「名代ねぎそば 月梅」の塩ねぎそばを、家庭で手軽に再現できるのだろうか問題 番外編 なぜ「ねぎラーメン」ではなく「ねぎそば」?

1960年代までには、「そば」というと「中華そば」のことを指すことも多くなり、それに伴って「日本そば」という言い方もできた。


 通常、「そば」と聞くと、日本そばをイメージしますよね?
 しかし、1960年代までは中華そば、今でいうところのラーメンを指していたようです。

 「名代ねぎそば 月梅」については、太平洋戦争(1941~1945〈昭和16~20〉年)の後に本八幡駅周辺にあった闇市で開店したという説があります。
 当時は「そば」と呼ぶのが当たり前だったということです。

 その経緯について調べ始めたら、とんでもなく長くなりました。「だから、何?」という話ではありますが、国際情勢や政治的な理由も加わって、料理の呼び名が変わっていったことが、個人的にはかなり興味深かったですね。


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 小麦は、紀元前7000年頃のメソポタミアで栽培され、そこから世界各地に広まっていった作物だと考えられています。
 
 中国では、河北省邯鄲(かんたん)で戦国時代(紀元前403~前221年)の遺跡から回転式の石臼が発見されました。そのため、戦国時代には小麦が栽培されていたようです。

 愛知大学のサイト内にあった「第1章 ラーメン物語『世界にはばたく日本の味』」によると、中国語で「麺」は小麦粉を指すとのこと。中国語と日本語とで、以下のような対比がなされていました。

中国語

麺=小麦粉
餅=小麦粉で作った食べ物
 蒸餅 蒸す
 焼餅 焼く
 油餅 揚げる
 湯餅 ゆでたり煮込んだりする 例 水餃子

日本語

麺=細長い食べ物
餅=蒸したもち米をきねなどでついた、粘りの強い食べ物

 麺料理の起源は、以下の2説があるそうです。
1 後漢の崔寔(さいしょく)(103-170年)が記した中国最古の歳時記『四民月令(しみんがつりょう)』の水溲餅(すいそうへい)
2 北魏の賈思勰(かしきょう)が著し、530~550年に成立した世界最古の農業専門書『斉民要術』の水引餅(すいいんべい)

 『斉民要術』の第9巻の「餅法」という章に、麵の具体的な作り方が記されています。餅と麺。混乱する……
『斉民要術』(Wikipediaより)


 時代は下り、北宋(960~1127年)では小麦粉を水で練って汁物に入れていたそうです。
 それが南宋(1127~1279年)になると、現在のようなひも状の麺である麵条(ミエンテイアオ)を使うようになったと考えられています。この時代の『居家必要事類』、『調鼎集』、『東京夢華録(とうけいむかろく)』などの書物に麺に関する記述があるとのこと。

 それまでの小麦粉を使った料理では、粘りを出すために塩を使っていたのですが、南宋末期にまとめられた『居家必要事類』にはかんすいを使う麺の作り方が記載されています。

 かんすいは、「梘水」「鹹水」「乾水」「漢水」などと漢字で書かれる、アルカリ性の水です。小麦粉をこねるときにかんすいを使うと、グルテンがよく形成されて粘弾性・伸展性が増します。また、小麦粉の色素であるフラボノイドが、黄色に変わります。中華麺の色と歯ごたえは、かんすいによるものなのですね。
 世界各地に、強いアルカリ性を示す湖があり、そんな湖でかんすいは採取されていました。

 ただ、中国全土でかんすいが麺作りで使われたわけではなく、小麦粉以外の材料には水と食塩、卵などもあるとのこと。

 小麦粉と水、食塩で作る麺といえば、うどん。
 うどんが日本に入ってきた時代には諸説あり、最も古いのは奈良時代に遣唐使によって唐(618~ 907年)から渡来したというもの。

