北総鉄道で、どこからトンネルに入るのか、知ってみたいと思いませんか?  逆サイド、そして『北総鉄道50年史』

 「通勤に北総鉄道を使うと、会社から定期代が出ない。理由は運賃が高過ぎるから」

 以前に、そんな話を耳にした気がします。
 北総鉄道といえば、運賃。「日本一運賃が高い」と沿線住民に批判されてきた歴史があります。

 しかし、『北総鉄道50年史』を読んだら、経費節減と乗客数増加のために、北総鉄道は涙ぐましい努力を重ねてきたことがわかります。鉄道会社の経営は大変なのだと、しみじみ感じました。
北総鉄道の「ゲンコツ電車」『北総鉄道50年史』より



 北総鉄道(当時は北総開発鉄道)は、1972(昭和47)年に、千葉ニュータウンの住民にとっての「都心への足」として設立されました。昭和40~50年代の千葉県は、「すべての道は千葉ニュータウンに通ず」ではありませんが、鉄道や道路など何かと千葉ニュータウンへとつなげたがる傾向が強かったようです。

 ただ、予定したほどには千葉ニュータウンの入居者は増えませんでした。当然、千葉ニュータウンから都心への通勤客も想定外の少なさになり、北総鉄道は資金繰りに苦しみます。

 2000(平成12)年度に、鉄道営業開始から22年目で、初めて黒字決算になったそうです。

 その間、PRのために季刊誌『ほくそう』を社内で作っていたとのこと。外注する余裕はなかったのでしょう。
 創刊号では、市川市内の北国分駅を特集。

記念すべき1991(平成3)年の夏の創刊号で特集したのは北国分駅。巻頭の「ほくそう線の小さな旅」コーナーでは、「徒歩圏の市立考古博物館には珍しいコククジラの化石がある」、「堀之内貝塚に行けば縄文人気分」と、夏休みの自由研究や休日の散策での誘致を狙いました。この季刊誌「ほくそう」の編集は、社内メンバーで構成された編集委員会の手によって行なわれ、散策コースの選定を始め、実踏調査から写真撮影、原稿書きまで全て社員の手作りで行いました。「あの駅の近傍にはこんなお店や立派な神社がある」、「この通りは車の往来が少ないからウォーキングコースには最適」など、季刊誌作成のため、社員自ら沿線地域の街並みや路地をくまなく回って得た情報やノウハウは、1999(平成11)年より始まる当社主催のウォーキングイベント「北総ウォーク」のコース設定にも役立つことにもなりました。

 また、映画のロケなどに駅を使ってもらって、知名度を上げていきました。2005(平成17)年の映画「電車男」で、矢切駅でロケが行われたのが皮切りです。

 経費節減については、泣けてくる話もありました。2004(平成16年)に、北総開発鉄道から北総鉄道へと社名を変更するのですが、それまでにできなかったのは、お金がかかるからです。

看板などの交換に多額の経費を要することを鑑み、これまで社名変更には至りませんでした。

 また、制服も安い生地が使われているとのこと。

 制服は、開業以来20年が経過していることから、社内に制服デザイン検討委員会を設置して検討し、「都市高速鉄道らしいスマートなイメージと、他社との区別の明確化や着やすいことを考慮」して決定したものでした。北総開発鉄道の社紋をデザインしたボタンや2種類のオリジナルのネクタイも清新な鉄道に映えるものでしたが、この裏には、厳しい会社の台所事情を反映し、購入価格を抑えるため、従来よりも廉価な生地を使用するなど、細かな経営努力が隠されていました。

 北総鉄道と同じ目的で「東京10号線延伸新線」が計画されていましたが、もしも開通していたら北総鉄道もさらに厳しい経営状態になっていたはずです。

 ……と前置きが長くなってしまいました。
 2022年9月に、北総鉄道の栗山トンネルの江戸川側の入り口をレポートしました。
○北総鉄道で、どこからトンネルに入るのか、知ってみたいと思いませんか?


 今回は、その逆サイドを見てきました。

 上は畑になっています。
トンネル入り口横の坂道



 トンネルの入り口近くにある伊弉諾神社は、季刊誌『ほくそう』創刊号で取り上げられたのでしょうか。
伊弉諾神社



 栗山トンネルの工事には、山岳工法(NATM)が採用されています。

北総2期線の工事では、様々な最新の工法が採用されました。中でもトンネル工事で採用したのが山岳工法(NATM)でした。従来、トンネル工事にはシールドマシンという巨大な掘削機を使うシールド工法が用いられるのが普通でしたが、工事も大規模となり、費用もかかる工法でした。そこで新柴又~北国分間の住宅地の下に栗山トンネルを通す際には、オーストリアで誕生した、比較的コストも抑えられる山岳工法(NATM)を採用したのです。これは小型のショベルカーで掘削して出来た空間を吹付けコンクリートとロックボルトで保持する方式で、アルプスを越える世界遺産ゼメリング峠の山岳トンネルなどにも使われているものでした。本来地盤の固い山岳地帯で用いられる工法を最新技術を駆使し、当社が初めて市街地域の掘削に採用したのでした。当然、簡単な作業ではありませんでした。下総台地を東西に貫き、松戸市や市川市の新興住宅地を通過するトンネルの長さは1,827mもあります。成田層と呼ばれる黄褐色の砂層を小回りのきくショベルカーと人力で地道に掘り進む作業です。掘削した部分はコンクリートで固め、岩盤とコンクリートを固定するロックボルトを打ち込み、地山自体の保持力により強度を高めていったのです。

 

 栗山トンネルが通っている台地の断面を見てみましょう。


国土地理院地図より

 最後に、「北総鉄道で、どこからトンネルに入るのか、知ってみたいと思いませんか?  逆サイド」というテーマで記事にしようと考えていたのですが、撮れ高が不足し、このような形で終わることをお詫び申し上げます。

■参考資料
『北総鉄道50年史』

「日本一運賃が高い」と言われた北総線、初めての値下げ…初乗り190円に

 


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