宮久保は葛飾八幡宮が最初に建てられた場所で、江戸時代前期は海のそばだったのか問題 その2

宮久保幼稚園

 1903(明治36)年発行の地図を見ると、当時、白幡神社(白幡宮)が宮久保6丁目7−2の宮久保幼稚園の近くにあったことがわかります。

1903(明治36)年発行の地図 出典:今昔マップ、一部改変

 明治初期の地図では、当時の白幡神社(白幡宮)が台地面の端のほうに位置しています。
左は明治初期の地図で、赤丸は当時の白幡神社(白幡宮) 出典:歴史的農業環境閲覧システム、一部改変

 台地面で、当時の白幡神社(白幡宮)の西側には、現在、小さな祠があります。
祠



 現在の位置関係は、下の地図のとおりです。
出典:国土地理院地図、一部改変


 宮久保は葛飾八幡宮が最初に建てられた場所で、江戸時代前期は海のそばだったのか問題 その1 で言及したように、平安海進を考慮すると、平安時代に葛飾八幡宮が建てられたのは宮久保、つまりは、明治は白幡神社(白幡宮)で現在は宮久保幼稚園がある場所だったんじゃないかと思えてしまいます。

 現在、宮久保幼稚園や祠の近くからは、八幡の町も見えます。

 中世に葛飾八幡宮にいた人が、平安海進が終わって海が引いてきたときに、陸地化した砂州に道ができたのを見て、「便利だから、道の近くへ移転しよう!」と思ったのかなと。



 今昔マップを参照すると、1917(大正6)年測図の地図からは白幡神社(白幡宮)が消えていたので、大正期の初め頃までに現在のところへ移転したのだと考えられます。

 なお、Googleマップでは、祠が「白幡神社(宮久保4)」と表示されています。

 しかし、実際は墓地の中の空き地にポツンとある祠です。祠は目立たない階段の上にあり、周囲は墓地でした。
祠がある空地(両脇は墓地)

祠の下の階段

 この祠がどうして「白幡神社(宮久保4)」と表示されるのか、謎がまた一つ…
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