再開発はどうしてタワマンがセットなのだろうか問題 ~ 中野サンプラザもまさかの再オープン?
1970年に竣工した東京都品川区にあるTOCビル(東京卸売センター)は、2023年3月に閉館したのですが、4月に建て替えが延期になり、同年9月に営業を再開しました。
同様のことが、東京都中野区の中野サンプラザでも起こるのかもしれません。「再開発計画は白紙となる」可能性が浮上したからです。
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開館当時の外観(中野区立中央図書館資料より) |
計画見直しが決まった中野サンプラザ(東京都中野区、2023年7月閉館)跡地の再開発事業を巡り、中野区は、野村不動産などの事業予定者に対して基本協定の解除を申し入れる方針を固めた。解除されれば再開発計画は白紙となる。区は11日の区議会常任委員会で方針を表明する。
このヤフーニュースに、以下のコメントがついていました。
サンプラザは耐用200年設計、再開発の必要が元々なかったもの。改修して使えば100億もしない。老朽化はデベロッパーが儲けるための口実。
耐用200年設計であれば、1973年にオープンした中野サンプラザは2173年まで使えると想定されていたわけです。設計者の林昌二(1928-2011年)氏は、次の名言を残しているそうです。
褒められたときはバカにされていると思いなさい
建築というのは、非常に長い生命を持ったものです。場合によっては、人間の一生よりも長いこともあります。建設時点での社会情勢やクライアントとの折衝は、建物の寿命に比べればごく一時的なものなのです。それに左右されることなく、建築の骨格を街全体の骨格と深い部分で対応させなくてはなりません
林氏の厳しい人柄が見えてくる言葉ですが、そんな林氏が防災面に配慮して、200年使い続けられることを意図した設計が中野サンプラザだったようです。
設計はパレスサイドビルディングや新宿NSビルなどを手掛けた日建設計の林昌二氏で、同氏はこの建物の構造体は200年持つことを意図して設計したとされる。
中野サンプラザの魅力は、まずはその外観である。まるでサンドイッチのような躯体は、中野駅に降り立つとすぐに目に飛び込んでくる。一度見たら忘れられないインパクトを得る筈だ。解体を惜しむ住民が多いのは、この街に帰って来ると一番に迎えてくれるのがこの風貌だからだろう。中野区は住民の要望を尊重し、サンプラザの形状や愛称を継承することを検討するとしている。しかしこの特異な外観は、デザイン重視の観点で生まれたものではない。設計者の林昌二氏は、複合施設の弱点となる防災面に配慮し、下から上に向かって床面積が少なくなるようにし、人口密度が下から上に向かって少ないものを順次積み上げた結果、あの三角形のかたちになったと語っている。(『新建築』1973年6月号)
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中野サンプラザ断面図(中野区立中央図書館資料より) |
また、ヤフーニュースには以下のコメントがついていました。
元々再開発全面見直しを公約にして当選した酒井直人。公約破棄して再開発を進めた事に問題がある。
2018年の中野区長選挙の際に、中野サンプラザを含む再開発が争点となり、解体を主張していた前区長が敗れたとのこと。ちなみに前区長の田中大輔氏は、4期も区長を務めたとのこと。
そうなると、中野サンプラザを残したいという区民が多かった(あるいは声が強かった)と考えられます。
2019年10月、建て替えが検討されてきた「中野サンプラザ」を含む中野駅前の再開発について、新たな方針が発表されました。中野区の酒井直人区長は「サンプラザのDNAを継承し、デザインや名前についても引き継いでいく」方針を示しています。さらに、中野サンプラザを解体して最大収容人数7000名の多目的ホールなどの施設をつくるとしています。筆者は中野区民で有権者の1人ですが、この発表には違和感を覚えました。一昨年6月に行われた中野区長選では、中野サンプラザの解体問題が争点になりました。解体を主張していた前区長が敗れ、計画の全面見直しを訴えた酒井区長が誕生します。ところが3カ月後、サンプラザの解体を進めると発表したためです。
ありがちな話ですが、「公約した」「していない」「言った」「言わない」で区長と区民がバトルした模様。
□酒井区長、中野サンプラザ解体をようやく直接区民に説明(2018/12/12)中野区長選選挙公約の設定忘れまくる
元中野区民だった『クラナリ』編集人としては、あの駅前の雰囲気を壊さないでほしいと願っているところです。
そんな個人的な思いとは別に、建築工事費が高騰している今、「中野サンプラザを解体して新たに1万人規模のアリーナやタワマンを建てる」が不可能になって、再検討の必要性に迫られています。
過去の記事「再開発はどうしてタワマンがセットなのだろうか問題 ~ 事業費見積もりが1810億円→3500億円の中野サンプラザ跡地再開発はどうなる?」に掲載した中野サンプラザ跡地の再開発の沿革に、中野区長選挙などを加筆しました。
1973(昭和48)年6月 全国勤労青少年会館(愛称「サンプラザ」)としてオープン、労働省所管の特殊法人雇用促進事業団(1992年に厚生労働省管の独立行政法人雇用・能力開発機構へ改組)が管轄
2002(平成16)年 6月 中野区長選挙で田中大輔氏が初当選
2002(平成16)年 10月 独立行政法人雇用・能力開発機構から中野区への譲渡についての打診
2004(平成18)年11月 第3セクター・株式会社まちづくり中野21(所有会社)が中野サンプラザの経営権取得、名称が「中野サンプラザ」に
2008(平成20)年10月 中野区が株式会社まちづくり中野21を完全子会社(株式会社中野サンプラザ)、サンプラザ地区に係るまちづくり整備の方針が区議会で議決
2011(平成23)年3月 株式会社まちづくり中野21に中野区が全額出資、区役所・サンプラザ地区再整備の基本的方向策定
2014(平成26)年6月 区役所・サンプラザ地区再整備基本構想策定
2016(平成28)年5月 区役所・サンプラザ地区再整備実施方針策定
2018(平成30)年3月 中野四丁目新北口地区まちづくり方針策定
2018(平成30)年6月 中野区長選で中野サンプラザ解体などに慎重派とされる酒井直人氏が当選(推進派の前区長が落選)
2020(令和2)年 1月 中野駅新北口駅前エリア再整備事業計画策定
※マンションやオフィスなどが入る高さ262メートルの超高層ビル(タワマン)と、最大7000人を収容できる多目的ホールが2029年度に併設される計画
2021(令和3)年 5月 市街地再開発事業の施行予定者決定
2023(令和5)年7月 中野サンプラザ閉館
2023(令和5)年11月 都市計画の決定・変更
2024(令和6)年7月 1810億円としていた事業費が2639億円かかる見通し
※多目的ホールの規模は維持する一方で、採算性を確保するため超高層ビルに占める住宅部分の割合を増やす方向で計画を変更
2024(令和6)年7月 施行予定者が市街地再開発事業の施行認可申請
2024(令和6)年9月 特定業務代行者である清水建設が提出した見積もりで、事業費は3500億円を超える見通し
2024(令和6)年10月 施行認可申請が取り下げ
2025年(令和7)1月 区議会建設委員会などで、高層棟の建設を1棟から2棟に変更する「ツインタワー案」を新たに提示
2025年(令和7)3月 中野区は、野村不動産などの事業予定者に対して基本協定の解除を申し入れる方針
■参考資料
中野サンプラザ取得・運営等事業について
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