭和29)年3月にNHK・全日本観光連盟・日本交通公社・植物友の会が主催、農林省・文部省・都道府県・国鉄が後援して「郷土の花」を募集しました。
こうして都道府県の「郷土の花」が選ばれ、後の「県の花」「市の木」などにつながっていったのでしょう。
以上のことから、都道府県章や市町村章は目印(家紋)、市の木・市民の花はアメリカの州花にルーツがあり、「必ずしもなくちゃダメではないけど、トレンド的に広まった」「〇周年記念イベントの際に作られがち」と考えられます。
■主な参考資料
中世ヨーロッパの風景
紋章は『楯』の形に描かれるのが基本です。甲冑の騎士をどこの誰であるか見分けるためには、かならず戦場に持ってくる楯にシンボルを描くのが最適だったからです。14世紀に入ると、陣羽織(surcoat)や馬の外被い(horse trapper)にも紋章と同じ図形が描かれるようになります。ちなみに、英語では紋章をコート・オブ・アームズ(coat of arms)と呼びますが、これは「衣(coat)に描いた武具(arms;楯)」という意味です。単に省略してアームズ(arms)ともいいます。
日本の家の紋章「家紋」の歴史と特徴
都の花・都の木・都民の鳥について
郷土と結びつくイメージ : 「郷土の花」選定過程を中心に
日本の市町村章 小学館
家に家紋があるように、市町村にはそれぞれ顔とよべる市町村章があります。古いものでは明治期に制定された墨一色の格調高いものから、最近のものではカラフルで洗練されたデザインのものまで、さまざまです。特に、平成の大合併により新しい市町村が続々と誕生し、それに伴い新しく制定された市町村章は今までの市町村章のイメージをくつがえすような斬新なものが数多くあります。そうした新旧織り交ぜた市町村章を都道府県別にして五十音順に並べたものです。また、市町村章の下にはその紋章の由来と制定年月日が添えてあります。これにより市町村章の意味と時代を把握できるようになり、それぞれの市町村章への理解がより深まります。
千葉県のシンボル





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