 ラーメンについても諸説ありますが、「南京そば」がルーツと紹介されている場合が多いようです。

 1871(明治4)年に日清修好条規が結ばれて、横浜には清国領事館が開設され、「外国人居留地」が設けられました。外国人居留地とは、明治政府が外国人の居留および交易区域として定めた地域で、外国人は法的承認と領事による保護を得られます

 『ラーメンと愛国』(著/速水健朗 講談社)では、明治(1868~1912年)の中期に、外国人居留地の屋台料理として「南京そば」という名前でラーメンが売られていたとのこと。
  また、慶應義塾大学文学部の岩間一弘教授によれば、南京そばが日本の印刷物に初めて登場したのは、1884(明治17)年、函館の外国人居留地にあった「養和軒」という洋食屋の広告だとされているようです。この南京そばは、清の料理人が作った鶏汁そばとのこと。

 南京は、江戸時代初期に当たる1644年に滅亡した、漢族の最後の王朝である明の首都でした。明への敬意と憧憬で「南京」が使われていたのではないかと、岩間教授は述べていました。

 1889(明治22)年の治外法権・外国人居留地の撤廃、内地雑居の許可で、南京そばは日本各地へと広がりました。

 1894(明治27)~1895(明治28)年には日清戦争、1904(明治37)~1905(明治38)年には日露戦争がありました。

 1910(明治43)年に、東京の浅草でオープンした来々軒という中華料理店では「支那そば」という名前で、ラーメンが提供されていたそうです。多い日には、1日で3000杯を提供したほど、繁盛したそうです。
1915年に撮影された来々軒(写真/新横浜ラーメン博物館  )


 1911(明治44)年の辛亥革命で、中華民国が誕生します。それに伴って、日本での中国の呼び方が「清」から「支那」に変わったとのこと。
 なお、軍閥が入り乱れる動乱状態に陥っていた中華民国では、1921(大正9)年7月に中国共産党が結党します。

 ロシアでは、日露戦争の後でロシア内戦が起こり、1917(大正5年)年にマルクス主義者による十月革命が起きました。ロシア内戦中の1920(大正9)年に、日本人統治状態にあったニコラエフスク(尼港)で、赤軍パルチザン(共産主義のゲリラ部隊)によって大規模な住民虐殺事件が起こりました。
 この尼港事件で、山東出身の料理人(王文彩)がニコラエフスクから札幌に逃げてきます。それがきっかけで、1922(大正11)年に「支那料理竹家」がオープンし、その麺料理は「ラーメン」と命名されたのだそうです。
 こうした経緯があり、札幌では「ラーメン」という呼び名が一般的になっていたとされています。

 支那そばについては、1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生し、横浜にいた中国料理人が流出。そのため、日本各地に支那そばが広まっていきました。

 大正には、移動屋台による支那そば屋が存在していました。当時の支那そばの捉え方は以下のようなものだったと『ラーメンと愛国』には書かれています。今とはかなり異なりますね。

「都市下層民」が「深夜飲食の楽しみ」として「娯楽的」に食していたもの、もしくは、深夜労働者たちが安価な夜食として食していたもの


 1928(昭和3)年、東京・上野の「翠松閣」の日本人料理長・吉田誠一が、『美味しく経済的な支那料理の拵え方』(博文館)を刊行し、日本の料理書として初めて「拉麵(ラーメン)」を掲載しました。なお、日本語のラーメンの語源は、この山東式「拉麵」ではなく、広東系の細い汁麵である「柳麵(ラウミン)」であるとする説が有力とのこと。
 また、『支那料理の研究』、『素人に出来る支那料理』、『家庭向き支那料理』など、昭和の初めには、主婦層を対象にした中国料理のレシピ本が多数出版されました。

 一方、日中関係は悪化していきました。1931(昭和6)年に満洲事変が起こり、1937(昭和12)年の盧溝橋事件がきっかけで日中戦争に突入します。日中関係の悪化で、「支那」には侮蔑的な意味が伴うようになったのでしょうか。

