江戸時代から昭和まで出回った偽書をまとめてみた

 偽書(ぎしょ)は、著者や成立年代などを偽って作られた文書ですが、フィクションとは違います。フィクションは架空の物語として制作されますが、偽書は事実と偽って制作されるからです。

 偽書のジャンルの一つとして仮託書(かたくしょ、かりたくしょ)があります。有名人の名前で作られた文書が、実は別の人が書いていたというものです。代筆するブックライター(ゴーストライター)とは違って、有名人から直接話を聞いたり頼まれたりしていないのに、勝手に有名人になり切って文章を書いちゃうわけです。多くの場合、「秘伝」「秘説」というキャッチコピーがついているとのこと。

 偽書を作る動機について、AIの「Google Gemini」が以下のようにまとめました。

• 家や組織・一族の復権・権威づけ(中世など)
• 特定の家系や寺社などが、自身の由緒や正当性を古い時代にまで遡って証明するため、あるいは失われた領地や権益を取り戻すために古文書を偽作する(例:中世の権利主張や荘園文書など)。

• 地域社会の誇りや「町おこし」・郷土史の創出
• 近世以降によく見られるもので、地元の歴史を古く、あるいは偉大なものに仕立て上げるために、地域の伝説や神話をまとめた「由緒書」や系図を捏造する(例:椿井文書など)。

• 既存の正史や権威への不満・異伝の追求
• 国家や公式の歴史書(『日本書紀』など)の記述に納得できない人々が、「本当の歴史はこうであった」という独自の理想や別の物語(ロマン)を古代人に託して補完・創作する。

• 思想的・宗教的な自己主張(皇国史観・超古代文明説など)
• 近代以降に多く、日本が世界の中心であった、あるいは独自の極めて古い文字や文明があったという思想やナショナリズム、または独自の宗教・精神世界を広める道具として利用される(例:『竹内文書』など)。

• 古書としての売買・金銭的・名誉的利益
• 単純に骨董・古書市場で高い値で売るため、あるいは発見者としての名誉を得るために古文書を偽造・改ざんする(贋本・偽造書)。

 そのほかにも、単純に「面白い」という動機があるのではないかと。自分の作ったインチキ話が広く信用されるというのは、ワクワクするのかもしれません。一種の愉快犯で、今のSNS、特にXでは多々見受けられます。

 また、宿題や仕事として「家系図を作りなさい」「郷土史を作りなさい」と押し付けられたから、情報を適当につなぎ合わせたというケースもありそうです。使命感のない作業なので、「だるい……」「どうせ“諸説あり”なんだろ」「別に本当じゃなくても、いいじゃん」という感覚で、結果として偽りの文書ができてしまうわけです。

 偽書について調べたところ、刊行されたのは昭和までで、平成以降は見当たりませんでした。その背景の一つは、世の中の状況が落ち着いてきたことが挙げられます。

「江戸後期や終戦後など人々が自らの由緒を求めた時期に偽書は増える傾向がある」と歴史学者で東京大学名誉教授の五味文彦氏は話す。その上で「偽書は作られた時代の空気を色濃く映し出す。もちろん偽書と見抜くのが前提だが、時代的背景を探る意味は大きい」と指摘する。偽書研究は時代精神を読み解くという新たな段階を迎えた。

 また、情報技術の発達で、多くの情報を素早く、簡単に得られるようになったことも関係ありそうです。
 偽書とは異なりますが、『常識なき世界を生き延びるために』(著:望月衣塑子、内田樹 朝日新聞出版)で複数の事実誤認や虚偽が含まれていたことがわかりました。なぜ判明したかというと、SNSで虚偽が指摘されたからです。SNSがない時代は、虚偽だと出版社に訴えかけても、おそらく握りつぶされていたのではないかと。

『常識なき世界を生き延びるために』(朝日新書)内田樹×望月衣塑子:著 について

10月27日に、版元より「訂正とお詫び」が掲載されました。
215項、217項、239項で、望月氏がぼくに関して話をしている内容のほとんどが事実ではありません。
日本中学生新聞X
https://x.com/nihonchushinbun/status/2115218548218024351

 同じく情報技術の発達で、偽書の主戦場が出版からネットへと変わり、現在は動画で大量に偽書的コンテンツが出回っているのかもしれません。

江戸時代から昭和まで出回った偽書


江戸時代前期1619~1688年 沢田源内(さわだ げんない)『江源武鑑』『江陽屋形年譜』『大系図』『倭論語』(『和論語』)『足利治乱記』『異本関ケ原軍記』『金史別本』:当時は家系図の捏造・改竄が珍しくなかった

1679(延宝7)年 潮音道海(ちょうおん どうかい、僧)、戸嶋惣兵衛(版元)『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』出版:推古天皇の命を受けて聖徳太子によって編纂されたと伝えられる教典

