都市型水害を理解するために必要な、「洪水という自然現象」「水害という社会現象」という2つの視点

  都市型水害については、東京都足立区のサイトで次のように説明されていました。
水害の原因には、河川の氾濫や堤防の決壊による「外水氾濫」と、地域に降った雨が下水の処理能力を超えて地表にあふれることによる「内水氾濫」があります。
特に都市部では、地表がアスファルトなどで覆われ雨水が地下に浸透しにくいため、内水氾濫が起きやすく、都内では、被害の9割近くが内水氾濫によるものです。このような都市部で発生する水害を「都市型水害」といいます。

 かなりおおざっぱにまとめると、堤防が決壊して住宅地に川の水が流れ込むのではなく、大雨で道路冠水や住宅への浸水が起こるのが都市型水害です。

都市地域における集中豪雨等による災害は、広域な市街地の浸水、地下鉄、地下街等の地下空間の浸水、停電、電話等の通信不調等ライフラインの機能低下、鉄道の不通、道路交通規制等交通機能の混乱等様々な分野で広範な被害が発生し、都市機能の麻痺状態をもたらす。
都市型水害(出典:国土交通省



 関東学院大学名誉教授の宮村忠博士(故人)は、都市型水害を理解するために必要な2つの視点を挙げていました。

○洪水という自然現象
○水害という社会現象

人間は生きていく上で自然を土台にして生かしてもらっているから、当然、時として自然の猛威にさらされる。それが水害である。


 都市では、雨が降ってもぬかるまないように道路が舗装され、水の通り道として側溝と雨水管が作られています。つまり、できるだけ早く雨水を川に流すように、町全体が整備されているのです。

 このように、短時間で雨水を流そうとするシステムで、都市型洪水(自然現象)が起こります。同じ雨量であれば、長時間で少しずつ流そうとするより、短時間で一気に流そうとするほうがシステムの限界を迎えやすいからです。
これは朝の通勤時のラッシュアワーを例に取ると分かりやすいだろう。一日の乗降客はそんなに変わらなくても、皆、同じ時間帯に電車に乗ったらラッシュアワーが起こる。その込み具合を何とか緩和しようと、ダイヤを過密化して輸送量を増やしてみるが、それも限界に達し、そして遂に企業はフレックスタイム制を導入して回避するしかなくなってしまうのである。

 たとえ雨水が一気に特定の場所に集まって水浸しになっても、その場所が水田や湿地などであれば水害とは呼びません。
 しかし、住宅や道路だと、水浸しになることは住民として受け入れられません。こうして都市型水害(社会現象)が起こります。

今ではそのような所(※)にも住宅を建てるようになり、そして少しでも雨水が溜まると、住民は「被害が出る」と騒ぐようになった。要は住民にとって、周囲に雨水が少しでも滞留することは許されないことなのだ。今まで許容してきたことが被害になってしまう、その住民意識が都市水害発生の根っこのところにあるといえる。
※水田や蓮池


 千葉県市川市だと、JR総武線の南側では、かなり盛土をしたり、基礎を高くしている家を多く見かけます。雨が降ると、盛土をした住宅の敷地から雨水が流れ出て、盛土をしていない住宅が浸水被害に遭うリスクが高くなります。

単に田んぼを潰して住宅を建てるから都市水害が発生する、というシンプルな図式だけではない。田んぼを潰して住宅を建てる時は、水に浸かりたくないから盛土をする。皆が盛土をするから、雨が降ると風呂にたくさんの人が入った時のように水位が上がるというようなことも起こり、盛土をするのを敵視する所さえ出ている。このように水害が以前より悪い方向に進んでいくことを、都市型水害の進化という。現在の都市型水害は様々な内容を伴って進化している。


 都市化では、利便性と効率性の向上が目標となります。住民の生活の質を高めるために、時間と手間の削減が追及されてきました。
 人間の移動も、情報や商品のやり取りも、待たずに済むようになった結果、私たち住民は忍耐力を失いました。

 雨が降って道路に水がたまると、「水たまりを避けて歩かなければならないなんて!」とイライラしがちです。電車が遅延すると、「帰宅時間が遅くなる」と、やはりイライラ。場合によっては「こんなこと、許せない!!」とSNSで拡散しようとします。

降った雨を滞留させず一気に集めて流し込むシステムが作られると、それに対する要求がどんどんエスカレートする。したがって「少しぐらい水溜まりがあってもよい」という許容量はなくなり、「水溜まりはあってはいけない」という極端な方向に突き進む。当然、「都市とは長靴など履かないで歩ける所」という概念が生まれてしまった。 しかし、都市においては、便利度が上がれば上がるほど弱さを増す。それだけではない。便利度を上げると、引き換えに魂まで売り払うという現象を生むことになる。

 ゲリラ豪雨でも、普段どおりに車に乗って買い物に行けるのが当たり前。
 台風が来ても、普段どおりに電車が走るのが当たり前。 
 「人間は生きていく上で自然を土台にして生かしてもらっている」という感覚が、都市で生活すると抜け落ちてしまいがちです。

 そのため、大雨という自然の猛威にさらされても、普段どおりの利便性の高い生活を送れるのが当たり前と考えて、アンダーパスなどでも車で通行しようとするのかもしれません。
 アンダーパスは交差する鉄道や道路の下をくぐるので、 一時停止や信号待ちがなく、交通の流れがスムーズです。そしてオーバーパス(高架)と比べて、コストは低いといいます。利便性と効率性でアンダーパスは優れています。ただ、大雨のときに通行する車が水没するリスクは高いのです。
皆自分たちが種を蒔き、便利度を無限大に追求してきたから、今、その反動として被害を受けているのである。

アンダーパス


 かつて地域住民は、洪水が起こりやすい地域であれば住民同士で助け合って対策を取ったり、行事があれば協力して盛り上げたりしていました。
 現在では自治会も形骸化し、地域の歴史、そして、その土地ならではのルールやマナーは共有されなくなりました。地域の助け合いも行事も、行政任せです。
 ひとたび都市型水害が起こると、「行政の怠慢だ!」「いやいや、住民の不注意でしょう……」と、住民と行政で責任を転嫁しがちではないでしょうか。

便利度を上げるために行政任せにすると、住民が本来持っているものを全部譲り渡さなければならなくなる。そのことにもう一度立ち返って考えて欲しい。
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