今、私たちが見ている三番瀬の干潟は人工的なものなのか?問題
記事「関東平野は現在進行形で沈んでいる 『関東造盆地運動』のお話」では、タイトルのとおり、関東平野が低くなっていく現象を紹介しました。
ところが、沈んでいるのはもう1カ所あるようです。それが東京湾の海底で、「東京湾造盆地運動」という説によるものです。
さらに人為的な原因として、地下水のくみ上げ過ぎなどで東京湾の海底が沈み、三番瀬の干潟が海に消えたのだそうです。
私たちが気づいていないところで、自然環境は刻一刻と変化しているようです。
東京湾造盆地運動
プレートテクトニクス
東京湾造盆地運動と関連している可能性が高い「プレートテクトニクス(plate tectonics)」について調べてみました。現在は中1理科で、プレートテクトニクスを習うようです。
まず、地球の構造については、中心から「核(内核、外核)」、「マントル(下部マントル、上部マントル)」、「地殻」の3層になっています。
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日本地熱学会より |
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主要なプレート(図/USGS, Washiucho Wikipedia) |
中心部の核には、水素が大量に含まれています。そして温度は5500℃で、気圧は365万気圧と、非常に高温・高圧です。熱の発生源は不明ですが、内核で核融合が起こっているからだという説があります。
地球の内側から2つ目のマントルも、4000℃で130万気圧と、やはり高温・高圧です。
つまり、地球は中心ほど熱く、外側ほど温度が低くなっています。
そのため、マントルで対流が発生します(なお、マントルは硬い石=固体で、液体ではない)。
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マントル対流(図/NASA) |
この流れに乗って、プレートが動いているのです。そのために、プレート同士がぶつかったり、 片方のプレートがもう一方のプレートの下に潜り込んだりしています。プレートが潜り込んでいるところが、「海溝(Trench、トレンチ)」や「トラフ」です。トラフは海底の細長い凹地で、海溝ほど深くありません。
プレートが動くことで火山や地震が起こるという説が、プレートテクトニクスです。
今ではなんだか当たり前のように思えるプレートテクトニクス。しかし、この説がカナダの物理学者であるジョン・ツゾー・ウィルソンによって打ち出されたのは1965(昭和40)年のことでした。
今ではなんだか当たり前のように思えるプレートテクトニクス。しかし、この説がカナダの物理学者であるジョン・ツゾー・ウィルソンによって打ち出されたのは1965(昭和40)年のことでした。
千葉県周辺の海底の様子
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全国地質調査業界連合会より |
日本列島は、北米プレートとユーラシアプレートに乗っています。この2つのプレートを、東から太平洋プレートが、南からはフィリピン海プレートが押しています。
そして、北米プレート・太平洋プレート・フィリピン海プレートの3つは、1カ所で接しています。ここを「三重点(トリプルジャンクション、三重会合点)」といいます。
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内閣府より |
東京湾、そして千葉県は北米プレートにあり、房総半島沖には三重点があります。
加えて、千葉県東方沖には「スロースリップ」という現象が起こっているとのこと。
通常の地震は、プレートが動くことで生じたひずみが、元に戻ろうとして起こっています。
一方、スロースリップはゆっくりと滑るようにひずみが生じるため、元に戻るのもゆっくりなのです。
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スロースリップの仕組み(図/広報誌「地震本部ニュース」平成30年(2018年)秋号より) |
東京湾造盆地運動
東京湾造盆地運動についての記述があるのは、『千葉市史』49 ~ 50 / 452ページです。以下、引用。
この運動(関東造盆地運動)の初めは、成田層群の基盤をなす上総層群上部の梅ケ瀬層のころにあること、沈降の中心は二つあり、一つは粟橋・古河付近で、これを古河地区造盆地運動と呼び、他の一つは船橋・千葉付近にあり、これを東京湾造盆地運動と呼ぶようになった。そしてこの二つの運動の母体をなすものが、関東造盆地運動であって、その中心は千葉・船橋付近にあったとさえ主張する学者もいる(註29)。
