とても大らかな石の神さまと仏さま

 神社や道路脇などにある石像の種類はあまりにも多いのですが、道教などが土着の宗教などと交じり合った民間信仰の神仏のようです。こうした石像を作ることが、江戸時代に流行したとのこと。
 お正月にお盆にハロウィンにクリスマスと、なにかとお祭り・イベントが好きな今の私たちと、江戸時代を生きた人々は似ているのかもしれません。


教義はあるものの
説明は難しい

市川市内を中心に、さまざまな神社を巡ってきましたが、天照大神や大国主命などの神道の神像は見たことがありません。かなり珍しいのではないでしょうか。

 それなのに、神社の境内にはさまざまな石像があります。もともとあったわけではなく、道路工事などが原因で辻から移された「庚申塔(こうしんとう)」などと考えられます。
 庚申塔とは、道教に由来する民間信仰に基づいて建てられた石の塔です。



 キリスト教はイエス・キリスト。
 イスラム教はマホメット。
 儒教は孔子。
 仏教は釈迦。

 このような宗教とは違って、日本の神道や中国の道教では開祖がわかっていません。神道も道教も民間信仰がベースになっていると考えられているのです。

 ですから、さまざまな教義はあるものの、「では神道とは何か」「では道教とは何か」を一口でいうことは難しいようです。
 宗教史学者の菊池章太氏も「道教はなんだかとらえにくい」と著書で書いていました。



道教ではこの世への
執着を大事にする

道教が古くから日本人の生活になじんできたのは、"高尚"な感じがしないからではないでしょうか。
---
 道教は(執着を)捨てたりしない。この世への執着を大事にする。この世にあり続けようとする。
--- 『道教の世界』18ページ

 こうした考え方がベースとなって、不老長寿の仙人になるための薬を考え出すための漢方、そのための生活術としての風水などが発展してきたようです。
 漢方や風水は、現代を生きる私たちの間でも人気ですね。

 執着を捨てて生きる苦しみから解放されようとする仏教と、道教はまるで反対のように思えます。
 しかし長い歴史を振り返ると、私たち人間の社会では相反する両方をうまく取り合わせて、うれしいときや悲しいときを過ごしてきたのでしょう。
 
 その意味では、今も残っている石の神さまと仏さまは大らかな存在とも言えそうですね。

□石仏
仏さまを掘った石像。
●如来
すでに悟りを開いた後の存在。頭部に「螺髪(らはつ)」という、小さな渦巻き状のものがある。
<例> 釈迦如来 阿閃如来 大日如来 阿弥陀如来 薬師如来 多宝如来 宝生如来

●菩薩
悟ることを約束された存在。
<例> 地蔵菩薩 弥勒菩薩 文殊菩薩 観音菩薩 千手観音 勢至菩薩 普賢菩薩 日光菩薩 月光菩薩 虚空蔵菩薩



●明王
仏教に帰依しないものを教え、導く存在。如来が姿を変えている(化身)人々を救うために必死になっている姿なのですごい形相になっている。
<例> 不動明王 降三世明王 軍荼利明王 大威徳夜叉明王 金剛夜叉明王 愛染明王 烏瑟沙摩明王

●天
古代インドの神々が仏教の世界に取り込まれたもの。日本では神道や民間信仰とも習合。
<例> 弁財天 大黒天 毘沙門天 吉祥天 韋駄天 帝釈天 摩利支天 歓喜天 梵天

●その他
<例> 三宝荒神 閻魔王 蔵王権現

□道祖神
村の境界や辻、峠にまつられた石像。

□庚申塔
庚申信仰は、江戸時代に流行した民間信仰。ルーツは中国の道教。
●猿
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿。

●青面金剛
庚申信仰が仏教と習合し、日本で考え出された存在。


●猿田彦大神
庚申信仰が神道と習合し、日本で考え出された存在。
Powered by Blogger.