大洲防災公園を整備したのはURであーる。それで大洲防災公園とURの変遷を調べてみたのであーる

 千葉県市川市の大洲防災公園は、その名のとおり、市川市大洲にあります。
 1955(昭和30)年に行徳町が市川市と合併する前、大洲は「東葛飾郡行徳町本行徳の大洲地区」でした。江戸川(放水路)の開削までは、大洲から行徳までは地続きで、一帯が行徳町だったのです。

 大洲防災公園の近くにある大洲神社の祭神は、市川市本行徳にある神明社(神明神社)から勧請された豊受大神(トヨウケノオオカミ)です。大洲の人々は、もともとは本行徳周辺で暮らしていたのでしょう。田んぼを広げていくなどで住む場所を本行徳から大洲に移した住民が、神様を大洲に招いたのです。







 大洲が様変わりするのは、大正から昭和の初めにかけてのこと。1920(大正9)に北越製紙市川工場が建ち、1931(昭和6)年に市川競馬場ができたのです。

市川競馬場は国鉄の市川駅の南側、江戸川近くに昭和6(1931)年から昭和14(1939)年と、ほんの8年間だけ存在していたそうな。古地図と現在の地図を重ね合わせてみると現在の 大洲防災公園(千葉県市川市大洲1丁目)あたりになる。

地元民の反対により、観覧席は作られず常に 仮設。そのうえ、馬場の真ん中を国道 が貫いており、競馬開催時のみ、交通規制してはレースを成立 させていたという、かなり異色の競馬場だったそうだ。


 市川競馬場跡地は、いったん水田になった後、1961(昭和36)年に明治乳業市川工場が建設されます。

明治乳業市川工場(出典:UR PRESS Vol.22



 2000(平成12)年3月に明治乳業市川工場は閉鎖され、跡地は市川市の防災公園として整備されることが決まりました。

明治乳業(株)(東京都中央区、03・3281・6118)は11日、取締役会で固定資産譲渡を決議した。売却物件は旧市川工場跡地(千葉県市川市大洲一‐三九二六‐一、三万五二七七平方メートル)で、都市基盤整備公団が市川市との共同事業として推進する防災公園街区整備事業用地として利用したいとする要請に応じ売却する。帳簿価額二五億八〇〇〇万円(譲渡費用含む)、譲渡価格六二億五〇〇〇万円。譲渡益は退職給付債務債務積立不足の対処などに充当する考えで、今期の業績予想修正は行わない。

 上の引用の「都市基盤整備公団」が、後の独立行政法人都市再生機構(UR)なのであーる。


 「都市基盤整備公団」の「公団」とは何かと調べ始めたら、例のごとく、長くなりました。明治の公益法人制度までさかのぼってしまったのです。

 公益法人制度は、1896(明治29)年の民法(旧民法)制定とともに始まりました。民法第34条「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸その他公益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノ」、つまり、不特定多数の人の利益に関する社団法人(人の集まり)・財団法人(財産の集まり)を主務官庁の許可制で設立する仕組みです。

 1939(昭和14)年に、第二次世界大戦が始まります。戦争が激しくなり、軍需工場で働く多くの人々のために住宅が必要になりました。住宅を大量に供給するため、内務省が1924(大正13)年に設立した「同潤会」を吸収する形で、住宅営団が設立されたのです。
 営団は「経営財団」の略語で、戦争のために生み出された、公でも私でもない特殊法人です。

 深刻な物資不足と食糧難に悩まされた戦後の日本では、限られた資源を有効に使うため、官民一体で事業に取り組む特殊法人ができてきました。総務省は、「法律により直接に設立される法人又は特別の法律により特別の設立行為をもって設立すべきものとされる法人」と説明しています。

 特殊法人には公団や公社があり、政府から財政支援や免税措置、運営の監督を受けます。戦時中にできた営団は、戦後に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の方針で廃止され、一部の業務は公団・公社に引き継がれました。

