妙典駅を巡る時間旅行 その6 東西線建設では「夜間侵入した強盗との格闘シーン」もあったそうだ 『東京地下鉄道東西線建設史』

 『東京地下鉄道東西線建設史』は、昭和53年7月31日発行。

 今から45年前の1978年に発行されていて、妙典駅が開業する2000年よりも古い資料です。
 そのため、妙典駅に関する情報は得られなかったのですが、当時がしのばれる記述がありました。

 路線は水田,蓮田地帯を通過するため,線路沿いに幅5~7mの作業用道路を全線にわたり設置した。この作業用道路の一部は工事完了後,地区の区画整理事業の一環として残置された箇所もある。

546ページ

 「東西線の側道は成田新幹線の遺構」という都市伝説があるそうです。「東西線の行徳付近の側道は成田新幹線の遺構なのか検証してみる~幻の成田新幹線市川市内ルートはどこに~」で詳しく検証されていますが、『東京地下鉄道東西線建設史』に記載されている上記の文章からも「東西線建設のための作業用道路だった」ことがわかりますね。

 興味深かったのは、建設資材の盗難事故が頻発したという事実。当時は、水田、蓮田地帯で人通りがなかったため、工事用に保管しておいた資材を盗みやすい状況だったのでしょう。

 そこで、パトロール体制を整えたことが、『東京地下鉄道東西線建設史』に書かれていました。警備本部が浦安に置かれたとのこと。建設コスト的にも、盗難を防ぐことが重要だったことが伝わってきます。

 先行した土木工事で資材その他の盗難事故が頻発したことから,電気工事で使用する資材は高価で代替のきかないものが多いことを考慮し,職員と警備保障会社とからなる警備体制をつくることにした。(中略)夜間侵入した強盗との格闘シーンなどはあったが,幸い盗難事故は完全に防ぐことができた。

715ページ

※メトロアーカイブで『東京地下鉄道東西線建設史』が読めます。
https://metroarchive.jp/ebook_tozaisen/index_h5.html#%E8%A1%A8%E7%B4%99




■妙典駅とまちづくりの歴史年表 ※間違いがあれば指摘してください


1962(昭和37)年 東京復興都市計画高速鉄道の5号線が、中野~高田馬場~飯田橋~大手町~茅場町~東陽町を経て船橋方面へ向かう路線として、都市交通審議会答申で示される。
東西線の建設風景(メトロアーカイブより)

東西線の建設風景(市議会だより 2014年(平成26年)1月1日号より)

東西線の橋台(メトロアーカイブより)

旧江戸川橋に架かる第一江戸川橋梁を渡る5000形車両(メトロアーカイブアルバムより)

1967(昭和42)年の地図(青いマークが東西線、今昔マップより)

1969(昭和44)3月29日 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)東西線東陽町~西船橋開業時に、行徳駅、原木中山駅ができる。下妙典信号所が設置される。
1970(昭和45)年の航空写真(国土地理院サイトより

1971(昭和46)年 日本鉄道建設公団が、東京と新東京国際空港(現・成田国際空港)を結ぶ成田新幹線の整備計画が決定。突然の発表に、地元住民が困惑し動揺。
成田新幹線が計画されたルート(青色のライン、今昔マップより一部改変)

1972(昭和47)年に開通した新行徳橋(市議会だより 2014年(平成26年)1月1日号より)


市川歴史博物館で撮影

1977(昭和52)年の地図(青いマークが東西線、今昔マップより)

1978(昭和53)年 帝都高速度交通営団が『東京地下鉄道東西線建設史』を発行。

1981(昭和56)年 帝都高速度交通営団東西線に南行徳駅ができる。

1983(昭和58)年 日本鉄道建設公団が、運輸省鉄道監督局国有鉄道部長に成田新幹線の凍結申請。

1986(昭和61)年 東行徳商店会ができる。アメリカ西海岸をイメージしたまちづくりを目指し、6つの通りが「シンボルロード」として、マリンロード・ガーデナーアベニュー・ハーバーロード・ハッピーロード・カリフォルニアロード・サンセットストリートと名づけられる。

現在のカリフォルニアロード


1986(昭和61)年 東西線沿いの風景(『街づくりの軌跡』  より)

1987(昭和62)年の地図(青いマークが東西線、今昔マップより)

1988(昭和63)年 妙典土地区画整理組合による市川市妙典土地区画整理事業が始まる(平成12年度まで)。

1991~1993年 バブル経済

1992(平成4)年 国土交通省によって、高規格堤防整備を行われる(平成10年度まで)。

高規格堤防特別区域(国土交通省江戸川河川事務所サイトより)

1994(平成6)年 妙典地区計画の都市計画決定。

1999(平成11)年 市川妙典サティ(現在はイオン市川妙典店)開業。
妙典タウンセンタービル(市川妙典サティ)(株式会社フジタ実績紹介サイトより)


2000(平成12)年 交通広場の夜景(『街づくりの軌跡』  より)

1999(平成11)年の地図(青いマークが東西線、今昔マップより)

2000(平成12)年 帝都高速度交通営団東西線に妙典駅ができる。商業施設「M'avみょうでん」がオープン。


2004(平成16年)年 都高速度交通営団が民営化されて東京地下鉄が発足したことに伴い、東京メトロ妙典駅と名称が変わる。

東京メトロ東西線妙典駅北口

東京メトロ東西線妙典駅南口



■参考資料
東京メトロ
メトロアーカイブアルバム 東西線
東京の地下鉄建設の歴史年表
昭和日記
Wikipedia 妙典駅
国土交通省 江戸川河川事務所 事務所の取り組み

市議会だより 2014年(平成26年)1月1日号
東西線の行徳付近の側道は成田新幹線の遺構なのか検証してみる~幻の成田新幹線市川市内ルートはどこに~ 
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2021/07/post-da2474.html 
「京葉線の東京駅は、成田新幹線用に確保した用地に作った」という人が多いから登記簿をとってみた 



Powered by Blogger.