1819(文政2)年 平田篤胤(ひらた あつたね、国学者)『神字日文伝(かむなひふみのつたえ)』出版:漢字が伝来する以前の古代日本に、阿比留(あひる)文字や阿比留草文字など、固有の文字である日文(ひふみ)が存在していたと主張
『神字日文伝』 出典:国立国会図書館

 漢学隆盛の江戸時代後期に在って、日本の古典をこよなく愛した本居宣長は、我が国の古代を精神面で回帰すべき理想境として位置付け、それが中国的要素によって堕落せしめられたのだと説いた。「道」、暦、そして文字、いずれも現在用いられているものは中国から流入したものなのであり、宣長はそれらがなかった時代の日本を評価する。そんなものが無かろうと日本はそれで充足していたのだ、というのが宣長の立場である。

 平田篤胤は宣長の没後門人を自称したが、かかる宣長説に満足できなかった。彼は海外の古伝説をも読み込んで我が国こそが全世界の文化の発祥地であると唱え、漢字渡来以前の日本固有の文字、神代文字の実在をも訴え、それなりの追随者を生み出す。しかしその神代文字の姿は、篤胤の主張とは逆に、ハングルからの剽窃を疑われるものであった。


1834(天保5)年 鶴峯戊申(つるみね しげのぶ、国学者)『襲国偽僭考(そのひとせんぎこう)』発行:卑弥呼は、南九州にあった「襲(そえ/くまそ)の国」(熊襲)の王であり、神功皇后の名を騙って国家の体裁を整えたとする説

江戸時代後期1770年〜1837年 椿井政隆(つばい まさたか)「椿井文書(つばいもんじょ)」:中世の古文書の写しを装って作られた近畿地方の神社仏閣の縁起書、由緒書、古図、系図

1865(慶応元)年 岩崎長世(いわさき ながよ、国学者)『神字彙(しんじい)』編纂:阿比留草文字の解説書

1878年(明治11年) ノーマン・マクラウド(スコットランド出身の実業家・宣教師)「日ユ同祖論(日猶同祖論、にちゆどうそろん)」提唱:日本人がイスラエルの失われた10支族の子孫であるという説

1883年(明治16年) 浅間神社宮司宮下家「宮下文書(富士宮下文書)」発見:紀元前3世紀(徐福の渡来時)に書かれたとされ、富士山麓に神武天皇以前の「富士高天原王朝」があったとする説

1918(大正7)年 原田敬吾(はらだ けいご、弁護士)「日本人シュメール起源説」発表:バビロン学会で日本人とシュメール人の共通点を列挙

大正11年(1922年) 権藤成卿(ごんどう せいきょう、思想家)『南淵書(なんえんしょ、なんぶちしょ)』発行:飛鳥時代の学者である南淵請安(みなみふちのしょうあん)の講義録が、自家に伝わっていたものとして出版

1924(大正13)年 小谷部全一郎(おやべ ぜんいちろう、牧師、アイヌ研究家)『成吉思汗は源義経なり』発行:源義経が大陸に渡ってチンギス・ハーンになったとする説

成吉思汗と源義経を同一化する試みを通じて、満洲国建国の正当性、および、日本民族が盟主となって東アジアを欧米諸国の支配から解放しようとする大東亜共栄圏の思想が、歴史的必然として語られるのである。

 ただし、発表者の関心は、興亜国民版『成吉思汗は義経なり』に記された内容にあるわけではないし、この奇書をプロパガンダとして活用した戦時中の大政翼賛体制を安直に批判しようと思っているわけでもない。問題は、人々の口承、遺跡、言語の痕跡などを採取しながら民間伝承の重要性を訴えていく小谷部全一郎の記述が、それを学問的知見から論破しようとするアカデミズムの言説を呑み込むように増殖し、研究者の批判にも屈しない強度を獲得していく過程にある。坂口安吾が「風博士」(「青い馬」昭和6年6月)に戯画化したように、あるいは、のちに松本清張が数々の反アカデミズム小説でこき下ろしたように、その領域の学者や専門家たちが主張する「真実」は、ときとして、自らが批判する対象をより強固なものに仕立てていく逆説性をはらんでいるのである。今回の発表では、そうした観点から興亜国民版『成吉思汗は義経なり』という書物を読み直し、偽史はなぜ大衆を惹きつけるのかを検討したい。


1924(大正13)年 安江仙弘(ペンネームが「包荒子」)『シオンの議定書(シオン賢者の議定書)』翻訳書発行:ユダヤ人による世界征服陰謀の計画を記したとされる偽書で『世界革命之裏面』という書籍の一部として二酉社から出版

1928(昭和3)年 竹内巨麿(たけうちきよまろ、天津教教祖)「竹内文書」公開:神代文字で記され、皇祖皇太神宮(こうそ こうたいじんぐう)の歴史や世界の超古代文明を描いた文書
『竹内文書 但馬故事記』 出典:国立国会図書館