○公団:公共的事業を推進するために、政府の全額出資または政府と地方公共団体との共同出資などで設立
○公社:政府や地方公共団体が、特定の事業を運営させるために設立

 日本電信電話公社(電電公社)は1952(昭和27)年に、日本住宅公団については1955(昭和30)年に、日本道路公団は1956(昭和31)年に設立されています。


 人口が増加して、日本全体の所得が上がり、市場が拡大していく高度成長期は、粗製乱造・どんぶり勘定でも、なんだかんだと帳尻が合っていました。
 ただ、高度成長期が終わる頃になると、官民一体の弊害が指摘されるようになりました。官民が癒着し、行政の業務を委託・下請けする団体が乱立して行政コストを増大させたほか、天下りの温床として特殊法人への批判が強まったのです。
 そして特殊法人の濫立が抑制され始めたものの、各省庁が、実質的には特殊法人と同じような組織を、認可法人として設立しようとして問題になりました。


 1981(昭和56)年から1983(昭和58)年にかけて設置された第2次臨時行政調査会(土光臨調)で、経団連名誉会長の土光敏夫氏たちが「増税なき財政再建」を掲げ、日本国有鉄道・日本電信電話公社・日本専売公社の民営化と行政のスリム化が提言されました。

 2000年代の小泉純一郎内閣による構造改革では、「骨太の方針」に基づき、2001(平成13)年に特殊法人等整理合理化計画が策定されました。そして、改革対象となる163法人の8割強に当たる135法人が、2005(平成17)年までに廃止、民営化、独立行政法人化しました。

○特殊法人:特別な法律によって設立された法人
例:日本放送協会(NHK)、NTT、日本中央競馬会(JRA)
法律:総務省設置法 2001年(平成13年)施行
事業:国会の承認が必要

○独立行政法人
例:都市再生機構(UR)
法律:独立行政法人通則法 2001年(平成13年)施行


 社団法人と財団法人については、2008(平成20)年の制度改正以降は、主務官庁による許可制から、民間有識者による公益認定へ移行しました。一般社団・財団法人法で設立された一般社団法人または一般財団法人のうち、公益法人認定法に基づき公益社団法人または公益財団法人に認定されたものを指します。


 URの変遷に関わるものを、時系列でまとめておきました。


1955(昭和30)年 住宅不足解消のために日本住宅公団(JHC)が設立

1962(昭和37)年 産炭地域振興事業団が設立

1974(昭和49)年 地域振興整備公団が設立

1981(昭和56)年 日本住宅公団が解散し、業務は住宅・都市整備公団に継承

1999(平成11)年 独立行政法人通則法が制定
特殊法人から独立行政法人へ

1999(平成11)年 住宅・都市整備公団が都市基盤整備公団(UDC)へ改組
都市再開発・インフラ整備を重視

1999(平成11)年 中小企業総合事業団が、中小企業事業団・中小企業信用保険公庫・繊維産業構造改善事業協会を統合して発足

2004(平成16)年 都市基盤整備公団が解散し、独立行政法人都市再生機構(UR)が設立

2004(平成16)年 地域振興整備公団が中小企業総合事業団、産業基盤整備基金と統合し、独立行政法人中小企業基盤整備機構へ改組 

 以下は、法人のまとめです。

□公益法人
 公益法人制度は、1896(明治29)年の民法(旧民法)制定とともに始まりました。民法第34条「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸その他公益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノ」、つまり、不特定多数の人の利益に関する社団法人(人の集まり)・財団法人(財産の集まり)を主務官庁の許可制で設立する仕組みです。

○公益:社会全般の利益
○共益:特定のグループだけの利益
○私益:個人の利益

 2008(平成20)年の制度改正以降は、主務官庁による許可制から、民間有識者による公益認定へ移行しました。一般社団・財団法人法により設立された一般社団法人または一般財団法人のうち、公益法人認定法に基づき公益社団法人または公益財団法人に認定されたものを指します。


□特殊法人
 特別の法律により特別の設立行為(政府が命じる設立委員が行う設立に関する行為)をもって設立すべき法人です。
 第二次世界大戦後から高度成長期にかけて、経済再建やインフラ整備を目的として多数設立が始されました。 


□認可法人
 特別の法律に基づき、民間の発意で設立されて、主務大臣の認可が必要な法人です。
 1951(昭和26)年に施行された社会福祉事業法(現・社会福祉法)や宗教法人法に基づいて設立される社会福祉法人、宗教法人などが例として挙げられます。

■主な参考資料
大洲自治会ホームページ


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