市川市にある創業40年の出版社の東洋学術出版社から刊行された『宋以前傷寒論考』を読んでみた
「東洋医学」「漢方」という言葉を、テレビコマーシャルなど、さまざまな場面で見聞きします。最近では「中医学」という言葉も目にしますね。
「東洋医学」「漢方」「中医学」。
どう違うのかを私のような素人が語るのはおこがましいのですが、一般論として、大きなくくりが「東洋医学」。西洋医学と対となる言葉です。
そして東洋医学の一つが、中国の伝統医学が日本で発達した「漢方」で、「和漢」と呼ばれることもあります。一方、中国で発達した医学が「中医学」です。
漢方と中医学の違いとしてよく挙げられるのが、「腹診」。これは漢方独特の診察方法で、おなかを触ったときに硬いかフニャフニャか、硬いのはみぞおちかへその周りかなどで、患者さんの体の状態を診断します。
また、中医学の専門家に私が聞いた範囲では、中医学のほうが論理的で体系化されていて、漢方はアバウトとのこと。
『宋以前傷寒論考』を紹介する前に、このような前置きをしたのは、市川市にある東洋学術出版社が「中医学普及のための出版活動」を行っているからです。創業は1983年10月1日。ですから、今年で創業40年ということになります。
東洋学術出版社の出版物を見ていると、私が駆け出しだった頃にお世話になった岡田研吉医師の名前がありました。そこで、岡田医師が著者の一人になっている『宋以前傷寒論考』を読んでみようと思い立ったのです。
結論をいうと、専門的過ぎて、「最初の鼎談だけを、意味がわからないなりになんとか読み切った」という状況。中医学だけでなく東洋医学全般の専門家には、たまらなく魅力的な内容ということだけはわかりました。
そんな理解の浅すぎる人間が、恥ずかしながら、興味深かったところをいくつかピックアップします。
東洋医学に対して、次のようなイメージが抱かれていませんか?
「穏やかな効き目で、体に優しい」
「副作用がない」
「体質を改善する」
「四千年の歴史があり、古くからの叡智がそのまま受け継がれてきた」
これらは、偏った思い込み。漢方薬には長期服用による肝機能障害が報告されているだけでなく、副作用があります。長期服用してもいい漢方薬もあれば、短期だけの服用に限られる漢方薬もあり、細かく分類されているからです。
また、四千年の歴史で、気候も人々の栄養状態も変わります。こうした変化に合わせて、「古典」が書き換えられることもあったようです。
206年に成立したとされる、東洋医学の古典『傷寒論』は散逸していたので、1065年に北宋の官僚だった林億たちが『宋板傷寒論』としてまとめ直したとのこと。その際に、時代に合わない内容を修正したようなのです。
ちなみに、林億たちがまとめ直した『宋板傷寒論』も、原本は残っていないそうです。
つまり「古い医学書が、バイブル的に、一言一句変わらず残った」というわけではないのです。
この本は、『宋以前傷寒論考』という書名のとおり、宋の時代にまとめ直される前の『傷寒論』について、さまざまな古い文献をもとに「どんなことが書かれていたのだろうか」「どんな治療がされていたのだろうか」「どこが変わったのだろうか」を探っていくという内容です。
そんな気の遠くなるような作業を、著者である3人の医師が行っている理由は、もちろん患者さんのためでしょう。ただ、私の印象としては「ゾクゾクするほど面白くて、止められない」からではないかと。なんせ四千年の歴史ですから、掘り始めるとどこまでも続くわけです。底なし。
以下は、引用と読書メモ。
西洋医学では、必要十分条件としての優先順位や適用・標準治療はすべて整理してあって、真面目にやればだいたい間違うことはありません。そのマニュアル通りやればよいといえるよいシステムができているのだけれど、漢方の世界というのはすべてが並列的で、重ね付けも順序立てもないうえに、古方だ、後世方だと、それぞれに流派がある。人によって使う処方が異なっているし、言うことが違っているのに、それぞれ一定の効果をあげている。そんな状況に困惑していたときに、『傷寒論』を見てみたら、そこにはいろいろな古代の経方が、きちんと順序立てて配列されていて、弁証論治の世界への筋道が見えていました。
