妙典駅を巡る時間旅行 その4 なぜサティ? それはマイカルだからさ

1999(平成11)年 交通広場とサティ2番街(『街づくりの軌跡』  より) 



 現在の東京メトロ東西線妙典駅は、すぐ近くにいてもイオン。


 遠くから見てもイオン。
行徳橋から見た妙典

 「The イオンの町」という印象を抱いていました。
 これは、妙典の住民の「アメリカ西海岸をイメージしたまちづくり」と、まちづくりも事業対象としたマイカルグループの痕跡なのかもしれません。

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 1963年に大阪で生まれた、総合スーパーの「ニチイ」。1972年には年商1000億円を突破し、1974年には株式上場(大阪証券取引所第二部)を果たします。
 1982年に社長に就任した小林敏峯氏は脱スーパー路線を掲げ、ファッション専門店「ビブレ」や生活百貨店「サティ」を全国展開させました。
 そして、1988年にはグループの名称を「マイカルグループ」に変更し、「マイカル宣言」を行いました。マイカル(MYCAL)は、Young & Young Mind Casual Amenity Lifeの頭文字をアレンジしたもの。
 マイカルグループはまちづくりも事業対象にして、1989年にはマイカル本牧を出店しました。サティを核に、映画館、スポーツクラブ、カーディーラー、金融機関などを収容した大型ショッピングモールを出店したのです。


 市川市妙典の人々も、東西線によって人口が急増する中で、新しいまちづくりに夢を膨らませていたのではないでしょうか。
 1986年には東行徳商店会ができました。この商店会はアメリカ西海岸をイメージしたまちづくりを目指し、6つの通りを「シンボルロード」として、マリンロード・ガーデナーアベニュー・ハーバーロード・ハッピーロード・カリフォルニアロード・サンセットストリートと名づけたとのこと。

 マイカル本牧のある本牧は、在日米軍住宅があった影響で、アメリカ風の町並みだったそうです。「アメリカ西海岸をイメージしたまちづくり」の妙典と、アメリカ風の本牧。共通点があります。
アメリカ西海岸のサンディエゴ(素材提供者:星野伸)


 「マイカル本牧のような大型ショッピングモールを、妙典に作りたい!」という夢があったのかどうかはわかりませんが、さておき、妙典駅前で共同事業を希望する地権者が「株式会社妙典タウンセンター」という法人を作って、1999年に市川妙典サティがオープンしたようです。

店舗面積約29,831m2(うち直営店舗面積約22,314m2)[25]、延べ床面積約76,740m2[25]。
9スクリーンのシネマコンプレックスや、関東地区で初めての都市銀行のインストアブランチである富士銀行(現・みずほ銀行)が出店するなど、複合的な機能を持った3棟で構成される商業施設として開業した[29]。

 市川妙典サティの設計者は、次のようにコメントしています。
妙典駅前における商業ゾーンの中心に位置し、駅前広場の正面という立地に計画された複合商業施設です。「生活の質を向上させる施設」をコンセプトに、「スポーツ施設」・「ホテル」・「アミューズメント施設」がテナントとして入っております。ファサードは白を基調とし、洗練されたシンプルなデザインとしています。
 しかし、マイカルの業績は悪化し、2001年には民事再生法、同年に会社更生法を申請し、イオンがスポンサーになりました。
 市川妙典サティについては、2005年にスポーツクラブやホテルが完成。2011年にイオンがマイカルを吸収合併し、サティとジャスコがイオンへ統一されたため、市川妙典サティからイオン市川妙典へと変更されました。

 サティもマイカルも、名前を消してしまいました。
 ただ、当時のまちづくりには、マイカルグループのサティが強く求められたのかもしれません。

 「アメリカ西海岸をイメージしたまちづくり」の名残は、今も町中に。
カリフォルニアロード



■参考資料
マイカル破綻と「たった一人の朝礼」と「過去を知る者の使命」
本牧って昔はどんな感じだった?
過去に存在したマイカルの店舗

『世界「倒産」図鑑 波乱万丈25社でわかる失敗の理由 』(著/荒木博行 日経BP)

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