1300年前の国府台の断崖絶壁を再現してみたいのだ 10 戦国時代には江戸川を歩いて渡れたワケ
学術研究とは無縁の、純粋にエンターテイメントの立場で、市川市の歴史についてちょっと考えている『クラナリ』。
浮世絵にも描かれていた国府台の崖は、実際はどんな形だったのか。
数年にわたり勝手に妄想しているのが「1300年前の国府台の断崖絶壁を再現してみたいのだ」シリーズです。
この断崖絶壁が、海の波の力でできたという情報がヒットしました。「江戸川の横にあるのに、なんで海なの?」と今回もかなり回り道しながら、国府台の崖に思いを馳せます。
室町時代末期の戦国時代に起こった第二次国府台合戦。1564年2月20日頃(永禄7年1月8日)の未明に、後北条氏の軍勢が江戸川を渡って、対岸の国府台へと攻め上がりました。
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| 出典:関東戦国地図|館山市博物館 |
今の江戸川を見ると、「夜中にここを歩いて渡るなんて、無理無理!」と思います。昼間でも無理ですが。
第二次国府台合戦の起こった462年前と現在では、江戸川の様子はガラリと変わっているのです。
国府台は下総台地の西の縁に相当します。
時代はさらにさかのぼり、2万年前には、国府台の断崖絶壁は存在しませんでした。その理由は、下総台地が東京都葛飾区柴又のほうまで伸びていたからです。
しかし縄文時代(1万6000年前〜2300年前)に入ると、地球全体が温暖化します。そして氷河が溶けて、海面がどんどん高くなっていきました。7000年前〜4000年前が温暖化のピークで、関東平野の奥まで海が入り込んでいったのです。これが縄文海進です。
海面が高くなって海の水が内陸へと向かう際に、下総台地に波が当たり、国府台と柴又の間の岩盤がくりぬかれてしまいました(波食)。そして縄文海進が終わった後、くりぬかれた部分が江戸川の水路となったのです。
波食された部分は、戦国時代の史料に「がらめきの瀬」と書かれているそうです。
「瀬」とは、川や海で、浅くて流れの速いところです。
「がらめきの瀬」は、現在の矢切の渡しから国府台までの間だったようです。大潮の日の干潮には、川底の岩盤が見えていたそうなので、戦国時代の後北条氏の軍勢は体を濡らさずに江戸川を渡れたのでしょう。
以上のことから、浮世絵に描かれた、見事な国府台の断崖絶壁を作ったのは、縄文時代の海の波だったということです。
明治の初めには、現在の矢切の渡しから国府台までの間で、ところどころで中州ができています。浅いところに上流からの土砂が積もったのでしょう。
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| 出典:歴史的農業環境閲覧システム |
1915(大正4)年に着手された江戸川改修工事で、中州は消え、川幅が拡張するとともに、江戸時代まで名所になっていた国府台の断崖絶壁も取り除かれました。






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