江戸時代に鎖国をしていたため、中国から伝わった医学も日本独自の発展をしました。それが「古方派」と呼ばれています。冒頭で紹介した漢方は、古方派を指しています。
後世方派については、室町・戦国時代の医師である田代三喜が、当時の中国(明)で人気を集めていた金・元の時代の医学体系を日本に持ち込んで、曲直瀬道三たちとともに発展させたものです。
同じ病気に対して古方派と後世方派とでは別の治療を行っても、結果としてそこそこ改善しているのでしょう。
「弁証論治」については、「東洋医学の真髄となる弁証論治への理解について」で次のように説明されています。
弁証論治とは望診,聞診,問診,切診(脈診,腹診など)から導き出され,病の病態と病理を分析・帰納する過程であり,つまり「弁証」のことである。この方法によって導き出された証に基づき,鍼灸・漢方,薬膳の治療方針を決定する。これは「論治」である。以上から,「弁証」は「論治」の前提であり,「論治」は「弁証」の目的だと言える。
まず共通認識として重要なことは、「『傷寒論』にはいろいろなテキストがある」ということ
隋唐から宋にかけてだんだんと気候が温暖化し、傷寒の病態の多くが熱性を帯びたものに変わってきた
病態概念の歴史的な変遷にもとづいて、各条文・処方は、属する六経病位が変化しているので、臨床では病態概念を基本にして弁証論治し、「病院別六経編次の時系列本草(方剤学)」を見きわめたいですね。一般的に僕らが臨床で診る感冒というのは、むしろ風寒による感冒で、コレラのようないきなり熱病というものは、現代日本ではまずないですから。
例えば、春分から秋分までというのは寒さが本当は来ないはずなのに、現代ではそういう時期にもクーラーをガンガンかけて身体を冷やしてしまうことが多く、夏でも風邪で最初に寒気のする傷寒の病にかかるということがよくあります。そういうときに『太平聖恵方』の巻九にあるような、附子の入った桂枝湯を使うと非常に切れ味がいいことを臨床的によく経験します。
『傷寒論』は点ではなく線であり、同じ線上に複数のテキストがあって、時代の変化で『傷寒論』の文章表現や細かい内容も変わってきているということです。
一つの本だけを絶対視せずに、同じ線上にあるテキストも確認したほうが、正しい理解につながるのでしょう。
複数の古典を見比べて、治療の変遷を確かめるのは、大変な作業に違いありません。しかし、「結構楽しい世界」だと表現されていました。
こんなルールもありなのかと、いろいろな立法措置のもとに条文を見ていけば、結構楽しい世界です。臨床では経験的になにげなく使っているものに、きちんと論理根拠を与えてくれるすごさが古典にはあります。
最後に、「東洋医学あるある」が違う場合もあるという点をピックアップしておきます。私としては「えっ、そうだったの?」という内容でした。
日本で一般的に体質的に強いか弱いかで「虚実」をいうようになったのは、昭和五十年代以降のことでしょう。しかし、病態を表す概念としての虚実の定義は先に述べたとおり、正気の多寡と、病邪との反応の有無という、二つの異なった事象を説明する概念であって、たんに体格や体力の程度をいうものではありません。
「証と処方は鍵と鍵穴」の関係として理解してもかまいませんが、それよりも、「証(=病態)に応じていれば複数の処方が可能である」という柔軟な姿勢が本来の『傷寒論』には示されているのではないでしょうか。
八味丸と六味丸について、原典、ならびに構成生薬の古代本草書における記述を検討した結果、両方剤ともに現在のような補腎薬としての認識はなかった。
盛りだくさんの研究が詰め込まれていて、私には全然ついていけませんでしたが、東洋医学の治療家の皆さんには発見の多い一冊だと思います。
この本で私が学んだのは「ちょっとかじった程度で、知った気になってはいけない」ということでした。
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