丸浜川はどうやってできたんだ問題
2019年5月撮影 |
丸浜川は、雨水排水路として位置づけられています。起点は行徳近郊緑地、通称「欠真間三角」と呼ばれている池で、野鳥観察舎の前、塩浜橋の下を通り、猫実排水機場で猫実川とつながっています。
管轄は、千葉県と市川市です。
〇千葉県葛南土木事務所:「欠真間三角」(「行徳鳥獣保護区の縁」)
〇市川市:「欠真間三角」以外
国土交通省の資料では、次のように水の流れが説明されています。
丸浜川は、行徳鳥獣保護区の縁から猫実排水機場までの流れである。三番瀬へ向かう流れは、1 号水門によって閉ざされており猫実川と同様に排水機場のポンプによって下流方向へと排水される。行徳鳥獣保護区は、暗渠及び千鳥水門によって三番瀬とつながっており、丸浜川側には水門(高校水門)があるが常時閉められている。江戸川第 2 終末処理場の処理水は、通常時には放水路を経て旧江戸川へ排出されるが、大量の降雨があった場合は緊急的に猫実川へも放流される。
丸浜川はどうやってできたのかを調べていたところ、「御猟場」と関係しているように思えました。御猟場とは、天皇の狩猟場で、宮内省が専管する皇室施設です。
そんな丸浜川の歴史について、例のごとく、今昔マップを使ってみていきましょう。
明治の自由民権運動が高まっていた1878(明治11)年に、当時の内務卿である伊藤博文が、御猟場を選定するよう県令に命じました。こうして、各地に御猟場ができました。
1883(明治16)年5月には、埼玉県から千葉県にかけて「江戸川筋御猟場」が設定されました。現在の新浜鴨場は、当時は「新濱御猟場」でした。
1902(明治36)年測図の地図を見てみましょう(青いマーカは、現在の丸浜川と猫実川河口)。
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1902(明治36)年測図(左側の地図、右は現在。今昔マップより) |
新濱御猟場の横、つまり現在の南行徳江戸川水再生センターがある場所に、「御猟」のための養魚場がありました。養魚場では、アユなどを養殖していたと考えられます。
そして、浦安側と新濱御猟場近辺とでは海岸線が明らかに異なることから、新濱御猟場・養魚場は干潟の一部を埋め立てて作られたのだと推測します。
また、「欠真間三角」は新濱御猟場・養魚場に淡水を供給するための池だった可能性も考えられます。
現在の丸浜川は、当時は南行徳村で、陸地と干潟との境でした。
その後の地図も、1902(明治36)年測図の地図とさほど変化はありません。
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1917(大正6)年測図(左側の地図、右は現在。今昔マップより) |
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1932(昭和7)年測図(左側の地図、右は現在。今昔マップより) |
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1966(昭和41)年測図(左側の地図、右は現在。今昔マップより) |
丸浜川が出現するのは、1976(昭和51)年の地図です。養魚場(1966〈昭和41〉年の地図では「養魚所」)が消えるなど、地形が激変します。
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1976(昭和51)年測図(左側の地図、右は現在。今昔マップより) |
この地区では、1964(昭和39)年に大規模な埋め立て工事が始まりました。
その一方で、広大な湿地帯に飛来する水鳥を保護するために、1970(昭和45)年に「行徳近郊緑地特別保全地区」が指定されます。さらに沖合の塩浜地区の埋め立てでは、保護区の造成工事も行われました。こうして、人工潟湖(せきこ)である新浜湖ができました。
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1986(昭和61)年測図(左側の地図、右は現在。今昔マップより) |
埋め立てが行われた際に、「欠真間三角」の水を逃がすために、かつて陸地と干潟の境だったところが開削され、丸浜川ができたと考えられます。これは、あくまで地図を眺めながらの推測です。
下水道が整備されていなかった頃の丸浜川は、汚れ切っていたことは間違いなさそうです。
丸浜川と周辺の湿地帯の清掃を単身で始めたのが、武田紀昭さんです。武田さんに賛同した地域住民が清掃に加わり、1993(平成5)年から「行徳グリン・クリンの会」と「行徳芝桜の会」として活動するようになったとのこと。
ちなみに、地図には「丸浜川」と記載されていません。誰が、いつ、「丸浜川」と名付けたのでしょうか。
また、市川市議会には議場で歌を歌う議員もいたのですね。議事録を読みつつ、衝撃を受けました。
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■主な参考資料
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2. 三番瀬をモデルとした各課題の具体的な検討
栃木県誕生150年記念 宮内庁宮内公文書館、栃木県立博物館共催第137回企画展「近代皇室と栃木~とちぎ御用邸ものがたり~」
御猟場の設定
市川市のあゆみ 第3回 昭和31年11月1日号
江戸川筋御猟場
2015年3月12日 会議録
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