幻の新首都「ヤマト」と「第二東京湾岸道路」
核爆発を利用して鋸山を崩し、
東京湾の3分の2を埋め立て、
新首都「ヤマト」を建設する
こうした「ネオ・トウキョウ・プラン」を盛り込んだ『東京湾2億坪埋立についての勧告』が、1959(昭和34)年7月29日に産業計画会議委員総会で発表されました。中心となって取りまとめたのは加納久朗(かのうひさあきら、1886-1963)氏です。1962(昭和37)年11月には、千葉県知事選挙で加納氏が当選しました。
加納氏については、本人の書いた文章から支配欲みたいなものが強く感じられました(あくまでも個人的に)。
ネオ・トウキョウ・プランに対し「"埋立て病"がこうじすぎるのではありませんか」と朝日新聞の天声人語に書かれていたようですが、『クラナリ』編集人も同様の印象を抱きました。ネオ・トウキョウ・プランについて、詳しくは過去の記事を参照してください。
■夢か、狂気か「ネオ・トウキョウ・プラン」その1 実現していたら市川市の一部は「江戸川・船橋区」になっていた?
東京湾の一部を埋め立てて、東京都大田区と千葉県市原市を結ぶ自動車専用道路(高速道路)の建設する計画だった第二東京湾岸道路については、加納氏が急逝せずに千葉県知事のままであったら、凍結状態になどならなかった可能性があります。もしかしたら、鋸山は消滅し、現在の市川市の沿岸部は「江戸川・船橋区」とされていたかもしれません。
第二東京湾岸道路については、2001(平成13)年に市川二期・京葉港二期地区埋立計画が白紙撤回され、2009(平成21)年に国土交通省東京湾岸道路調査事務所が廃止になったことで、凍結となりました。
現在、新たに計画されているのが新湾岸道路です。
なお、Wikipediaによると加納氏は、仮名文字専用論を唱える「カナモジカイ」という団体の有力メンバーだったそうです。そのために、大和ではなくヤマト、東京ではなくトウキョウと表記したと考えられます。カナモジカイ的には第二東京湾岸道路もダイニトウキョウワンガンドウロとなるのでしょうか。
今回は、ネオ・トウキョウ・プランと第二東京湾岸道路について年表にまとめました。
1959(昭和34)年7月 『東京湾2億坪埋立についての勧告』を産業計画会議が発表(ネオ・トウキョウ・プラン)
1962(昭和37)年11月 千葉県知事選挙で加納久朗氏当選
1963(昭和38)年2月 加納知事急逝
1963(昭和38)年4月 友納武人氏が千葉県知事に就任
1963(昭和38)年 東京湾環状道路の各種調査を行っていた関東地方建設局(現:関東地方整備局)道路部などが、3環状9放射の道路交通ネットワークを計画
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3環状9放射の道路交通ネットワーク(国土交通省関東地方整備局 首都圏3環状道路より) |
1970(昭和45)年4月 東京湾岸道路調査事務所を新設し、本格的な調査を開始
1986(昭和61)年4月 第二東京湾岸道路の調査・計画を実施
※東京都大田区城南島と千葉県市原市廿五里(ついへいじ)の間の約50 kmを結ぶ幹線道路として構想
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第二東京湾岸道路(国土交通省関東地方整備局東京湾岸道路調査事務所サイトより) |
1993(平成5)年3月 三番瀬を埋め立てる市川二期・京葉港二期地区埋立計画を千葉県が策定
1994(平成6)年12月 第二東京湾岸道路が地域高規格道路の候補路線に指定
2001(平成13)年3月 5期20年務めた沼田武千葉県知事が引退表明、三番瀬を埋め立てる計画の白紙撤回を千葉県知事選挙で公約とした堂本暁子氏が当選
2001(平成 13)年9月 市川二期・京葉港二期地区埋立計画が白紙撤回
2009(平成21)年3月 国土交通省東京湾岸道路調査事務所が廃止
2019(平成31)年3月 第1回 千葉県湾岸地区道路検討会
2020(令和2)年5月 第2回 千葉県湾岸地区道路検討会、外環高谷JCT周辺から蘇我IC周辺ならびに市原IC周辺までの湾岸部でルートを検討
2021(令和3)年5月 千葉県湾岸地区道路検討会が基本方針を作成
2023(令和5)年6月 第1回 新湾岸道路検討会準備会
■参考文献
新湾岸道路の検討状況
国土交通省関東地方整備局 首都圏3環状道路
国土交通省関東地方整備局東京湾岸道路調査事務所
都心と千葉県を結ぶ「新湾岸道路」建設プロジェクトは動き出したが…課題は山積み
東京湾岸道路計画
国、第二東京湾岸道路の検討会設置 自然への影響課題
市川二期地区埋立計画(中止)
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