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2―13図 東京湾北部の地下構造(垂直は水平の25倍)(貝塚爽平による) |
そこで東京湾東沿岸地区、とりわけ、市川市から千葉市にかけての、北半部の海進海退の実像を復原するまえに、成瀬洋がまとめた千葉市付近の沈降量を見ると、梅ケ瀬層上限以前の沈降速度は、1000年につき0.5メートル以下であるが、成田層堆積以降有楽町層までは1.1~1.3メートルの間を上下している(註31)。
1万年当たり約12メートル、一年当たり1・2ミリメートルの割で沈降していることとなり、現在に近ずくほど沈降量が増大する。そして、これは現在も続いているものと推測される。このことは、逆に成田層の堆積した二十数万年前には、今よりも数十メートル高く、有楽町層の時代でも数メートルは高かったはずである。
東京湾造盆地運動については、2020年に発足した専門家集団「水都東京・未来会議」でも言及があった模様。
■東京スリバチ学会が提案する「地形と水から発想する水都東京の復権」
あまりにも資料が少ないため、メジャーな説なのかは判断しかねるものの、東京湾造盆地運動で東京湾が沈降している可能性は考えられるのではないかと。
人為的な原因による沈降
東京湾造盆地運動よりも明確なのは、地下水のくみ上げ過ぎなどによる地盤沈下です。
三番瀬については、1950年頃には広い干潟がありました。
しかし、1960~1980年代頃の埋立で多くの干潟が消えました。同じ時期には、工業用に地下水や天然ガスをたくさんくみ上げたために、地盤沈下が起こったのです。行徳地域では、最大で2メートル沈下した地域もあったとのこと。
海の中でも地盤沈下が起こった結果、大潮のときにだけ狭い干潟が現れる、普段は海に水没している浅海域になりました。漁業者は「今は1~2メートルぐらい海が深くなったようだ」とコメントしていました。
1982~83(昭和57~58)年に、市川市行徳漁業協同組合と南行徳漁業協同組合が、航路の浚渫土砂などを使った、塩浜地先に約10ヘクタール の人工干潟を造成しました。
護岸から歩いて行ける大きな橋をつくり、潮干狩り場として昭和58年から61年に公開している。
『三番瀬の再生に向けて』市川市 2003年発行
潮干狩り場は、想定外に多い利用客による混乱と青潮で閉鎖したと『三番瀬の再生に向けて』には書かれていました。
また、国と千葉県の資料には、人為的な原因による三番瀬の変化が詳しく報告されていました。
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3 三番瀬の再生の概念 |
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第 1 章 河口干潟における環境の課題と改善の方向性~三番瀬をモデルとした検討~より |
以上のことから、江戸川放水路河口周辺以外は、三番瀬の干潟は人工的に造成されたものだと考えられました。
ちなみに、2001(平成13)年に撮影された護岸付近は「ダウナー真間川」状態。現在は改善されているのでしょうか?
『三番瀬の再生に向けて』より |
「ダウナー真間川」 |
「ダウナー真間川」 |
高度成長期には、江戸川と東京湾で公害問題が発生しました。
また、下水道が整備が進んでいなかったため、生活排水が川と海に大量に流れ込んでいる時代もありました。
「市川市は、海も川も汚い」
「海や川なんかで遊んだら、病気になってしまう」
そんなイメージが高度成長期に定着して、地元住民は川から遠ざかっていたのではないでしょうか。関心が薄れた場所には、ごみを投棄する人たちがやって来ました。
結果として、水辺がどんどん汚れていき、さらに地元住民が敬遠することになったとも考えられます。
『クラナリ』編集人は、江戸川から近いものの、東京湾からはそこそこに距離のある地区に住んでいます。暖かい日に、自転車を飛ばして、様子を見に行くつもりです。
■参考資料
技術ニュース83 プレートテクトニクス
実習15 地殻変動(プレートテクトニクス)
第 1 9章 科学の革命 プレートテクトニクス
霞ヶ浦のなりたちを探る-プレートテクトニクスの視点で-
陣内秀信:パンデミックを乗り越えた水都・東京
平成 28 年度三番瀬自然環境総合解析結果の概要について
第 1 章 河口干潟における環境の課題と改善の方向性~三番瀬をモデルとした検討~
3 三番瀬の再生の概念
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