1940年代後半(昭和20年代前半頃) 和田喜八郎(わだきはちろう、古物商)『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』発見:青森県に独自の古代王朝や「アラハバキ」信仰が存在したとする文書

1949(昭和24)年 楢崎皐月(ならざき さつき、物理学者)「カタカムナ文字」発見:兵庫県の金鳥山(きんちょうざん)付近でカタカムナ神社の由来や巻物を見せられ、これらを解読
カタカムナ文字 出典:『書くだけで開運、不調知らず!カタカムナ文字練習帳』著:丸山修寛 主婦の友社

※カタカムナ文字は神代文字の一つで、「カタカムナウタヒ」という詩に使われ、動画や商品が多数

1966(昭和41)年 松本善之助(まつもと よしのすけ、編集者)『ホツマツタヱ(秀真政伝紀』の一部の写本を神田の古本屋で発見:『古事記』よりも古い歴史を記した書物とされたが、江戸時代での創作という見方

※ヲシテ文字は神代文字の一つで、『ホツマツタヱ)』や『ミカソブミ』などのいわゆる「ヲシテ文献」を記すために使われた文字
 1974(昭和49)年 芝三光(しば みつあきら)「江戸しぐさ」提唱:江戸時代から伝わる商人マナーと称されるが、実際は近代以降に創作
1987(昭和62)年 吉田蒼生雄(よしだ たみお)『武功夜話(ぶこうやわ)』刊行:1959(昭和34)年の伊勢湾台風の際、愛知県江南市の旧家である吉田家の土蔵が崩れたことからその存在が明らかになり、原文を読みやすく翻訳した全5巻(補巻含む)の全訳を刊行
※偽書ではないという説もある
 織田信長や豊臣秀吉ら戦国武将の若き日の姿を伝える戦国軍記「武功夜話(ぶこうやわ)」。戦国時代を解明する第一級史料との評価がある一方、記述の信頼性の疑義から「偽書」との指摘もつきまとう。そんないわくつき文書の真贋(しんがん)論争が一気に進展する可能性が出てきた。



 幼い頃に、雑誌『ムー』を目を輝かせて呼んでいたこともあり、超古代文明などにはロマンを感じてしまいます。
 ロマンをロマンとして、フィクションをフィクションとして、スピリチュアル(オカルト)はスピリチュアル(オカルト)と、そのまま保ち続ければいいのですが、現実だと錯覚したり、専門的に長きにわたって研究されたことをバカにする形やかみつく形で否定したりし始めると非常に厄介なことになりそうだなと、『土偶を読むを読む』(編:望月昭秀 文学通信)という本を思い出した次第です。

「土偶の正体」は果たして本当に解き明かされたのか?
竹倉史人『土偶を読む』(晶文社)を大検証!

考古学の実証研究とイコノロジー研究を用いて、土偶は「植物」の姿をかたどった植物像という説を打ち出した本書は、NHKの朝の番組で大きく取り上げられ、養老孟司ほか、各界の著名人たちから絶賛の声が次々にあがり、ついに学術書を対象にした第43回サントリー学芸賞をも受賞。

「『専門家』という鎧をまとった人々のいうことは時にあてにならず、『これは〇〇学ではない』と批判する“研究者”ほど、その『○○学』さえ怪しいのが相場である。『専門知』への挑戦も、本書の問題提起の中核をなしている」(佐伯順子)と評された。

しかし、このような世間一般の評価と対照的に、『土偶を読む』は考古学界ではほとんど評価されていない。それは何故なのか。その理由と、『土偶を読む』で主張される「土偶の正体」、それに至る論証をていねいに検証する。

考古学の研究者たちは、今、何を研究し、何がわかって、何がわからないのか。専門家の役割とは一体なんなのか、専門知とはどこにあるのか。『土偶を読む』を検証・批判することで、さまざまな問題が見えてくる。本書は、縄文研究の現在位置を俯瞰し、土偶を読み、縄文時代を読む書でもある。

■主な参考文献
江戸時代には家系図作りの職人がいたらしい→ある程度以上古い家系図の信憑性は低い?

家系図について?
室町時代にもなると有力武士の中にも自分の家系があやふやになる者があらわれました。
また、新興の武士の中には自分の出自を立派なものに見せようと画策する者もいました。
そんな武士の中には没落した名家の家系図を金で買ったり、自分で自由に創作する者もいました。
※有名なのが徳川家康です。彼は自分の一族が清和源氏新田氏に繋がるよう家系図を創作しました。

江戸時代には「系図書き」という職業が登場します。
武士だけでなく、商人や富農まで系図書きに依頼して自分の家の家系図を「作って」もらいました。

(中略)

もちろんホンモノの可能性も無いわけではないでしょうが、系図書きの手による「ウソの系図」だとしても、ご先祖さまからのメッセージが込められた貴重なものといえるのではないでしょうか。
かえってホンモノよりも興味深いですね。

『椿井文書―日本最大級の偽文書』(著:馬部隆弘 中央公論新社)
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