客を乗せた車両を人間が押す「東葛人車鉄道」は、人力車と同じ立ち位置だったんじゃないか問題 その2
人車軌道は、安上がりで粗末な軌道の究極のものである『人が汽車を押した頃』(著/佐藤信之 崙書房)
人車軌道(じんしゃきどう)とは、人が乗った客車や、作物・商品(しょうゆなど)などを載せた貨車を人間が押す鉄道。人車鉄道とも呼ばれます。
乗客を運ぶ、1900年頃の熱海の人車鉄道 ウィキディアより |
初めて人車鉄道を知ったのは、市川街歩きの会 第5回市川街歩き(原木中山・八幡編)に参加したときでした。木下街道で人車鉄道の説明を受けながら、「人に客車を押させるなんて、ひどい話だな」と、なんだか人権問題とも絡むような話のように思えました。
しかし、明治・大正の頃は、人力が輸送の主役だったとのこと。
土木工事 今昔でも紹介しましたが、パワーショベルやブルドーザーなどの大型建設機械がなかった頃は、すべて人力で工事していました。
土木工事 今昔でも紹介しましたが、パワーショベルやブルドーザーなどの大型建設機械がなかった頃は、すべて人力で工事していました。
人車鉄道がどれだけ安上がりだったかというと、大正7年度のデータで1マイル当たりの建設費が、電気軌道は339560円に対して、人車鉄道は9694円。およそ35分の1です。
そのため、勢いだけで人車鉄道の経営に乗り出したケースもあったようです。
そのため、勢いだけで人車鉄道の経営に乗り出したケースもあったようです。
「東葛人車鉄道」も、『人が汽車を押した頃』を読むと、そんなケースの一つのように思えます。
客を乗せた車両を人間が押す「東葛人車鉄道」は、人力車と同じ立ち位置だったんじゃないか問題 その1では、「物資を輸送するだけの目的で鉄道を敷くのは、投資を回収するのは厳しいから、観光客目当てだったのではないだろうか」という推論を掲載しました。
しかし、実際のところは、そんな計画性などない、行き当たりばったりの経営だったようです。
客車については、車両に乗って誰かに押してもらうよりも、自分の足で歩いたほうが速かったわけです。おそらく当時の人も、汗をぐっしょりかいてヒーヒー言いながら車両を押している人を目にしながら客車に乗るのは、ちょっと気が引けたに違いありません。
また、馬車を導入したこともあったそうですが、失敗したのではないかと佐藤信之さんは推測しています。
こうしたことからも、東葛人車鉄道の経営陣は、アマチュアだったと思われます。調子のいい人間の口車に乗せられたのかもしれません。この件については、はかなくも、計画倒れに終わった「行船人車軌道」で考察しています。
東葛人車鉄道の廃止の原因として、佐藤信之さんは江戸川放水路の開削と、京成電気軌道の開通を挙げています。
京成電気軌道が東葛人車鉄道と交差するため、東葛人車鉄道の運行に支障が出たようです。現在のように立体交差していないので、京成電気軌道の列車が通り過ぎるのを待つしかなかったのでしょう。
こうして、東葛人車鉄道はあっけなく幕を閉じたのです。
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