鏡石 ファイナルアンサー

 『クラナリ』で3回も取り上げてきた、京成電鉄市川真間駅の南口付近の「鏡石」。とうとうファイナルアンサーの回がやってきました。

鏡石


ファイナルアンサー「鏡石は偽物」


 前回は「イミテーション」と表現したのですが、日本語ではっきりと書きましょう。偽物です。


 『聞き書き 資料編 市川市国分周辺の変遷』(著/松岡博子)には「もともとあった場所から掘り出された石は紛失した」と書かれています。明治34年生まれの井上千輿次さんの談話です。

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終戦後、国府台の大工が他の人と田んぼを取り換えて、石をほじくり上げたところ、案外小さいのだよ。青っぽい、土台石にするくらいの石が三つか四つあった。

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 この井上さんの談話とは、異なる説が『市川の歴史を訪ねて』(市川市教育委員会)には書かれていました。


 1836年(天保7年)に出版された『江戸名所図会』によると、川の中に鏡石があって、石は奥深くまで埋まっているために「要石」とも呼ばれていたようです。

 そして、 1923年(大正12年)に刊行された『千葉県東葛飾郡誌』には「夫婦石、鏡石の北西凡そ二間、水の中にあって、この石を掘り出そうとすると血の雨が降る」と書かれているそうです。

 「血の雨が降る」

 物騒です。


 夫婦石とは、男女の性器の形をした石のこと。
 日本各地に夫婦石はあります。「まぁ、いやらしい!」というのは早計で、子宝や豊作などを祈願するための対象だったようです。


 それで、『市川の歴史を訪ねて』には、「鏡石は、きっと夫婦石の片割れであったかも知れません」と書かれています。
 いやいや、「きっと~」が受けるのは「~に違いない」で、係り受けが変です。文末も「知れません」ではなく「しれません」と書くほうが自然。
 私が推測するに、最初にこの文章を書いた人は「鏡石は、きっと夫婦石の片割れです」としたのですが、後で誰かが「断言するのもちょっと……」ということで、文末だけ変更したに違いありません!


 そして、次の文章が続いていました。

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鏡石は一時この場所から京成市川真間駅の南口に移されていましたが、駅が高架になったとき姿を消してしまい、現在あるのは新しくつくられた二世です。

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 二世。やっぱり偽物ということです。  

 京成電鉄市川真間駅の南口付近には、鏡石の看板があります。偽物のくせに大げさすぎませんか?

 そして、移す際には血の雨は降ったのでしょうか?








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