 太平洋戦争(1941~1945〈昭和16~20〉年)の前は、ラーメン(支那そば)は一般的には食べられていなかったそうです。

 ラーメンが大衆食になるきっかけは、戦後の闇市です。終戦翌年に、呼び名が「支那そば」から「中華そば」になりました。「支那」という言葉のニュアンスの関係です。

 戦後は食糧難が国民を苦しめました。米の配給量は減り、また、闇市では米が高値で取引されていました。それに比べると、小麦粉は手に入りやすかったのです。同じ頃、中国からの引揚者によって、中華そば屋台が増加しました。

 戦後のアメリカは、国内では小麦が供給過剰で余っている状況でした。その小麦粉が日本に流入したのです。そんな背景で、学校給食はパン食がメインとなりました。
 日本では食糧難の解消と小麦粉消費のために、すいとん、うどんや中華そばが作られました。1960年代までは「そば」というと「中華そば」のことを指すことも多く、それに伴って「日本そば」という言い方もできたのは、このためでしょう。

 しかし今では、「そば」といえば日本そばです。1960年代に何があったのでしょうか。

 「中華そば」から「ラーメン」へと呼び方が変わったきっかけの一つとして、「チキンラーメン」の影響がネット上でよく挙げられています。

、1958(昭和33)年にチキンラーメンが誕生しました。サンシー殖産(現在は日清食品)の安藤百福が、大阪の闇市で中華そば屋に並ぶ人々の光景を見たことが、開発のきっかけです。チキンラーメンは爆発的な人気を呼び、同時期に普及し始めたテレビでCMが流れた相乗効果で、「ラーメン」という言葉が定着しました。


 もう一つ考えられる理由は、公正競争規約です。

 公正競争規約は、事業者や事業者団体が自主的に作成し、消費者庁や公正取引委員会の認定を受けることで制定されます。
 公正競争規約は、不当景品類及び不当表示防止法(景表法)第10条に基づいて、事業者や事業者団体が自主的に締結する協定や規約です。

 1962(昭和35)年に、景表法は公布されました。
 1968(昭和43)年に全国ゆでめん類公正取引協議会が設立され、1970(昭和45)年「生めん類の公正競争規約」が制定されました。
 この規約で、そば粉(蕎麦粉)を3割以上使用していなければ「そば」と表示してはいけないとされたのです。

生めん類の表示に関する公正競争規約には、「そば粉」を三割以上使用しなければ「そば」という表示をしてはいけないという規約があります。「沖縄そば」は「そば粉」を使用していないため、行政から表示違反のクレームがついてしまいました。沖縄生麺協同組合は昔から「そば」として県民に親しまれてきた歴史ある呼称を存続しようと運動を展開し、その結果、 昭和53年10月17日に公正取引委員会から正式に承認され「本場・沖縄そば」が登録されました。これをきっかけに組合では、平成九年度から毎年10月17日を「沖縄そばの日」と決めたのです。(沖縄生麺協同組合)

 「そば」の語源を調べても「蕎麦」しか出てこないのですが、もしかすると1950年代まで、私たち日本人は、原材料を問わず、太い麺を「うどん」、細い麺を「そば」と呼ぶことが一般的だったのではないでしょうか。
 しかし、それだと紛らわしいということで、全国ゆでめん類公正取引協議会(当時)が話し合って規約を作ったと推測しています。

 生めん類の表示に関する公正競争規約には、次のように記載があります。

2 この規約で 「うどん」とは、ひらめん、ひやむぎ、そうめん、その他名称のいかんを問わず小麦粉に水を加えて練り合わせた後製めんしたもの又は製めんした後加工したものをいう。
3 この規約で「そば」とは、そば粉30%以上、小麦粉(灰分が 0.8%以下のものに限る。)70%以下の割合で混合したものを主たる原料とし、これに水を加えて練り合わせた後製めんしたもの又は製めんした後加工したものをいう。
4 この規約で「中華めん」とは、小麦粉にかんすい(唐あくを含む。)を加えて練り合わせた後製めんしたもの又は製めんした後加工したものをいう。
 また、食品添加物製造基準により、かんすいは以下のように定められています。

