市川大百科事典 き 木下街道 きおろしかいどう
木下街道 きおろしかいどう
市川市と船橋市、鎌ケ谷市、白井市、 印西市を結ぶ、千葉県道59号市川印西線の通称。
江戸時代には「木下道」と呼ばれ、市川市の行徳や八幡と、印西市の木下結ぶ重要な街道だった。この街道は、木下から鹿島・銚子へと続いているため、「鹿島道」「銚子道」とも呼ばれていた。
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木下道(今昔マップより一部改変) |
銚子で水揚げされた鮮魚を江戸へ輸送するルートだったため、「鮮魚街道」(なまかいどう、なまみち「生街道」「鮮魚道」)と言われていた。しかし、後に松戸を経由するルートが使われるようになり、鮮魚街道という呼び名も、松戸ルートを指すようになっていった。
明治に東葛人車鉄道が木下街道に敷設されたが、1910年(明治43年)の開通から8年で営業を終了した。
参考資料
- 『市川の道をたずねて』(市川博物館友の会)
- 生街道〔鮮魚街道(なまかいどう)〕https://www.city.matsudo.chiba.jp/miryoku/kankoumiryokubunka/shizen/namakaidou.html
関連項目
- 客を乗せた車両を人間が押す「東葛人車鉄道」は、人力車と同じ立ち位置だったんじゃないか問題 その1https://life-livelihood.blogspot.com/2022/05/blog-post_19.html
- 客を乗せた車両を人間が押す「東葛人車鉄道」は、人力車と同じ立ち位置だったんじゃないか問題 その2https://life-livelihood.blogspot.com/2022/05/2.html
森 真希 2022/07/24
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