市川大百科事典 ほ 本地垂迹 ほんじすいじゃく

 本地垂迹 ほんじすいじゃく

 仏教と神道との関係について、仏教における仏や菩薩などが、世の人々を救うために、神に姿を変えて現れたという説。仏や菩薩が本来の姿である「本地(ほんじ)」ではなく、神という仮の姿の「垂迹身(すいじゃくしん)」になったとされている。
 仏と神道の神とが同一であるとする神仏同体説(しんぶつどうたいせつ)の一つ。平安時代初期から明治維新の神仏分離まで、神仏同体説が主流だった。

 『江戸名所図会』において、葛飾八幡宮は「別当は天台宗にして八幡山法漸寺と号す。本地堂に阿弥陀如来を安置し、二王門には、表の左右に金剛・密迹の像、裏には多聞・大黒の二天を置きたり。」と書かれていることから、葛飾八幡宮の本地は阿弥陀如来だったと考えられる。別当寺(べっとうじ)とは、神社を管理するために置かれた寺で、神社の境内に建立された。このように、ほとんどの神社に本地仏(ほんじぶつ)があった。

葛飾八幡宮 随神門

 現在の随神門は、明治維新の神仏分離まで、寺院の境内を守る仁王像(金剛力士像)の置かれた仁王門だった。明治維新の際の神仏分離によって、仁王像は行徳の徳願寺に移され、仁王門は随神門と名前を変え、左大臣・右大臣が配置された。


徳願寺


参考資料


    森 真希 2022/08/25


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