市川南1・2・5丁目と、市川南3・4丁目とをなぜ分けたんだ問題 ファイナル 小字の名残
市川市が作成した市川市空家等対策計画では、市内が15の地区に分かれています。そして、町名が「市川南」のエリアが、なぜか「⑥市川第1」と「⑦市川第2」になっていました。
不自然なので非常に気になっていたのですが、『市川南創立50周年記念誌』を読んで理由がようやくわかりました。
キーワードは、「圦下(いりした)」です。
江戸時代には、地域の基礎単位である集落は「村」、そして村の中の区画は「字(あざ)」と呼ばれていました。
集落:村
村の中の区画:字
明治維新となり、1872(明治)5年に地租改正が始まりました。このとき、江戸時代までの字を統合して、新たな字が設定されます。
集落:村
村の中の区画:字→字(複数を統合)
1889(明治22)年には市制・町村制の施行で、府県―(郡)―市町村―大字―小字―地番と住所が表記されるようになりました。
集落:村→大字
村の中の区画:字→小字
市制・町村制で、市川村は周辺の村と合併して、千葉県東葛飾郡市川町大字市川となりました。
1903(明治36)発行の地図を見ると、総武線より南側のエリアは水田と畑だけでした。所有権が発生していたようで、小字がついています。
その一つが、「圦下」でした。
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| 出典:『市川南創立50周年記念誌』 |
圦下は、総武線の線路をまたぐ不思議な区画ですが、これは市制・町村制以前の「字」が関係しているのでしょう。ちなみに、総武鉄道の市川~佐倉の鉄道敷設工事は1889(明治22)年頃に始まり、市川駅の開業は1894(明治27)年です。
圦下の「圦」は、「杁(いり)」の木偏を土偏に改めたものとのこと。
杁は、ため池から農地に水を流すための水門で、国字、つまり日本で作られた独自の漢字です。
江戸時代に尾張藩が行った水利事業において、杁がたくさん使われていました。現在も愛知県名古屋市周辺では、「杁ヶ池公園」などのように、杁がつく地名が多いとのこと。
杁から派生してできた圦は、愛知県の三河地方でよく使われていて、やはり圦がつく地名が多く存在しているようです。
以上のことから類推すると、江戸時代に尾張藩かその周辺の藩の人物が、今の市川駅周辺の水利事業を手掛けた可能性もあるでしょう。
圦下は、水門の下にあったエリアということです。
1932(昭和7)年頃になると工場と、おそらく寮がたち始めました。田んぼの一部は埋められたのだと考えられます。
なお、地図上の青いピンは、市川南1・2・5丁目と、市川南3・4丁目との境です。
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| 1932(昭和7)年発行(左側の地図、右は現在。出典:今昔マップ) |
千葉県市川市は、1934(昭和9)年に市制が施行されました。千葉県東葛飾郡市川町大字市川字圦下は、千葉県市川市市川町大字市川字圦下になったと考えられます。なんだか「市川」が渋滞……
総武線南側は、1947(昭和22)年頃には住宅が増えています。
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| 1942(昭和22)年発行(左側の地図、右は現在。出典:今昔マップ) |
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| 1945~1950年に撮影された航空写真(出典:国土地理院地図) |
1951(昭和26)年に、市川市では大字名を町名に改称することが決定しました。このときに、千葉県市川市市川町大字市川字圦下は、千葉県市川市市川町5丁目となりました。地名としての圦下の消滅です。
しかし、心情的には、簡単には割り切れなかったようです。
圦下地区の人々はかねてから機会があれば市川町5丁目会から分離独立したいと望んでいました
『市川南創立50周年記念誌』
分離独立を目指していた折、1955(昭和30)年にチャンスが訪れます。当時の住所で市川町5丁目1694番地に、宝製薬株式会社の工場があり、敷地には宝稲荷神社がありました。この宝稲荷神社の神殿を、所有者から圦下地区の住民が譲り受ける話が持ち上がったのです。
こうして翌年に、宝神社が創建されました。
| 宝神社鳥居 |
| 大洲地区にあった株式会社東京精鍛工所が所有していた拝殿を移設した、宝神社拝殿 |
1957(昭和32)年には、市川町5丁目会から圦下町会が独立しました。宝神社社務所内に、町会事務所が設置されます。
1962(昭和37)年に、建物の所在地をわかりやすく表示する住居表示制度が始まりました。住居表示が実施された地区では、地番とは別に住所を表すためだけの番号(住居番号)を建物につけます。
1965(昭和40)年に市川市で住居表示制度が実施されました。そして圦下町会の区域は市川南1・2丁目となりました。そして圦下町会は、市川南自治会へと名前を変えました。
1966(昭和41)年に、住居表示の整備で市川南5丁目とされた区域ができて、市川南1・2・5丁目で市川南自治会が構成されるようになりました。
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| 1967(昭和42)年発行(左側の地図、右は現在。出典:今昔マップ) |
「市川南1・2・5丁目と、市川南3・4丁目とをなぜ分けたんだ問題」については、新たに分けたのではなく、昔は分かれていたことが原因だとわかりました。
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| 出典:『市川南創立50周年記念誌』 |
■主な参考資料
市川南自治会
根本自治会
漢字の現在第84回 尾張の「杁」
かつての大字(おおあざ)―小字(こあざ)―地番という住所表記が、町名―街区符号―住居番号に変わる時期や経緯、対照関係を調べたい。
愛知県には「圦」の付く地名が多いが、何か理由があるのか。






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