かんすい(化学的合成品に限る)
かんすいを製造又は加工する場合は、それぞれの成分規格に適合する炭酸カリウム(無水)、炭酸ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、リン酸類のカリウム塩又はナトリウム塩を原料とし、その1種若しくは2種以上を混合したもの又はこれらの水溶液若しくは小麦粉で希釈したものでなければならない。


 最後に、Wikipediaから中国の王朝名を抜粋します。

夏(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)*諸説あり
殷(商、商朝とも。商人の語源)(紀元前1600年頃 - 紀元前12世紀・紀元前11世紀ごろ)
周(紀元前12世紀・紀元前11世紀ごろ - 紀元前256年)
春秋時代(紀元前770年 - 紀元前403年)
戦国時代(紀元前403年 - 紀元前221年)
秦(紀元前221年 - 紀元前207年)
前漢(西漢、紀元前206年 - 8年)
新(8年 - 23年)
後漢(東漢、25年 - 220年)
三国時代(220年 - 280年)蜀、魏、呉
晋(265年 - 420年)
西晋(265年 - 316年)
東晋(317年 - 420年)
五胡十六国時代(304年 - 439年)
南北朝時代(439年 - 589年)
隋(581年 - 618年)
唐(618年 - 907年)
武周
五代十国時代(907年 - 960年)
北宋(960年 - 1127年)
南宋(1127年 - 1279年)
遼、西夏、金
元(1271年 - 1368年)
明(1368年 - 1644年)
南明
清(1616年 - 1912年)(1616年 - 1636年は後金、それ以前はマンジュ国)
中華民国(1912年 -現在 )
中華人民共和国(1949年 - 現在)


 日本の国民食となったラーメン。しかし、その呼び名の歴史は短いようで、70年足らず。上の中国の年表と見比べると、ほんのわずかです。
 また、この短い期間にたくさんの「〇〇系」ラーメンが生まれたわけですから、私たちは本当にラーメンが好きなのだと、しみじみ思うのです。

■主な参考資料
支那そば、中華そばでは不正解…日本で最初の「ラーメン」はなんと呼ばれていたかそして誰がラーメンと名付けたのか

第1章 ラーメン物語 愛知大学 01E2171 牛田 幸

農林水産省 ラーメンの歴史と現在

新横浜ラーメン博物館

日本化する叉焼-我が国における叉焼の受容と変容-


■おまけ
 かんすいについては、以下のような説明もありました。

日本大百科全書(ニッポニカ) 
梘水
かんすい

中華麺(めん)をつくるときに用いるアルカリ性の水のこと。鹹水、乾水、漢水などとも書く。小麦粉をこねるとき梘水を使うと、アルカリ性によってグルテンがよく形成され、粘弾性が増し、食感をよくする。また伸展性も増す。アルカリ性になるため、小麦粉の色素(フラボノイド)は、中華麺独特の黄色に発色する。梘水は食品衛生法により食品添加物に指定されており、とくに検定が必要と定められている。元来は天然に産するものを用いていたが、現在は炭酸ナトリウム、炭酸カリウムなどの薬品を水に溶かした人工の梘水が用いられている。天然産のものは採取場所によってその成分は異なるが、主成分は炭酸カリウム、炭酸ナトリウムである。
[河野友美・山口米子]


デジタル大辞泉 
かん‐すい【×梘水】
中華そばを作るとき、粉にまぜる炭酸カリウムなどの溶液。粘弾性を増し、独特の色と香りをつける。食品添加物の一。


日本国語大辞典
かん‐すい
〘 名詞 〙 中華そばなどの製造に用いる炭酸水。
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