江戸川水閘門が設置されているのは、中州ではなく人工島じゃないのか問題
便利な時代になりました。Googleで検索すると、真っ先に「AI による概要」が表示されるのです。しかし、あくまでも私の場合ですが、「おいおい!」と突っ込みたくなることが珍しくありません。
今回の表題である「江戸川水閘門が設置されているのは、中州ではなく人工島じゃないのか問題」も、突っ込みたくなる案件です。
「AI による概要」は以下のとおりでした。
AI による概要千葉県市川市と東京都江戸川区の境界(旧江戸川周辺)には、1919年の放水路開削に伴う流路変更により、境界が未確定の「河原番外地」と呼ばれる中洲地帯が存在する。市川市は現在の流路に基づく境界を主張し、江戸川区は旧来の線引きを主張する領土争いが1970年代から未解決のまま続いている。「河原番外地」の境界紛争場所: 江戸川水閘門(すいこうもん)周辺。原因: 1919年の江戸川放水路建設で旧江戸川の流れが変わり、中洲が形成されたため。現状: 土地開発は手つかずのまま(管理は市川市、暫定的に江戸川区の電話番号エリアとされる場所も存在)。他の境界未確定地東京都は市川市だけでなく、江戸川区と浦安市、葛飾区と埼玉県三郷市との間でも境界が確定していないエリアを抱えている。このエリアは1978年以降話し合いが続いているが、抜本的な解決には至っていない。
福岡県民ならば、「中洲は飲み屋があるところやろう」と、AI に一言いいたくなります。
そこで人力で、まずは中洲について調べてみました。
なか‐す【中州・中洲】[ 1 ] 〘 名詞 〙 川の中、川口などで土砂が積もり重なって島のように水面に出ている所。[初出の実例]「さまざまのなかすの姿あらはれてしほひの入り江水ぞ少なき〈藤原雅有〉」(出典:夫木和歌抄(1310頃)二六)[ 2 ] ( 中洲 ) 福岡市博多区の地名。那珂川(なかがわ)の中洲にあり、飲食店や劇場が多い。
中州も中洲も同じ意味ですが、「洲」は常用漢字ではないため、やっぱり「中洲は飲み屋があるところやろう」となります。
さらに、中州は「土砂が積もり重なって島のように水面に出ている」、つまり川の流れで自然にできたものです。国土交通省関東地方整備局のページにも、次のように説明されています。
中州は川の水が増えた時(洪水(こうずい))の時に川の中に作られた島で、水の量が減った時に水の上に現れたものです。
江戸川水閘門については、明治まで水田だったところに設置されました。ですから、中州であるわけがないのです。
古い地図を見る限りでは、明治までの江戸川は、江戸川放水路(現在の江戸川)開削で流路が変更され、旧江戸川のカーブもなだらかに変わりました。
■江戸川水閘門は「川」に設置されていなかった問題
ちなみに、県と県との間が川の場合、川の中央である中心線が県境となるのが一般的なのだそうです。
江戸川については、放水路を作る際に川の流れを変えてしまったために、「市川市河原番外地」と呼ばれている地区が東京都なのか千葉県市川市なのか、宙に浮いたような状態になっています。
■「市川市河原番外地」が生まれた背景に、「ちょこっとまたいだ」江戸川放水路掘削の歴史あり ~デイリーポータルZ 番外地・境界未定地・飛び地2006
今の地図を見る限りでは、江戸川水閘門の設置されている人工島は中州っぽい印象です。似たような構造が江戸川の上流にある関宿(せきやど)水閘門で、人工島の片側には水門、もう片側には閘門の設置されています。
竣工は、関宿水閘門が1927(昭和2)年、江戸川水閘門が1943(昭和18)年となっています。設計者は、関宿水閘門は千葉県立博物館の文書では「未詳」「沖野忠雄が中心的に設計指導か?」と書かれていました。江戸川水閘門についてはヒットしません。
沖野忠雄は、河川事業の基礎を築いた内務省の技師。河川の治水計画を確立した人物の一人。沖野は、日本でオランダ人技師に学び、石狩川・北上川・信濃川・利根川・富士川・木曽川・吉野川・筑後川などの全国の主要河川の改修工事に関わった。その後、日本人技術者として淀川の改修には技術力を発揮し、新淀川放水路開削を実施し、古来からの懸案であった淀川下流の水害解消に大きく貢献した。
ともあれ、当時は「水門+人工島+閘門」という構成で水閘門が設計されていたのだと考えられます。「川の中にある中州の両サイドに、水門と閘門を設置した」というわけではないのですね。
現在、江戸川水閘門の改築事業が進められています。完成予想図(以下の図の右側)を見ると、水門の下流に閘門が設置されて、人工島は東京都江戸川区と地続きになって吸収(?)されるようです。
■主な参考資料
江戸幕府 60年かけ瀬替え、開削の大規模治水事業
江戸川・中川沿川にある選奨土木遺産について
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